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log161.覚悟

 セードーとの決闘から数分後、ミツキの持っていた蘇生処置により早めに復帰したウォルフは、何を言うでもなく膝を抱えて丸まっていた。

 負けたのがよほどショックだったのだろうか。それとも別の理由からだろうか。

 そんなウォルフの様子が鬱陶しいのか、サンは呆れたような表情で椅子に腰かけたままウォルフに声をかける。


「何じめじめしてんだよ鬱陶しい。お前が負けるのなんざいつものことじゃねぇか」

「じゃかましい、だぁほ」


 サンの言葉にウォルフは返事を返すが、いつになくその声も弱々しい。

 めんどくさそうに頭を掻きながら、サンはさらに言葉を続けた。


「大体にしてさぁ……あんなセードーに勝てると思う方がおかしいんだよ。ありゃ本物の殺し屋だよ。その気になりゃ、お前なんか瞬殺されてポイ捨てされちまうよ。比喩じゃなく現実にな」

「うっさい。ワイかて殺す気でやってんやぞ。それでなんで勝たれへんのや……」

「そんなもんお前覚悟の違いだろうがよ。セードーとお前じゃ、殺す覚悟ってのが違うんだろ」

「なんでや! 何が違うんや、あいつとワイと!」


 膝を抱えたまま、ウォルフは訴える様に叫んだ。


「あいつは山籠もりだなんだしとったかもしれへん! 鍛え方も違うかもしれへん! せやけど、こんなあっさり負けるとかどういうことやねん……!」

「だからレベルの違いだろ? お前とセードーじゃ、いろいろ違うんだろうよ」

「それは……どうかしらね?」


 ウォルフのためにホットミルクを用意してやったミツキは、彼の傍にコップを置いてやりながらサンの言葉に反論する。


「私から見たら、セードー君とウォルフ君にそこまで力量差があるとは思えないんだけれど……」

「そーかなー? なんつーか、セードーの方が玄人の雰囲気醸し出してね?」


 サンは小さく首を傾げる。

 少なくとも、先の一戦だけ見れば確かに彼女の言葉も頷けよう。

 あれだけの鬼気を発せられるセードーを、誰も素人だなんて言うまい。

 だが、ミツキはサンの言葉に再び首を振る。


「何も、雰囲気ばかりがすべてじゃないでしょう? ウォルフ君、セードー君との決闘戦歴はどう?」

「………百戦やって五十勝五十敗……」


 クルソルも見ずに、ウォルフは答える。決闘に関連する事柄に関しての彼の記憶力は目を見張るものがある。

 好きなものや事には全力を注げるタイプなのだろう。おかげでそれ以外は疎からしいが。

 ウォルフの返答を聞き、ミツキは小さく頷いた。


「ほらね。戦績は嘘をつかない。少なくとも、二人のポテンシャルはほぼ同じもののはずよ。もちろん、細かい部分は違うかもしれない……。けど、そう言った部分も含めて二人の実力はバランスが取れてると私は思っているわ」

「でもさっきは負けてたじゃん」

「ええ、そうね。それは……サンの言った通りに、ウォルフ君とセードー君の覚悟の差、というものなんでしょうけれど……」

「覚悟の差てなんやねん……。ワイかて殺すつもりでやってんぞ! あいつも同じやったら、なんでワイはあいつを殺されへんねん!」

「――それじゃあ、同じじゃないと思います」


 静かにミルクを飲んでいたキキョウが、ウォルフの言葉に小さな反論を返した。


「ウォルフさん。殺す覚悟では、セードーさんに並ぶことはできないと思います」

「……どういうことやねん」


 キキョウの反論に、ウォルフが牙を剥きだしながら問いかける。

 今にも相手の喉笛に喰らい付きそうな雰囲気のウォルフを前に、キキョウは静かに言葉を続けた。


「これは祖父の受け売りですけど……そもそも、殺すという行為に覚悟はありません」

「……なんやと?」

「殺すこと……相手の未来を、人生を、可能性を……あらゆる全てを奪うだけの行為に、覚悟なんていらないんです。死は全てを閉ざす、最悪で最低の可能性。そんなものに頼ること自体、覚悟のない行為なんです」


