第185話:約束
その表情に、レヴィは何かを言いかけようと開きかけた口を噤む。
そして目を瞑り、強く唇を噛み締めた。
離れたくない。
共に戦いたい。
あなた様を失いたくない。
そんな言葉が次々と脳内に溢れて止まらない。
だが何よりも……彼女はもう二度と、彼を信じることをやめたくなかった。
彼は信じろと、必ず帰ると、約束だと……そう言った。
だから――――
「わ、分かり……ました……! 私っ……わ、私はっ……! ロード様のお帰りを……うっうっ……お待ちしておりますっ……! や、約束……です……!」
彼女は大粒の涙をポロポロと流しながら、それでも笑顔でそう言った。
ロードはやはり微笑んだまま、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめて口を開く。
「……ああ。約束だ」
レヴィは笑顔のまま頷くと、その視線をイアリスへと向ける。
「イアリス……ロード様を……守ってね」
「グルッ!」
レヴィはイアリスに頷いた後、ロードへと視線を戻す。
白銀の光に照らされたその顔に険はなく、これから始まるであろう壮絶な戦いを匂わせまいとする彼の優しさに、レヴィは再び瞳を濡らしていた。
ソロモンもまた、自身の主人を誇りに思うとともに、より一層己が使命を全うせんと心に誓う。
「旦那……待ってるぜ」
「ああ……」
レヴィは涙を拭い、ヨルムンガンドをその目で"視る"。
しかし、やはり何度見ても結果は同じだった。
「ロード様、お伝えを……奴には鑑定魔法が効きません。ただ、完全に無効化されている訳ではなく、かすれて読めない……といった感じです。また、私の魔力弾もほとんど効いていない様子でした。恐らく何か特殊な力を持っているのだと思います」
「かすれて……分かった。参考にするよ」
「はい……ロード様……その……」
「レヴィ……帰ったら全部伝える。俺の想いを……全部……」
ロードはレヴィを制するようにそう言った。
それは、彼もまた……。
「……はい。お待ちしております……ロード様……」
そうして彼女は笑顔のまま、ソロモンと共に消えていった。
ロードは瞼を閉じて1つ息を吐くと、その視線を黒き巨竜へと向ける。
『……終わったようだな。待ちくたびれたぞ』
上空に佇む竜王は、そう言ってニヤリと笑う。
「意外だったよ。待っててくれるとは思わなかった」
『なに……今生の別れくらいさせてやろうと思ってな。それに今我は……貴様以外に興味がない』
「……俺に?」
『ああ。貴様の右腕……実に美味かったぞ。まさに極上の魔力よ。竜の王たる我が言うのだ……誇るがよい』
「あまり嬉しくはないが……そうか……やはりお前が……」
『ああ、貴様にはまだ名乗っていなかったな。我が名はヨルムンガンド。天竜種の長にして、ドラゴニアを統べる……竜の王なり』
瞬間、ヨルムンガンドから膨大な魔力が溢れ出す。
それに呼応するかの如く、天空には雷鳴が轟き、大気が震え始める。
それはロードの魔力を遥かに超えており、過去に戦った誰よりも膨大で、そして……何よりも悍ましいものであった。
だが、それでもロードは臆さない。
「俺はロード=アーヴァイン。こっちはイアリスだ」
「グルァッ!」
『フッ……不思議な奴だ。その竜は貴様の魔法か?』
「身体はそうだが魂は違う。イアリスは……俺の仲間だ」
その言葉を受け、イアリスは更に心を滾らせる。
彼は嬉しくて仕方がなかった。
ロードと共に戦えることが。
『そうか……よい竜よ。我が配下に欲しい程にな。さて、貴様は我を抑えると……そう言ったな?』
「……ああ」
『出来るのか? ……今の貴様に』
ヨルムンガンドがそう言うように、ソロモンによってある程度回復したとはいえ、彼の状態は完璧からは程遠く、ましてや今の彼には片腕しかない。
更に、魔力だけを見れば魔王ゼノやフェンリルを超えるヨルムンガンドが相手となれば、どう考えてもロードに勝ち目などないだろう。
だが、それでも彼はいつだって前を向いてきた。
その心に刻んだ……"道"の上で。
「……"力を持った者は必ず選択を迫られる。その時重要なものは優しさではなく……覚悟だ"」
『……ほう』
「これはかつて、ある人に教わった大切な言葉だ。レヴィのことを想うのなら……一緒に逃げた方がよかったのかもしれない。だけど……!」
