家族
――翌日
その日はとても忙しい一日になりそうであった。
昨日は駆けつけた消防隊に保護され、病院に搬送された。エレナは出血多量であの後気絶したし、ハヤトも瓦礫が落ちて死にかけたことから一日検査入院することになったのだ。
しかし案の定ハヤトはどこにも問題はなく、今朝最後の検査を終えたところであった。
「問題ないね。じゃあ、お大事に」
中年男性の医者がカルテを片手にそう言った。
「ありがとうございます。……あの、一つ良いですか?」
「ん?何かな?」
「エレナは……僕と一緒にいた女の子は、大丈夫でしたか?」
医者は思い出したように、ああ、と呟いて優しげに笑顔を作った。
「大丈夫大丈夫。彼女ももう退院できるから、後で逢えると思うよ。それにしても驚いたよ。まさかあんなに回復が早いとはね」
「そうですか。ありがとうございます」
どうやらエレナも無事らしい。元気になって本当に良かった。不思議なヒトだったが、また逢えたら良いと思う。
診察室を出る前に感謝の意で一度軽くお辞儀をしてその場所を後にする。
特に大きな持ち物はないので、後片付けもなく後は病院の受付で母が来るのを待つだけだ。
肩掛けカバンを肩に掛けて廊下を歩き、その場所へと向かう。ここから受付までは緩いスロープになっていて、今はその坂を下っているところだ。元々病棟が離れていて高低差もあったことからバリアフリーの一環としてこういう構造になっているのだろう。
しかしあまり防音設備が良くないのか、外から蝉の大合唱が漏れ聞こえてくる。室内だというのにそれだけで気が滅入りそうだ。
今日も晴れてるのかな、と窓から空を眺める。そこには蒼い空が広がり、巨大な入道雲が聳え立っている。そしてその下を豆粒ほどの飛行機が飛んでいて、今にも千切れてしまいそうなほど細く長い飛行機雲を空に描いていた。
あまりにも入道雲とは大きさが違うために矮小な飛行機がそれに押し潰されるような錯覚さえ覚える。
「でかいな……」
もくもくと未だに大きくなっていく、威圧感が著しい入道雲は今にも本当にその飛行機を飲み込みそうだった。
ずっと眺めていることも出来ず、そこから目を逸して前を見る。もうすぐそこが受付なのだ。見渡しても平日の午前中のためか人が疎らだ。
大半が老人で、若い人は殆どいない。看護師も高齢者が多かった。
だからだろうか。その広々とした明るい空間に彼女がいることに直ぐに気がついた。
「!」
ハヤトはその美しさに息を呑んだ。
彼女は廊下に立って、木々と草花が生い茂る中庭を眺めている。中庭は床から天井まである巨大なガラスに覆われていて、どこか芸術的だ。
そんなところに彼女が太陽の光を浴びて、まるでそれがスポットライトのように射し込み、その白銀の髪を眩く輝かせ、頭の上に光輪を描き出していた。彼女の纏う青と白のセーラーワンピースがとても映え、天使が地上に降臨したのではないかとハヤトは一瞬思ってしまった。
今彼女の後ろ姿しか見えないが、それでも心が高なるほどの優美さがそこにはあった。
しかしその浮世離れした容姿のせいか今声を掛けたら彼女も消えてしまうのではないかと不安になる。実際そんなことはありえないのだが、そう思ってしまった。
声を掛けるのが、怖い。
「あ、おはよう」
そうこうしているうちに彼女、エレナが気づいて肩越しに笑顔を咲かせた。そしてそう声を掛けてくる。
しかしその笑顔とは裏腹にその目元は泣き腫らしたように少し赤くなっていた。
もしかしたらずっと泣いていたのかもしれない。
「おはよう。今日もいい天気だな」
「そうだね」
ハヤトはエレナの隣に歩を進めた。そして僅かに二人の間に沈黙が下りる。何か話そうかとも思うが、今は何も出てこない。それよりあまり話す気分でもなかった。それはエレナも同じなのか彼女も何も言わない。
今はただ何も考えたくなかった。何故か心が凪いでいて何の感情も出てこない。気力も湧いてこない。このまま静かに時間だけが過ぎ去っていってほしい。
二人して中庭を眺めていると、不意に右の掌に温もりを感じて隣を見やった。
「少しだけ、こうさせて」
右の掌を彼女が温もりを求めるように繋いできた。
彼女は暗い顔をして伏せ見がちにガラスの向こうを見つめている。そんな顔を見てしまっては断る理由はなかった。ハヤトもその手を握り返す。
細くきめ細かい肌の滑らかな感触に少しばかり緊張してしまう。しかしそれと同時に、夢で見たあの情景を再び思い返していた。あの時もこんな風に手を繋いでいた気がする。本当にそんなことがあったかは分からないが、少なくともハヤトは懐かしさを感じていた。
「大丈夫?」
