第519話:だからこそ
「ん、始まったか。思ったより……早かったのう」
髭を撫でながら、微かに笑う彼に対し、レヴィは構えたままチラリと左の戦場へと目を向けた。
そこには、先ほどまで優位に立っていたはずの騎馬隊が、逆に次々と討たれていく光景が広がっていた。
「くっ……」
「レヴィよ。戦場における騎馬の優位性とはなんじゃ?」
「…………機動力、並びに体力と魔力の温存」
逡巡の後、レヴィはそう答えた。
ズィグラッドはにっこり笑いながら、何度か頷いた。
「うむ、簡潔で実によい答えじゃ。機動力とはすなわち、戦闘時においては回避能力と言い換えることも出来るのう。魔法を動く物体に当てるというのは、言葉でいうほど簡単ではない。単純に、速ければ速いものほど当てにくい。まぁ、魔法で馬よりも速く移動出来るものもごまんとおるが、得てして長期戦には向かないことがほとんどじゃ。その点、馬に乗っておれば、体力と魔法を温存しつつ移動や回避行動がとれ、さらにそれらを馬に任せることにより、騎乗者は馬上からの反撃に集中することが────」
「……何を、おっしゃりたいのですか?」
「おお、すまんすまん。歳をとるとつい余計なことまで話してしまうのう……まぁ、要するにワシの言いたいことは、騎馬の優位性というものは……実に簡単に取り除けるということじゃよ。見てみい」
レヴィは再び左の戦場へと視線を向ける。
今度は、馬に注意を向けながら。
「…………あ……」
そこでようやく彼女は気づいた。
先ほどまで戦場を駆け回っていた馬たちのほとんどが、その脚を止めてしまっていることに。
「……ん? ま、まさか……」
そして、そのからくりを理解した時、全てがズィグラッドの手のひらの上であったことを彼女は悟った。
「気づいたかの?」
「あなたは……最初から……!」
「ほっほっほっ……まぁ、ある程度はのぅ。さて、戦場における馬の優位性は確かにある。それは、これまでの歴史が証明しておる。どの戦場にもどこかしらに馬がおり、人は常に彼らとともに戦ってきた。じゃが、決して"全て"ではない。この大地……」
トントンと、ズィグラッドは足で地面を叩いた。
「うむ、よい固さじゃ。実に……馬を走らせ易い」
「土系の魔法使い……それのみを集めたのですか」
「ご明察じゃ。ワシが手塩にかけて育てあげた部隊……土木作業はお手のものでな。土系の魔法使いのみを集めた特殊部隊……以前から構想はあっての。ああ、ここ数年の話ではないぞ? ずっと前から……かつての大戦時からじゃ。じゃが、当時はうまくいかんかった。実戦で使うとなれば、効率から考えて数百人規模の部隊にする必要があったからのぅ。そんなに都合よく、我が国に土系の魔法を使える者が集まるわけもなかった。まぁ、1人の天才がおればそんな部隊を作る必要すらないわけじゃが、それこそ望むべくもない。故に、ワシの胸の中にしまい込んでおったのじゃが、潮目が変わったのはそう……つい、5年ほど前のことじゃ」
それを聞き、レヴィは"まただ"と思った。
彼が言ったその時期は、ロードが魔法を授かった年と合致し、さらにティタノマキアが世に現れたのも、冒険者のレベルが極端に低下し始めたのも、さらに言えば、魔族や竜族の暗躍が始まったのすら、それらとほぼ同時期のことであったからである。
「その頃から増えたんじゃよ。元素魔法の使い手が……急激にな」
元素魔法とは、自然界に存在する火、水、風といった元素を操る魔法群の総称である。
魔法の区分の中で最も使い手が多く、それ故に"平凡"な魔法と揶揄されがちではあるが、その分優れた使い手も数多く存在する。
「5年前の統計では、魔法を授かった者のうち、元素魔法の使い手は約3割じゃった。これだけでも十分に多かったが、今ではそれが全体の約7割まで増加しておる」
「な、7割!?」
「うむ。何が起きてるかは知らぬが、明らかに異常な数字じゃ。実際、この戦場においても、若い兵士達のほとんどがそう……元素魔法以外を授かった者は、冒険者になるか、特殊な魔法を活かせる職につく傾向にあるからのう。無論、元素魔法が弱いと言っているわけではない。現に今も、あちらの戦場には世界最強の元素魔法使い……"灼熱"のルッカルルカがおる。それ以外にも、かつてのギリシアの大英雄、"氷王"クリスティアノ。風の元素魔法では最強格とされる"暴風魔法"、その使い手であるシュメールのギルドマスター、"王翼"のウルフリックなど……強者はいくらでもおる。じゃが、母数が多い分、そうなれない者が多いのもまた事実。故に、よいイメージを抱かぬのも無理からぬこと……だからこそ」
彼が指差す先で、地面に沈んだ騎馬が次々と討たれていく。
その場を離れられないレヴィは、ただ黙ってそれを見つめることしか出来ずにいた。
「人は、特別でありたいのだ。誰かにとっての特別ではなく、多数の中での特別にな。だからこそ落胆する……だからこそ役割が必要なのじゃ。そうしてワシは完成させた……あの部隊をな」
「……なるほど。それは理解しました……が、手の内を晒すことに、いったい何の意味が?」
それは当然の疑問。
レヴィはズィグラッドの真意を図れずにいた。
というより、彼という人物が分からなかったのである。
突然最前線に現れ、楽しそうに話をし、おそらくは切り札の1つであろうそれまで語った彼のことが。
故に尋ねた。
だが────
「ほっほっほっ……決まっておろう。ただの自慢じゃ」
「なっ……!」
「さて、と……」
それをあっさりとかわし、ズィグラッドはレヴィに背を向けた。
隙だらけのその背中を。
しかし、レヴィは踏み込めなかった。
それは、未だ動かずに身を潜める残り4人の遊撃隊の存在も確かにあったが、それ以上に、底が見えない彼に対する若干の畏怖があったのかもしれない。
そうして、ズィグラッドは平伏した兵士達の前に立つと────
「ふーむ……なっさけないのう」
そう、呆れた顔で言い放った。




