log202.猛攻
吹き荒ぶ風が頬を撫でる。冷たい夜風が体温を奪い、今にも頬が切れてしまいそうだ。
今、両足で立っているアバロンの屋上は今にも崩れそうなほどにグラグラと揺れている。少しずつ、アバロンが降下しているせいだろうか。落下しているときの独特の浮遊感が、臓腑の奥を微かに浮かせている気がする。
「………」
ゆっくりと目を開いたセードーは、そのまま天上を見上げる。
満天の星空の中にぽっかりと浮かぶ月。
柔かな月光が、自身の眼を微かに刺激する。
ゆっくりとはいた息は、気温が低いせいなのかあっという間に冷え、白い湯気のようになって自分の口元からこぼれていった。
「―――………」
世界が、近い。
セードーはいつになくそう感じた。
イノセント・ワールドというゲームは、極めてリアルな世界であると、ログインした当初から感じていた。
体に感じる風も、空へと跳んだ時に感じる体の重さも、日の光を浴びた時の暖かさも。
どれもこれも、現実のものとそん色はないと感じていた。
だが、今は違う。
現実とそん色がないどころの話ではない。
今セードーが感じている感覚は、まさに現実そのものだった。
「………」
言葉にするのは難しい。だが、決定的な違いがある。
それがいったい何なのか、セードーにはわからなかったが。
「シィィィ!!」
脅威は、それを考える間を与えてはくれない。
シャドーマンが咆哮と共に拳を振り上げ、殴りかかってきた。
打ち下ろすように放たれたシャドーマンの拳。
「――シッ」
セードーはそれを中段受けで捌く。
右手を左肘下から潜らせるように振るい、体の脇へとシャドーマンの拳を流す。
そうしてがら空きとなったシャドーマンの胴体に。
「チェストォォォォ!!」
「―――ッ!?」
セードーの正拳突きが突き刺さる。
五指を固く握りしめ、突き放ちながら螺旋を描く。
空手の門を潜れば一番、最初に習い、全ての空手家が必殺の技として持つ技術の一つ。
「バカでも一日一万回、同じことをしていれば強くなれる」などといったのは誰かわからないが……確かにその通りだとセードーは感心したものだ。
もっとも基本的であるが故……もっとも修練を重ねる技。
それが、空手の正拳突きなのだ。
「………!」
セードーの拳が突き刺さった腹を抑え、シャドーマンが勢いよく後方に吹き飛ぶ。
人中やや下。急所とは言い難いが、それでもセードーの突きは十全な威力でシャドーマンを打ち据えた。
「……」
セードーはシャドーマンをすぐに追わず、そのまま前羽の構えを取った。
今のシャドーマンはどんな技を繰り出してくるかわからない。迂闊に仕掛ければ、自滅もあり得る。
シャドーマンは攻撃を喰らった腹を抑え――。
「……え?」
そのまま、膝をついた。
その顔は苦悶の表情を刻み、今にも脂汗が浮かび上がってきそうだ。
驚いた声を上げたエタナが、そのままクルソルでシャドーマンの姿を撮った。
「ど……どういうことでしょうか? 今までシャドーマン、あんなモーションとったこと……」
「痛がる……ということは、ダメージが入ってるということでしょうか……?」
エールを適当な場所に下し、キキョウは棍を構え直しながらシャドーマンの様子を窺う。
今までにないシャドーマンの行動に、戸惑いを隠しきれない。
今までのシャドーマンなら、攻撃を受けても余裕の表情で立ち上がり、すぐにセードーに殴りかかる位はしてきた。
それが、痛みに耐える様に膝を突くなど……。
理由は不明。だが、これはチャンス。
「―――!!」
シャドーマンが膝を突き痛みを耐えているのを見て、セードーは一気に踏み込んだ。
「っ!?」
セードーが地面を蹴る音を聞き、シャドーマンが慌てて顔を上げる。
そうして顔を上げたシャドーマンの顔面に、セードーのつま先が突き刺さった。
「チェリャァァァァ!!」
両手を前に大きく突きだし、それから拳を握りながら素早く引く。
その反動で下半身を前に出しながら、敵の体につま先を叩き込む。
空手の蹴り技の中で、おそらく最大のリーチを誇る技、前蹴り。
達人ともなれば、分厚い木板さえ真っ二つにする一撃が、シャドーマンの顔面をぶち抜いた。
「―――っ!?」
声もなく吹き飛ばされるシャドーマンの体。
大きく仰け反り、首から下が意に反した行動に力なく引っ張られる。
血の代わりにデータの破片を撒き散らしながら、シャドーマンの体は頭から落下した。
セードーはそれを追い打つように駆けだす。
「チィィィ!!」
「―――!!」
鋭い気勢を耳にし、シャドーマンが慌てて立ち上がる。
そうしてシャドーマンは巨大な熊の手を召喚しセードーを貫こうとするが、一瞬早くセードーはシャドーマンの間合いの内側に踏み込んだ。
「フッ!」
右手に左手を添え、薙ぐように振るわれた熊の手を弾きながらシャドーマンに接近し、セードーは膝頭をシャドーマンの胸へぶち込んだ。
「チェイ!」
「ゴフッ!?」
くの字に折れ曲がるシャドーマンの体。
セードーはさらに手刀を構え、シャドーマンの後頭部に遠慮なしに振り下ろした。
