第505話:ジェイド
「くッ……!」
自身に迫る魔力の砲撃を、ジェイドはやはり平面の空間へと潜ることで回避する。
「ひぇえッ!?」
「グルッ!」
「ぐッ……おッ……!」
「ディーさっ……あのバカトカゲ!」
彼がいなくなった大地は広範囲に渡って深々と抉られ、その衝撃で残る4人の身体が大きく揺れる。
そして、凄まじい量の粉塵が舞い上がる中――――
「ものは試しと撃ってはみたが……やはり無駄か」
手応えのなさに、ドラグニスはゆっくりと降下を始める。
平面世界という聖域がある以上、遠距離攻撃が意味をなさないことは彼も理解していた。
そもそも、アルメニアでの戦闘時においても、彼の放った必殺の息吹は次元の刃で切り裂かれて霧散している。
故に、この結果は最初から織り込み済みであった。
「そら……降りてやったぞ?」
着地したドラグニスは、そう言って両手を広げてみせる。
彼を除く4人は、ただ黙ってその光景を見つめていた。
いや、ティタノマキアの2人に関しては、見つめて"しまって"いたが正しい。
真の強者の戦いは、見る者達に図らずも、憧憬を抱かせる。
畏怖、敬意、焦燥、嫉妬といった感情は、詰まるところ、様々な意味での自身の弱さを理解し、対象と比較することにより生じるものである。
故に、たった一度の攻防により、彼らにある種の羨望の眼差しを向けさせたドラグニスは、やはりそうであると言えるのだろう。
だが――――
「ッ! ククッ!」
「ちぃッ!」
ドラグニス背後の平面空間から飛び出し、その勢いのまま、下から斜め上へと放たれるジェイドの右手刀。
ドラグニスはそれを空気の流れで察知し、時計回りに振り返りながら身体を逸らして回避すると、そのまま左脚のみを竜化させる。
そうして放たれた竜の蹴撃を、ジェイドは咄嗟に引いた右腕と右脚を使いかろうじで防御していた。
「ぐッ……!」
ミシリと、彼の体内に嫌な音が響く。
そして、その膂力に耐えきれなかった身体は宙へと浮き上がり、ジェイドはそのまま10メートルほど弾き飛ばされたのちに地面へと着地した。
「ククッ……芸のない奴だ」
上空からルカとの攻防を見ていたドラグニスは、そう言って竜化を解きながら前へと出る。
対するジェイドもまた、血が混じった唾を吐き出しながら立ち上がると、足を前へと運んだ。
確かに、戦いの中に生きる者は皆、強者のそれを羨むだろう。
だが、全員が全員、果たしてそれで諦めて終わるのだろうか。
自身はそう成れないと、夢の続きを他者に託して諦めるのだろうか。
答えは否である。
羨望の先、自身もそうあらんとする者がいない限り、その歴史は、人という物語は続かない。
特に、ドラグニスという強者と相対するジェイドという男は、もう諦めて、諦めて諦めて、諦め抜いた先で今こうして立っている。
彼はもう、何かを羨むことに飽いていた。
――――――――――――――――――――
ジェイド=ディメンズは、とある小国で商店を営んでいた両親のもとに生まれた。
彼はひとりっ子だったこともあり、両親から沢山の愛を与えられ、彼もまた、そんな両親を愛してやまなかった。
小さな商店を営むディメンズ家は決して裕福ではなかったが、彼ら3人は慎ましくはあるものの、実に心が満たされる穏やかな生活を送っていた。
ジェイドはそんな両親の愛に答える為、将来的に王を守護する近衛兵となるべく、10歳を過ぎた頃から身体を鍛え始める。
それが、その国ではもっとも名誉あることであったから。
独学で体術や剣術を修めると、彼は魔法を授かる前の者達が集まる鍛錬所に通い始めた。
もともと戦いの才能があった彼は、年上の者達にも一目置かれるような存在となっていく。
やがて彼に並ぶ者がいなくなる頃には、将来を有望される立派な少年へと成長していた。
だが、既に開示されているように、彼の物語は非劇的な結末へ向け、その舵を大きく切っていくこととなる。
