log211.全ての始まりの場所
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
シャドーマン討伐の翌日、セードーは一人、ニダベリルの山頂、その最も高い頂の上に立っていた。
前回ニダベリル登山を行った時は、スティールたちと一緒であったが今日は一人で登ってみた。
目的はもちろん、カネレに会うためだ。
以前もカネレに会うために、ニダベリルの山頂を目指したことがある。彼自身が、いつも高いところに登ってイノセント・ワールドを眺めていると言っていたからだ。
セードーは吹き荒ぶ風を体全身で感じながら、ふと前回登った時のことを思い出した。
城砦攻略のマンスリーイベントの際、フレンドとなったスティール、そしてそのパートナーであるスタッフィ。
……スニーキングミッションとは無縁な二人の姿を思い返し、セードーはポツリとつぶやいた。
「……隠れて移動できる分、一人の方が楽ではあったな……」
隠れて移動するだけでも、そこそこ経験値は入ったりするので、完全にLv負けしている地帯でのスニーキングは極めて重要なテクニックだったりする。
外法式無銘空手……忍術に端を発するこの武術、当然隠密移動の類も技術の一端としてセードーに継承されているのだ。
「さて……」
Lv80オーバーのモンスターが闊歩するニダベリル最高峰の頂よりイノセント・ワールドを眺めつつ、セードーはクルソルを取り出す。
そしてメール送信のための画面を呼び出し、送信先に昨日カネレから渡されたメールアドレスを打ちこむ。
“Innocent・World.**.**”
「………」
そして少し考え――文面を打たない空メールで送信を行った。
このメールアドレスはおそらく……カネレへと宛てられるものではない。そうセードーは感じたのだ。
セードーの指が、クルソルの送信ボタンをクリックする。
《―――♪》
一瞬、耳の奥で軽やかな音が鳴る。
鈴の音ではない。何かが跳ねるような、そんな音だ。
そして、セードーが瞬き一つ行い、気が付いた時には……世界が、がらりと変わって見えた。
「………」
頬を撫でる風が、足に感じる大地が、いま世界を照らす太陽が。
今五体に感じるすべてが、本物だとセードーは感じていた。
VRMMORPG、イノセント・ワールド。
驚くほどのリアリティで迫る、迫力の世界がこのゲーム最大の売りであるが……これはそんな生易しいものではない。
セードーの生きてきた十数年程度の経験では言い表すことのできない……世界が、今、眼下に広がっているのだ。
「……やはり、ここは……」
《シュルル……》
「っ!」
目の前に広がる世界に感嘆の吐息を吐いた時、耳元で何かが小さく鳴いたことに気が付く。
セードーは驚くと同時に右腕にかかっている重さにようやく気が付く。
いや、重さと言ってもそこまで重いわけではない。感じる重さは羽根のようなものだ。
だが、感触は右腕全体におよび、今も耳元で小さく鳴いている存在がいつの間にか現れていた。
セードーが首を巡らせると、己の肩辺りに鎌首をもたげた黒い蛇がいた。
「………」
《シュルル……》
セードーと目が合った蛇は小さく鳴きながら、舌をチロチロと出し入れする。
全身の鱗だけではなく、その瞳までも黒い。
その蛇と視線を合わせたセードーは、まるで宵闇を覗いたかのような感覚にセードーは襲われた。
おかげで、セードーはその蛇の正体に気が付いた。
「……お前は」
セードーがその名を呼ぼうとした時、そのすぐそばに旋風が舞い起こる。
「――ヤッハー! ごめんねセードー! 遅れちゃったー♪」
「――カネレか」
セードーは蛇から視線を離し、カネレを見やる。
いつものように陽気な笑みを浮かべたカネレは、ベロンベロンとギターを鳴らしながらセードーへと近づいてくる。
「いやー、めんごめんご! 昨日のアレが終わってから、色々調整があってねー! 呼ばれたらすぐ来るつもりだったんだけど、遅れちゃった♪」
「……気にするな。こんなにすぐに来てくれるとは思っていなかった」
セードーは軽く腕を組みながら、カネレの方へと改めて向き直った。
「それでカネレ……シャドーマン討伐の報酬の件だが」
「ああ、うん♪ 何にするか決まったー?」
「ああ。幾つか、質問に答えてほしい」
セードーの言葉に、カネレはギターを鳴らす手を止めずに首を傾げる。
「質問だねー? おっけーおっけー! けどいいの? 君が望むなら、とびっきり強力な遺物兵装をあげることもできるよ? 君が一番、ひどい目にあってると思うし……」
「ああ。武器ならすでに間に合っている。それよりも、頭の中に湧いた疑問を解消しておきたい」
セードーは瞳を鋭く細めて、カネレを見る。
「……どんな財宝もいらない。ただ、俺は、答えを知りたい……。俺の中にある、疑問の答えを」
「――OK。わかったよ、セードー」
カネレはそう言ってギターを一鳴らしする。
「……けど、僕にも分んないことはある! その時はそう答えるからね? それでもいいね?」
「ああ、それでもかまわない。おそらく、お前にわからないことではないはずだ」
セードーはカネレの返答を受け、小さく頷いてから己の胸の内にあった疑問を口にする。
「――イノセント・ワールド。このゲームは、本当によくできたゲームだ」
「………」
「世界の息吹を肌で感じることができ、道をゆくNPCたちはこの世界で本当に生きているように見える……」
セードーはカネレから視線を外し、眼下に広がる世界を見下ろす。
