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log154.殺意

 緩やかに、イノセント・ワールドに夜が訪れる。

 先ほどまでは痛いほどの晴天であったが、今や宵闇の月光の身が辺りを照らす光となった。

 昼夜の時間が安定しないこの世界では珍しい事でもない。夜の間にダンジョンに入って十分で朝が来ることもある。

 だが、エイスにとっては好ましくない。シャドーマンと戦っている今、夜の帳が訪れてしまうのは。


「うぐ……くぁぁ!!」


 エイスは叫び、魔法を放つ。

 いくつもの氷柱がシャドーマンを狙い、解き放たれる。

 だが、その一撃はシャドーマンに届かない。

 大半は近すぎるが故に狙いが外れ、そして当たっていたはずのいくつかはシャドーマンの攻撃によって打ち砕かれる。


「―――シィ」


 シャドーマンが笑みを浮かべ、エイスへと一気に接近する。

 エイスは歯を食いしばりながら握ったグラディウスを振るった。

 彼女は魔法剣士(マジックナイト)と呼ばれるプレイスタイルを持つ。早い話が魔法と武器による近接戦闘、双方をこなすことのできる万能型(マルチプレイヤー)という奴だ。

 このゲームを初めてプレイしたプレイヤーの大半が、まずこの形に落ち着くと言われている。理由は単純、何でもできるゲームであるが故に、何もかもが半端なスタイルに落ち着いてしまうのだ。

 このゲームは、武器も魔法もそれなりに強力だ。そしてどちらにもチュートリアルがあり、その強力さを十全に体験することができる。そのため、何も知らず、何も考えないとだいたいどっちつかずのスキル構成に至ってしまうのだ。そうしたプレイヤーはフリーター、などと呼ばれることもある。

 だがそれもLv50未満の話。Lv50を超えると、スキルを習得したり強化するためのSPを手に入れるための機会が豊富に用意される。それらを駆使し、武器も魔法も鍛え、極めた果てに手にすることができる称号が、魔法剣士(マジックナイト)なのだ。

 ――そして、エイスは現イノセント・ワールド内において、唯一の魔法剣士(マジックナイト)のトッププレイヤー。無詠唱で発動する魔法は強力で、その剣の腕もかなりのものだ。

 ステータスやスキルLvも込みで、その辺りにいる程度の一般剣士プレイヤーでは太刀打ち出来ないほどにその技は冴えている。


「くぅぅ!」


 だが、彼女の腕はあくまで一般プレイヤーであれば下せる程度でしかない。それもステータスやスキルLv込みで、だ。

 彼女の剣の腕前は……どこまでいっても一般人のものでしかない。

 対し、シャドーマン……。ステータスがどれほどのものなのかははっきりとしないが、その空手の腕前はセードーに似ている。本式の空手と比べて若干崩した感のある、外法式無銘空手……。その流れるような連撃は、エイスの捉えられるレベルではなかった。


「ニィ……!」

「うぁ……!?」


 次々と突き入れられる拳。

 一発目はグラディウスの側面で受け止められたエイスであるが、二発目以降が凌げない。

 一発は肩に、一発は胸に、そして一発が腹に叩き込まれる。


「ぐ、お、ご……!?」


 エイスの纏っているまともな防具は胸部鎧(ブレストプレート)のみ。肩と胸への一撃は何とか受け止めきれたが、腹への一発はまともに喰らってしまった。

 一応、着ているドレスは魔法装甲持ちの逸品であったが、武道家の拳の直撃を受け止めることを想定したものではない。

 相手の攻撃をかわすための軽装が、仇となった。ゴア表現OFFの拳が、エイスの臓腑を抉る。

 ダメージも痛みもないが、衝撃が内臓を打ち据える。


「が、が……!」


 エイスは痛みから逃れる様に後ろへと飛ぶ。

 それを追い打つべく、拳を固めたシャドーマンが一気に迫る。

 不気味なほどに深い笑みを浮かべたシャドーマンの表情を前に、エイスの顔は苦々しく歪む。


(殺す……殺す、殺す………!!)