彼女が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だけど?」
「無理はしないでね」
何を心配されているのか、ハヤトには分からない。特に今苦しいわけでも痛いわけでもないのだ。どうしてそんなことを言われるのだろう。ただ何かがあるとすれば、それは空虚だろうか。あるべきものもなく、昨日まであったものさえも見失った感じ。
それがどういうことなのかを、ハヤトは知らない。
その時、よく知っている声が病院の自動ドアが開かれると同時に聞こえてきた。
「あ、ハヤト。エレナ。迎えに来たよ」
そちらに振り返るとそこには母がいた。手を小さく振りながらこちらに小走りでやってくる。
「どうだった?何ともなかった?」
「うん。別に問題はないって」
母の問いにエレナが気さくに答える。
「そう。よかった」
「でもやっぱり私もハヤトも一度『第一』に行ったほうがいいかも」
「そうなの?じゃあ、後で送るね」
ハヤトはその光景に少々困惑した。
二人は知り合いなのだろうか。でもそれ以上に親しそうにも見える。
ハヤトには二人がそんなに仲良くしているのが予想外で吃驚してしまったのだ。
「母さん。エレナと知り合い?」
疑問をそのまま母に問うと不思議そうな顔をしてとんでもないことを口にした。
「ふふふっ。実はね、エレナはハヤトのお姉ちゃんなんだよ」
「えっ!?」
姉?
姉って、Elder sister?
要するに、家族!?
つまり、僕とエレナは姉弟!?
驚愕のあまりエレナに向き直って表情だけで問うと、彼女は「そうだよ」と優しく教えてくれた。
「マジか……」
唖然としてしまう。まさか姉弟だったなんて、驚き以外何も出ない。それより家族が他にも、両親や花楓以外にいたことを知らなかった自分にも驚いてしまった。一般的に知っていることが普通だというのに。
驚き過ぎて本当に言葉も出なかった。
「最後に逢ったのは6年前だから、覚えてないのはしょうがないのかな?」
「そうね。もうそんなになるんだ」
6年前。
実はハヤトはそれより前の記憶がない。所謂記憶喪失というものだ。
どうやら脳組織自体を損傷してしまって全ての記憶を失ってしまい、それが戻ることは二度とないらしい。しかし生活に支障がないので今までそのことも忘れていた。
原因はよく知らない。何度か聞こうと思ったこともあったが、詳しく知っていそうな父がどうしても教えてくれなかった。それに聞いてはいけない雰囲気もなんとなくあった。そしていつしかハヤトも時が経つに連れて興味が失せていた。
もし6年前より以前にエレナと出逢っていて、それから出逢うこともなかったのなら彼女を覚えていなかったことも説明できる。
しかし、やはり疑問があった。
「じゃあ、今までエレナはどこにいたんだ? どうしてそれを今まで教えてくれなかったんだ?」
どうして今まで彼女は家に居なかったのか。しかも一切の連絡も、家族の話題にも出てこなかった。それに家族であるのなら、せめて他にも家族がいることを教えてくれてもよかったはずだ。ハヤトは記憶喪失であるのだからなおさらに。何か理由があるのだろうか。
というか今まで全く話題にすら出てこなかったということはどういうことだろう? 少しくらい話されていてもおかしくなかったはず。あまりにも徹底して隠されていたとしか思えない。自分だけ除け者にされてしまったような寂しさを感じてしまう。
「えっと、ね……」
「?」
何故か歯切れ悪く、エレナは言い淀んでいる。母も自分からは何も言おうとせずにエレナの言葉を待っている。
そしてエレナは曖昧な笑顔を浮かべて言葉を発した。
「今は、言えないの。気になるかもしれないけど、今はそういうことにしておいて。…………お願い」
ハヤトはその哀愁と不安を漂わせた言い方に、何が過去にあったのか気になってしまった。しかしエレナが聞かないでほしいことを詮索するつもりも毛頭ない。それが無粋であることは百も承知だからだ。
彼女が言いたくないのであれば、話してくれるその日まで待つことにしよう。
「わかった」
「ありがとう」
少し悲しそうな笑みを彼女は浮かべていた。
そこでふと思い出したことがあった。
「そういえば、『第一』に行くとかさっき言ってたけど、なにそれ?」
「ああ、CONEDsの第一ビルだよ。これからそこに行ってハヤトの治療をしないといけないの」
「治療?」
ハヤトは首を傾げた。ついさっき医者からはどこにも問題がないと言われたばかりなのである。自分の身体を確かめてみてもどこも痛くないし、具合が悪いということもない。
それなのに治療しなければいけないとは、どういうことだろうか?