もはや雲より高い場所より見下ろす世界に、人の営みを見出すことはできないが……この世界にはたくさんのNPCが暮らしている。
人間はもちろん、エルフにドワーフ、獣人に死霊人、精霊や害のない魔獣もこの世界の住人だろう。
この世界で息づく彼らを、作り物であったと感じたことはセードーには一度もなかった。
「……そんな中で出会ったシャドーマン。奴と初めて出会ったのは……始まりの森だったか?」
「……ああ、そうだね。懐かしいよ」
セードーの言葉に、カネレはそう答える。
「そして次に出会ったのは、マンスリーイベント……覇王のアバターの中から、卵の殻を破るように生まれたな」
「あれには驚いたよぉ。ヒトカタを得るのに、あんな方法を使うんだもの」
「奴の噂を聞くようになってしばらくして、初めて相対した時には獣のような笑みを浮かべていた」
「うんうん、初々しかったよねぇ」
「そして、ほんの数日後には……人の子のように、笑うようになっていた」
「ああ、本当に……彼は大きくなったよね」
カネレは懐かしむように……厭うように、労わるように、ギターを鳴らす。
弦を爪弾く彼の指に、微かな悲しみが乗っているようにセードーは感じる。
そんなカネレを見つめながら、セードーは質問を続ける。
「まるで泥のような姿で現れ、人の殻を破りヒトカタを得て、最後には人のように笑っていた……」
「………」
「カネレ、奴は……いや、彼は……」
セードーは一拍置いて、こう尋ねる。
「彼は……この世界で生まれ、人の営みの中で育ち、そして俺が殺してしまった……正真正銘の、人間だったのではないか?」
「………」
「そして彼を育んだこの世界……ここは、俺の知る現実の中にもう一つ存在する……本物の世界なのではないか?」
セードーはまっすぐにカネレを見て訊ねる。
……その瞳の中にあるのは、強い確信の光。彼が抱いているのは、疑問ではなく確信。
セードーは、確固たる答えを持って、カネレに問いかけているのだ。
「………」
カネレはギターを鳴らす手を止め、静かにセードーを見つめる。
二人の間に、冷たい風が通り抜けてゆく。
……少しの間をおいて、カネレはゆっくりと口を開いた。
「……セードーは、さ。吸血鬼って知ってるかな?」
「……ブラム・ストーカーという作家の小説が原典となる、空想上の化け物だったか」
不意に、カネレの口からこぼれた化け物の名前に不審を覚えながらも、セードーは自身の知っている知識から答えを返す。
カネレはセードーの答えに、小さく頷く。
「うん、そうだね。もっと言えば、世界中のどんな国にも存在するおとぎ話……その中に数多く存在する、伝承の存在。流水の上を渡れず、姿かたちを千変万化させながらも鏡にその姿が写らない、血を吸う化け物……」
不意に、カネレが小さく首を傾げる。
「……ねえ、セードー。どうして吸血鬼は流水の上を渡れないのかな?」
「なに?」
「どうして、彼らは鏡に映らないのかな? 君は、その答えがわかるかい?」
唐突な、カネレからの質問。
セードーは首を傾げながらも、自分なりの考えを答えた。
「……そういう生態だからだろう。理屈は分からんが、彼らは水の上は渡れないし、鏡には写らない。そういう存在なのだろう?」
「うん、その通り。彼らはそういう存在だ――」
カネレは、笑みを浮かべる。
「――海の上を渡れないのは、その向こう側におとぎ話が伝わらないから」
「なに?」
「鏡にその姿が写らないのは、そこに実態は存在しないから」
カネレは、笑みを、浮かべる。
口角を吊り上げ、微かに歯を見せ、目元を細める。
それは、まぎれもなく、笑みだ。だが……。
「彼らはそこにいて、しかしどこにもいない」
「………」
「人々は、彼らのことを知っている……けど、彼らのことを見たことはない」
セードーの、背筋が凍る。
カネレが浮かべているのは、“笑み”だ。確かに、“笑み”なのだ。
だが、そこに意志はない。感情はない。心はない。
カネレが浮かべているのは……“笑み”、という名前の表情筋の形だった。
「吸血鬼っていうのはね……いわば、情報の塊。人が生み出した空想の存在……それを、最もわかりやすく表した化け物なんだよ」
「情報の……?」
「うん。例えば……体温、体重、身長、その他もろもろの、そこにいたのが人間であると確定できる情報が、人の形で構成される場所から検出された場合……そこには人間がいたと言えるでしょ?」
「ああ……まあ、そうだろうな」
「けれど、そこにあるのは情報だけだ。実態があるわけじゃない。だから、鏡には決して写らない。そうでしょう?」
「………」
セードーは口をつぐむ。
彼の言っていることを理解できるわけではないが……彼の言うとおりではあるのだ。
情報が……情報だけが、目に写ることはない。
吸血鬼が伝聞の中にしかいないのであれば、鏡に映らないのも海を渡れないのも当然。
彼らは……彼らを語ってくれる人間のいる場所にしか現れないのだ。
「科学が発達し、伝承の化け物たちが存在しないとわかり、人達の中に彼らの姿が現れることはなくなった……けれど、僕が生まれる土壌は作り上げられた」
「……?」
「大きく広大で、世界を覆うほどの広さを持つのに、決して人の目には見えない存在……。その大海には無数の情報が広がり、その深淵を覗けばわからぬことなど一つもないと言えるほどに深い場所……」
カネレは笑みを消し、完全に表情が抜け落ちた顔でその場所の名を告げる。
「“インターネット”。あらゆる情報が集まるその場所が……僕の、そして、この世界の始まりの場所なんだよ」




