12/12 贈物
「怜乱! 隣にいるのは誰だ?」
見る間に駆け寄ってきた狼が、背中に乗せていた女たちを地面に下ろし、炎気を上げて転変する。
狼の背中の上でひたすら恐縮していた狛斗は、こちらを一瞥したとたん何やら呆然とした顔になった。
その場に立ち尽くした同行者をきょとんと見つめた美々が、着物の裾を引っ張ってあれやこれやと質問を始める。
そんな二人を置いて怜乱に歩み寄った老狼は、その向こうにうずくまる女を見つけて尻尾を振り回した。
「血腥いな……封じないのか?」
「彼女には封じておくほどの悪性もないからね。管理者殿に任せたよ」
怜乱が示した先で、水と鋼の色を纏った男が深く一礼する。
「大神公、お久しゅうございます。公のお力添えの賜物で目算よりもかなり早く龍と成ることができました。おかげさまで住人もさほど眠りにつかず、また結果的に多くの人が死なずに済みましたこと、いくら感謝しても足りないほどです。この大恩、どうにかして返させて戴きたく思いますので、何卒お気軽に用向きご下命賜りますよう」
臣下の礼を取る隷巴に、大げさな対応が苦手な狼は困り顔で耳をはためかせた。
首の後ろに手をやって、居心地が悪そうに首を振る。
「いや、何をしたって訳でもないのに礼を言われてもな。……それより、あの透明な蛇は何だ?」
「水蛇のことですか。あれは建造物を保護するために呼び寄せた使いです。この辺りの建物は石造りが多いですし、私が地下から抜けるときにはかなり揺れますので」
「そうか。……ところで、この女はどうするんだ」
納得したように頷いた狼は、倒れている女を示して声を落とす。
連れてきた女たちに聞こえないようにという狼の気遣いに黙礼し、隷巴はひととおりの経緯を説明した。
「……ですので、彼女には私の眷属として人の世話をさせようかと」
「成程、落とし所だな。しかし、ひどく弱っているようだが、これで働けるのか」
「消えかけておりましたので妖気を補填してやりましたが、どうやら少しばかり水が合わない様子。しばらくすれば馴染むかと」
隷巴の説明に、狼はちょっと眉を上げた。
見たところ、女は冷たい土の属性をしている。
そこに熱砂の気を注がれたのだから、女の身の内では熱気と冷気がせめぎあい身を焼いているはずだ。
「そうか、ちょっと診せてみろ。あぁ、それと、向こうで立っている青髪の女な。狛斗というんだが、お前さんの知り合いだろう。昔のことをひどく気に病んでいるようだったから、少しばかり取りなしてやってくれんか」
女の横にしゃがみ込みながら後ろを指差すと、隷巴は判らぬげに眉を上げた。
「……昔のこと、でございますか」
「ああ。お前さん、狛斗のねだりごとを断って、その後すぐ姿を消したろう。それが機嫌を損ねたように見えたらしくてな。おかげで俺まで下にも置かん扱いで、居心地が悪いったらなかったぞ」
「それは……狛斗!」
弾かれたように駆けてゆく隷巴を見送って、老狼は足元にうずくまる女に手を伸ばした。
ほとんど意識を手放しかけている彼女に声を掛けて、その細い背中を撫で下ろす。
狼が何度か手を動かすうちに、女の息は徐々に穏やかになっていった。
「……何をしたの」
寝息を立て始めた女の顔を覗き込んで、怜乱が不思議そうに問いかけてくる。
「うん? 気が妙な具合に混ざって荒れていたのでな、ちょっと宥めてやったんだ」
「へぇ、そんなことってできるんだ」
「相性が良くないといかんから、誰にでもできるわけではないのが難点だがな」
「そうなんだ。具体的には?」
「珍しいな、興味あるのか」
興味深そうに問いかけてくる怜乱に、狼は手順の説明を始めた。
まとわりつく美々を気にかける余裕もなく立ち尽くしていた狛斗は、駆けてくる男の姿を愕然と見つめていた。
地面が揺れだしたときに外に連れ出されたおかげで、狛斗も空へと昇る龍の姿を目にしている。
