6/12 美玉
少女はびくりと一度躰を強張らせて目を開くと、きょろきょろと辺りを見回した。
「……なんだ、夢かぁ……」
「夢じゃないよ。寝てる場合でもない、起きて」
狼の脚を抱き枕に再び目を閉じようとする少女の肩を、怜乱が掴んで引き起こす。
手荒く揺さぶられて、少女はむずかるように眉を寄せた。
「……うう、眠い……」
「もう十二分に寝たでしょう。ほら、目を開けて」
「おい怜乱、怪我人は丁寧に扱えよ」
少女をさらに揺すぶろうとしている怜乱を、老狼が慌てて止める。
いくら符術で痛みを誤魔化しても、彼女が怪我人であることに変わりはない。
執拗な呼びかけに渋い顔をしていた少女は、しばらくするうちに意識がはっきりしてきたようだ。
目をしばたかせて大欠伸をし、顔を覗き込んでくる少年と狼を不思議そうに見上げる。
「……お兄さんたち、誰?」
「僕は怜乱、画師だよ。こっちにいる狼の妖は老狼。早速だけど、君、さっきまで自分が何をしていたかは覚えているかな」
少女が反応するが早いか、怜乱は問いかけを口にする。
しかし、彼女はびくっと体を強張らせると、怖いと呟いて狼の背中に隠れてしまった。
抑揚のない淡々とした口調と白一色の出で立ちは、どうやら少女を怯えさせるには十分だったようだ。
老狼の脇の隙間からこっそりこちらを窺う彼女を見て、怜乱は苛立たしげに前髪を掻き毟った。
「あぁもう……老狼、君、頼られてるみたいだから君が聞いてよ」
狼に質問役を押しつけると、怜乱は狼が頷くのも見ずにあれこれと並べ立てる。
怯えてしがみついてくる少女の背中を軽く尻尾で叩いてやりながら、狼はのんびりと質問を繰り返した。
──彼女が眠りに落ちたのは、秋の半ばの頃だった。
眠ったまま目を覚まさない病気のことは聞いていた。
その病気にかかった人たちは、鼻をつままれても、頬を叩かれてもぴくりともしない。途中で起き出してきて水を飲んだり、厠所に行くこともなく眠り続ける奇妙な病気だ。
しかし、それが伝染病でないことは皆理解していた。
眠ってしまった人を診察した医者やその助手たちは皆元気だったし、近くに棲む人間が集団で眠りに落ちることもなかったからだ。
人々の口の端に上っていたように、彼女も最初のうちは病気が恐ろしいものだと思っていた。
しかし、知り合いの半分近くが眠ってしまえば、自分が最後の一人になることが次第に現実味を帯びてくる。
取り残される恐怖と人の減っていく往来に震えつつ、眠りについたのが最後の記憶だという。
眠っている間は、目覚める前のまどろみの時間に似ていた。
ただふわふわとどこかを漂っているような感触だけを覚えている。
「でも、さっきは──なんていうのかな、すっごくお腹がすいているような気がしていたの。何か食べものがほしくて、いい匂いのするほうに歩いてきたらここにいたっていうか」
そう言って、少女は胃のあたりを押さえた。
「……今は、そんな気もしないんだけれど」
「他に何か覚えていることはないか?」
「うーん、特にないと思う。何か思い出したら、言った方がいい?」
「そうだな。俺よりは怜乱に直接言ってくれると助かるがな」
頷いた狼の言葉に、少女はようやくそろそろと顔を出して怜乱のことを見た。
穴の空くほど白い姿を眺め回して、首を傾げる。
「……この人、鬼じゃない?」
「そう見えるかも知れんが、歴としたこの世のものだから安心するといい」
なかなかの言われように苦笑しながら、狼は少女を自分の前へと押し出した。
「そういえば、名を聞いていなかったな。改めて、俺は老狼、こっちの白いのは怜乱。お前さんは」
「私は美玉。美々って呼んでね」
ぺこりと狼に頭を下げた少女は、怜乱にも同じことをしようと振り返って表情を強張らせた。
愕然と見張られた視線の向こうには、いつの間にかすっかり静かになった人の群れがある。
それをぐるりと見回して、美々はその中の一人に駆け寄った。
「……蘭玉おばさん!」
地面に半分埋まった状態で寝息を立てる女の肩を、美々は乱暴に揺さぶる。
だが、しっかりと目をつむった彼女は、どれだけ美々が呼びかけても目を覚まそうとはしなかった。
「知り合いなのかな」
「お向かいの蘭玉おばさん。御用聞きに行くといつも甜菓をくれる人なんだけど……あ、お隣の彩陽ねえさんに南町の魚々も……どうなってるの?」
人の間を走り回って次々と名前を呼ぶと、美々はついてきていた怜乱の顔を見上げた。
「君もこの中の一人だったんだけれど、夢の中に彼女らはいなかった?」