「チェストォォォォ!!」
「っ!」
振り下ろされた手刀はシャドーマンの頭部を捉え、その体を地面へと叩きつける。
アバロンの地面が砕け、その中にシャドーマンの頭がめり込んだ。
セードーはそこで一歩下がり、残心を残しながら腕を大きく払う。
「シッ!」
「………」
下段払いを繰り出すセードーの姿を眺めながら、カネレが信じられないような表情でつぶやいた。
「……セードー、が……あれは、降りてきてる……? そんな、きっかけは? 一体、どうやって……」
「纏っているオーラは、<闇>属性……確か彼、夜影竜由来のアクセサリーを装備しているのでしょう? なら、夜影竜が手を貸したんでしょう」
油断なくシャドーマンを睨みながら呟くエイスの言葉に、カネレはゆるゆると首を振った。
「そんな……だって、まだ一年の付き合いもないはずだよ!? それが、なんでこんなに早く!? キング・アーサーだって、二年はかかってるのに……!」
「私にわかるわけないわ! けど、事実として彼は今、この世界にいる!」
エイスは叫び、カネレの胸ぐらをつかみ上げる。
「目を覚ましなさい……! あんたは、どっちを選ぶの!? 今しがた、この世界へやってきた来訪者と、この世界に生まれ落ちた出来そこないと!」
「……僕は……」
エイスの言葉に、カネレは小さく呟く。
微かにうつむき、カネレは瞳を揺らす。
迷いを写し込んでいたかのような瞳は、やがて一つの決意を宿し光を取り戻した。
「……そうだ。来て、くれたんだね。セードーも、この世界に……」
「――なら、あんたのやることは?」
「――そんなの、決まってるよね!」
カネレはいつもの笑みを取り戻し、取り落としていたギターを拾い直す。
そして弦を力強く爪弾き、セードーへと声をかけた。
「ごめんねセードー! 援護が遅れたことは許してちょうだい!」
「カネレか。元より期待していない」
「速攻で戦力外通告ktkr! 辛辣でない!?」
オーバーリアクションを返すカネレの方を見向きもせず、セードーは拳を握りしめる。
「お前が戦ったところを見たことがないからな……。一度ブレスを吐いたのを見たきりだ。戦えるのか?」
「ノープロ! ……って言えればよかったんだけどねぇ」
カネレは苦笑しながら、ギターを鳴らす。
「――けど問題ないよ! 僕応援する人、君戦う人!」
「そうか」
セードーは小さく頷き、そのままカネレへと問いかけた。
「――ところで、カネレ。今、俺の拳はシャドーマンに届くか?」
「――それこそ問題ないよ」
セードーの問いに、カネレは小さく微笑んで答えた。
「君は、今、ここにいる。この世界にいる君の拳が、シャドーマンに届かないはずがないだろう?」
「――なるほど。了解した」
セードーは力強く微笑み、跳ねるように起き上がったシャドーマンへと追いすがる。
「ならば、今こそが勝機! このまま討ち取らせ貰うぞ、シャドーマン!!」
「クッ……!」
シャドーマンは呻き、何とかスキルを発動してセードーとの距離を取ろうとする。
だが、カネレがギターを鳴らすたび、微かなノイズと共にシャドーマンの姿は揺れ、結果として何も起こらなくなってしまう。
「ハッハー! やらせないよぅ!?」
「――!!」
「よそ見とは余裕だな!」
シャドーマンはカネレを睨むが、その隙を突き一瞬でセードーが間合いを詰める。
「―――!?」
「オオオォォォォ!!」
転移する間すら与えず、セードーはシャドーマンを一気に追い立てる。
肘打ち。裏拳。正拳。
放たれる技の数々が、シャドーマンの全身を打ち据えてゆく。
シャドーマンにセードーの一撃が決まるたびに、その体にはノイズが走り、データの欠片が破片のように飛び散った。
それを見て、カネレは拳を握りながら確信の声を上げる。
「いける……! 今のセードーなら、シャドーマンのコアにもダメージが入ってるよ……! あとは僕がジャミングしていけば、シャドーマンを殺しきることができる……!」
「だったら手を止めるな! 次にあいつがなにをするか、わからないんだから!」
「ぎゃぁん!? ギター叩かないで!」
エイスはカネレのギターをひっぱたきながらそう叫ぶ。
泣き声を上げるカネレを無視し、エイスはシャドーマンを睨みつける。
一方的に攻めたてられているように見えるシャドーマンだが、まだ完全に怯み切っているわけではない。
シャドーマンの顔に、まだあきらめの色は出ていなかった。
「まだ何か残してる……。それは間違いない」
エイスのつぶやきは、ほどなくして現実のものとなる。
「――シャァァァァ!!」
シャドーマンは咆哮と共に、セードーへ勢いよく蹴りを放つ。
不自然な体勢から放たれた蹴りは、不十分な威力であった。
だが、セードーはその蹴りを躱すため一歩下がった。
シャドーマンには、その一歩があれば十分だった。
「――マダ、シナナイ!! オレハ、シナナイィィィ!!」
シャドーマンは叫びながら、勢いよく真上へと飛び跳ねる。
月光を背負い、シャドーマンは次の瞬間―――。




