第191話:壁
「……ちッ」
『見事なり……ドワーフの英雄よ。まったく……今日は驚かされることばかりだ』
両者の戦いは互いに決定打がなく、傍目から見れば戦局は膠着状態の様相を呈していた。
しかし、実際は少し違う。
"底が見えない"。
そんな言葉がヴォルクスファングの脳裏に浮かぶ。
幾度も打ち込んだ必殺の魔法も通じず、更にそれ以外の様々な事由から、ヴォルクスファングの心に焦りの色が見え始めていた。
次第に消耗していく彼に対し、ヨルムンガンドの力は最初から今まで一切衰えを知らず、それはロードと邂逅した時から全く変わらない。
それは、通常ならあり得ないこと。
全てを焼き尽くす黒炎も、全ての攻撃をねじ伏せるその力も、どちらも強力であるが故に大量の魔力を消費している筈だった。
たが、ヨルムンガンドの魔力は、まるで無限に湧き出ているかの如く一向に減る様子がない。
それにはいくつかの理由があったのだが、当然ロードやヴォルクスファングはそれを知る由もなかった。
それでもヴォルクスファングの力もまた強大であり、ヨルムンガンドとほぼ互角に渡り合う中で、彼はやはりロードと同じ答えに辿り着く。
だが、それはSSSランク冒険者である彼をもってしても、やはりどうやって破ればいいのかが分からない程の力。
その力を破れない以上、ヴォルクスファングに勝ちはない。
『貴様は強い。本当に人間かと思う程にな。だが、それでも貴様の刃は……我には決して届かない。ああ、因みに貴様の力はもう分かった。まぁ、分かろうか分かるまいが……あまり関係はないのだがな』
既にヨルムンガンドはヴォルクスファングの魔法がなんなのかを看破している。
その身に残る傷跡が、彼の魔法がなんたるかを雄弁に物語っていた。
ヨルムンガンドは自身の腕に付いた傷を眺めた後、視線だけをヴォルクスファングに向ける。
『貴様の魔法は全てを砕く力……そんなところだろう?』
「……」
ヴォルクスファングの沈黙がそのまま答えとなっていた。
そう、彼の魔法は"粉砕魔法"。
それは、魔力を込めて殴りつけたものを粉々にする力。
いかに硬かろうが、いかに守られていようが、たとえそれが形を持たぬものであろうが、その全てを確実に破壊するのが粉砕魔法……その筈だった。
しかし、ヨルムンガンドの鱗には微かなひび割れが入るのみ。
彼の力は今、初めて撃ち砕けないものを知る。
とはいえ、ヨルムンガンドの攻撃もまた、ヴォルクスファングの粉砕魔法によってそのほとんどが防がれていた。
だが、ヴォルクスファングの魔力とて無限ではなく、戦いを長引かせることは出来ても、この戦いに決着をつけることは出来ない。
当初の予定ならばそれでよかった。
時を稼ぎ、他を生かす。
それが彼の決めた自分の役割だったから。
しかし、今の状況が彼を縛る枷となっていた。
ヴィヴィアンを連れてきたのは成り行き上仕方なくであり、仮に自分が死んでも、強烈な敵意を向けられれば彼女は眠ったままでもその魔法を発動し、この場から脱出することが出来る力を有していると彼は知っていた。
だが、ロードは違う。
「はぁっ……はぁっ……ゲホッ……ぐ……」
ヴォルクスファングが現れたことで緊張の糸が切れたのだろう、限界を超えた身体はもはや彼の意思通りには動かなかった。
口を覆ったロードの左手は真っ赤に染まり、全身の傷口からは血が流れ続ける。
既に武具は手帳に全て納めており、ロードは片膝を突いたまま、気を失うまいと必死に前だけを見ていた。
魔力、体力ともに底を尽き、今彼を支えているのはその驚異的な精神力のみ。
気を失えば最後、二度と起きられぬと彼は感じていた。
その様子に、ヴォルクスファングの斧を握り締める手に力が入る。
自分が死ねば、恐らく彼の命はないと……ヴォルクスファングはそう考えていた。
なんとかロードだけでも逃したかったのだが、彼の状態から察するに、ヴィヴィアンが起きない以上それは叶いそうもない。
故にヴォルクスファングは戦い続けるしかなかったのだが……。
「ちッ……揃い踏みって訳か……」
その時、最も起きて欲しくなかったことが、その期待を平然と裏切り現実のものとなってしまう。
ヴォルクスファングが見上げるその視線の先、突如として上空から現れたその4匹の竜が、ヨルムンガンドの背後へと静かに降り立った。
鋭い眼光を放つヴォルクスファングを歯牙にもかけず、彼らは己が主人にこうべを垂れる。
翼爪竜種の長、ヴィーヴル。
巨腕竜種の長、ザッハーク。
多頭竜種の長、ミドガルズオルム。
息吹竜種の長、ニーズヘッグ。
それそれの種族の中で最強の4匹。
ヴォルクスファングはその巨体で、その魔力で、その醸し出す雰囲気で、それらがそうなのだと一瞬で察していた。
