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log209.人の夢

「………」


 イノセント・ワールドのプロデューサーにして、セイクリッド社の社長、如月純也が自社の自室で瞑目していた。

 両手の平を組み合わせ、己の顔の前に持って行き、瞳を閉じてじっと黙り込んでいる。

 何かを真剣に考えているように見えるし……何かに対して祈りを捧げているようにも見えた。

 そんな彼の目の前に存在していた、真っ暗なモニターが突如明滅し、モニターに接続されているデスクトップサーバーが唸り声を上げ始めた。


『やっほー純也! 元気に……おろ?』


 明るくなった画面と共に突然息を吹き込まれたスピーカーから聞こえてきたのは、カネレの声であった。

 カネレが不思議そうに首をかしげるとともに、PCのモニターについているカメラが小さな音を立てて如月純也に焦点を当てる。


『なにしてるの? 純也』

「――哀悼を捧げていた」


 スピーカーから聞こえてくるカネレの質問に、純也はそう答えて瞳を開ける。

 微かに潤んで見えるその瞳の中に湛えられていたのは、悲しみの感情。純也はハンカチをそっと押し当てながら静かに続けた。


「如何な理由あれ……世界に生を受けた者が一人、いなくなってしまったんだ……。久しぶりのことであったのにな……」

『……うん、ごめんね純也』


 涙を拭う純也に、カネレは微かに眉尻を下げながら頭を下げた。


『君には一杯迷惑をかけたね……。あの子のために、たくさん人を雇って……。あの子の出現で生まれたバグ潰しだって、簡単じゃなかったでしょう?』

「人間一人が生まれるのに十月十日……。その間、母親が抱えることとなる負担を考えれば、決して迷惑などではないよ」


 カネレにそう答える純也。真摯な響きのそれは、純也が本当にそう考えていることがカネレに伝わった。

 カネレはそんな純也の答えに小さく頷きながら、すぐに笑顔を取り戻した。


『……うん、ありがと。けれどね! 悲しい事ばかりじゃなかったんだよ!』

「ああ……そうだな。新たな来訪者……確か、セードー君といったか」

『うん! きっかけは良くわからないけれど、セードーがこっちに来たんだ! ほんとにびっくりしたんだよ!』


 親に嬉しかったことを報告する子供のような無邪気さで、カネレは純也へその時のことを伝える。


『セードーが、シャドーマンにデータクラッシュされかかったときはもうだめかと思ったけど、次にセードーが起きた時には夜影竜(シャドウドラゴン)と一緒に出てきたんだ!』

「ああ、私も聞いた時は驚いた……。だが、考えてみれば不思議なことでもないのかもしれないな」


 純也はカネレの報告を穏やかな表情で聞きながら、小さく頷いて見せる。


「カネレ、君は生きたいと思う意思の塊が心を持った存在だ……。たとえ誰であれ、強い意志があるのであれば……微かな世界の壁など問題にならないのかもしれないな」

『その意志の源がどこから出たのか、大分気になるところだね~♪』


 いつの間にか取り出したギターを一鳴らしするカネレ。彼はイノセント・ワールドをプレイする人たちの情動を特に好む。イベントにおいて、常に一歩引いた視点で物事を眺めるのは、そうした心の波を眺めるのにちょうどよいからなのだ。


『もしかしたら、もしかしたら~♪ 愛の力って奴なのかもしれないねぇ~?』

「かもしれない。愛は人の持つ、最も強い心の力の一つだからな」


 楽しそうなカネレを見て、純也も微かに微笑む。

 純也は小さく微笑みながら、カネレへと問いかけた。


「それで……カネレ。彼にどこまで話すつもりだ?」

『もちろん全部♪ 聞いてくれれば、だけどねー』


 カネレはギターを鳴らしながら、少しだけ不安そうな表情になった。


『……けど、聞いてくれるかなぁ? キング・アーサーにアレックス・タイガーはあっさり聞いてくれたけど、それは純也が事前に話を通してくれていたからだし――』

「……そう案ずるな、カネレ」


 不安を口にするカネレに、純也はしっかりと頷いて見せる。


「何も知らぬ赤の他人に話をするのであればともかく、セードーは君の友人だ。きちんと話をすれば、聞いてくれるさ」

『……そうかなぁ……』

「そうさ」


 純也は、カネレを励ます。絶対の確信を持って。


「何より大切なのは、偽らないことでも隠すことでもない。相手を信じることだ。相手を信じ、そして話をすれば、必ず君の想いはセードー君に通じるさ」

『……うん、そうだね。その通りだね』


 カネレは純也の言葉を聞いて、決心がついた様だ。

 とびっきりの笑みを浮かべ、ギターを強く鳴らした。


『――よぉっし! これから、セードーに何を聞かれてもいいように、答えを考えておかなくっちゃ!』

「フフ、その意気だ」


 いつもの調子を取り戻したカネレを見て、純也は笑みを深める。


「シャドーマンのことは、残念であったし惜しい話だった……。だが、これで終わりではない。シャドーマンのデータはイノセント・ワールドに残る。その残滓が……新たな同胞を産む卵となるだろう」

