第494話:大弓
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10万の大軍が、前へ前へと突き進む。
まるで猛り狂う荒波かのようなその進撃に、大気と、大地が震えていた。
「くっ!」
「ふー……」
「神よ……どうか……」
ベンディゴの南側。
配置された1万の兵士達は、決して弱くはない。
むしろ、この数年間の戦を生き抜き、数多の死地を潜り抜け、肉体も、魔力も、そして精神的にも、極限まで鍛えられた精鋭達である。
現に、反応は様々であったが、誰1人逃げ出そうとせず、強い意志を持って魔力を滾らせていた。
だが、そんな彼らでも、今回ばかりはと考える者が大半を占めていた。
ベンディゴの街を背に、兵士達は隊列を組む。
そんな彼らに向け、レア連合軍は突如現れた場所から、その全軍がベンディゴへ向けて突撃を開始していた。
通常、10万もの大軍が一斉に突撃することなど、戦略的に考えてまずあり得ない。
それは、これだけの数をまとめて指揮するよりも、数千、数万に分けて行動させた方が遥かに効率が良く、また同士討ちにもなりにくいからである。
だが、大軍は出来うる限り横へと展開し、まさにただ押し寄せる無慈悲な荒波の如く、防衛隊1万ごと街を飲み込まんと猛進を続ける。
その光景に、百戦錬磨の兵士達であったとしても、恐れを抱くのは至極当然であった。
「アマド様……!」
「分かっている!」
この戦場を任されたのは、ティーターン第二騎士団団長、アマド。
本来の持ち場であったザッカバーグから転移系の魔法で移動した彼は、すぐさま全軍に指示を飛ばしていた。
「遠距離の使い手を前に出しておけッ! それから、ミナカ隊、ファビリ隊、ヤカジリ隊は突撃準備ッ! 私の後に続くよう伝えろッ! 構えていても飲み込まれるだけだッ!」
「了解ッ!」
「クソッ……だがこれでは……!」
アマドは、非常に優秀な指揮官であった。
故に、現状をよく理解してしまう。
10倍の戦力差とは、奇襲、奇策を用い、かつ運が大きく傾いて、初めて微かに勝機が生まれる"かも"しれないというほどのもの。
要するに、相手の油断につけ込み、相手の要《かなめ》を潰し、こちらの有利になる事象が偶発的に発生してようやく、勝利への道が見えるということなのだが、現状は全て、レア連合に持っていかれている。
これが1万と1千なら話は違った。
1万ならまだ先が見える。
だが、10万はあまりにも大き過ぎた。
「兵の集中力がどれほど持つか……なんにせよ、やるしかあるまい……!」
今現在、ベンディゴに押し寄せる敵の総数は70万。
あまりにも強大過ぎる敵は、想像力があるものほど心を挫かれる。
アマドの心は、己が立場を盾に、なんとか戦場に踏みとどまっていた。
「はあッ!」
彼は馬の腹を蹴ると、全軍の先頭に向かう。
やがて視線を遮るものがなくなり、舞い上がる粉塵の多さがよく見えた。
数分の内にぶつかるであろうそれに、今まで経験したことのない緊張感が彼を襲う。
非現実的な光景が、否が応でもこれは現実だと告げてくる矛盾。
抗うには、あまりにも無謀な戦い。
それでも、彼は鞘から剣を抜いた。
「全軍聞けぇッ!! 言うまでもなく……ここが最後の砦であるッ!! 我らが止めなければ、アレが街へと雪崩れ込みッ……その全てを蹂躙することとなるだろうッ!! 我らしかおらんのだ……我らしかッ! 守ることは出来ないッ!! そうだろうッ!?」
アマドの声が、戦場に響き渡る。
しかし、それに呼応する声が上がらない。
「く……!」
"駄目か"と、アマドは心の中で呟いた。
この戦場に、ロードは来ない。
今まで、あらゆる不利な状況をひっくり返してきた英雄の不在は、強大な敵を前にした兵士達にとって、あまりにも大き過ぎた。
それでも、アマドは言葉を続ける。
「いいかッ! この戦いはッ……国を守る戦いではないッ!! 諸君らのッ! 諸君らの守りたいモノを守る為の戦いだッ!! 心が折れそうな者は思い浮かべろッ! ここで我らが何も出来ずに討たれれば、己が命だけではない……その思い浮かべたモノすらがッ! 蹂躙され消え去るのだッ!! さぁ、立ち上がれ勇士達よッ! 未来を掴み取る為にッ!!」
やはり、声は上がらない。
だが、アマドは自身の背に、熱い魔力の波動を微かに感じていた。
アマドの言葉が、何故自分達が戦場に立っているのかを彼らに思い出させ、魔力を滾らせ始めたのだ。
だが、まだ足りないと、アマドは思考を巡らせる。
何かもうひと押し、その何かがあればと――――
「その気概や……良しッ!!!」
それは、彼らの上空で突如として鳴り響いた。
思わず空を見上げた彼らの視線が、やがて彼女を追って地平線と重なった。
「なッ!?」
凄まじい衝撃とともに砂埃を巻き上げ、アマドの隣に着地した彼女は、その巨軀をゆっくりと起き上がらせる。
4メートルを超える巨体は、騎乗した彼を軽々と抜き去り、その筋肉が隆起した巨大な背中を、兵士達は呆然と見つめていた。
「あ、あなたはもしや……!」
「然り。我は所持者……ロードの力だ」
ヘラクレスはアマドにそう答えると、思い切り息を吸い込んだ。
「聞けいッッッ!!!」
それは、突撃してきていたレア軍にまで届く、まさに文字通りの咆哮であった。
「我が名はヘラクレスッッッ!!! 嘗ての大戦で、神に至りし男が握った伝説の武具であるッ!! 我が所持者の命によりッ! この戦場……貰い受けるッッ!!」
言うや否や、ヘラクレスは背負いし大弓に手をかける。
それを頭上に構えると、彼女は渾身の力で弓を引いていく。
「名乗り合いたいところではあるが、戦の火蓋は既に切られた様子ッ! ならば、こちらもこの一撃をもって……開戦の狼煙とさせて貰おうッッ!!」
凄まじい魔力が、ヘラクレスの大弓に集約していく。
アマドを含め、ベンディゴの兵士達はただそれを見つめていた。
感嘆と、羨望の眼差しで。
「勇士達よ……恐怖を抱き、逃げ出すことは恥ではないッ! だが、後悔するなら別だッ! "何故あの時"と悔やむであろう瞬間……今がその時なのだッ! 今その場に立っているのだッッ!!」
兵士達の柄を握る手が、ミシミシと音を立てていた。
魔力は滾り、前を向き、その目に光が灯り出す。
「運命は今ッ! その手の中にあるッッ!! そして、我が一撃はッ……!!」
光り輝く黄金色の矢が、ヘラクレスを眩く照らしていく。
それに合わせるかのように、兵士達は前に進み出した。
「輝かしい未来のッ……道標となろうッッ!! はぁぁああぁぁぁあッ……"大英雄の砲撃"ッッッ!!!」
放たれたそれは、弓の範疇を遥かに凌駕し、巨大な閃光となって敵軍の中央を粉砕したのち、大爆発を引き起こした。
そして、ヘラクレスは振り返ると、ニヤリと笑い――――
「さぁ、勇士達よ……開戦だッ!!!」
「「「「うぉぉぉおぉおおおぉおぉッ!!!」」」」
もはや、怯えるものは誰もいなかった。




