第461話:ズレ
「陛下のことを……ですか?」
「そうだ。それを聞かずして、この先には進めぬ」
予想外の質問に、ロードは戸惑いを見せる。
稀代の愚王。
彼の世間での評価を一言で表すのならば、おそらくそんな言葉になるだろう。
事実、ロードがこれまでの旅で耳にした話だけでも、一国の王足り得ないと結論づけられる程に、彼の行いは悪辣そのものであった。
冒険者ギルドの私的流用、他国に対する恫喝にも似た武力誇示、世界会議における傍若無人な振る舞い、"勇者"という称号、並びに現"勇者"であるロイの独占など、枚挙にいとまがない。
また、先の竜族との大戦時、窮地に追い込まれたギリシアの財産を根こそぎ奪った挙句、主力戦力を出さず、傍観にも似た対応を取ったことも記憶に新しい。
先代のオリンポス王が薨去してから僅か3年。
世界の国々の頂点として畏怖され、そしてそれ以上に尊敬の念を抱かれていた高潔なオリンポスという超大国は、今や愚王ザディアックが率いる"ごっこ遊び"の国として忌み嫌われていた。
ただ――――
「しょ、正直に言いますと……その、あまりよい評判は……」
「……ほう」
「た、ただ!」
ザディアックの冷たい相槌に、ロードの心臓が跳ね上がる。
そのプレッシャーを振り払い、彼はなんとか言葉を繋げた。
「じ、実際にお会いして、俺は全く別の印象を受けました。陛下はその……一介の冒険者に過ぎない俺にも礼を持って接して下さいましたし、レヴィのことも一目見ただけで評価を……それに、この国の人達にも好かれておいででしたし、陛下に仕えている皆さんからも、心から陛下を思っているのだなということが伝わってきました。自分のことしか考えられない人間に、他人は心を開きません。だから、俺は今日ここに来ました」
それは、偽りのない本心であった。
それ故に、ザディアックの心に届いた。
「……そうか」
ザディアックは短くそう応えると、黄金の酒盃を傾ける。
彼は、オリンポスの為だけに生きていた。
27歳という若さで王位につき、あまりにも優秀だった先王の影に延々と付き纏われながらも、彼はオリンポスという超大国を維持する為、ただひたすらに己の信念を貫いた。
国の発展を妨げるものは、徹底的に排除する。
彼の行動理念は、至ってシンプルであった。
だからこそ、彼は自国においては"強い王"として支持されている。
譲歩せず、妥協せず、折り合いもつけない。
徹底したオリンポス至上主義。
事実、彼が王の座についた後も、オリンポスの財源は減るどころか増えており、商業、工業、観光業、冒険者ギルドの運営に至るまで、全て右肩上がりとなっている。
当然、彼のやり方に反発する反政府同盟のような存在も少なからずいたが、国全体で見れば、それはあくまで少数派であり、彼を愚王と罵るのは、主に他国の人間であった。
無論、これまでの所業を鑑みれば、そう言われても仕方のないことではあるのだが。
「よく分かった。これでようやく……本題へ入れる」
ロードは僅かに背筋を伸ばした。
レヴィは言わずもがな、ハディスさえも、両膝に手をついてまっすぐザディアックを見つめていた。
「巷では、余は愚王などと呼ばれておるらしいな。まったく……不愉快極まりないことよ」
自傷気味に笑いながら、ザディアックはワインの入った杯を揺らす。
「不愉快ではあるが……そう言われても仕方がないのもまた事実だ」
「「え……」」
再び発せられた予想外の一言に、ロードとレヴィの口から思わず声が漏れる。
その反応が予想通りだったのか、ザディアックの肩が小刻みに揺れた。
「クックックッ……勘違いするなよ? 余は玉座について以来、何一つ誤った選択などしておらぬわ。この世の全てはオリンポスの為にある。その他一切の有象無象など……全て塵芥に過ぎん。故に、余の出した答えこそが、この世界の正着なのだ」
ザディアックに後悔など微塵もない。
疎まれようが、恨まれようが、罵られようが、そんなことは関係ない。
彼の耳に、負け犬の遠吠えがこだまするのみである。
それはいい。
世間の罵詈雑言などどうでもいい。
だが、それはあくまで――――
「ただしそれは……余が、余の意思で決定した事柄に限るがな」
「えっ……?」
「ど、どういう意味……ですか?」
「言葉通りの意味よ。余が決めたことではない事柄が、さも余の意思かのようにこの世界を跋扈している……あまりにもふざけた話よ……!」
忌々しげに、ザディアックはそう吐き捨てた。
強く握りしめた黄金の酒杯に映る彼の顔は、その溢れ出す憎悪によって歪んでいた。
「そ、それはつまり、陛下に意見する者がおり、仕方なくそうした……ということでしょうか?」
「……違うな。余がそう決めたことならば、それ以外に正着はない。故に、第三者の意見を受容するなど愚行の極み。天地が返っても有り得ぬわ。そうではない……そうではないのだ。あれはそう……あの感覚は……恐らく余は、何者かに……操られている」
「あ、操られっ……陛下が!?」
ザディアックは、静かに首を縦に振った。
認めたくはないが、認めざるを得ないと、己に言い聞かせるように。
「……繰り返しになるが、余は己の選択に微塵の後悔もない。だが、少なくとも二つ……どう思考を巡らせても……よ、余の選択がっ……ま、ま、まちがっ……はぁ……はぁッ…………間違っていたとしかッ……言えぬのだッ!」
わなわなと震えながら、ザディアックは思いの丈を吐き出した。
彼が己の間違いを他人に聞かせたのは、人生で初めてのことである。
無論、誰にも言いたくなどなかった。
当然、誰にも言える訳がなかった。
それでも、言わなくてはならなかった。
ザディアックは、深く息を吸い、それをゆっくりと吐き出した後、再度息を吸って口を開いた。
「……これは決して、己が間違った選択をしたことを認めない為の逃避ではない。明確に覚えているのだ。その選択をしたあの時……ずるりと、余の中で何かがズレたような嫌な感覚を。だが、その時の余は、まるで天啓が降りたかの如く、その選択の正当性をつらつらと……一切の淀みなく臣下に語っておったわ。それが少なくとも二度……今思い当たる限り、ではあるがな……」
「へ、陛下……」
威厳と自信に満ち溢れていたオリンポスの王は今や、過去の失敗を悔やむ、ただの人間と化していた。