瞬間、ロードの身体から魔力が溢れ出す。
それは、ヨルムンガンドに比べれば小さいものであった。
だが――――
「俺にとっての"覚悟"とはッ! たとえ命が燃え尽きようが……この魂が誰かに届く限りッ! 全てを守ると決めたこの"道"だッッ!!」
その気高く誇り高い"覚悟"に染められた魔力は、人間に対し、ヨルムンガンドに初めての敬意を抱かせる。
それ程にその魔力は一点の曇りもなく……ただただ尊かった。
「受け取った想いがある限り……俺はこの"道"を歩き続けるッ! 誰がなんと言おうが関係ない……俺はお前を倒し、レヴィの下へと……ただ……それだけだッ……!」
ロードはグラムを握る手に力を込める。
それに応えるように白銀の刃は輝きを増し、傍に寄り添うイアリスの刃が赤熱を帯びていく。
その強い覚悟を前に、ヨルムンガンドは1つ息を吐いた後、静かに口を開いた。
『……無粋であった。許せロードよ。だがッ!!』
ヨルムンガンドの口から黒い炎が噴き出し、それが全身を包み込んでいく。
『人間は滅びなければならないッ! それはッ! この身体がッ! 魂がッ! 竜たる誇りがッ! 人間を打ち倒し、ヴァルハラをその手にせよと……喉を枯らして尚吼え続けているからだッ! そして何よりも……連綿と続く血脈と共に紡がれた"誓い"の為にッ! 我は止まらぬッ! 止められぬッ!!』
ヨルムンガンドは、半ば好意に似た感情をロードに覚えていた。
だが、人間に対する憎悪と呼ぶべき感情が、彼の力の源であるのもまた事実。
そしてそれは、一時の感情で切り離せる程薄っぺらいものではなく、むしろ彼の……いや、竜族の根幹であるといっても過言ではない。
故に、両者は刹那に悟る。
これ以上の対話には意味が無く、もはやロードの
"覚悟"か、それともヨルムンガンドの"誓い"か、その雌雄を決するは……己が力を持って証明する他ないと。
「行くぞイアリスッ!!」
「グルァァァァァァアッ!!」
『来るがよいッ……! 我は今確信したッ! 貴様を喰らった時……その時こそッ! 我は遥かなる高みへ辿り着くとッ! 我が血肉である天竜種達を全て喰らっても、それでも尚決して辿り着けぬと感じた……あの神の高みにッ!!』
空中で激突した3つの魂が、轟音を響かせ天を貫く。
互いが互いに背負ったものを守り抜く戦いが今……始まった。
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「ッ! 始まった……!」
ソロモンはレヴィを抱えたまま転移を繰り返し、トライデント達の下へと急いでいた。
空間を跳躍する度にドラゴン達が周囲に現れ、もはやギリシアに安寧の地などないことを否が応にも分からせる。
「クソッ……なんて力の激突だ……旦那……頼む……!」
「大丈夫ですよ……ソロモン様」
"死なないでくれ"と言い掛けたソロモンを、レヴィの言葉が制す。
「レヴィちゃん……」
「ロード様は"信じろ"と仰いました。もう……それを疑うことはありません」
そう言ってレヴィはソロモンに笑ってみせる。
主人に"頼む"と託された彼女に諭されてしまったソロモンは、自分の不甲斐なさに半ば呆れながら自傷気味に肩を揺らした。
「ったく情けねぇ……ああ! そうだったな!」
「はいっ!」
とはいえソロモンにはいくつか気掛かりなことがあった。
まず1つは、果たして自分がどれだけ身体を持ったままでいられるのかということ。
ロードは彼に対し、通常よりかなり多めに魔力を注いでいた。
ソロモンもそれを理解してはいたが、明確にいつまでいられるかは分からない。
ただ、これに関しては能力の1つを使用すればなんとかなるかもしれないと彼は考えていた。
2つ目は能力の効果範囲。
このままギリシアを脱出するということは、必然ロードからかなり離れてしまうことになるが、それについて問題がないのかどうかは不明である。
そして、何よりも大きな疑問がソロモンにはあった。
もちろんそれを口には出さないし、考えることすらしたくはなかったが、現実的な話として仮にロードがそうなってしまった場合、自分が存在し続けていられるのかだろうかという疑問が当然浮かび上がる。
兎にも角にも時間がないと判断したソロモンは、レヴィの回復を後回しにし、ただひたすらにトライデント達の下へと転移を繰り返していた。
「ッ! ソロモン様あれを!」




