第63話:エポリィ
レヴィが自分の読んでいた情報誌を俺に見せ、小さな記事に指をさす。
そこにははっきり〝無能〟という文字が書かれていた。
「これは……1週間程前の記事だな。〝王都ケルトにて無能の少女が暴力事件! 幸せな家族を狙った卑劣な犯行!〟……か。憎悪を抑えきれなかった可能性もあるが、こればかりは行ってみないと分からないな。その人がどういう人だったか聞ければいいんだが……」
「念の為少し前のものも買っておいて正解でしたね。町の人に話は聞けると思いますが、もう捕まってしまっていては……厳しいですね」
「その人が無能じゃない証明をすれば極刑だけは免れるかもしれない……けど」
それはかなり難しいことだった。
まず、その人に会うことが最大の難関であり、それをどうするかが問題だ。
また、表立って無能と呼ばれる人を助けようとすれば、間違いなく悪い意味で俺達は有名になるだろう。
それはつまり、バーンさんの〝目立つ行動は避けろ〟という約束を破ることになる。
「いったいどうすれば……」
「とにかくケルトに行こう。町の人に話を聞くくらいなら問題ないだろうし、行けば何か突破口が見えるかもしれない」
「そうですね……では準備を」
「ああ……明日の朝一番で出発だ」
俺達はすぐに準備を始め、それが終わるとベッドに横になった。
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同日ケルト――――
いつもの様に食事が運ばれ、牢獄の中に置かれる。
彼女はそれを見ることもなくただ俯いていた。
ここまではいつもと同じ。
だが、今日はその先があった。
「無能の少女よ」
彼女の身体がビクッと震える。
久し振りに聞いた人の声に驚いたのだろう。
彼女は恐る恐る顔を上げると、首から繋がる鎖が擦れ、嫌な音を暗い牢獄に響かせていた。
「我らはアルメニアとは違い、長く苦しめる様な真似はしない。今より5日後だ」
それだけで全てを察した彼女は目を閉じ、安堵する様に微笑んだ。
「……何故笑う」
彼は処刑の日取りだけを伝えて去るつもりだった。
しかし、予想していたものとはあまりにかけ離れたその表情に、思わずそう問うてしまった。
彼女は笑顔のままその男を見て、掠れた声で静かに答える。
「安心したんです……これで……死ぬ前に死ねる」
彼にはその言葉の意味が分からなかった。
返す言葉が浮かばなかった彼は、無言のままその場を後にする。
彼にはある力があった。
そして、数々の犯罪者を捕らえてきたその力が、彼女が悪人ではないと言っている。
「無能だから……果たしてそれは……」
ケルト騎士団長エディは言い知れぬ感情を打ち消す様に、いつもより少しだけ歩く速度を速めた。
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ケルト
5大国家の1つで、ヴァルハラ大陸の南に位置する大国である。
竜族の大陸と魔族の大陸に近いことからモンスターの数が多く、依頼を求めて流れ着く冒険者の数も多い。
また、集まる冒険者が多いことには他にも理由があった。
冒険者の間では〝ケルトで名を上げたものは大成する〟という格言があり、事実高ランク冒険者にはケルトで名を上げた者が多い。
モンスターの数もさることながら、高ランクの依頼が毎日多く寄せられる為、それをこなすことが出来る強い者だけが残り、自然と弱い者は去っていくか依頼中に命を落とす。
結果として冒険者の質が向上し、その中で常に依頼をこなし続ける者が高ランクの冒険者になっていくという訳である。
そんな背景からか、この国では強さが何よりも重きを置かれ、優秀な冒険者の発言は貴族や王族などにも匹敵する程だった。
ケルト王もそれを理解しており、〝ケルトは強くなければ生きられない〟と発言している。
驚くことに自身も50を過ぎて尚現役の冒険者で、SSランク冒険者にまで上り詰めていた。
これはコネや権力ではなく実力で掴み取ったもので、事実ケルト王は王都でも1、2を争う冒険者として名を馳せている。
もちろん国の政府関係者達はそのことに頭を抱えており、なんとかやめさせたいのだが、王は一切聞く耳を持たなかった。
先日のオリンポス会談でも、目をギラギラさせてティタノマキアの襲撃を待っていたというのだから驚きである。
そんなケルト王は国民全てに愛されており、世界最強の王として尊敬されていた。
騎士道を重んじ、誠実で明朗快活。
その強さから生まれる発言には説得力があり、誰もが認める偉大な王である。
だが、そんな彼にはある秘密があった。
そしてそれは、もう間もなく秘密では無くなろうとしていた。
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「ゲホッゲホッ……あー……いかんなこれは……」
ケルトから20キロ程離れた森の中。
男は巨大な魔物の死骸に腰掛け、自身の口から出たものを手のひらで受け止めた。
勝手に震えてしまう彼の手は真っ赤な血で染まり、鼻から抜ける匂いはひどく鉄臭い。
別に戦闘のダメージによる吐血ではなかった。
いや、彼からすればむしろその方がよかっただろう。
「やれやれ……我ながら……ぐぅっ! なんとも情けない肉体だ……」
今しがた彼がなんとか討伐したその魔物のランクは推定でA。以前の彼なら苦戦することなく倒せる相手であった。
しかし、彼を蝕む病魔はもうそれを許してはくれない。
数年前から彼はある病にかかっていたのだった。
