第83話:慢心
魔都インヘルム。
インヘルム最大の建造物である魔城ブラッドウェルを中心に、いくつかの城が周りを取り囲む様に建ち並ぶ。
その荘厳な光景は、ここが魔族の国だということを忘れてしまう程に美しい。
城の名前は力のある魔族の名前が付けられており、魔城ブラッドウェルは魔王ゼノ=ブラッドウェルの名を冠していた。
城の周りは迷路の様な黒い町並みが広がっており、そこには多種多様な魔物が存在している。
城に近付けば近づく程魔物のランクは上がっていき、最終的に巨大な魔物が城の周りを守る様に徘徊していた。
実は地上にいる魔物はほんの一部であり、この魔都の地下に広がる巨大な空間に大量の魔物が存在している。
その最深部には僅か数体しかいないSSSランクの魔物もおり、その力は四眷属にも匹敵する程であった。
そんな魔都であるが、魔物を除く町自体の防衛能力は皆無に等しい。
侵入者が現れることは何度かあったが、明確な攻撃を受けたことなど一度も無かったからだろう。
そんな魔都は今、初めての襲撃によって混乱の極みにあった。
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「お……あいつらやったみたいだな」
辺り一面に転がっている魔物の死骸に、白い粒がひらひらと舞い落ちるのが見える。
黒い雲がまだ薄暗いインヘルムの空を徐々に覆っていき、それが何を意味しているのかを彼らに告げていた。
ズィードの隣にいたケルト王も、魔物から剣を引き抜くと空を見上げる。
「さて、ここまでは作戦通り……」
「陛下ー! ズィードさぁん!」
上空から少しずつ降り注ぐ雪と共に、大声を上げながらティアが舞い降りてきた。
白いローブに身を包んだその姿は、黒い町並みに白い雪というその幻想的な風景と相まってまるで天使の様にも見える。
そんな彼女が大地に降り立つのを待つ訳もなく、魔物の群れは彼女達3人に牙を剥いた。
「懲りねぇなぁ……」
ズィードの眼前にいる多種類の魔物が一斉に様々な攻撃を放つ。
それは炎や雷、飛ばした爪や強力な酸であったり、魔力を固めた砲弾もあれば巨大な岩を投げつけるものもあった。
だが、その何度目かの総攻撃もズィードには通用しない。
彼が手をかざしただけで、それらは目標に辿り着けずに落ち、砕け、そして消えた。
彼の魔法は無力化魔法。
あいての攻撃はおろか、様々な現象、相手と力の差があれば意識すらも無力化してしまう非常に強力な魔法である。
故に彼は武器を必要とせず、その身1つで全てを薙ぎ払う。
それだけの力が彼にはあった。
「ティアよ、どれくらい掛かりそうだ?」
ズィードのおかげですんなり地上に降り立ったティアにケルト王はそう問い掛ける。
「さすがにまだまだ掛かりますね。それまではお2人にお任せします」
ズィードは数匹の魔物を屠ると1つため息をついた。
魔物の血で濡れた拳をひらひらと振りながら口を開く。
「多分そろそろ雑魚じゃなく主力が出てくるな。今そいつらとぶつかるのは得策じゃねぇ」
敵の攻撃を防ぎながらズィードが言った〝主力〟とは、四眷族はもちろん、SSSランク級の魔物を指している。
一対一ならともかく、多くの敵に囲まれた状態ではいかにズィードとてそれを相手取るのは難しい。
もちろんそれは他の2人も同様だった。
「よし、ここからは第2段階に移行だ。ズィード、そっちは任せる。ティアは俺と来てくれ」
「はいっ!」
「おう……また会おうぜ」
彼らは既に城まで後少しという所まで来ている。
魔都の地図は正確で、行動を起こすまですんなりそこまで辿り着くことが出来ていた。
彼らは二手に分かれ、魔族と魔物を更に混乱させる為に動き出す。
目まぐるしく動く戦況を作り出し常に先手を打つ。
今全ての魔族の目は、彼ら3人に向けられていた。
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今彼らはブラッドウェル城の隣、空間転移装置がある城を守る為に集結していた。
カルラの持つ通信魔石には、部下の魔族からの報告が次々と入ってくる。
「見失っただと!? 探知型の魔物どもは何をやっている! 何としても見つけ出して息の根を止めろ!! それとも貴様らを殺してやろうか……!」
既にケルト王、ズィード、ティアの3人は姿を隠していた。
到底真正面からぶつかって勝てる戦力ではない。
撹乱という意味で既に作戦は成功していた。
「落ち着けよカルラ。せっかくの美人が台無しだぜ?」
「やかましいぞベルシュタイン! 軽口を叩く暇があれば貴様も少しは頭を捻れ! 天候制御装置が破壊されてしまったのだぞ!? あれを直すだけでどれだけの……人間どもめぇ……!」
