第182話:戦
「な、な、何がっ……ですか? ロ、ロ、ロ、ロード様が謝るッ……ことなんて……何もないッ! 謝らなくていいんですよ! 分からないし聞きたくないし知らないし! いいんですよいいんですよ……この世界から消え……消え……消えてッ……くれればぁッ!」
最早レヴィの心は何が正しいのかも分からず、ただひたすらに痛みと苦しみから逃れようと誰よりも愛する人に拳を振り上げる。
食らえばただでは済まないであろうその拳を、ロードは防ぎも躱しもせずあえて受け止めた。
「ッ!」
腹部に突き刺さった拳の衝撃が背中を突き抜けるが、その痛みはアイアンハートの力により打ち消される。
無論傷を負わない訳でも、ましてや傷が治る訳でもない。
既に受けていた脇腹の傷からは未だに血が流れており、さらに今受けた拳により肋骨にはヒビが入る。
だが、それでもロードは前に出ながら手帳を開く。
レヴィの心に、自分の想いを届ける為に。
「グレイプニ……ッ!?」
しかし、開いていた手帳はそれを拒絶するかのように閉じられ、さらに身体が何かに縛り上げられる。
次の瞬間、凄まじい衝撃がロードの顎を貫いた。
「ごッ……!」
アイアンハートは痛みを消す力があるが、先程と同様その衝撃までは防げない。
頭に強烈な一撃を受けたロードは一瞬気を失い、その手からアイアンハートが溢れ落ちる。
「わ、分かってますよぉッ! 私は誰ッよりもぉッ……あなた様のことをッ!」
渾身の魔力を込めたレヴィの拳をモロに受け、ロードの身体が軽々と宙を舞う。
直後レヴィは鎖を手繰り寄せ、戻ってきたロードの腹部に強烈な回し蹴りを突き刺した。
「うッ……ごぁ……!」
引き寄せた力と撃ち抜いた蹴りの威力は想像を絶し、骨は砕け、内臓が嫌な音を鳴らす。
そうして彼の口から大量の血が噴き出し、それが彼女の白い髪を赤く染めていく。
刹那レヴィは鎖を解除し、膝から崩れ落ちるロードの前に両手を広げた。
「あははッ! さぁ消えてください……ロード様ぁッ!」」
手のひらに膨大な量の魔力を集中させ、そうして解き放たれた魔力弾がロードに触れた瞬間、爆音とともに彼の身体が弾け飛ぶ。
高々と舞い上がったロードは声も出さずに地面に落下し、仰向けに倒れたまま、彼は動きを止めた。
「はぁっ……はぁっ……ロード……様……?」
彼は応えず、雨音だけがレヴィの鼓膜を揺らす。
暫く呆然とロードを見つめていたレヴィだったが、突如として呼吸が荒くなり、再び頭を押さえて地面にうずくまった。
身体がガタガタと震え、今度はそれを抑えようと必死に両手で肩を抱きしめる。
彼女の身体は強過ぎる力に耐えられず、身体中を襲う激痛によって立っていることさえ難しくなっていた。
だが、それよりも――――
「はぁッ……はぁッ……ああああああッ! 痛いッ! 痛いよぉッ! やだ……やだぁッ! 何も考えたくないのに! 分からないのに! なんで……なんで涙が止まらないのッ!? もう終わったよ……? 消せば終わりでしょ! 終わりじゃないの!? なんで私……なんで……あ……ああ…………もうやだぁ……なんでよ……なんでこんなに悲しいのッッッ!?」
ウンセギラの術は既に解けている。
だが、あまりにも強過ぎる悲しみによって壊された心は容易く治らない。
最早レヴィは何故自分が悲しんでいるのかすら分からなくなっていた。
それは……簡単に分かることである筈なのに。
「あ、ああ……目に見えるからいけないんだ。この世界から完全に存在を消せば……この想いも……消せる」
だが、今の彼女にはそれが分からない。
だから消す。
それでこの苦しみが終わると信じて。
間違った解答になんの疑問も抱けぬまま、レヴィは立ち上がり、両手に魔力を集中し始める。
しかしその時、彼女はあることに気が付いた。
「うっ……ううっ……ひっく……なんで……!」
レヴィが伸ばした手の先で、ロードは力なく横たわっている。
彼女から見れば、もはや生きているのか死んでいるのかさえ分からない。
その顔は苦痛に歪んでいると思っていた。
しかし、その顔は……何故か優しく微笑んでいた。
まるで、レヴィに"大丈夫だ"とでも言わんばかりに。
「あ……ああっ……!」
レヴィの両手が震え、視界が霞んでいく。
足は勝手に前へと運ばれ、彼を消さんとしていたその両手は……いつしか彼を求めるように伸びていた。
「うっうっ……ロ、ロード様ぁ……わ、私は……あなた様を……あぐっ……あなた様の事をっ…………あ……」
その時、ギリシアがかつてない程大きく揺れる。
「ッ!?」
さらに頭上で何かが砕け散る音が聞こえ、レヴィは咄嗟に空を見上げた。
瞬間ギリシアを覆っていた結界が粉々に割れ、それが光の結晶となって町に降り注いでいく。
金色に輝く雪のようなそれが夜空を彩り、そしてそれは……ギリシアの町に終焉が近付いていることを報せていた。
そんな中、レヴィは気付く。
