第96話:唇
レヴィは数メートル下の出窓の屋根へ着地し、さらに下を覗き込む。
やはり地上は全く見えないが、それでも数メートル先は見えていた。
再びそこへと飛び移り、下へ下へとおりていく。
時折降ってくる瓦礫に注意しながら、彼女は確実に進んでいた。
「いける……!」
服を脱いだ為に肌は吹雪に晒され、手はかじかみ、身体は小刻みに震えていた。
飛び降りる度に足が抜けるような衝撃に耐え、彼女は必死に下りていく。
「上っ……!」
「はっ!?」
レヴィが次の足場に着地したその時、上から巨大な瓦礫が落ちてくる。
ロードの声に反応したレヴィは、咄嗟に次の足場へと飛び移った。
だが――――
「あっ!?」
レヴィは足を滑らせ足場から落下してしまう。
必死に伸ばした手が外壁の装飾を掴み、何とかそれにしがみついた。
「うぅっ……」
レヴィが下を見ると、ぼんやりとだが地上が見えていた。
だが、まだ飛び降りてどうにかなる高さではない。
ロードは思わず自分を下ろせと言い掛けるが、それをぐっと飲み込んだ。
自分の為に必死に頑張ってくれているレヴィに対し、もうそんな言葉は掛けたくなかった。
「レヴィ……頑張れ……!」
「ロード様っ……! はいっ!」
レヴィは彼の想いに応えるべく、渾身の力を込めて身体を持ち上げる。
普段なら造作もないその行為だが、命を背負ったその重みをレヴィは感じていた。
そうしてなんとかよじ登ったその時、城の外壁に大きな亀裂が走る。
「まずいっ……!」
レヴィ達が下りていた壁そのものが崩れ出し、激しい揺れが2人を襲った。
今いる場所が崩れるのは時間の問題だと悟ったレヴィは覚悟を決める。
右腕に渾身の力を込め、レヴィは近くの壁を殴りつけた。
「レヴィまさか……」
壁に亀裂が入り、レヴィの拳からは血が滴り落ちる。
それに構わずレヴィは何度も壁を殴りつけた。
「瓦礫ごと落下し、地面につく直前で横に飛びます。それ以外……ないッ!」
そうして放たれた渾身の拳が壁を貫き、2人の足場がくらぐらと揺れる。
「はぁッ!」
レヴィの蹴りが炸裂し、足場にしていた出窓の屋根が壁ごと外れた。
浮遊感とともに瓦礫が落下を始め、レヴィはその屋根にしがみつく。
だが、そこに再び降ってきた瓦礫が直撃した。
「うあっ!?」
「レヴィッ……!」
衝撃で身体が跳ね上がり、きつく結ばれた2人は同時に空中へと投げ出された。
2人は頭から地面に向かって落ちていく。
最早何かに掴まることも瓦礫に飛び乗ることも出来ない。
地面までは数秒。
その時の中で、レヴィはゆっくりと振り返りロードを見る。
そこにいたロードは、やはりいつものように優しい顔をしていた。
その顔を見るだけでレヴィの目は赤く染まり、彼女はロードに顔を近付ける。
ロードは必死に手を伸ばし、レヴィの顔をそっと包み込んだ。
そうして2人は、自分達の意思で初めて唇を交わした。
「お邪魔しちゃったかなぁ!?」
「「えっ!?」」
「あらよっとぉっ!」
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
突如現れた金色の男は空中で2人を抱えると、そのまま空気を蹴って空を駆け抜ける。
「空はあんまし走れないんだけどな! こんくらいなら余裕余裕ぅ!」
「「あ、あなたは!?」」
「息ぴったりで妬けるねぇ! ちきしょー!」
そのまま徐々に高度を下げ、彼らは無事に地面へと降り立った。
「しっかり掴まっておけよー! ズィードの魔力は……あっちか!」
ザワンは凄まじい速さで大地を駆け抜け、城から離れた一軒の建物の中に飛び込んだ。
中にはティア達3人が待っており、ザワンに抱えられた2人を見て歓喜の声を上げる。
「ロード! レヴィ! よかった……! よくやったぞザワン!」
「ヒーローはいつも……ギリギリでやってくる!」
「今度ばかしはヒーローだったぜ馬鹿野郎!」