魔法を使う度に身体を激痛が襲う奇病。
それは突然の細胞異常により、自身の魔力に身体が耐え切れなくなってしまうという恐ろしい病だった。
無理をして魔法を使えば使う程に自身の命を削っていき、やがて自身の魔力で死に至る。
魔法が命と同価値なこの世界に於いて、最悪とも言えるその病の名は〝魔法病〟。
治療法のない、所謂不治の病である。
自身の症状からそのことに気付いた彼は、それを誰にも言わず、今まで通り振る舞うことに決めた。
何故なら彼は王だから。
オーランド=ガドリック=ケルトは、戦い続けなければならない宿命にあった。
男として、冒険者として、そして何よりもケルトの王として、誰にも負けてはならないという想いがそうさせたのだろう。
例えそれが不治の病であったとしても。
その強い信念で、彼は病を隠して戦い続けた。
もちろん病を治そうと自分なりに色々調べてはみたが、ほとんど全ての書物にこう記されていた。
〝一度かかってしまえば治す方法は皆無。魔法を使わなくとも、自身の中で勝手に生成されていく魔力に抗う術はない〟と。
それでも彼は自分を信じ、毎日を全力で生き抜いた。
しかし、身体は徐々に蝕まれていく。
激痛を鋼の魂で押し殺し、血を何度も飲み込んだ。
病になど負けぬと、ケルトの民に弱い自分を見せぬと、全てをねじ伏せてみせると。
だが、それも最早限界を迎えていた。
「くそっ……通信魔石が壊れてしまったか。うっ……がはっ! はぁっ……はぁっ……なんとか……町に……」
そのことを悟り、既に自分が死んだ後のことは部屋に隠してある遺言状に全て書いてある。
それに、病になってからここ数年の行事や、式典の多くは自分の息子に任せており、そのおかげで国民からの人気や知名度もある一定の水準に達していた。
彼の息子もまた、聡明で誠実な人間へと成長し、彼同様に冒険者としても活躍。現在はSランクにまで上り詰めている。
恐らくケルトの民も、彼の息子ならば新たな王として認めてくれるだろう。
「はは……葬式に死体が無くては……式が締まらぬではないか……戻らねば……」
彼は今回の依頼を最後に冒険者を引退するつもりだった。
そして王座からも退き、その席を息子に譲るつもりでいた。
しかし、どうしても最後にもう一度戦いたいというのが、彼の最後のわがままだったのだ。
「欲を言えばもっと強い……いや、これも運命……さぁ、最後の凱旋と……!?」
その時自然と身体が反応し、後方からの攻撃を回避する。
そのまま地面を転がり、片膝をついたまま振り返ったそこには、彼が望んだ通りの強敵が待ち構えていた。
「神よ……感謝致します……!」
最強の王は、嬉しそうに微笑んだ。
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「ん……もう朝か……」
小気味好く揺れる車内で目を覚まし、ふと横を見ると、レヴィが気持ち良さそうに眠っている。
その寝顔を少し見つめた後、俺は馬車の操縦席へと向かった。
首都ニーベルグを出発してから5日目。
俺達は既にケルトの領地に入り、もう間もなくで王都ケルトに到着するという所まで来ていた。
通常ならもう少しかかるのだが、新たな仲間のおかげでかなり早く到着出来そうだ。
「すまないなエポリィ。おかげでよく休めたよ」
「毎回それ言ってるけど気にしないでいいし。私、馬車を自分で操縦するのが夢だったんだから。だってそういう力だし」
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エポリィ 聖騎手の籠手
神が創りし聖なる騎手の腕装備。
これを身につけた者は、馬や馬車を自在に操ることが出来る。
それは単なる騎乗スキルの向上というレベルではなく、水上はおろか、空中さえも駆けることが出来るようになるというもの。
また、この籠手により操縦される馬や馬車は能力が向上する。
武具ランク:【SS】
能力ランク:【S】
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「いや、分かってるんだけどさ。なんか悪い気がして」
「まぁ、そんなあんただから力を貸す気になったんだけどね。まだ魔力はあるから休んでたらいいし」
茶色いポニーテールを揺らしながら、彼女はニコッと微笑む。
生命魔法の力が上がったおかげで長く肉体を与えることが出来る様になり、今回馬車の操縦はほとんど彼女に任せっきりだった。
ヴァンデミオンも疲れ知らずとなり、食事をする時以外は常に移動が可能で、先を急ぐ俺達にとっては非常にありがたい。
「ならお言葉に甘えて……」
「むにゃ……おはようございまふ……」
「お、起きたか。おはようレヴィ」
「あ、すいません……ロード様より遅く……」
「気にするな。エポリィ、あとどれくらいだ?」
「後20キロくらいかな? すぐ着くし」
「分かった。さて、着替えておこうかな。町の中にすんなり入れると……!?」
その時、何かが爆発する様な音が森に響いた。
それと同時に人ではない叫び声も聞こえる。
「ロード様今のは……!」
「あまり離れてはいないな……一応見に行こう。エポリィ頼む!」
「任せるし! 魔力が切れない様に加減してっと……行くよぉっ!」
彼女が手綱に魔力を込めた瞬間、ヴァンデミオンごと馬車が浮き上がり、森の上へと駆け上っていく。
森の上に出ると、少し離れた場所から粉塵が上がっていた。
「あそこだ!」
「おっけー! 頼むし! ヴァンデミオン!」
「ブルルッ!」