輝く夜空から舞い降りる……その存在に。
『……まさかウンセギラを屠る者がいるとはな。我にもそれは読めなんだ』
上空から凄まじい速さで現れた黒き巨竜は、深く、そして静かにそう語る。
そうしてレヴィと、未だ動かないロードの前へと降り立った。
『さて、一番邪魔になりそうな魔力を辿ってきたのだが、どちらも死にかけか。何があったのかは知らぬが折角だ……喰らわせてもらうとしよう』
黒き巨竜はゆっくりとロードに近付いていく。
だがその時、まるで彼を守るかのように……レヴィがその前に立ちはだかる。
『む……?』
「はぁっ……はぁっ……はぁぁぁぁッ!」
レヴィはロードを消す為に練り上げた魔力弾を黒き巨竜に解き放つ。
凄まじい速さで一直線に突き進んだそれは、巨大な爆発音を上げて黒き巨竜の頭部を確実に捉えた。
だが――――
『……それで全力か?』
そう言って、黒き巨竜はクスクスと笑う。
レヴィが今放った魔力弾は、彼女が弱っていることを差し引いても尚必殺の威力を持っている。
だが、彼には一切のダメージが無く、何事もなかったかのようにその場に佇んでいた。
「ぐ……うッ……! はぁっ……はぁっ……き、貴様は……いったい……!?」
黒き巨竜は翼を広げ、その魔力を解放した。
「ぐッ!?」
まるで嵐のような魔力の奔流に、レヴィは吹き飛ばされそうになるのを必死で堪える。
黒き巨竜はそのまま翼を羽ばたかせ、未だ輝く空を背に口を開いた。
『……我が名はヨルムンガンド。ドラゴニアを統べる……竜の王なり』
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『ほ、北西より司令部ッ! 海竜種はほぼ駆逐ッ! ですが、スパルタクス様が負傷……! 大竜種どもが迫って…………ひ、引けっ……引けぇぇぇッ!』
『北の魔法……陣……も、申し訳…………何かが……急…………に……』
『司令部! こちらアースヘイム第二師団! 息吹竜種どもを駆逐したぁッ! 消耗300……ま、まだイケるぜ!』
『こちら第二騎士団第八小隊! 翼爪竜種の数が尋常じゃない……! バリスタ損壊ッ! 援護求むッ!』
『右翼は盛り返した! 次はどこに行けばいい!? 指示を……!』
『駄目だ引けッ! くっ……こちら第三騎士団第六小隊ッ! 多頭竜種と巨腕竜種が……このままじゃ保たないッ! 救援はまだかッ!?』
『こ、こちらウッドガルド魔戦団! だ、駄目だ撤退……あぁぁぁぁぁッ!』
司令部には続々と通信が入り、フリードリッヒを始めとする将校達は対応に追われていた。
やはり嵐の影響は大きく、戦局は竜族へと傾いてしまい、ギリシア連合軍は次々にその命を散らしていく。
「フ、フリードリッヒ様ッ! 結界が……結界が破られましたッ!」
「ぐッ……!」
それは、一番恐れていた最悪の報せ。
これによりギリシアの防御力は失われ、上空からの攻撃はもう避けられなくなってしまう。
「これは……このままでは……!」
これまでの戦闘により、ギリシア連合軍はその戦力を半数以下にまで減らしていた。
対する竜族も数を減らしてはいたものの、未だ2千匹程が戦場におり、完全に人間達の戦力を上回ってしまう。
竜族達はバリスタを知っており、飛行能力に長ける翼爪竜種以外は最初から地上に降りて侵攻していた。
嵐により射程も照準も弱体化したバリスタでは翼爪竜種を上手く捉えきれず、また地上を侵攻する竜族達にバリスタが次々に破壊されてしまう。
四騎将のテーベやニア、また各国の実力者達が各種族の長をなんとか抑えていたおかげで総崩れには至らなかったが、その分薄くなった箇所を的確に狙われてしまい、段々と戦力に差がついてしまったのであった。
「報告しますッ! 巨大な大竜種が町に侵入ッ! また、恐らくですが……天竜種と思われるドラゴンが……!」
「ファーブニルにヨルムンガンドッ……! ロードはどうか!?」
「……駄目です! 出ません!」
「既に戦闘中か……ウンセギラの姿は見えぬが、翼爪竜種、巨腕竜種、息吹竜種、多頭竜種の長は確認済みの筈……ロードは……いったい何と戦っている?」
頼みの綱の援軍は未だ現れず、戦況は圧倒的不利であった。
さらに結界を失った今、ギリシアに籠城することも不可能。
そうして全てを悟ったフリードリッヒは静かに目を閉じ、深く息を吸った後……ゆっくりと口を開いた。
「……民の命が最優先だ。城と地下避難所にいる民は既に移動しているな?」
「は、はい……既に地下経路を使って脱出を開始して……」
「それだけでは間に合わぬかもしれん……転移魔法使いをありったけ向かわせろ。総員に通達を出せ。場合によってはギリシアを……放棄するとッ……!」
「ッ! ……はッ!」
「民が脱出するまで時を稼ぐ。それしか……我らに出来ることはもうそれしかないッ……!」
ギリシアは今、滅びの時を迎えようとしていた。