最後に目にした時よりもずいぶんと筋骨逞しくなった男の頭上に生える角は、あの龍と同じ形だ。
それに気づいて、立ち止まったきり動けなくなっていたのだ。
「狛斗、久しぶりだね。随分と凛々しくなった」
「は……お久しゅうございます。隷巴公がこの一帯の主とは知らず……来し方の無礼、どうかお許し下さい」
懐かしげに口を開く男の声に、狛斗ははっとしてその場に膝をついた。
頭を垂れる彼女の姿を目にして、隷巴は困ったように眉を寄せる。
「狛斗。親しくしていた子供にそんな大仰な態度を取られると、私は寂しいよ。これまで通り哥々と呼んでくれないか」
「め、滅相もない! 畏れ多くも龍神様となられた方を兄呼ばわりなど、致しかねます」
「それは……困ったな。狛斗のことは妹のように思っていたのに。それとも、私が兄では迷惑かな」
地面に額を擦りつけようとする狛斗の手を取り引き起こしながら、隷巴は悲しげに肩を落としてみせた。
「いえ、そのようなことは、決して……」
「なら、その堅苦しい言葉遣いはなしだ、ね?」
「……隷巴大哥がそう言われるなら。ですが……その。大哥はお怒りではなかったのですか」
伺うように見上げてくる狛斗に、隷巴は少し考える顔になる。
その言葉が狼の言っていたものと同じ内容だと気付いて、彼はあぁと嘆息した。
「それは、狛斗。とても申し訳なかった。あの時の私は、もうすぐにでも眠りについてしまうところでね。蛇から龍に躰を作り変えるため、どうしても体を損なうわけにはいかなかったんだ。眠りにつくことは誰にも言うわけにはいかなかったから、狛斗には心労をかけることになった。すまない」
「……! そんな、わたくしには過ぎたるお言葉です」
龍神に頭を下げられ、狛斗は目を丸くしてしばらく硬直していた。
少しばかり隷巴を待たせてようやく意識を取り戻すと、安堵したように息を吐き、慌てたように首を振る。
「ありがとう。かわいい妹がそう言ってくれて嬉しいよ。……と、言った口の下でこんなことを言うのは少しばかり気がひけるのだが、二つばかり狛斗に頼みごとをしたい。頼まれてくれるかな」
「はい、大哥のお望みとあらば何なりと。この沙漠とて越えてみせましょう」
勢い込んで答える狛斗の目の前で、隷巴は髪と鱗をいくつか引き抜き、大小の宝剣と剣帯に変える。
金と宝玉で飾られたそれを狛斗に手渡して、彼はにこりと微笑んだ。
「そんな無茶を言うつもりはないよ。狛斗には、これを使って町中を祓い回ってほしいんだ。辻で舞えば皆も起き出してこよう。そして、聞かれたら悪いものが紛れ込んだから祓っているのだと答えておくれ」
「……あの、しかし」
狛斗は困ったような顔で男のことを見上げた。
自分のことを気遣う視線に気がついて、隷巴は首を横に振る。
「あぁ、私に害がないか心配しているのか。大丈夫だよ、狛斗の先祖にそれを教えたのは私だ。
それと、迷惑でなければ私の眷属の一人に住処を世話してくれないか。私が眠っている間に入ってきた邪気で亡くなった人がいくらかいてね。その世話をさせようと思っている」
「は、承知……いえ、おまかせください」
「あーっ、狛斗さんだけずるい! 龍神様、美々にもなにかください!」
頷き合う狛斗と隷巴に、話が一段落したと判断したのだろう。
今まで黙ってじっとしていた美々が、二人の間に割り込んで大声を上げる。
「美々! 神君にまでそんな物言いをして……!」
慌てて美々の口を塞ごうとする狛斗に、隷巴は再び苦笑した。
「狛斗。今は少し物々しいが、私は人と気安く話したくて、人に近い姿でいるんだ。あまり目くじらをたてないでほしい」
「ですが……」
抗議しようとする狛斗だったが、じっと見つめてくる隷巴の視線には勝てなかった。
渋々といった顔で首を縦に振る狛斗に苦笑を返して、隷巴は美々の顔を覗き込んだ。
「美玉だったね。姓名は?」
