第78話:焦燥
「んっ……」
なんだ……私は何を……。
ここは……。
「はっ! ロードさ……!?」
目が覚めて動こうとした私だったが、自分の身体が拘束されていることにその時ようやく気が付いた。
周りを見渡すがそこから見える景色には見覚えが無く、またかなり高い位置に自分が吊るされているのだと分かる。
両手を頭の上に縛られる格好で天井に繋がれ、両足も同じ様に鎖で床に繋がれていた。
段々と記憶が蘇ってくる。
あの女に私以外眠らされ、そしてこの妙な鎖で拘束された瞬間に気を失ってしまった。
そんなことよりロード様は無事なのだろうか……。
油断していたとはいえ情けない……ロード様をお守りするどころか攫われてしまうなんて……。
「久しいな……レベッカ」
突然名を呼ばれた。
その声のする方へ目をやると、黒いコートの様なものを羽織った男が立っている。
こいつ……どこかで……。
「ここはどこだ……お前はいったい……!」
「フハハ……余のことを忘れたのか? 昔はよく遊んだではないか……軽い殺し合いなどをして」
それで思い出した。
そうか……そういうことか……。
「ゼノ……か……?」
「いかにも。覚えてはいたようだな」
何人かいた魔王候補の中で私とゼノは特に魔力が強く、周りから次の魔王はどちらかだろうと言われていた。
この口調と佇まい……どうやら私がいなくなった後、ゼノが次の魔王になったらしい。
それにしても……何故今更私を……?
「私に何の用だ……」
「すっかり腑抜けたなレベッカ……あの当時、貴様は余よりも上だった。だが、今ではどうだ? 人間世界に逃げ込み、ましてや人間に仕えるなど……貴様には魔族としての誇りはないのか? いつまでも人間ごっこをしてるんじゃあない。貴様の力は魔族の為にこそ使うべきなのだ。それを思い出させてやろう」
「ふざけるな……私は私だ!」
さっきから魔術を使おうとしているのだが、一向に魔力が練れない。それどころか力すら入らなかった。
恐らくこの鎖に何か仕掛けがあるのだろう。
だが、なんだろうが関係ない……なんとしても逃げ出してロード様の下へ帰るんだ……!
「無駄だレベッカ。それは少々厄介な代物でな……余でもそれに捕われればただでは済まん。今の貴様ではまず抜け出せぬよ。暫く大人しくしていろ。再教育はそれからだ」
「さ、再教育……?」
どういう意味だ……私に何をするつもりだ?
「ああ……簡単なことよ。今までの記憶を消し、新しい記憶を植え付けるのだ。人間に対する憎しみの記憶をな」
そう言ってゼノはニヤリと笑う。
全身の血の気が引いていくのを感じた。
記憶を……消す?
クラウン様や……ロード様と過ごした日々の記憶を!?
嫌……嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
「ふ、ふざけるな! 何故私にそんなことを!」
「決まっているであろう? 今は余の方が圧倒的に強いが……貴様の内に眠る力は余と並ぶ。それを解放する為よ。人間に対する憎しみこそが、我ら魔族の力を増大させるのだ。そうして目覚めた貴様と余が組めば、この世界に敵はいなくなる。そうなれば……ヴァルハラは魔族のものよ」
人間に対する憎しみが魔族の力を増大させる?
そんな話は聞いたことがない。
だがそんなことより……!