「ロードさん……レヴィさん……よかったぁ……!」
「皆様……私の為に……」
オーランドは裸同然のレヴィにマントを掛け、その肩に手を置いて優しく微笑む。
その後、すぐにロードの様子に気付いたオーランドは急いで彼を床へと寝かせた。
「これは酷い……すぐに治療しなければ……!」
「陛下……」
「ロード……もう喋るな……!」
「まだ……レヴィ手帳を……」
「は、はい……!」
レヴィは縛る為に使った服の中から手帳を取り出す。
ロードは震える手でレヴィが持つ手帳のページを捲りその名を呼んだ。
「ティエレン……!」
例え魔力がなくとも手帳から呼び出すことは出来る。
ロードの呼び掛けに応え、手帳から現れた紫色の杖をレヴィが掴んだ。
「ロード様この方は……?」
「彼女は……行ったことのある場所に転移出来る。魔力を込めて……行きたい場所を思い描くだけでいい……」
「よし……みんな集まれ!」
オーランドの号令に従い、ロードとレヴィを除く全員が杖を握る。
これまでの戦いで全員魔力はほとんど残っていない。
だが、全員の魔力を合わせればギリギリ足りる。
「後は……みんなに任せ……」
「ロード様……? ロード様ぁっ!」
「皆集中しろ! ケルトに飛ぶ!」
そうして彼らは、インヘルムから姿を消した。
――――――――――――――――――――――
ここは……。
『担い手よ』
あ、あなたは……あの時の……。
『そなたには酷な道を歩ませてしまった。巻き込んでしまったことを許して欲しい』
俺は……今幸せですから。
『そうか……済まない』
いえ……。
『先程そなたに授けた力は消えてしまったが……その身に宿った力は決して消えぬ。本来なら、私はこの世界の者に手を貸してはならぬ身。だが、巻き込んでしまったそなたなら話は別……また会うこともあるだろう』
よく分かりませんが……ありがとうございます。
『礼を言わねばならぬのは私のほうだ。これは贖罪に過ぎない。これより先、より多くの困難がそなたを待ち受けているだろう。だが、そなたならきっと……私の罪を……』
あなたの……罪を……?
『また…………える。そな…………勝…………』
ま、待って! あなたはいったい……!
『…………世を……べる…………ケ………………む……』
――――――――――――――――――――――
「はっ……!?」
なんだかふわふわする。
どうやら俺はベッドに寝かされているようだ。
起き上がろうとするが、その瞬間身体中に激痛が走る。
「いっ……!? はは……なんだかあの時みたいだ」
あの時は本当に死ぬつもりだった。
世界に絶望し、もう生きていく気力がなくなってしまったから。
でも、今は違う。
生きたいと……強く思う。
死ぬつもりだった俺が、こう思えるのもクラウンさんと……レヴィのおかげだ。
「ん……?」
身体の感覚が戻り始めた時、俺は誰かと手を繋いでいることにようやく気付いた。
それを俺はよく知っている。
うん……初めて繋いだ女の子の手だ。
この手が俺を暗闇から救ってくれた。
光の照らす方へと……導いてくれたんだ。
俺はその手を握り締める。
もう二度と……離さぬように。
「う……ん……」
ベッドに突っ伏すようにレヴィが寝ている。
左腕がないのがもどかしい。
あったら彼女の頬を撫でることが出来たのに。
そうしてレヴィを見つめていると、彼女の目が不意に薄っすらと開いた。
どうやら想いが通じたらしい。
「レヴィ……おかえり」
彼女は目を見開き、身体をゆっくりと起こす。
握ったままの手に、彼女の力が強くなるのを感じた。
その目がみるみる潤んでいく。
彼女は涙をいっぱいに溜めた目で……優しく微笑みながら口を開いた。
「それは……私のセリフですよ……」
彼女に抱き締められる。
俺も彼女を強く抱き締めた。
「ロード様っ……!」
「レヴィ……」
そうして……やっと、俺達は……。