 訥々と語るキキョウの瞳は、暗い。

 目の前に横たわる何かを見据えるその眼差しは、ひどく濁って見える。

 何を見据えているかわからないその瞳が、ウォルフの方へと向けられる。


「ウォルフさん……覚悟なき行為に必要な覚悟とはなんなのか……貴方にはわかりますか?」

「………ッ」


 キキョウの瞳と静かな問い。投げかけられたそれに、ウォルフは微かに身震いする。

 先のセードーと対峙した時のそれによく似た……しかし若干異なる気配。

 その正体はわからず、ウォルフは反射的に首を振った。


「……知るかい、そんなん。そもそも矛盾してるんやんか、そんなん」


 誰かを殺すのは覚悟のない行為だと、キキョウはそう言った。

 だが彼女はウォルフにこう問うた。“覚悟ない行為に必要な覚悟”と。

 彼女は自身の前提を、自分で否定しているように見える。

 不審を露わにするウォルフに、キキョウは静かに答えた。


「……矛盾してませんよ。殺すことそのものに覚悟はありません。それを実行した後に必要な覚悟があるんです」

「……なんや、それは」


 意味が解らないと言った風情のウォルフに、キキョウは答えた。


「それは、殺される(・・・・)覚悟です」

「……は?」


 ウォルフはやはり意味が分からないという風に首を傾げた。

 殺すのに、殺される覚悟とはどういうことだろう。

 死中に活を見出すと言った、心構えの話だろうか。

 キキョウは、混乱するウォルフに問いを重ねた。


「……弱肉強食の世界で、ライオンが他の肉食獣を殺すことはしません。どうしてだと思いますか?」

「どうしてって、肉が食われへんからやろ。肉食の獣の肉なんぞ、筋張って食われへんやろ?」

「いいえ、違います」


 ウォルフの答えにキキョウは首を振り、そして答えを口にした。


殺される(・・・・)からです。捕食者に狙われた肉食獣たちに、殺されてしまうことを知っているんです」

「……は? なん……いや……」


 キキョウの答えに一瞬戸惑うウォルフだが、すぐに察する。

 確かにその通りだろう。逃げることしかできない草食獣と違い、肉食獣には牙も爪もある。食われそうになれば、逆に食い殺さんと自らの武器を剥くだろう。

 そうして殺し殺され、食い食われ……その果てには何が待つのか。隙を見れば殺されてしまう、そんな未来に何があるのか。


「知っているんです、獣たちは……。殺せば、殺されることを。知らないのは、人間だけなんです……。人間だけが、殺すんです。殺される覚悟を……死ぬ覚悟もなく同族を殺すのは……」

「………」


 キキョウの言葉に、ウォルフは黙り込んでしまう。

 ……彼女の言うとおり、自身は殺すつもりでかかったが、殺されるつもりはなかった。

 殺すのだから、殺されることなどないと思っていた。

 だが、セードーは違ったのだろうか? 殺される覚悟があったのだろうか?

 その差が、先の一戦を決定づけたのだろうか。


「セードーさんは……きっと知ってるんです。殺す自分が殺されることを」

「……殺される、か。そういや、前に会ったことのある傭兵のおっさんが言ってたっけ」


 サンが何かを思い出し、ポツリと溢す。


「“こんな仕事、死んだも同然だ”って……。あのおっさん、知ってたのかな。自分がいつか殺されるかもしれないって」

「武人であれば、時として命のやり取りもあり得る……。ならばその覚悟なく、真剣勝負の場には立てないということかしらね……」


 ミツキが遠い眼差しで小さく呟く。

 彼女らの言葉を聞き、ウォルフは俯く。


「武人として……いつか殺されるかもしれない……」


 そんな未来など、想像したことさえなかった。

 自身が学ぶボクシング。薄い皮とワタを詰めたグローブを身に付け、互いに防具など身に付けず殴り合うスポーツ。

 だが時として死者さえも出る、激しさと危険をはらんだスポーツだ。

 自身の通うジムのコーチも、ウォルフの迂闊さを良く注意したものだが、彼は見たことがあったのだろうか? ボクシングを続け、その果てに命を落とす者を。


「………」


 ウォルフは俯き、胡坐をかく。

 そして想像する。自らが、いつの日か、誰かに殺されるかもしれない未来を。


「………」


 だが、わからなかった。そもそも、殺されるという感覚が。自分が死ぬという感覚が。

 いつの日か死ぬ日が来るのだろうか?と眠るときにぼんやり思うことはあった。だが、その日が今日に明日に来るなどと、想像がつくはずがなかった。

 ウォルフは普通に生まれた普通の家の子供なのだ。生死と隣り合わせの戦場も、弱肉強食の掟のあるサバンナも縁遠い場所だ。

 自らが死ぬかもしれない可能性など、想像の外なのだ。


「……アカン……」


 だが、それではだめなのだ。

 少なくとも、セードーのあの鬼気の源は覚悟なのだ。キキョウの言う殺される覚悟なのかもしれないし、あるいはまた別の何かなのかもしれない。

 しかし、あのセードーに並ぶには……自身も覚悟を決めねばならない。

 覚悟なく、武人として、命のやり取りなどできないのだ――。


「―――ぁ」


 そんなウォルフの脳裏に、ふとある日の情景が蘇る。

 自身がボクシングを志すきっかけとなった、恩人の背中。

 自身の生涯の中で、何よりも輝かしいと言えた瞬間の、彼の言葉が。






“ボクシングは紳士のスポーツなのさ! 何故なら―――”






「……そうや。せやった」


 ウォルフは思い出した。ボクシングというものを。

 すっと立ち上がったウォルフは、まっすぐにバーの出口へと向かう。


「……? おい、どこ行くんだよ?」

「セードーんとこ」


 サンの問いに短く応え、振り向くことなく扉に手をかける。


「ウォルフ君? どうするつもり?」


 ミツキはウォルフを引き留めるように声をかけた。

 扉に手をかけたウォルフは一瞬だけ止まり、短く応えた。


「……このままでは終れへん。それだけです」


 そして、扉を開けてウォルフは外へと出て行った。

 しばし三人は沈黙し、まずサンが乱暴に頭を掻き毟った。


「っだー……! あの馬鹿、またやらかす気じゃねーの!?」

「まあ……そうでしょうね」


 やれやれとため息をつきながら、ミツキは立ち上がる。

 同じように立ち上がりながら、キキョウは二人に問いかける。


「でも、ウォルフ君……少し変わりませんでした? なんていうか、棘が抜けたっていうか……」

「……そうね」


 キキョウの言葉に、ミツキは同意するように頷く。

 少なくとも、さっきのウォルフにはセードーへケンカを売った時のような険をはらんだ気配はなかった。

 むしろ……何かに気が付いたような清々しい雰囲気がさえ漂っていた。

 ……だが、先ほどまでの様子を考えれば放っておくわけにもいかない。


「だとしても、放っては置けないわ。無理に止める必要はないけど、追いかけましょう」

「はい!」

「ほっといてもいいんじゃねぇの……? まあ、いいけどさ」


 ミツキは、キキョウとサンを伴ってウォルフを追いかけた。




なお、ウォルフの恩人はウォルフの師匠というわけではない模様。

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