「冗談じゃない……誰がお前のいいなりになどなるものか! 再教育だと? やってみるがいい……だがな! 私はそんなに甘くはないぞ! 何をされようが私は屈しない……!」
「フハハ……余にそんな趣味はないよ。行うのは記憶の改ざんのみ。それで全てが終わる。それと……何か勘違いをしているようだな? 仮にお前がここから逃げ出せたとしよう。その時は……お前の主人を真っ先に殺す。その為に生かしておいたのだ。姿を隠そうとも奴の住処は分かっておる。なんならその町ごとこの世から消してやっても……」
「貴様ァッ!」
「フハハ……よい顔になったではないか。さて、まずは貴様の魔力を削るとしよう。心を折るのはその後よ。なぁに……時間はたっぷりある。大人しくしていれば貴様はもちろん、貴様の元主人にも手は出さぬ。久し振りに旧交を温めようではないか……なぁ、レベッカよ」
ロード……様……。
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「ありがとうティエレン……恩にきるよ」
「ふぁぁ……うん……まぁ、いいよ……あたしの願いを叶えてくれるんだろぉ……」
「必ず叶える。これが終わったらな」
「はいはい……じゃ、またねぇ……」
武具にしては珍しく眠そうなティエレンから魔力を抜き、俺とティアはケルトの正門近くでケルト王に連絡を取った。
1日に移動できる回数に制限はあるが、ティエレンは持ち主が行ったことのある場所に転移出来る杖。
おかげでケルトまで一瞬で来ることが出来た。
「なんか一瞬暗くなったと思ったらあっという間に……凄いですね伝説の武具さんって……」
「ああ、頼りになる人ばっかりさ。陛下はまだ少し時間が掛かるらしい。少し離れた所で待っていよう」
俺達は町から少し離れた街道沿いに移動しケルト王を待つ。
暫くすると2頭の馬に引かれた1台の馬車が俺達の前で止まり、その操縦席には他ならぬケルト王が座っていた。
「すまんな。城を抜け出すのに時間を食ったわ」
抜け出す……?
「陛下……ひょっとして……」
「インヘルムに行くなど許される訳があるまい。馬車は何も知らぬギルドから依頼を受けたフリをして借りてやったわ! ぬはは!」
やっぱりか……エディさんには後で必ず謝らなければ。
それにしても俺の為に一国の王が……感謝してもし切れない。
「陛下初めまして。ティアと申します」
「おお、君がティアか……よろしくな。さて、話は馬車の中で聞くとしよう。あまり止まっているとまずい」
「分かりました。操縦はこちらで……エポリィ!」
すぐにエポリィを呼び出し、馬車の操縦を彼女に任せた。
走り出した馬車の中でケルト王は顎髭を撫でながら口を開く。
「それにしても便利よのう……ところでエポリィとやら、道は分かるか?」
「どーも陛下。大体の方角が分かればとりあえず大丈夫だし」
「よし、そのまま道なりに南東へ頼む。してロードよ、バーンの同期は既にミラハにおるのか?」
「ええ、バーンさんの話ではその筈です。誰が来るかは聞いてないですが……」
「そうか……まぁ誰が来ても頼りになることは間違いないがな。ただ……ザワンでなければよいが」
「え……何故ですか?」
確か〝神速〟の二つ名を持つかなり優秀な冒険者だった筈だが……。
「あれはな……うるさいのだ」
「う、うるさい……?」
「まぁそのうち会うこともあるだろう。そうすれば俺が言っている意味が分かる。まぁバーンならそんな人選はしないだろうからザワンは来ぬだろうがな」
「は、はぁ……」
「それはいいとして……君達はインヘルムのことについてどこまで知っておるのだ?」
「そう言われますと……」
「な、なにも知りません……」
ずっと吹雪いているとか、魔族と魔物がいるということしか知らなかった。
どれくらいの広さで、どんな構造なのかもまるで知らない。
そもそもそれ以外の情報は、俺に限らずあまり知られていないだろう。
「だろうな。まぁ、それは仕方がないことよ。あそこに乗り込んで生きて帰った者など片手で数える程しかおらんからな。で、これが地図だ」
「「え!? 地図があるんですか!?」」
ケルト王は懐から大事そうにそれを取り出した。
普通の紙じゃないな……何かの皮の様だ。
「我らケルトは魔族の大陸から最も近い。故に……昔から魔族のことをより知る為に行動してきたのだ。この地図はギリシア出身のある人物が作成したものだが……其奴は信頼出来る男故、これはかなり正確な地図だ。魔族ですらこの地図の存在は知るまいて……これがあれば作戦も立てやすいであろう?」
ケルト王は2枚の地図を床に広げながらそう語る。
1枚は大陸全体の地図で、もう1枚は中心に城の様なものが描かれていた。
すごい……さすがに内部までは分からないが、周辺の様子などもかなり詳しく書いてある。
どれがどの様な施設なのかまで書いてある……。
「正直、俺もロードに言われてコイツの存在を思い出したのだがな。この魔族の動き……レヴィのことやケルトで今魔物が増えていることも無関係ではないと思うのだ。まぁ詳しいことは全員揃ってからにしよう」
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辺りが暗くなる頃、ようやく俺達は港町ミラハに到着した。
馬車を預けた後、俺達はバーンさんの同期の人が待っているという冒険者ギルドへ真っすぐ向かう。
馬車の中ではみんなと話すことでなんとか気を落ち着かせていたのだが、インヘルムに近付いていることを意識するとどうしても落ち着かない。
一刻も早くレヴィの下へ行きたい。
レヴィを助けたい。
レヴィ……!
