第93話:必然
身体はとうに限界を超えている。
誰がどう見ても立っているだけで精一杯に思えた。
いや、本来ならば立つことすらありえない。
それでも……それでも尚彼は立ち上がった。
「何故立てる……」
ゼノは思わず問い掛けていた。
何故問い掛けたのかは彼自身にも分からない。
それが怒りからなのか憎悪からなのか、それとも恐怖からなのかは。
「レヴィが……そこにいるから……」
身体中から血が滴り落ち、呼吸は荒く、今にも倒れてしまいそうだった。
しかし、それでも彼は力強くそう言った。
ゼノには理解出来ない。
その力と意思が、どこから湧き上がるのかが。
「貴様……何故そこまで命を懸ける……!」
その鬼気迫るロードの様子に、ゼノは再び問い掛けてしまう。
しかしロードの答えは、何よりも単純なものだった。
「レヴィが……泣いているから……彼女の笑顔が見たいから……今俺が命を懸けるのに……それ以外の理由はいらない………!」
「ロード……様……」
レヴィの声を聞いたロードの目に力が宿る。
しかし、もう魔力はほぼゼロに等しい。
ゼノの腹部に突き刺さっているグングニルや、右腕に食い込んだイアリスに生命を与えるだけの魔力すら無かった。
「何も変わらぬ……貴様には何もできぬッ! その首を刎ねて終わらせるッ! もう奇跡はうんざりだッッ!!」
ゼノの身体から生えた黒い5本の腕がロードに向けて解き放たれる。
やはりゼノには理解出来なかった。
だから消す。
そうすれば、自身が胸に抱いてしまったその不気味な感情を打ち消せると信じて。
閃光の如く突き進む5本の黒い腕が自身の命を刈り取らんと迫る中、ロードは今の自分に何が出来るのかを冷静に考えていた。
彼の力の大半は伝説の武具であると言っても過言では無い。
もちろん彼自身の魔力量や武芸百般なども優秀な力ではある。
しかし、伝説の武具の力はそれよりも強大で、彼らを呼び出せば大抵のことはカタがついてしまうのも事実だった。
故にロードにとって生命魔法は、いつしか彼らを呼び出す為の〝手段〟となっていたのだ。
当然ロード自身もそのことを理解している。
だからこそレベル上げをし、自分自身の力である生命魔法を強化しようとしていたのだ。
生命魔法の幅が広がれば、また違った戦い方があるかもしれないと考えていたからに他ならない。
〝触れずとも生命を与えられる力〟と〝生命を与える対象を増やす力〟を貰った際、彼は生命魔法がなんたるかを知る。
手帳も伝説の武具も魔力も何もかも失った今、その真の意味を彼はようやく理解した。
5本の黒い腕がロードに迫る。
一撃でも食らえば即座に命を刈り取られるその刃を前に、ロードはゆっくりと右手を前に出す。
その瞬間、魔王の魔術はロードの腕と化した。
「な……!?」
5本の内の2本が、ロードの身を守るように他の3本を斬り裂いた。
さらに今度はゼノを貫かんとその身に迫る。
ゼノは咄嗟に魔術を解除してそれを防いだが、その目は驚きのあまり完全に見開かれていた。
生命魔法は単純に物質を動かすだけの魔法ではない。
魔力を生命エネルギーに変換し、それを物質に与えるのが生命魔法。
例えばゼノの魔術が魔力を岩に変換するようなものならこうはならなかった。
その場合は自分の魔力を生命エネルギーに変えて送り込まななければならない。
これは魔力が岩になった瞬間、完全な物質となってしまう為である。
ゼノの魔術は魔力の塊。
自分の魔力が僅かしかなかろうが、それ自体を生命に変えてしまえばいいだけの話。
つまり今この瞬間から、ゼノの魔術は完全に無力と化したのだ。
何を生み出そうとも何を撃ち込もうとも関係ない。
ロードは今、黒魔術にとっての天敵へと昇華した。
「なんなんだ……貴様は」
ゼノは懐に手帳をしまう。
最早魔術を使う気にはなれなかった。
もちろんどんな能力をロードが使っているかなどゼノには知る由もない。
ゼノからすれば、今のが最後の抵抗であると考えてもおかしくはなかった。
だがその力が不確定である以上、自身の魔術を使うにはリスクが高過ぎると判断したのだ。
そして何よりも、倒しても倒しても何度でも立ち上がるロードの底知れぬ何かが、ゼノを無意識に恐れさせていたのかもしれない。
「無駄な足掻きを……! 貴様の身体は既に死んでいる! それに、この拳までは操れまいッ!」
ゼノは拳に魔力を込める。
そう……ゼノの魔術は通用しなくとも、その肉体となれば話は別だった。
肉体に宿る魔力までは操れない。
「その頭蓋……砕いて終わりだッ!」
だが、ロードのスキルは〝武芸百般〟。
その肉体が壊れていても、全ての武術がロードの身体には宿っている。
唸りを上げて迫る拳にそっと右手を添え、ゼノの力を利用して投げ飛ばした。
「なッ!? がはッ……!?」
刹那ゼノの右腕の上を撫でるように滑らせ、未だ右腕に食い込んでいたイアリスの柄を握る。