しかもCONEDsは病院ではない。ただの会社である。確かに医療用のナノマシンの開発はしているらしいが、だからといって病気や怪我を治す会社ではない。そもそもそういうことならここで直してもらえば問題はないはずだ。
「昨日の、私がやったこと、覚えてる?」
突然話が変わってハヤトは面食らうが、すぐに首肯した。
あの、ハヤトや死にそうだった人の命を救った不思議な力のことだろう。
「あれは、お父さんが言うには魔法の原型なんだって」
「魔法??」
「うん。でも、ファンタジーじゃなくて科学だからお父さんは科学魔法って呼んでた」
なんか、いきなり訳の分からない話になった。
それならエレナは魔女?
いや、魔法使い?
「実はあれでハヤトも治療したんだけど、完全じゃないの」
「どういうことだ?」
「いわば今は張りぼての状態。いつ問題が出るか分からないの」
つまり、応急処置であってちゃんとした治療をしなければいけない状態ということか。
科学魔法とかいう不思議技術のことは医者にはどうすることも出来ないだろうし、それを知っている人にしか対処出来ないのだろう。もしかしたら門外不出の技術なのかも知れない。
そもそもこのことを医者に気づかせない程の張りぼてとはもはや本物に限りなく近いのではないだろうか。
でも。
「魔法、ねぇ……」
実は父には厨二病のきらいがあったんじゃないかと内心思ってしまった。実際必要ないのに白衣着てたし、理解が追いつかない世界観も持っていたし。いつ見ても全て悟ったような表情でいたし。何を考えていたとしてもおかしくはない、か。
まあ、今考えてももう遅い。
「じゃあ、お母さん受付で支払い済ませてくるから、先に車に乗ってて」
母が受付に向かい、ハヤトとエレナはその場に残された。とりあえず車のところに行こうとエレナに顔を向ける。
「行くか」
「うん」
二人は歩き出す。今更になって未だに手を繋いでいたことに気づいたが、振り払うのも失礼だからそのまま外に出た。
相変わらず蒸し暑い空気に包まれ、都会の音と蝉の大声が煩い。日差しも暑くて外に出るのも億劫だ。
本当は家に帰りたい。
いつものように家で過ごしたい。
叶うなら、みんなでそうしたかった。
でも、もう叶うことはない。
ふと今まで忘れていた大事なことを思い出し、ハヤトはエレナに呼び掛けた。
「エレナ」
「なに?」
「ありがとう」
「え?」
エレナは少し驚いたようにハヤトの目を見返した。
「助けてくれたこと。本当にありがとう」
するとエレナは申し訳なさそうに、悲しそうな笑みを見せた。
「うぅん。いいの。でも、お父さんは助けられなかった……」
「それでも、ありがとう」
二人は弱々しく微笑み合う。そして互いを支え合うように繋いだ手をさらに強く握りしめ、炎天下の下を歩いていったのだった。
二人は第一ビルへ――。
一応この小説は空想科学のジャンルに含まれますので、物理法則を破らない魔法であると思って下さい(物理法則を破ったような現象が出ないとは言ってません)。
感想、評価お待ちしております。




