第66話:全部
「時間だ」
短く伝えられたその言葉に全てが込められていた。
アスナの鎖が外され、手に縄がかけられる。
彼女は一切抵抗することもなくそれら全てを受け入れていた。
そんな様子を後ろから見ていた騎士団長エディは、やはり彼女は悪人ではないと強く感じてしまう。
彼自身は当然その名を知らないが、彼は〝悪意の眼〟というスキルを持っていた。
その力で様々な悪人を捉えてきた彼の眼に、アスナはどうしても悪人に映らなかったのである。
しかし、もう彼には彼女の処刑を止める術がなかった。
地下から地上へと続く階段を兵士に連れられたアスナが上っていく。
1段上がる度に彼女は自分の命が減っていく様な感覚を覚えていた。
顔は平静を装っていたが、当然怖いに決まっている。
今から彼女は死ぬのだ。
処刑台に乗せられ、民衆の前で処刑人に首を刎ねられる。
それがもう目の前まで迫っていた。
奇跡も何もない、純然たる死がそこにある。
それでも尚、アスナは前を向く。
アスナは自分がロードにしたことに比べれば、今から自分がされることなど生温いと考えていた。
自分の死という恐怖よりも強い罪悪感。
彼女本来の優しい性格において、ロードにとどめを刺したあの行為は悔やんでも悔やみきれないものであった。
もちろん彼が本当に死んだかどうかまで知る術は彼女には無かったが、その行為自体に強い罪悪感を覚えていたのである。
両親のいないロードにとって、最も近しい存在は他ならぬこのアスナであった。
故に、ロードに対する憎しみを最も抱く筈のアスナが、表面上とはいえロードの支えになっていたことは本来ならあり得ないことである。
彼女が完全に憎しみに飲み込まれなかったのは、彼女本来が持つ優しい性格が、ロードに直接それをぶつけることを無意識に拒否したからだろう。
また、ロードが無能と呼ばれるまで、彼女が彼に対し半ば恋心の様な淡い感情を抱いていたこともその要因の1つであったのかもしれない。
彼女はかつてのロードと同じ無能と呼ばれる存在になったことで、自分がロードに対し死ねばいいと思ったり、町の人のロードに対する扱いにほくそ笑んだりしていたその思想が、いかに愚かで、悪辣で、残虐な思想であったかを悟る。
故に、今彼女が願うことはただ1つ。
ロードに謝りたい。ただそれだけである。
出来れば直接謝りたかったが、どうやらそれは叶いそうにない。
だから彼女は処刑前の最期の言葉に全てを懸けていた。
もちろん情報誌には処刑された無能の言葉など載らないだろう。
だが、最早あの世で会えない以上、彼女にはそれにしかすがるものがなかった。
階段を上り終えると、今度は暗く長い通路が続いていた。
この先には広場があり、そこに処刑がある場合にのみ設置される処刑台がある。
やがて彼女が光の中に入ると、広場は既に多くの人々で埋め尽くされていた。
彼女が姿を現すと人々は一斉に罵声を浴びせ始める。
しかし、彼女はやはりそれを受け入れ、深々と頭を下げた。
それでも当然罵声は鳴り止まない。
何も知らない民衆からすれば、彼女はなんの罪もない家族にいきなり暴行を働いた無能の犯罪者なのだから仕方がなかった。
エディの指揮のもと、彼女は処刑台の中央に立たされ、その場に跪く様に指示された。
言われるがままに膝をつき、身体を起こしたまま彼女は背筋を伸ばす。
その様子を哀れむ様な瞳で見つめていたエディだったが、自分の立場に従い口を開いた。
『静かに』
魔石により増幅されたエディの声に、騒がしかった民衆の声はピタリと止んだ。
恐ろしい程の静寂の中、エディは淡々と言葉を続ける。
『この者は、なんの罪もない家族を突然襲った無能の少女である。よってこれよりその首を刎ね、死をもってその罪を償って貰う』
その時、エディはふとアスナを見た。
アスナは笑いもせず、悲しみもせず、恐怖をも押し殺し、その場にはそぐわない穏やかな表情で広場を見つめている。
その表情が彼の心を後押しした。
エディは突然彼女に近付き、その口元に魔石を運ぶ。
その姿に民衆はもちろん、処刑台にいる他の兵士達すら驚いていた。
自身の罪悪感を薄める為の行動だともちろんエディも分かっている。
自分が心底嫌になるが、それでもこれは彼なりに考えた結果の行動であった。
通常処刑される人間に話す機会は与えられない。
それは、処刑人の手元を狂わせることに繋がりかねないし、死の間際である罪人が狂った様に叫ぶ姿や、おぞましい呪詛を吐く姿などが民衆に悪影響を与えかねないという判断からだった。
しかし、エディはアスナの様子と5日前に聞いた「死ぬ前に死ねる」という言葉から、どうしても伝えたいことがあるのだろうと察し、自分が咎められることも覚悟の上で禁を破ったのだった。
「お前の想いを語るがいい。私にはそれしか出来ぬ」
そのエディの言葉に、アスナは弱々しい笑顔で答える。
「ありがとう……ございます……」
誰にも聞こえない2人の会話が終わると、エディは魔石に魔力を込めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この様子だとやっぱり話す機会は無かったらしい。
それならそれで死ぬ前に「ロードごめんね」って叫ぶつもりだった。