「朱だよ。朱玉がほんとの名前」
美々に姓名を聞くと、隷巴は髪と鱗を道具に変えて彼女に手渡す。
鋼線の先に手のひらほどの塊が括りつけられた、単純な形をした道具だ。
「では朱玉。君には祓いの笛をあげよう。紐を長く持って振り回すと魔除けの音が出るから、鳴らしながら狛斗の後について歩くんだ」
「わーい、龍神様、ありがとう!」
嬉しそうにそれを受け取った美々は、使い方を隷巴に教わると楽しげにぶんぶんと振り回した。
長い鋼線の先に括られた鱗形の笛からは、大きな蜂の羽音に似た低い音が響く。
「おー、すごーい。これが悪いものを追い払うの?」
「そうだよ。これ以上悪いことが起きないようにするものだからね、大事にしてほしい」
「わかった! 狛斗さん、行こう!」
「そ、そうですね。では──参りましょう」
狛斗は髪に巻いていた布を腰に結ぶと、その上から剣帯を巻きつける。
そして後頭部で結っていた髪を解き頭の上で一つに括り直すと、呼吸を整えてすうと宝剣を抜いた。
雫が深い石窟の中に落ちる音に似た音が辺りに響く。
ゆっくりと剣を左右に払い、弾かれたように駆け出す狛斗の後を、美々が楽しそうに追った。
駆けていく女二人をしばらく見送って、隷巴は客人の元へと引き返す。
「やぁ、話はしてきたようだな。俺たちも街へ戻るか」
のんびりと狛斗たちの後ろ姿を眺めているのは老狼だ。
その足下で女が穏やかな寝息を立てているのを見て、隷巴は深く頭を下げる。
「隷巴公、一つ聞きたいことがあるのだけれど」
ひどく真剣な顔で声をかけてくるのは怜乱だ。
その意識が沙漠の方へ向いているのに気がついて、隷巴は内心で舌打ちをしていた。
あの女め余計なことをという苛立ちを隠して返事をすると、予想に違わず少年は背後の沙漠を指さした。
「この女、沙漠で怪物に襲われたって言ってたけれど、何がいるのか知ってる?」
「……知らぬことはございませんが。既に封じられているものです。画師殿が気にされることはないかと」
「だけど、彼女は襲われたって言っていたよ。おかしくない?」
「この女が襲われたのは、人払いの結界を無視して沙漠を突っ切ろうとしたからです。そこに踏み込まない限りは無害なものですから」
そこで説明を打ち切ろうとした隷巴だったが、質問の手を弛めようとしない怜乱に根負けして詳細を語る羽目になった。
「なんてこと」
龍神の話を聞き終えると、少年は嘆息して額を抑えた。
「……全面的に画師の不始末じゃないか。始末をつけに行かないといけないから、場所を教えて」
「ですから。それだけははおやめくださいと、最初に申し上げたではありませんか」
「だって、結界でそれを封じているのは君たちでしょう。負担を掛けていることを知ってしまったからには、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないよ」
二人はまたしばらく押し問答を繰り返したが、結局折れたのは隷巴だった。
「……分かりました。どうしても行かれるのであれば、冬至の日、それも夜にしてください。結界の管理者たちには私から連絡しておきます」
眉を寄せて首を振ると、隷巴は大きなため息をついた。
疲れたように眉間を揉んでいた彼は、ややあって周りに漂う水玉に手を伸ばした。
「ならば、画師殿にはこれをお渡ししておきましょう。かつて我が管理地を訪れた画師の一人から、貴方へと託されたものです」
細かな鱗模様の入った皮に包まれた塊を手渡され、怜乱ははてと首を傾げた。
自分にもその制作者であり前身である飛龍にも、この辺りを訪れるような知己はいなかったはずだ。
ましてや、物を託される覚えなど一つもない。
手に余るほどの分厚さをしたそれは、一尺四方の正方形をしている。
そして見た目よりもずいぶんと──同じ大きさの金塊よりもよほど重い。