そうして迎えた15歳の誕生日。
彼が与えられた魔法は"空間転移魔法"であった。
数の少ない希少な魔法に彼も、当然両親も大いに喜んだ。
だがそこまで。
それが、彼の人生の最高潮。
あとは語るにも値しない、ただ転がり落ちるだけの悲しく、そしてつまらない話。
周りが魔法を使いこなす中、全く発動しない己の魔法に、彼はただ苛立ち、そして絶望した。
彼は自室から出ることすら出来なくなり、両親はそんな彼を心配して声を掛け続ける。
やがて彼が両親からの励ましの声を疎ましく感じ始めた頃、ついに周りがこう噂をし始めた。
ジェイドは、"無能"なのではないかと。
そこからは早かった。
まず彼の両親が営む商店に人が寄り付かなくなった。
2人はいつも通りに街の人達へ声を掛けるが、誰1人として目すら合わせようとしない。
そこでようやく、彼らは自分の息子が"無能"であると思われているのだと気付いた。
それでも、彼らは息子を諦めなかった。
毎日食事を運び、元気づけようと声を掛け続けた。
しかし、返事はない。
2人が彼の部屋の前から離れると食事が消え、しばらくすると空いた食器が扉の前にあった。
2人はそれでもよかった。
息子が、ジェイドが、ただ生きてさえいれば。
だが、そんな2人の小さな小さな願いすら、世界にかけられた呪いは、ただ無慈悲に執行される。
ある日、もう閉め切っていた商店の扉が強く叩かれた。
驚いた彼の両親が慌てて戸を開けると、そこには甲冑を身に纏った兵士達が、店を取り囲むようにして大勢立っていた。
ジェイドの父が怯えながらなんの用か尋ねると、戸を叩いた兵士長が1枚の紙を彼に突き出す。
それは、犯罪者であるジェイドを捕えよという、王の勅命であった。
そこには、窃盗に始まり、傷害に婦女暴行、果ては殺人罪と、およそ考え得る全ての罪が所狭しと列挙されていた。
彼の父は、それを読み終えるなり激昂した。
ふざけるなと。
息子は家から一切出てもいなければ、部屋の外にすら出ていない。
そもそも息子は、愛する我が子ジェイドは、人道を外れた行為をする人間ではないと。
父は、力の限りそう叫んだ。
無論、ジェイドはなにもしていない。
全ては周りの住民たちが仕組んだ冤罪である。
彼らにとり、“無能”という存在が近くにいるだけで疎ましいのだ。
それは、口の中に感じた魚の小骨のように、夏の夜に耳元をかすめる虫の羽音のように、自分達の心の安寧を挫く害悪の概念。
何もしないならいいというモノではなく、そこにソレがいるだけで、理屈ではなく本能が排除を選択する。
それが世界の呪い。
しかし、これまでがそうであったように、親子の愛は、その呪いさえも打ち破る。
彼の両親は、とうの昔に気付いていた。
自分達の息子が、“無能”であると。
それでも、それでも彼らはジェイドを愛した。
寄り添い、尽くし、愛情を注ぎ続けた。
絶望したジェイドが自死を選択しなかったのは、間違いなく両親の存在という楔があったからに他ならない。
そんな父の叫びは、2階の自室に閉じこもる彼にも届いていた。
ベッドの上で布団にくるまり、涙を流して拳を握りしめる彼にも。
だが次の瞬間、父の声が唐突に聞こえなくなった。
続いて母の声も消え、家の中に突然の静寂が訪れる。
ジェイドは、己の鼓動の音がどんどんと大きくなっていくのを感じていた。
やがて、複数の階段を上る足音が聞こえ始めると、涙はいつしか枯れ、恐怖に怯えた身体は勝手に震え始める。
そして、ジェイドが閉じこもっていた自室という世界の扉はあっけなく破壊され、彼はそこから無理矢理引き摺り出された。
後ろ手に縛られ、担ぎ上げられた彼が必死で抵抗する中で見たものは――――
「う……あ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!?」
血溜まりの上に伏せる、両親の姿だった。