『……首尾はどうか』
ヨルムンガンドは見ぬままに、背後に降り立った4匹にそう問い掛ける。
『は……ギリシアは完全に制圧。ファーブニルは所定の位置へ』
ザッハークは巨腕を地面に下ろし、ヨルムンガンドに忠誠を誓う構えのままそう答えた。
『我が王……1つ、お耳に入れたいことが……』
こうべを垂れたまま、ヴィーヴルは申し訳なさそうに口を開く。
『申せ』
『ここでは……』
そこで初めて、4匹はその場にいた人間達を意識する。
当然彼らにとってもヴォルクスファングは強敵であり、本来ならば無視出来る相手ではない。
だが、ヨルムンガンドがいるこの場にいる以上、たとえ目の前に勇者がいたとしても彼らは同じように無視しただろう。
それ程までに、彼らにとってヨルムンガンドの力は絶対的だった。
『構わぬ……申せ』
出来れば人間に聞かれたくないとヴィーヴルは考えていたのだが、ヨルムンガンドはそれを察して尚語れと要求する。
それは、彼ら人間に塩を送るつもりなどではなく、死人に口なしという思考。
知ったところで意味などないと、ヨルムンガンドはそう言っているのだ。
『……はっ。追撃は失敗……懸念されていた不確定要素が現れたとのこと。また、ケルトの援軍とも合流され、恐らく既に……』
『フッ……そうか。残念だ』
言葉とは裏腹に、ヨルムンガンドはニヤリと笑った。
4匹は多少驚いたが、それを表には出さず、王の次なる言葉をただ黙して待つ。
『やはり一筋縄ではいかぬな。まぁ……それも一興。よかったな英雄達よ。貴様らの命は無駄ではなかった。これでもう……思い残すことはあるまい?』
その言葉に、4匹はゆっくりと頭を上げる。
鋭く光る彼らの目が、王の敵に向いていた。
「坊主……動けるか?」
竜達が会話をしている間に、ヴォルクスファングはロードの下まで少しずつ後退していた。
ロードはなんとか立ち上がったが、やはり身体がいうことを利かない。
「動けますが……あ、歩くのが……ぐッ……精一杯ですね……」
「ったく、いい加減起きてくんねぇかねぇ……その馬鹿は」
「むにゃ……オムライス……うまぁ……」
「やれやれ……呑気なもんだ。で、あの竜は? 見たことねぇ種類だが……ひょっとしてお主の魔法か?」
ヴォルクスファングはイアリスをちらりと見る。
未だに起き上がらず、イアリスは横たわったままだった。
「イアリスは……俺の仲間です」
「そうか……動けるのか?」
「……生きてはいます。飛べるかは……分かりません」
「……その馬鹿はほっといていい。お主だけでも仲間を連れてなんとか逃げい」
「ヴォルクスファングさん……!」
「なぁに……死ぬつもりはねぇよ。撤退が済んだ以上、この場に留まる理由は消えた。儂も1人の方が逃げやすいってだけだ。こうなった以上勝ち目はねぇが……生き残ることだけを考えりゃ策はある。それによぉ、アレの能力を伝える奴がいなきゃなんねぇ。せめて儂かお主か……2人とも死ぬ訳にはいかんのよ」
「で、でも……!」
『話は終わったか?』
4匹の竜は既にヨルムンガンドの前に立ち、王の命令を今か今かと待っていた。
ヴォルクスファングは深く深く息を吸う。
「ハッ! こっちも待っててやったってのに……随分とご挨拶だなぁ?」
『フッ……確かに。無礼であった。許せ』
「ったく……やりづれぇよ実際。ま、悪くはねぇが」
『フハハ……実に楽しかったぞ? ちと残念だが終わりにしよう。お前達喰らうなよ? あれらは我の血肉なり。だから……』
「いけ坊主ッ!」
「……ッ!」
『息の根だけを……止めてこいッ……!』
刹那4匹は大地を蹴り、竜王の命を遂行せんと一斉に飛び掛かる。
ヴォルクスファングは斧を振りかぶり、ロードはヴィヴィアンを引きずってイアリスの下へと歩き出した。
迫りくる巨竜達に向け、ヴォルクスファングはその鉄槌を――――
「んなッ!?」
『『『『ッ!?』』』』
双方の刃がぶつかる直前、突如現れたその氷壁が……竜と人の世界を2つに分けた。
「こ、これはまさか……!」
『ほう……これはこれは……』
ヴォルクスファング達からはその分厚くて巨大な氷の壁に阻まれて見えなかったが、ヨルムンガンドの目に映ったその人物は……本来ここにいる筈のない男。
彼は知っていた。
それがどれだけ重要な人物であるかを。
「な、なんであんたがここにッ……!」
ヴォルクスファングもまた知っていた。
この氷の壁を生み出す力を持つ……その偉大な男を。
「……この雨がギリシアを討ったが、この雨が我が力に最後の……皮肉なものだ」
クリスティアノ=ゲオルギオス=ギリシア。
ギリシアの王は今、最期の時を生き抜こうとしていた。