私の口元に彼が差し出した魔石があてられる。
全部話そう。
最初から全部。
私は大きく息を吸い込んだ。
『私の名前は……アスナ=リンドテイル。ニーベルグのイスト出身です。まずは、私のせいで怖い思いをさせてしまった家族の皆さん……本当に申し訳ありませんでした』
私は頭を下げる。
静寂の中で私の声だけが響いていて、それ以外の音は何も聞こえない。
私が頭を上げて人々の顔を見ると、誰もが私を睨みつけていた。
そう……これがロードのいた世界なんだ。
『私には幼馴染がいました。隣の家に住んでいた男の子です。彼とは子供の頃からずっと一緒に遊んでいました。すごく優しくて、本当に最高の幼馴染だったんです。このままずっと仲良く出来たらいいなって……そう思っていました』
この人がいるからみんな静かにしてくれているだけで、誰も私の話なんてまともに聞いていないだろう。
それでも私は言葉を続ける。
ロードに届く様に。
『15歳の年、私達は魔法を授かりました。私はそれなりに優秀な魔法を貰いましたが……彼は無能でした』
それを聞いて広場がざわつき始める。
みんなからすれば当然だ。
私を無能だと思っているのだから。
『それまで最高の幼馴染だった私達の関係はその時から一変します。彼が無能だと分かった瞬間、私は彼がひどく哀れな生き物だと感じる様になりました。そして、裏では彼が死ねばいいとさえ思う様になったんです。町の人達が彼を馬鹿にするのは見ていて愉快でしたし、そんな彼に食事を恵んだり、同情するフリをすることで優越感を覚えていました』
ざわめきが大きくなっていく。
それでも構わず私は続けた。
『そんな日々が3年ほど続いたある日、私はある人のパーティに誘われます。その人は、無能の彼なんかとは比べものにならない程凄い人だと、当時の私は舞い上がりました。そして、私がイストを出ることを彼に嬉しそうに伝えると、彼は私の想像通りに絶望の表情を浮かべていました。愉快でした。彼と唯一まともに話していたのは私だけでしたし、私がいなくなれば彼は死ぬかもしれないと私は分かっていましたから』
本当に私は……最低の人間だ。
やっぱり死ぬしかない。
けど、死ぬ前に全部言わなきゃ。
全部……謝らなきゃっ……!
『そ、それで……その夜……私の送別会が私の自宅で行われたんです。それが終わり、私は友達と玄関で話をしていました。私はふと、彼の寝室の窓が開いていることに……気付いてしまったんです。その時、私の中で嫌な感情が溢れ出しました。もうイストには当分帰ってこないし、もう彼のことなど……どうでもよかった。みんなが死ねばいいのにって言っていたから……わ、私はっ! わざと彼に聞こえるようにっ! 今まで彼に直接言わなかった酷いことを言いました……!』
私は必死に涙を止める。
私には、泣く資格などないから。
『次の日……出発前に彼の家を訪ねましたが、彼は出て来ませんでした。人気も無く、どうやら何処かへ行ってしまってたみたいでした。私はその時、今考えると本当に恐ろしいことなんですが……最高に嬉しかったんです。彼が死んだかもしれないと、そう思っただけで……! そして……私は町を出ました』
更にざわめきが大きくなっていた。
大丈夫……もう終わる。
『そうしてここまで来た私は、何故か力を急に失い……彼と同じ無能となりました』
勇者のことは伏せておいた。
勇者に力を奪われたなど話しても誰も信じないだろうし、そんなことを言えばみんなの怒りを買うだけだ。
それに、そんなことはもうどうでもいい。
最後まで話せれば、ロードに謝ることが出来ればそれで……。
『きっと天罰が下ったんです。そして、彼と同じ立場に立ったことで、私がどんなに酷いことをしていたのかということに気付きました。でも、それは余りに遅過ぎたんです』
次で終わりだ。
よかった……全部言える。
届くといいなぁ……届くと……。
ああ……駄目だぁ……もう……。
『だ、だから……わたっ……私は! 死ぬべき人間ですっ……! 最期に話す機会を下さりありがとう……ございました……! そ、そして……うっうっ……ロードォッ! ごめんっ……! 許してなんかくれないだろうけどっ……本当にごめんなさいっ……!』
言えた……。
もうこれで……思い残すことはない。
涙が止まらなかった。
私にそれを拭うことは許されていない。
「もう、よいのだな」
「はいっ……」
「そうか……」
広場がざわめいている。
「嘘つき」とか「騙されないぞ」とか、そんな声が聞こえていた。
私は跪いた状態で身体を倒され、首を木の台に固定される。
処刑人の持つ大きな斧が見えていたが、それがぼやけた視界から消えた。
これで、終わりだ……。
『では、これより刑を執行する。この者の罪を清め、この者の魂に永遠の安らぎがあらんことを……』
ロード……ごめんね……!
その時一陣の風が吹き、激しい金属音が私の頭の上で鳴り響いた。
「なっ!?」
え……?
「はぁっ……はぁっ……!」
その吐息だけで分かった。
「アスナ……最後だけ……聞こえたよ」
そんなことありえないのに。
「あ……あ……」
声が上手く出せない。
「貴様はいったい……!」
涙が止まらなかった。
「俺はロード=アーヴァイン。この処刑を……止めに来た!」




