第84話:試練
「はぁっ!?」
アミィが驚愕の声を上げた瞬間、最初からそこにいなかったかのように男は消えた。
既に気配も何もない。
夢か幻かと思うようなその出来事は、空間転移装置〝だった〟物の残骸によって現実なのだと彼ら告げていた。
そして、未だ思考が追いつかない彼らにさらなる追い討ちが掛けられる。
突如天井から瓦礫が落下し、床にぶつかり激しい音を立てた。
4人は揃って天井を見上げる。
天井は既に網目の様にひび割れ、それが壁へと広がった瞬間城全体が嫌な音を響かせた。
「……嘘でしょ」
アミィの声を合図に、アルムロンド城は崩壊した。
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「馬鹿な……気配も音も何も無く……」
突然のことにそう呟いたカルラ同様、全員現状を把握出来ないでいた。
どうやって4人に気付かれずに魔石まで辿り着いたのか、何故城が音も無く崩れ落ちたのかまるで見当もつかない。
間一髪ハドラスのおかげで崩壊に巻き込まれずに済んだ彼らだったが、その表情に安堵はなく、むしろ怒りと戸惑いで歪んでいる。
それは自分達の命などとは比べることの出来ない程、魔族にとって大きなものを失ってしまったことを全員が理解していたからだろう。
空から強く降り始めた雪を浴びながら、彼らは残骸と化した城の側で呆然と立ち尽くしていた。
その時、ふとハドラスが何かを感じて振り返る。
そこには、再び彼らを驚愕させる光景が広がっていた。
「なっ……!」
城を守っていた筈の巨大な魔物達が幾重にも重なり、その死骸の頂上に1人の少女が立っていた。
その少女はその身には似つかわしくない長槍を携え、彼ら4人を見下ろす様に睨みつけている。
「貴様が……やったのかッ!!」
カルラが放ったそれは、〝魔物を含めた城も何もかも〟という意味であった。
4人全員がその少女に激しい怒りを抱き始めていたが、この場で一番怒りを感じているのは彼らではない。
「黙れ」
「なっなんだと……!」
白銀の少女……グングニルは怒っていた。
自分の好きな人を苦しめた魔族に、生まれて初めて本気で怒りという感情を抱いている。
ロードとレヴィ……2人と過ごしたあの1日は、彼女にとって掛け替えのない大切な思い出だった。
「許さない」
グングニルは槍を頭上に浮かせ、4人に対しその切っ先を向けた。
巻き起こした風に乗り、グングニルは雪と風を纏いながら空へと昇っていく。
見た目からは想像もつかない程の強大な力を感じ、カルラは思わず問い掛けてしまう。
「き、貴様はいったい……!?」
グングニルはやはり抑揚のない声で、淡々と言葉を並べる。
「我が名はグングニル。嵐の神が創りし放浪の風槍なり。我が風は嵐となり、主人に仇なす者を塵と化す」
瞬間、まともに立っていられない程の暴風が彼らを襲う。
伝説の風槍は、今初めて感情をあらわにした。
「ロードとレヴィを虐めるな……!」
彼女を中心に巨大な竜巻が発生する。
かつてロードが闘技大会の決勝戦で彼女を使ったが、その時の力とはまるで比べものにならない。
彼女の頭上で回転し続ける白銀の槍が、その膨大な風を纏って唸りを上げる。
「散れっ……!」
呆けていた他の3人にハドラスがそう声を掛けたがやはり遅い。
嵐の神の放浪槍は既に放たれ、カルラの腹部を貫いて尚衰えぬその衝撃で、他の3人をその場から纏めて吹き飛ばした。
「がっ……!」
カルラを貫いた白銀の槍は地面を砕いた後、鮮血を纏ってグングニルの下へと舞い戻る。
彼女はすぐさま追撃の態勢に入った。
再び槍に風が吸い込まれ、グングニルの手の上で高速回転を始める。
一方腹部を貫かれたカルラは、口と腹から血をまき散らしながらもなんとか立ち上がった。
「ゲボっ……やっでぐれる……!」
吹き飛ばされたハドラスだったが、すぐに体勢を立て直すとグングニルに向けて空間転移を試みる。
だが、何故か能力が発動しなかった。
「な……!?」
「よう」
「えっ……がぁっ!?」
ズィード渾身の拳がハドラスのあばらをへし折っていく。
魔族の肉体は人間のそれに比べると数倍の強度と筋力を誇る。
普通の人間が振るう拳では満足にダメージなど与えられないだろう。
だが、ズィードの拳はそれを無視する。
拳を打ち出す際の空気抵抗を消し、拳への負荷を消し、相手の耐久力を消し、全てを無力と化したその一撃は、四眷属最強のハドラスすら容易に吹き飛ばす。
そのまま彼は凄まじい勢いで宙を舞い、アルムロンド城の瓦礫の中へと埋もれていった。
「ハドラ……!」
「あなたはこっちです!」
