第146話:人生
「うぁぁッ!!」
『よい気迫だ。だがまだまだ……!』
「がっ……!」
フェンリルの拳がレヴィの腹部に叩き込まれ、その衝撃で吹き飛ばされた彼女が宙を舞う。
「ぐっ! あっ! くぅ……」
何度が地面を跳ねてうつ伏せに倒れたレヴィだったが、腹部を押さえながらなんとか立ち上がった。
口からは血が流れ、肩で息をしているが、それでもフェンリルを強く睨みつける。
『うむ。やはりその女を削ったのは正解だった。人間というのは感情に順ずる生物であるからな……これでより楽しめよう』
「貴様……!」
『フハハ……まったく、人間の生に対する執着は面白い。さぁ、もっと怒りを込めよ。さすれば我が身に届くやもしれんぞ? まぁ、その女のようになる可能性の方が……』
「黙れ」
「っ!? グ、グラウディ……様……?」
グラウディは両手に剣を握り、全身から魔力を放出させながらフェンリルに迫る。
そして、それと同時に凄まじい殺気を纏って。
『……よい魔力よ。先程までとは比べ物にならん。さぁもっと……ぬぅッ!?』
「黙れと言ったッ!」
グラウディはフェンリルの重力を強く、自身の重力を弱くして一気に間合いを詰める。
斬りつけた剣が防がれ、魔法が破られても、瞬時に魔法をかけ直して攻撃の手を緩めない。
『こ、このッ!』
「てめぇにとっては暇潰しなんだろうよ……だがなぁッ! 俺らは常に今を生きてるッッ!」
グラウディの剣がフェンリルの頬を掠めると、そこから赤い血が流れ出した。
『ちぃッ!』
「なぁフェンリルさんよぉッ! てめぇはどうせ何千年も生きてんだろ!?」
繰り出される剣は速く重い。
重力魔法は破った途端に再びかけられ、さらにその剣技と気迫に押され、フェンリルは防ぐことしか出来なくなっていく。
グラウディには魔法を打ち消される理由は分からなかったが、フェンリルがジルの攻撃を全て体毛がある部分で防いでいたことに気付いていた。
故に消された瞬間に魔法をかけ、皮膚が露出した首や胸に狙いを定める。
『それがどうしたッ!?』
「つまんねぇんだろ!? 神の使いだとかぬかし、人間を見下してるみてぇだがッ! 俺からすりゃぁなあッ! てめぇが哀れでしょうがねぇよッッ!!」
『なんだとッ……!』
グラウディの剣がさらに加速していく。
「人生はままならねぇッ! やりたいことがあっても自由にやれねぇし、色んなしがらみの中でもがき苦しむことばっかりだッ! 中には家族とすら素直に話せねぇ奴だっているッ! 好きな女に素直に好きだって言えないバカだっているッ! てめぇには……てめぇなんぞには分からねぇだろうがなぁッ!!」
グラウディは剣に想いを乗せる。
レヴィはそれを聞きながら、じっとその瞬間を待っていた。
『なんの話だ!!』
「だが、だからこそ人生は面白い! 出来なかったことが出来た時ッ! 夢に過ぎなかったことが叶った時ッ! 人間は生きてる意味を実感する! 漫然と長く生きてるだけのてめぇには……そんなもんねぇだろッ!」
『だ、黙ッ……!?』
グラウディの双剣がフェンリルの両手を弾き、その無防備な胴体がさらされる。
「てめぇにとっての一瞬が……俺らにとっての一生なんだよッ!! だから人間は……必死に生きるッ!」
『ぐッおッ……!』
「薄い生き方してる野郎が……偉そうに人間を語るんじゃねぇぇぇッッ!!」
グラウディの剣がフェンリルの胸に突き刺さり、さらにもう一振りが首に迫る。
それを防ごうとしたフェンリルだったが、その手は鎖に繋がれていた。
『なっ!?』
「くたばれッッ!!」
そうしてグラウディの剣がフェンリルの首に――――
『……ゴミどもがッ!!』
瞬間凄まじい衝撃がグラウディとレヴィを襲い、彼らはジルが横たわる付近にまで吹き飛ばされた。
「ぐあッ!?」
「くッ!?」」
粉塵が巻き上がる中、瞬時に起き上がるレヴィに対し、グラウディはなかなか起き上がることが出来ない。
「くっそっ……」
「グ、グラウディ様……手が……!」
グラウディの両腕はもがれ、肘から先が無くなっていた。
それでもグラウディは身体をよじらせ立ち上がる。
「動いては……!」
「まだだ……手が無くても関係ねぇッ! あいつを倒してジルを……ジルだけは!」
『随分と偉そうに語ってくれたな』
土煙の中から、再び巨大な狼となったフェンリルが姿を表す。
その鋭く光る金色の瞳は、微かに怒気をはらんでいた。