 その思考は、全身に受けた衝撃のせいで朦朧とし始めている。

 シャドーマンを殺すことしか考えられず、必死に敵に向けて放つスキルを選択しようとする。

 だがしかし、後ろへ飛ぶ刹那の間にそれらを為し終えることは叶わず、シャドーマンの拳はあっという間にエイスへ迫る。

 ――その時だ。誰かが、彼女の背中を支えた。


「!?」


 一瞬、エイスの心臓と時間が止まる。

 まるで逃さぬと宣言するかのように、彼女の背中を支える厚い掌。エイスの体はそれ以上下がることができなくなり、目の前にはシャドーマンの拳が迫る。

 このままでは、逆にシャドーマンに殺されてしまう。

 いったい誰が? そう考えるエイスの耳に、低いつぶやきが届く。


「―外法式無銘空手―」


 その呟きを前に、シャドーマンは大きく目を見開いた。

 シャドーマンが拳を止めることはない。だがそれはもはや問題にもならなかった。

 次の瞬間、まるでエイスの体をすり抜けたかのように現れた硬い拳が、シャドーマンの腹を強かに打ち据えたからだ。


「!!!」

「―壁貫―」


 鋭い正拳突きの構えを取ったセードーは、吹き飛ぶシャドーマンへの残心を残す。

 エイスは突然現れた彼の背中を前に呆然となり、もう一人接近する者の存在を感じることができなかった。


「――さて、ミス・エイス。バトンタッチだ、下がりたまえ」

「なっ……!?」


 気配を消して近づいてきたブルースがエイスの背中を引きずり、そして瞬く間に抑え込んでしまう。

 ロープまで使って縛り上げられてしまったエイスは、影になって見えないブルースに向かって大声で叫んだ。


「な、なにをするのよ!? 離しなさい! あいつは、あいつは私が……!!」

「黙って見ていたまえ、ミス・エイス。もう君の出番は終わったのだよ」


 ブルースはエイスに冷たく告げ、うつ伏せにした彼女の背中に腰掛ける。


「うぐ……!」

「失礼。女性に対する扱いではないが……こうでもしなければ、君は勝手に手を出すだろうからねぇ……」


 ブルースは少しも詫びる気配を見せず、口だけそう告げセードーの背中を見やる。


「邪魔させはしないさ……。彼と、彼の戦いには……ね……」

「何をわけのわからない……! 退け! 退けぇぇぇぇぇ!!」


 エイスは叫んで必死に体を動かすが、ブルースがその上から退くことはなかった。

 ――セードーはそんなエイスの必死の叫びを聞きながらも微動だにすることはなく、シャドーマンをじっと睨みつけていた。


「………」


 拳は固く握りこむ。ギリッ、と皮が絞られる音がする。

 セードーの一撃を受けたシャドーマンは、打ち据えられた腹を押さえ、膝を突き俯いている。

 シャドーマンに向かい一歩進み、セードーは口を開いた。


「――やはりな」


 シャドーマンはセードーの声を聞き、顔を上げる。

 にやりと浮かんだ不気味な笑みを見て、セードーは確信を得たように一つ頷いた。


「その気配、その表情……貴様、この間姿を見た妙なモンスターだな……? アーヘリアの体から出てきた」

「―――ニィ」


 肯定するように笑みを浮かべ、シャドーマンはゆらりと立ち上がる。

 立ち上がり、自身も拳を固めるシャドーマン。

 月明かりの中立ち並ぶ二人の姿は、まるで鏡写しのようにも見える。

 たなびくマフラー、伸びる影、拳を固めたその構え……。何も知らないものが見れば双子か何かのように見えるだろう。

 だが、その表情は決定的に異なる。


「………」


 静かにシャドーマンを見据えるセードーの表情は、まるで氷のようだ。

 その顔になにがしかの表情が浮かんでいるわけではない。表情筋は動いておらず、いつものセードーのままだ。……しかし、裏に潜んでいるその感情は刃のように感じられる。

 まるで鋭く薄く研ぎ澄まされた刃のような強い感情が、セードーの体から緩やかに放たれているのが遠目にもわかる。


