第514話:投擲
副騎士団長ミディルクが率いる騎馬隊と、その部下であるベル隊は、ギブライ軍1万の進行を止めるべく、前進と後退を繰り返しながら何度も攻撃を繰り返していた。
しかし、結果は知っての通り、それなりの犠牲を払っても多少の足止め程度しか出来ず、もう1人の副騎士団長であるライラが応戦しているカサナエル軍にもまた、戦線をどんどんと押し上げられてしまう。
加えて、レア側にはほぼ損耗がないという現状が、ただでさえ途方もない10万という数の重みを改めて兵士達に感じさせ、時間稼ぎが一番の目的だったことを差し引いてなお、結果としてその士気を確実に下げ始めていた。
「……ええ、左の軍です。そうです。黄色がかった……はい」
連絡を取るレヴィをチラリと見たあと、カルサは再び戦場に目を移す。
この現状を打開すべく、彼女は1つ目の切り札を使うことを決めた。
そう、ズィグラッド風に言えば、ロードの駒である。
そうして彼女は、通信魔石を口に当てた。
「――――了解。いったん下がります」
カルサの指示を受け、ミディルクは部隊を転進させると、自陣に向けて一気に馬を走らせた。
その時、自陣からただ一騎、飛び出してきたそれを目にする。
その者は鞍の上に両足で立ち、得物を肩に置いて満面の笑みを浮かべていた。
彼は部隊に手で合図を出し、その者の道を作る。
「ご武運を」
すれ違いざま、彼はそう言って彼女を見送った。
「ひっひっひっ……」
彼女はそれに応えるように、己が身である黒い槍をクルクルと回した後、その切先を大軍へと向けた。
『ゲイボルグ様』
「……ああ」
通信魔石から聞こえてきたレヴィの声に、ゲイボルグは高まる感情を抑えながら応えた。
『敵の後衛が動き始めました。ギブライ、カサナエルの進軍速度も上がっています』
「そいつぁよくないねぇ……ご主人様が必死こいて魔力を溜めてんのがバレちまったか?」
『いえ、それはないかと。ロード様はベンディゴの結界の中にいますので』
「ん、確かに。出た瞬間感じなくなったねぇ……あの馬鹿でかい魔力を」
ロードは現在、ベンディゴ城の最上部にある隠し部屋で、1人魔力を溜めていた。
その魔力量は文字通り桁違いであり、結界内にいる人々ですら、味方とはいえ微かに恐怖を感じるほどであったのだが、それほどの魔力が敵に感知されないのも、ベンディゴに張られた結果のおかげであった。
『ええ。ただ、手の内までは見られずとも、それを推測されている気配がします』
「違いないね。じゃ、派手にやるわ」
『存分にお願いします』
「ひっひっひっ……任せな」
魔石から魔力を抜き、それを谷間に埋めた彼女は、刹那全身に魔力を漲らせた。
「……ん? なんだあれは?」
「単騎でこちらに……お、おお!?」
「な、なんだこの魔力はッ……!」
ギブライ軍がゲイボルグを認識した直後、彼女は馬の上で深く身体を沈めた。
そして次の瞬間、彼女は高く高く空へと跳んだ。
「ッ! 全軍最大防御ォッ!」
何が起こるのかを察知したギブライ軍第1陣の指揮官は、戸惑う兵士達にそう指示を出す。
彼は事前の作戦会議で、ズィグラッドから聞いていたのだ。
"単騎で突撃してくる者があれば、それはほぼ間違いなく、ロード=アーヴァインの駒である。全力で防御するように"と。
指揮官の声により道を示された兵士達は、即座にそれに呼応し、盾の正面を飛翔したゲイボルグへ向けると、各々のが魔法を発動する。
ある者は盾に岩を纏い、またある者は盾の強度を魔法で上げ、風を使う者や、障壁を魔力で形成する者など、彼らの魔法は決して統一されたものではなかった。
だが、それ故の不揃いさが、逆に彼らの防御をより堅固なものへと昇華させていた。
一貫性のない彼らの魔法は、1つの弱点を突かれたとて、すぐに横の者がそれをカバーすることが可能であり、容易に突き崩すことを許さない構造となっていた。
この戦で初めて使用した戦術であり、他国の将軍ズィグラッドから授けられたものではあったが、ギブライ軍の兵士達は、これこそが自分達の正しい力の使い方であったと確信を得るほどに、今や自信に満ち満ちていた。
「た、高いッ」
「なんだあの構えは……!」
そんな彼らの前で、高く高く飛翔したゲイボルグは、いつものように身体を"しならせる"。
弓が矢を飛ばすために、そうなるように。
「久しぶりの戦だぁ……全力でブチかますぜッ!!」
刹那、魔力は彼女の右腕から黒き魔槍へと注がれ、晴天の空の中で禍々しく輝いた。
「"分かれ別れし殲滅魔槍"ッッ!!」
渾身の一投。
そうして抑圧から解放された魔槍は数百に分かれ、ギブライ軍の第1陣に降り注いだ。
「うおぉぉおッ!?」
「がぁぁぁあッ……!」
分たれた数百の槍は、彼らの魔法も盾も容易に貫き、そのまま地面へと突き刺ささる。
そして――――
「爆ぜなァッ!!」
空中でゲイボルグがそう叫んだ瞬間、突き刺さった槍から棘が伸びる。
「ぎゃああああッ!」
「な、なんだこれッ……がはぁッ!?」
それはまるで荊の棘のように広がり、緑の大地は瞬く間に黒く塗りつぶされていった。
その様子を眺めながら地面に着地したゲイボルグは、すぐさま槍を肩に担いで走り出した。
少なくとも 1千人ほどが彼女の槍の前に散り、部隊には風穴が開いた。
初撃の戦果としては上々であった。
彼女は走りながら後方をチラリと見る。
既にミディルク隊は転進し、さらに待機していた他の部隊も引き連れ、2千騎ほどの規模でギブライ軍へ向けて進軍を開始していた。
「……いいねぇ。指示が早い」
彼女はそう呟きながら前を向くと、その足をさらに加速させる。
ギブライ軍は未だ隊列を正せずにいた。
それも無理はなく、彼女は投擲の中心に、ギブライ軍の指揮官を置いていたのだ。
狙い通りにそれを撃ち抜いたと確信したゲイボルグは、眼前に迫ったギブライ軍に槍の切先を向ける。
そうして、このまま混乱に乗じて敵陣の奥深くまで突っ込み、もうひと暴れしてやろうと考えた彼女は――――
「ッ!」
突如、ゲイボルグの足が止まる。
地面に横たわる兵士に同情したわけでも、怯えた目を自身に向ける彼らに躊躇したわけでもない。
彼女の足を止めたもの。
それは、強者のみが感ずる、強者の"匂い"であった。
「ふんッ!」
キンッと、高い金属音とともに、彼女の槍が何かを叩き落とした。
「投げナイフか……」
チラリと見たそれは、地面に突き刺さる短刀であった。
そしてそれは、次の瞬間には跡形もなく消失した。
視線を前に戻すと、苦しむ兵士達の間から、全身に銀色の鎧を纏った1人の騎士が、ゆっくりとこちらに向かってくるのが見えた。
右手には長めの剣を持ち、左手には縦を装備している。
頭部はフルフェイスの兜に覆われており、その表情は窺えない。
「2人……いや、5人……ってとこかねぇ」
自身に向けられた強い視線から、ゲイボルグはそう推察した。
少なくとも5人。
自身に刃を届かせ得る者がいると。
「……戦場にて。いざ、参る」
騎士はそう言うと、強く大地を蹴った。