「落ち着けロード」
「あ……」
ケルト王の声に反応して振り返ると、2人とはだいぶ距離が離れていた。
どうやらいつの間にか駆け足になっていたらしい。
ケルト王に声を掛けられるまで全然気付かなかった……。
「気だけが逸ってもいいことはない。さっきも話したが……レヴィはすぐにどうこうなる訳ではない筈だ。殺すつもりならその場で終わっている。お前が冷静にならねばならんのだ。よいな?」
「はい……」
「ロードさん……」
「ごめんなティア……大丈夫だ」
「いえ……私……全力を尽くしますから!」
「ああ、ありがとう……」
情けない……。
頭では分かっている。
でも心が……レヴィが側にいないことが……辛い。
今俺がこうしている間にも、レヴィが苦しんでいるのではないかと想像するだけで胸が張り裂けそうだった。
「聞けロード。焦燥は容易に人の思考力を奪う。視野が狭まれば見えるものも見えなくなる……困難な状況だからこそ不敵に笑え。案ずるな……君は1人ではない」
ケルト王は俺の肩に手を置き、ニッと笑顔を見せてくれた。
俺は1つ深呼吸した後、ケルト王に笑顔を返す。
「ありがとうございます陛下……もう、大丈夫です」
「よし! ではギルドに……」
「ざっけんなよテメェ!」
その時突然怒鳴り声が聞こえ、5人の男達に絡まれる男性が目に入った。
なんだ? 酔っ払い同士の喧嘩か?
「ぶつかっといて謝りもしねぇのかコラァ!」
「何とか言えよオイ!」
クソ……こんな時に。
でも見過ごすわけには……。
止めようと近寄ろうとした際、5人に囲まれた男性は右手で頭を抱えながらぽつりと呟いた。
「はぁ……めんどくせぇ。バーンの野郎……俺が断らねぇのを分かってて無茶言いやがって……」
え……今バーンって……?
「ハァ!? 何の話を……」
「あーもういい。さっさとこい……時間の無駄だ」
その言葉に空気が変わる。
全員が武器を取り、その男性に切っ先を向けていた。
「いい度胸だな……腕の2、3本は覚悟しやがれ!」
「腕は2本しかねぇよ馬鹿野郎」
「……殺す!!」
揚げ足を取られた男はショートソードを振りかぶり、その人の頭目掛けて思い切り振り下ろした。
「えっ……!?」
しかし、次の瞬間ショートソードは男の手から離れ地面へと落ちる。
完全に頭に当たる距離だった。
何かで弾いた音も、何かをした動作すら見えない。
男も何をされたか全く分からなかったようで、恐怖からかガタガタ震えだした。
「お、お、お前……な、なにしやがった!」
「なんでお前らに説明しなきゃならねぇんだめんどくせぇ。というか……全員もう朝まで寝てろ」
「なんっ……て……お……」
「はがっ……あ……」
「わりぃ……ちと忙しいんだわ。これからインヘルムに殴り込みなんだよ。俺の友達の知り合いの女を助けに行かなきゃなんねぇんだわ。まぁ言っちまえば他人だが……俺にとっちゃあ大事なことなんでな」
「てめっなに……を……」
何をしたのか全く分からない。
全員がその場で崩れ落ち、あっという間に5人はその場で寝息を立て始めた。
「お前……ズィードか!」
ケルト王の声にその人が反応した。
やっぱりこの人が……。
「おう、遅かったじゃねぇか。待ちくたびれて出てきちまったよ。さぁ、さっさと行こうぜ……魔族の国へよ」