ロードは投げ飛ばした反動でそれを引き抜き、地面を転がり片膝を突いたゼノにその切っ先を向けた。
「ゼノ……あんたの負けだ」
「フ、フハハ…………ほざくなぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!」
地面が爆発したかのような粉塵を上げ、ゼノは大地を蹴ってロードに拳を放つ。
全てを打ち砕くその魔拳を見切り、ロードは当たる寸前で首を傾けそれを躱した。
「ばっ……」
ロードの左頬をかすめ空を切る魔拳。
刹那放たれた鋼鉄剣は、ゼノの心臓を貫いていた。
「がふッ……」
「レヴィは物じゃない。彼女の人生は……誰にも奪わせないっ……!」
ロードの言葉に反論することは出来ず、魔王ゼノは膝を突き、崩れ落ちるように地面に倒れた。
その時グングニルが彼の身体から抜け、まるで主人を労うようにロードの足下へと転がってきた。
「はぁ……はぁ……ありがとうグングニル……」
イアリスを腰に差し、彼はグングニルを拾い上げる。
その羽根のように軽い槍はあまりにも重要な働きをしてくれた。
「マスター……私も……限界ですっ! また!」
そう言うや否や、アイギスの身体は盾へと戻る。
それを見つめながらロードは呟くように礼を言った。
「アイギスもありがとな……おかげでなんとか……」
「ロード様後ろッ!」
「えっ……?」
振り返ったロードの腹に赤い刃が突き刺さる。
「がっ……あ……!?」
「フハハ……魔王を舐めるなよ……人間風情がッ!」
「ロード様ぁっ!」
「なん……で……?」
確かに心臓を貫かれた筈のゼノだったが、彼にはある秘密があった。
というより、これは魔王の秘密といった方が正しい。
「余の心臓は……2つあるのだ。残念だったなぁ……フハハハハハハハ!」
魔王は代替わりの際、自身の心臓を次の魔王に譲り渡す。
その後、残った古い心臓を自身で潰し、次世代へと全てを託して死んでいくのだった。
心臓は血を全身に運ぶ器官であると同時に、魔力を生み出す役割も担っている。
魔を冠する者達にとって、魔王と呼ばれる者は常に最強であらねばならない。
だからこそこのおぞましい儀式を繰り返し、さらなる力を得る必要があったのだろう。
そうして魔王は膨大な魔力をその身に宿し、全ての魔を統べる者として君臨するのだ。
これはレヴィも知らない魔王だけの秘密。
鑑定魔法さえ使えていれば看破出来たのだが、魔力を吸収する鎖に繋がれていたレヴィにはそれが出来なかった。
故に、その赤い刃がなんなのかもレヴィには分からない。
ゼノにはある特技があった。
普段は黒魔術で全て事足りる為に使うことはないのだが、黒魔術が使えない今、ゼノは数千年ぶりにそれを使用したのだ。
「さすがに心臓を潰された時は意識が飛んだが……まぁよいわ……貴様を殺せれば他はどうでもなぁッ!」
「ぬあぁぁぁあ!」
「ぬぅッ!?」
ロードは手にしたグングニルでゼノを吹き飛ばす。
ぼやける視界で見た腹部に突き刺さったままの赤い刃は、まるで血の塊のような色をしていた。
「これ……は……?」
「フハハ! 貴様のおかげで何本でも生み出せるわ。身体中穴だらけにしてくれたからなぁ!」
ゼノの特技は〝血晶〟。
血を鋼の如く固め、剣のようにすることが出来る力だった。
既にゼノの手には赤い刃が握られている。
ロードはただでさえ少ない血をさらに失い、視界はぼやけ、頭が回らなくなっていた。
反射的にそれを引き抜こうとしてしまい、ロードの手からグングニルがこぼれ落ちる。
「しまっ……」
「どうしたぁッ!」
「あぐっ……!」
右肩から左の腰にかけて切り裂かれ、ロードはふらふらと後退していく。
次の斬撃はなんとか回避したものの、それがイアリスに当たりロードは武器を失ってしまった。
先に手帳を確保していればと後悔するがもう遅い。
目はかすみ、足はふらつく。
ロードは完全に追い込まれていた。
「ロード様逃げてぇっ!」
「く……そ……」
「これが貴様がほざいた魔王の器よッ! 貴様は魔王に敗れるのだ……さぁ、最早奇跡は起こらないッ! よく見ていろレベッカァッ! 大好きなご主人様の首が飛ぶ……」
奇跡というものは普段決して起こらない。
様々な事象が重なり、ようやくそれは顔を出す。
だが、今この時に於いて起こったそれは、決して奇跡ではない。
きっとそれは必然だったのだろう。
ゼノの懐にあった手帳が突如として光り輝き、ゼノの言葉を遮った。
さらに手帳はひとりでに懐から飛び出してロードの足下へと舞い落ちる。
勝手にページが捲られ、そこから1本の錆びついた剣が姿を現した。
まるでロードに対し〝自分を掴め〟と言わんばかりに。
「な……なんなんだ貴様はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
ゼノの刃がロードに迫る。
必死に掴んだその剣が、ゼノの刃を受け止めた。