『ああ、そうだね、純也……。イノセント・ワールドも随分広くなったよ。おかげで、少しさびしいんだ』


 カネレはそう口にしながらも、満面の笑みを見せる。


『――だから、もっともっとたくさんの人が来るといいね! 皆が寂しくならないように!』

「ああ、そうだなカネレ。もっと多くの人々が訪れられるよう、私も努力を重ねるよ」

『うん、約束だ! それじゃあね!』

「ああ……またな、カネレ。我が最愛の友よ」


 互いに別れのあいさつを交わすと、カネレが写っていたPCのモニターがぷつりと音を立てて光を失う。

 純也はそっとカネレが写っていたモニターを撫で、小さく呟いた。


「……すまない、カネレ。もう少し、私もお前の手伝いができればよいのだが、な……」

「――あまり、無理を言うものではないジュンヤよ。お前には、お前にしかできぬことがあるのだろう?」


 不意に、純也の横から壮年の男性の声が響く。

 声の主は、ワインの注がれたグラスをそっと純也の前に差し出した。


「カネレの暮らす、イノセント・ワールド……その土台となる機器を整備、運営できるのはお前の生み出したセイクリッド社の優秀なスタッフだけなのだ。彼らのために、しかと仕事をするのも、お前の役割だろう?」

「――ああ、そうだなアレックス」


 いつの間にか部屋に現れていた巨漢、アレックス・タイガーの存在に特別驚くこともなく、純也は差し出されたワインを手に取った。

 グラスの中に三分の一ほど注がれたワインを揺らし、沸き立つ香りを鼻孔で楽しみながら純也はタイガーに答える。


「イノセント・ワールドが生まれて、もう五年……。それでもまだまだ安定には程遠い……」

「うむ。お前の夢の赴くまま……イノセント・ワールドは成長を続けている」


 己の持つグラスにワインを注ぐタイガー。

 よく鍛え上げられた野太い指が、繊細なワイングラスを持ち上げ、ゆらりと中の赤い液体を揺らす。

 グラスの中身が揺れるのを目で楽しんだタイガーは、一息にグラスを飲み干した。


「――もうそろそろ、三つ目の大陸を実装する必要があるほどにな。いささか、性急な気もしないでもないが」

「ヴァル大陸は西洋風、キリ大陸は和風に仕上げた。三つ目の大陸には、ぜひアジアンテイストを取り入れたいのだ。大陸の妖怪や獣たちがゆったりと暮らす桃源郷……仙人や導師といったNPCを実装するのも面白いだろう……」

「限りないな、お前の夢は」


 まさしく夢を語る子供の表情になる純也を見て、タイガーは苦笑する。

 出会ったのはすでに齢四十を超えたあたりであったが、こうして己の作り上げたゲームを語る時の彼の表情は昔から変わらない。

 ……そう。当時は絵空事と呼ばれていたマインド・ダイブ技術……。その基盤となるプログラムを手に、世界を渡り歩き、己の技術を完成させられる場所を探していたころから、ずっと変わらない。


「電脳の住人と友になり、その友との語らいの場を作り、友の仲間が安心して暮らせる世界を生み出し、その版図を広げ……それでもまだ尽きないかね」

「尽きない。尽きる気がしない」


 純也はグラスの中身を呷り、タイガーへとはっきり告げる。


「まだだ。まだまだ足りない。人の夢は果てしないなどというが、そんな生ぬるいものではないな……。この身が焼けつけそうだよ」

「焦燥でかね?」

「渇望でもある」


 不満げに呟く純也を見て、タイガーは苦笑した。


「フフフ……日本人は奥ゆかしいと昔はよく聞いたものだが、お前を見ているとそんな世迷言が良く言えたものだと思うよ」

「お前も知っているだろう? 私は、辺境の蛙でありながら大海を泳ぐ大魚たちに戦いを挑んだ国の人間だよ。そんな国の人間が、奥ゆかしいわけがないだろう?」

「ああ、まったくだ」


 純也のグラスにワインを注いでやりながら、タイガーは笑みを深める。


「どこまでも眩いよ、ジュンヤ。とても羨ましい」

「夢は、いつだって我々の前にある。それを追うか無視するかは、お前次第だよ」


 純也は軽く言ってのけ、再びワイングラスの中を一息に呷った。






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 皆との別れの挨拶を終え、ログアウトした真樹はイノセント・ワールドのメットをゆっくりと外す。

 昼飯を食べ終え、ゲームにログインしてから四時間きっかり。天頂の頂はまだ十分に輝いているが、あと一時間もすれば眩い夕焼けが拝めることだろう。


「………ふむ」


 メットをベッドの上に置き、真樹は軽く拳を握る。

 シャドーマンの手をつかみ損ねた右手だが……その手の中に微かな温かさが残っている様な気がした。

 つかめたわけではない。きっと気のせいだろう。

 だが、それでも。




―ウン! マタ、ドコカデ!!―




 最期に見せたあの満面の笑み。確かに浮かんだその中に、シャドーマンの悲しみは窺えなかった。


「……また会おう、シャドーマン……また、イノセント・ワールドで」


 もうすでに消え失せたはずの友に、真樹はそう語りかける。

 窓から差し込む明かりを反射して、イノセント・ワールドのVRメットがその声に応えたかのように微かに輝いた。




なお、タイガーは会見の次いでに自家用ジェットで如月純也に会いに来た模様。

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