「―――ニィ」


 そしてセードーに正対するシャドーマンはどこまでも愉快そうであった。

 浮かべた笑みはより深く。裂けたかのような口は三日月を浮かべ。

 誰が見てもわかるほどに、愉快に、楽しそうに。目の前のセードーをまっすぐに見つめていた。

 セードーはそんなシャドーマンに向けてゆっくりと口を開く。


「――シャドーマン。今そこにいるのが俺の不徳であるというのであれば、俺から言うべき言葉は一つだけだ」


 セードーは一拍空け、そしてはっきりとシャドーマンに宣言する。


「――貴様を殺す。シャドーマン……」


 同時にはっきりとセードーの表に出る、強い感情……。

 それは、殺意。

 冷気にも似た、鋭く薄い刃のような感情。

 それがブルース、エイス、そしてシャドーマンの元へと届く。

 うつぶせに倒れたままのエイスは、セードーの言葉を聞き、小さく体を震わせた。


「―――なによ、これ」


 自身が口に出し、シャドーマンに向けていた殺意(それ)とはまるで違った。

 セードーの殺意(それ)はどこまでも鋭く、どこまでも深く……そしてどこまでも暗い。

 自身がシャドーマンに向ける殺意(それ)とはまるで比べ物にならない……。

 初めて感じる未知の殺意(それ)を前に、エイスは自身の無知を恥じる様に唇を引き結んだ。


「嗚呼……これ、いい……」


 ブルースは、はっきりとだれが見てもわかるほどに恍惚とした表情で、セードーの背中を見つめる。

 セードーが放つ殺意(それ)を前に、ブルースは確信めいたものを感じる。

 彼が放つ殺意(それ)はどこまでもまっすぐで、どこまでも純粋で……そしてどこまでも美しいものなのだと。


「――――」


 セードーの放つ殺意(それ)を前に、シャドーマンは動きを止める。

 それは、今まで感じたことのない感情。

 今まで相対してきた者たちのいずれも……そこで倒れているエイスからも感じたことがない。

 自身の知らない殺意(それ)を前に――。


「――ニィィィ――!!」


 大きく、大きく笑みを浮かべた。

 浮かべた笑みから放たれるのは、知らぬことを知ることができる強い好機の色である。

 シャドーマンはセードーの放つ感情を知るべく、強く踏み込もうとする。


「―――」


 その機先を制するように、セードーの腕が素早く動く。

 何かを投擲するように振るわれた腕の先から放たれたのは、三角錐の小さな刃。

 シャドーマンはその名を知らぬが、俗にクナイと呼ばれるものだ。


「――シィ」


 シャドーマンはそれを難なく、指に挟んで受け止める。

 目に見える程度の速度で投擲されたクナイは、シャドーマンにとっては遅すぎた。


「―外法式無銘空手―」


 その影に隠れて接近した、セードーの存在を見落としてしまうほどに。

 セードーはシャドーマンの掴んだクナイの柄に、掌底を容赦なく叩き込んだ。


「――鎧徹――!!」


 轟音を立てて吹き飛ぶシャドーマン。

 大きく仰け反ったその顔にはクナイが見え、仰向けで倒れ込んだ。


「あっ……!」


 それを見たエイスは息を呑む。

 シャドーマンの顔面に刺さったクナイ。いくらなんでも、アレで人間が生きているわけはないだろう。だが、まだ終わりではない。これで終わるなら、シャドーマンはエイスに殺されていた。

 セードーはゆっくりと姿勢を直し、手のひらを上に向け軽く手招きした。


「さあ、立てシャドーマン……。まだ、始まったばかりだろう?」

「―――シィィィ!」


 それに応える様に、シャドーマンが勢いよく立ち上がる。

 口にくわえたクナイを吐きだし、シャドーマンはセードーへ向けて飛び掛かった。




クヤシイ……。


ナゼ、ワタシニハ……。

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