「知らない。夢の中では、私ひとりだったもの。どうにかして起こせないの?」
「試してみるか?」
少女の願いに応じ、少年と狼は何人かを地面から引き抜いてみた。
先程のように纏わり付いてくるのではと内心警戒していたが、彼女らは揺すれども叩けども何の反応も見せることはなかった。
狼が注意深く尻尾で払ってみても、何の反応もない。
十人ばかり同じことを繰り返したあたりで、美々がとうとう音を上げた。
「あーん、もう、何で皆起きないの? わけわかんない……」
「俺たちもそれを探してるんだがな」
「それより、そろそろこの人たちを家に戻さないと、朝になったらみんな日干しになっちゃうんじゃないかな」
「確かにな。美々、家がわかる相手はいるか」
「まかせて。これでも顔は広いのよ」
胸を張って宣言したとおり、美々はその場にいた三百人近い女たちを全て家に案内してみせた。
彼女がいなくとも狼の鼻に頼れば彼女らを家に戻すことはできただろうが、それよりもよほど早い。
美々は家の近い何人かを指示して少年と狼に担がせ、先に立って歩いていく。
おしゃべり好きらしい彼女は、担がれた女たちの身の上について、ずっと喋り続けていた。
曰く、今運んでいるお姉さんにはいついつに婚礼が決まっていたのだがその前に眠ってしまった。
このおばさんは学士を目指している伴侶がいるが、勉強が上手く行かなくて暴力を振るうから、眠ってしまったのをいいことに納屋に押し込めて放ったらかしにしていた。
こっちの子供はいつも川縁に座って何かよく判らないものと話をしている、云々。
偶然にしては良い情報源を引き当てたらしい。
少女の話を聞くうち、怜乱の頭の中で眠りに落ちる人々の傾向がぼんやりと輪郭を持ってくる。
年齢は特に関係ないようだ。
頭がいいと言われたり、機転が利くと言われるような人間ほど眠りに落ちる時期が遅い。
地理的な順番は特にない。しかし、商売に携わる人間たちは、全体的に眠りにつくのが遅かった。
店員まではその限りでなかったが、店主たちは少なくとも美々が眠りにつくまでに眠ってしまった者はいなかったという。
狛斗も子供が眠りについたときに医者を呼んだと言っていたから、おそらくは医者も長く起きていたものだと思われる。
怜乱は内心首を傾げていた。
人が眠っていく順番には、明らかに何者かの意図が感じられる。
しかし、これだけの人間を眠らせる目的が、どれだけ考えても判らない。
躰を害する妖の仕業なら、死人が出ないまでも躰のどこかが損なわれているはずだ。
生気に不足が見られるわけでもないから、生気を糧とする妖が原因でもなさそうだ。
なにしろ、送り届けた女たちは皆、まるで昨日眠りについたばかりのように健康そのものなのだ。
目を覚ました狛斗や美々を見る限り、精神や人格に影響を及ぼされているということもなさそうだ。
女たちを家に戻す際、別の家族が妊娠していたという話を聞いてそっと見に行ったりもしたが、そこで惨事を目にすることもなかった。
いくら何でもおかしいと気配を探ってみても、引っかかるものは何もなかった。
女たちが狛斗の家から放射状にやってきていたのは、単純に人を集める効率がいいからだろう。
どこかまとまらない思考をもてあましながら、怜乱は女たちを家に返していった。
最後の一人を運び終わった頃には、すっかり夜は明けていた。
地平線の近くで霞んでいた陽が高度を増し、強くなってきた陽射しが肌を焼く。
急速に熱を孕み始めた空気に、怜乱が厭な顔をした。
「あの見応えのある胡同を元通りにして、さっさと狛斗の家に戻ろう」
「そうだな。もしかしたら、狛斗が起きて慌てているかも知れんし」
「狛斗さん? 狛斗さんはねぇ、料理上手で有名なんだよ。何か作ってくれないかな」
足を速める怜乱に同調し、美々を肩に乗せた狼が続く。
しかし、路に空いた穴の見える場所に来たとたん、美々は怯えたように狼の頭を抱え込んだ。
「狼さん、待って」
「どうした?」
狼の問いかけに、少女は震えながら地面を指差した。
彼女の指先が示すのは、つい先程まで女たちが埋まっていた穴だ。
それを覗き込んで、狼は首を傾げた。
「何もないぞ」
「そんなことない!」
「なら、何がいるんだ」
「狼さんは見えないの? 穴の中……ふちまでいっぱい、水みたいな蛇がいっぱい詰まってるのに!」
怯えたように耳元で喚く少女に、狼は首を傾げる。
狼の視界の向こうには、同じように固まっている狛斗の姿が見えた。