「ハッ……どしたい狼に戻っちまってよぉ……びびっちまったか?」
『フハハッ! その言葉……そっくりお主に返そう。さて、なんだったかな……ああ、そうそう……我が哀れだと……そう言ったな?』
「ああ、哀れだね……! 無駄に長く生きて何が楽しいッ!」
『無駄か……まぁ、確かに我は長い時を生きている。そしてこの世界をずっと見てきた。これは魔族や竜族にも言えることだが……確かに面白くもあるが、我からすれば滑稽にしか見えん。無様に生にしがみつく矮小な存在にしかな。そう、その女のように』
「てめぇッッ!」
『フハハッ! お主は我を哀れだと言うが、我からすればお主らの方が哀れで仕方がないわ! その女は死ぬ。そしてお主らも死ぬ。そしてやがてこの世界も……さて、このアポリナミアでやるべきことももう終わる』
「死ぬのは……てめぇだけだッ!」
グラウディは残る全ての魔力を集め、血が流れ落ちる両腕を胸の前で合わせた。
「やっぱコントロールが効かねぇ……レヴィ……俺が奴を止める。ジルを連れてロードの所にいけッ!」
「グラウディ様まさか……!」
「いいから行けッ! ジルを頼む……やっぱりそいつだけは……死なせたくねぇッ!」
「グラウディ様……!」
「ほんと……人生はままならねぇよなぁ……行けレヴィッ!」
「……っ!」
レヴィはジルを抱え、手に魔力を込めた。
入り口は瓦礫で塞がれている。
それを破壊しながら、一気に駆け抜けるしかない。
『行かせると……』
「行かせんだよ……!」
突如グラウディの胸の前に黒い球体が現れ、それがフェンリルの体を引き寄せていく。
『こ、これはッ……体がッ!?』
「人生最後の魔法だ……たっぷり味わいやがれッ!」
フェンリルは地面に爪を立ててそれから逃れようとするが、それでも尚体はグラウディへと吸い寄せられていった。
『な、何をッ!?』
「こいつがどこに続いてるかは俺も知らねぇ……まぁ、天国じゃねぇことは間違いないぜ……?」
その時フェンリルの体からグラウディの剣が抜け、黒い球体へと吸い込まれ消えていった。
『うッ……!』
極限にまで圧縮した重力が空間を捻じ曲げ、全てを異界へと引きずりこむ入り口を開く。
それがグラウディの切り札だった。
本来ならば両腕を使い、それを定めた対象に投げつけるのだが、腕を失った今では正確なコントロールが出来ない。
だから自らの目の前に創り出すしかなかった。
自分ごとそれに入る覚悟で。
『死ぬ気か……!』
「生にすがり必死にもがく……てめぇも同じじゃねぇか……!」
『ぬぅぅッ!』
グラウディは遠くにいるジルの背中をじっと見つめた。
重力魔法を使い必死に耐えていたが、もう限界が近い。
「……じゃあなジル。お前のこと……結構好きだったぜ……はぁぁぁぁあ!」
『うぉぉぉッ!』
グラウディは渾身の魔力を込めてフェンリルを引き寄せる。
黒い球体にフェンリルの顔が近付き、グラウディはニッと笑った。
そして、フェンリルも。
「な……」
『フッ! フハハハハッ! 希望は見えたか……? グラウディ』
フェンリルの口が大きく開き、グラウディの生み出した球体を噛み砕いた。
「あっ……!?」
『言った筈だが……? 我は全てを喰らうと』
「て……めぇ……!」
両腕から大量の血を流し、魔力を使い果たしたグラウディの視界が歪む。
『残念だったな。さて、我を侮辱した罰を与えねば……よし、お主の目の前であの女の四肢を喰らい、最後に頭を噛み砕いてやろう。とりあえず……そこにひれ伏せい』
フェンリルの前脚が上がり、グラウディ目掛けて振り下ろされ――――
『ぬッ!?』
グラウディに当たる直前、鎖がフェンリルの体を縛り上げた。
直後グラウディは膝から崩れ落ち、地面にうつ伏せに倒れ込んだ。
そこから必死に顔を上げると、逃げずにそこに立っている彼女に気付く。
「レ、レヴィ……お前……」
「申し訳ありませんグラウディ様。やはり……あなたを置いてはいけません」
「バカ……野郎……」
『フハハ……ぬんッ!』
フェンリルを縛っていた鎖は粉々に砕け散り、最初から無かったかのように消える。
レヴィはジルを離れたところに寝かせ、フェンリルをじっと見つめていた。
『どうした? こないのか?』
レヴィは答えない。
ただただじっとフェンリルを見つめていた。
その様子にフェンリルは違和感を覚える。
『……何を見ている』