インヘルムに降り注ぐ永遠の吹雪を打ち消す為に造られたそれは、空間転移装置と同じく巨大な魔石に込められた魔王の魔力によって稼働していた。
破壊された影響は既に現れており、ブラッドウェル城を中心に晴れていた空は厚い雲に覆われ、降る筈のなかった雪が降り始めている。
これまでは天候制御装置により長年インヘルムの中心部は春の陽気に包まれていた。
吹雪の中にいた魔物達は特別寒さに強い種族であったが、この中心部にいる者達はそうではない。
このままいけば、やがて魔都は極寒の大地へと再び戻ることとなるだろう。
そうなれば城の内部ですら凍りつき、魔族はやがて地下へと追いやられることになる。
今インヘルムにいる魔族と魔物の数を考えれば、地下空間だけで全てを賄うことは到底不可能であった。
こうなってしまえば最早魔族の取る道はただ1つ。
侵入者を始末し、直ちにヴァルハラに向けて侵攻を開始するしかない。
その為には空間転移装置が必要不可欠。
仮に破壊されれば、その時点で魔族の衰退が決まってしまう可能性が高い。
魔王の思考はそこに至り、それ故四眷族を空間転移装置に向かわせたのである。
しかし、確実に守りたいのであれば魔王本人が向かうべきであった。
そうしなかったのはレヴィを確実に手にする為かそれとも……。
ハドラスは窓から見える雪を眺めながら、誰に言うでもなく呟いた。
「あって当たり前の物ってさぁ……失って初めて気付くんだよねぇ。壊されるまでそこにあることすら忘れてたもん僕。敵さんは魔都のことを知り尽くしていると考えた方がいいなぁ……立ち回りが上手過ぎる」
突然の襲撃により、魔王を含めた全ての魔族が天候制御装置のことを失念していた。
今重要な〝レヴィ〟と〝空間転移装置〟という存在が、あって当たり前の存在を頭から消してしまったのだろう。
そもそも攻撃されるなどということ自体想定していなかったのだから無理もない。
むしろ、魔王配下の魔族達はいつヴァルハラに攻め入るのかということしか考えていなかった。
「どうしようかなぁ……魔王様からこれを守る様に言われたからねぇ。僕らは動けないよ」
すぐにでも侵入者を始末しに行きたいのだが、魔王の命令がある以上彼らは動けない。
カルラの持つ通信魔石への連絡は途絶え、侵入者が未だ見つかっていないことは明らかだった。
動きたくても動けない現状に、彼らは焦りにも似た感情を抱き始めていた。
「あたしらがここにいていいのかしら。なーんか嫌な予感がすんのよね」
「隠すことも出来んしな。だが、こいつだけでも守ればなんとかなるだろう? 多少壊されても仕方ない」
「……ちっ」
ベルシュタインの軽口が、再びカルラの感情を逆撫でする。
彼が言う様に、この2つの魔石さえ無事ならば、仮に城が破壊されてもまた作り直すことが出来る。
だから彼の言うことはある意味間違ってはおらず、故にカルラはそれ以上何も言わなかった。
それでも、〝多少壊されても仕方ない〟という発言が気に入らなかったのだ。
魔王の命令を死んでも守るという、そういった気概の感じられぬ発言が癇に障ったのだろう。
空間転移装置は城の1階に設置されている。
城の名前はアルムロンド。
つまり、かつてレヴィが住んでいた城である。
レヴィがインヘルムから逃げ出した後、アルムロンド家は徐々に衰退し、やがて力を失い消えていった。
だが城だけはそのまま残り、下級魔族達の住処として使われていたのである。
やがて使える土地が無くなってくると、この城を入り口とした地下空間が作られ、大量の魔物を生み出す施設として活用され始める。
その後、空間転移装置の開発が始まり、地下から魔物を送り込みやすいという利便性と、地上の方が作りやすいという考えから、アルムロンド城が装置を作る場所に選ばれたのだった。
1階のエントランスは造り替えられ、中央に置かれた土台の上に禍々しい魔力を放つ巨大な魔石が2つ浮かんでいる。
その間に空間の歪みがあり、それがケルト付近の地下空間へと繋がっていた。
先日ケルト王が殺されかけたグヴィリアルは、そこから外へ漏れ出した魔物だったということである。
そうして造られた空間転移装置だが、多少の手間を惜しんででも地下に作っていればよかった。
そうすれば地図に書き込まれることも、そもそもその存在自体気付かれなかった可能性は高い。
魔王が慢心していた様に、魔族全体がどこか人間を侮っていた。
自分達は狩る側であり、人間達は狩られる側だと。
故に、今から起こることはある意味必然だったのかもしれない。
「……え?」
ハドラスが気付いた時にはもう遅い。
いつの間にか現れた男が振るった黒い剣が、何よりも大事な2つの魔石を一瞬で斬り裂いていた。