「なっこのガキッ!?」
ティアが作り出す風により、アミィの身体が空高く吹き飛ばされる。
そのままティアも空を飛び、彼女を連れて中心部から消えていった。
「テメェは……」
「俺もお前を知っておる。〝二つ名殺し〟のベルシュタイン……だったな?」
既にベルシュタインと対峙したケルト王は、全身に魔力を滾らせニヤリと笑う。
命の危機を乗り越えた彼は、その恩を返せるという現状も相まって今最高に漲っていた。
ベルシュタインは青い長髪を吹雪に揺らしながら、腰に下げてあった2本の剣を抜く。
「ケルトの王に知られているとは光栄だ。さて、この魔族が受けた屈辱……貴様の名で償ってもらうぞ……!」
「やってみるがよい。だがな……ケルトの名は貴様如きには背負えまい……!」
ここまでは概ね彼らの作戦通り。
引きつけた魔族や魔物は分断され、見失った地点で見つかる筈もない彼らを探している。
四眷族の能力は噂程度には知っており、それを元にそれぞれが対処する相手と対峙することにも成功した。
本来なら魔王を引きずり出したかったのだが、ロードからの連絡でそれは叶わないことが分かる。
魔王は動かず、恐らくレヴィの側から離れない。
本来の実力から言えばズィードが向かうべきなのだろうが、彼はそれをロードに託す。
ズィードもまた、バーンと同じくロードの中に底知れぬ何かを感じていた。
それにロードを向かわせたのは、助けたいという真に強い想いこそ、それを成し遂げるには必要だとズィードが思ったからに他ならない。
それぞれの戦いが、今始まろうとしていた。
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1人の青年が飛ぶように階段を駆け上がっていく。
その足には翼の生えた靴を履いており、手には橙色の雷槍を携えていた。
魔城の中に兵士の姿がないことは身につけているソロモンの力で分かっている。
何故いないのかは分からないが、仮にいたところで今の彼を止められる者はいないだろう。
ハディスとデュランダルを使い魔石を両断した後、彼はすぐさまブラッドウェル城へと入った。
レヴィの気配を感じ取り、一直線にそこへと向かう。
そして、その近くにある……あまりにも強大な力を当然彼は感じている。
天候制御装置や、空間転移装置を破壊するなどの揺さぶりを掛けたがそれは動かず、再びバーンとの約束を破ることになりそうだった。
魔城を駆け抜ける間、様々な感情が彼の脳内を駆け巡っていた。
怒りや不安、焦燥、後悔といった感情の中、最終的にある1つの感情に辿り着く。
自分がいかにレヴィのことを大切に想っていたのか。
離れている間、彼女を片時も忘れたことはなかった。
たった数日が、無能として過ごした3年間を遥かに凌駕する絶望。
自分の胸にぽっかり穴が空いたなどという、生温い表現では決して表せないその感情。
己の無知を呪い、己の慢心を蔑み、己の無力さを味わった。
何よりも失いたくないものを守る為には、己の命を懸けなければならない。
その覚悟がなんたるものか、彼はまるで分かっていなかった。
他の3人と移動している間、彼は心の中で自分を罵倒し続けた。
自分の大切な人すらまともに守れない者が、世界を変えるなど身の程知らずにも程がある。
何が覚悟。
何が道。
何が勇者。
何がずっと側にいる。
己の吐き出した上っ面な言葉の羅列に反吐がでる。
〝強大な力を持った者には強い覚悟が必要だ〟。
かつて〝神殺し〟に言われた言葉を彼は何度も噛み締める。
その意味を、彼は真の意味で理解出来ていなかった。
強大な力を持つ者は、強大な敵と相対する運命にある。
最早普通の暮らしの中では生きられない。
選ばれた人間には、選ばれた責任があるのだ。
誰もが誰よりも強くありたい。
誰もが誰よりも認められたい。
誰もが誰よりも尊くありたい。
何もなかった者だからこそ、その思いは強くなり、何も出来なかった者だからこそ、それを想うことで希望を胸に道を歩めるのだろう。
だが本当にそうなった時、初めて人はその立場における責任と、その覚悟とはなんたるかを知る。
それを理解せぬままに進んだ道は、選ばれなかった道よりも悲しい最期を遂げるだろう。
最早自分1人の好きに生きられる存在ではない。
だからこそ、人の想いをその身に宿す覚悟が必要なのだ。
彼は階段を駆け上がる。
今彼が走る道は1つの試練と言えるかもしれない。
これを乗り越えた時、彼は1つの覚悟を得ることになるだろう。
その壁はあまりにも大きい。
しかし彼は諦めないだろう。
何よりも大切な者が……そこで待っているのだから。