中身の見当がつかず、怜乱はちょっといいかなと断りを入れて包みを解きかけた。
しかし、すぐにその手が止まる。
「どうした?」
首を傾げた狼が問いかけても答えない。
鱗模様の包装から顔を出した銀白の塊をまじまじと見つめて、ただ息を呑むばかりだ。
そんな少年が視線を彷徨わせながらも顔を上げたのは、かなりの時間が経ってからだった。
にこにことこちらを見守っていた男の顔を見上げて、恐る恐るといったふうに口を開く。
「……これは?」
「私には得体の知れぬものですが。画師にとっては大切なものだと伺っております。私が脱いだ皮に包み、龍穴の上に置くようにと言付かって七万と三千年、大切に守って参りました」
「……七……?!」
ほとんど人の歴史にも等しい歳月に、少年の口から悲鳴に近い声が漏れる。
そんなものを貰ってしまっていいのかと問いかける視線に、水の蛇を引き連れた男は笑って大きく頷いた。
「もちろんですとも。過去の画師殿は『大公をお連れする銀の同輩へ』とおっしゃいました。我々にとって大公と呼べるお方はそう多くありません。怜乱殿で間違いないかと」
「……でも」
思い切りのつかない顔で言葉を濁す少年を見て、隣で話を聞いていた狼が鼻先を突っ込んでくる。
「珍しいな。遠慮しているのか」
「そういうわけじゃないけど」
「くれるっていうんだから、もらっておけばいいだろう。さっきの勢いはどうした」
気安く言って笑う狼を、怜乱は軽く睨みつけた。
「だってこれ、ほとんど神代のものだよ。あの頃の画師が今よりもずっと力を持っていたことは、老狼のほうがよく知ってるでしょう。こんな貴重なもの、僕が使ってしまっても良いものなのかなって……」
包みに目を落とし口籠もる少年の肩を、狼は景気づけるように叩く。
「お前さん、妙なところで遠慮するんだな。乾坤が平らになった原因を狩りに行くのがお前の使命なんだろう。力になりそうなものは遠慮なく貰っておけよ」
「……それ、覚えてたの」
「勿論だ。それに、お前さんは生身の画師よりよほど長く存在できるんだ。他の奴より有効活用できるだろうよ」
出会った時にただ一度口にしたきりの目的は、自分の存在意義ではあるのだが以降一度も聞かれたことはない。
怜乱は目を丸くして相棒の狼を見上げた。
どうして忘れていると思うんだと笑う老狼の隣で、隷巴も同意するように頷く。
「私にこれを託した画師殿も『宮仕えの自分は材料を集めて精製するので精一杯だった、我らの意志を継いでほしい』と言っていましたよ」
「……そう。じゃあ、遠慮なくいただくよ。今まで保管しておいてくれて、ありがとう」
怜乱はそれでもしばらく考え込んでいた。
しかし、やがて思い切ったように顔を上げると、隷巴に向かって丁寧に頭を下げる。
ずっしりした包みを懐にしまい込むと、その上を大事そうに押さえた。
それを見届けた狼は、尻尾を振り回して伸びをする。
「──さて。話も終わったことだし、街へ帰るか。狛斗について歩くのも迷惑だろうし、しばらくあちこち見回ってみるか? 美々の酒屋にも行かんとなぁ」
「そうだね。隷巴公はどうするの?」
「私は、どこにでもいるものですから。しかし、たまには人の作った路を歩くのも良いかもしれませんね。狛斗の舞は美しいですから」
連れ立って歩き出した彼らの周りからは、徐々に水蛇たちが消えていった。
いつの間にか阿児の姿が消えていたのは、どうやら彼らが彼女を連れて行ったせいらしい。
水蛇たちの騒がしい声と入れ替わるように、起き出してきた雀の声が聞こえてくる。
何処にでもいる小鳥の声を、そういえばこの街に来て始めて聞くなと思い少年と狼は遠い梢を見た。
門をくぐれば大路の向こうに狛斗が見える。
宝剣を振りかざしながらくるくると舞う彼女は、確かに主の言うとおり凛として美しかった。
────────【八、砂礫に伏する災禍・終】




