2/7 相談
こつん、と窓に小石が当たる。
寝転がっていた狼は耳をぴくりと動かして起き上がった。
ひょいと立ち上がって、いささか建て付けの悪い窓を押し開ける。
吹き込んでくる強い風と大粒の雨に、狼は琥珀色の目を細めた。
階下を見下ろせば、小柄な人影が手を振っている。
ひとつ頷いて、一歩横に避けた。
「思ったより遅かったな、怜乱」
窓枠に足を掛けた少年を招き入れながら、声を掛ける。
「意外と時間がかかってね」
一階の窓から顔を出すような気楽さで入ってきたのは、胡同での一部始終を監視していた少年だった。
「そんなに良くなかったのか?」
「ずっと見てたんだけど、なんでああなるのか分からないんだよね」
ふわりと床に足を下ろした少年の声に多少の違和を感じて、狼は小さく耳を振った。
自分の前を通り過ぎる少年を目で追う。
二尺近く上から見下ろす少年の顔は、実のところいつでもよく見えない。
しかし、もう長いつきあいの相手だ。雰囲気から、彼が何か思案していることくらいは読み取れる。
椅子に腰を下ろした少年が珍しく眉間に皺を寄せているようすに、狼は事の発端を思い出していた。
* * *
昼間の話だ。
道具屋を回ろうと道を歩いていると、後ろからついと怜乱の袖を引く者があった。
「あの、画師サマ」
僅かに舌を噛んだような声に振り返ると、そこには困ったような顔をした女が立っていた。
ほっそりした肢体に似合わぬ豊かな胸の下で手を組み、六つの耳をぱたぱたと揺らしている。
耳の形状からして鹿の妖だろう。整った顔立ちと主張するような獣形からは、それなりに力のある妖であることが見て取れた。
妖の女は黒目がちな目で怜乱をじっと見つめて、遠慮がちに口を開く。
「画師サマは涼清クンを連れに来られたのですか?」
「涼清?」
聞き覚えのない名に少年が首を傾げると、彼女はこくりと頷いた。
「はい。あなた、画師サマでしょう? 画師サマは『鬼』を連れて行くのもお仕事だと聞イてます。どこかで、涼清クンのことを聞かれたのではと思って」
怜乱の髪に刺さった細い絵筆に目をやりながら、彼女は組んだ手を居心地悪そうに動かしている。
彼女の言う『鬼』とは、画師の作り出した、不可思議な力を持つ道具の総称だ。上手く使えば便利ではあるものの、過ぎた便利さは手にした人間を狂わせることも多い。
故にそうした道具を回収して歩くことも、旅の目的の一つなのだ。
「いや、その名前は聞いたことがないけれど。もしかして、君の『鬼』なのかな。つきあいが長いとか言うなら、少しは考えてもいいけれど」
「……いいえ。私の『鬼』ではナイんです。でも、できれば無理矢理引き離すのはやめてほしくて」
連れて行く、引き離す。そんな表現をするからには人か、そうでなくとも生物の姿を取る『鬼』なのだろう。
人や生物の姿を取る『鬼』は、何らかの形で使用者と意思疎通する手段を持っている。そのせいで『鬼』に対して情が移り、手元に留め置きたいと願う使用者は少なくない。
怜乱とて無意味な諍いを求めているわけではないから、使用者が飽きるか死ぬまでなら待つつもりで交渉することも多い。
そんなつもりで考えると口にした少年に、鹿の妖女は居心地悪そうに耳をはためかせた。
そして、どこかでお話ししませんか、と二人を誘った。
* * *
「本当は、こんなこと言いたくないんです。でも、ワタシももう、どうしたら良いか分からなくて」
茶店の奥に部屋を借りると、彼女は出された湯飲みを抱え込み、そんな前置きとともに話し始めた。
「ワタシ、名を六鹿と申します。昔からこの辺りの地脈の管理をシてイるのですが、今代の琰施がワタシのおうちの斜向かいに診療所を作ってからは、そこのお手伝イもシてます。
今診療所にいるのは……何人目かは覚えてナイんですけれど、連雀センセイっていう若い人間のお医者サマと、一緒についてきた涼清クンっていう刀の『鬼』です。
画師サマには、この涼清クンのことで相談したくて」
相談したいといいながらも、彼女はどことなく迷っているようだった。
鹿の子色の視線をうろうろと迷わせ、六つの耳をせわしなくはためかせて、前に座る二人のことを見ようともしない。
話してしまっても良いのだろうかという悩みというよりは、それで起こる結末を愁いているように見える。
「……それで、その涼清っていうのは?」
落ち着きのない彼女の顔を見ない振りをして、怜乱は話の続きを促した。
彼の単調な音声にまた耳を揺らして、六鹿は迷ったように続ける。
「……ええと、どこから話せばいいのか。
ワタシたちが出会ったのは八年前、連雀センセイがこの町に赴任シて来られたときのことです。画師サマは、お医者サマの制度は知っていますか?」
「允許制だね。確か、允許を取ったらどこか指定された街で、何年か診療所をやらないといけないと聞いているけれど」
「ハイ、その通りです。連雀センセイはその制度でここに来たお医者サマです。そして、その連雀センセイが連れてきたのが、涼清クンなんです。
涼清クンは疫病なんかを治すためのハラエの刀で、金色の髪の男の子の姿をしています。
ワタシはいつもどおり、受付なんかをして診療所のお手伝いをして、涼清クンはその他の雑用をする……というのが最初の分担だったのですけれど」
「けれど?」
「最初の頃は、ちょっと患者さんが多すぎるくらいで、何も問題なかったんです。
……それが、確か五、六年前からだったと思うんですが。診療時間中に、何度も二人が姿を消すようになって」
「? 医者だって人間だし、この町の規模で診療所に詰めっきりなんて職でもなかったように記憶しているんだけれど」
首を傾げた怜乱に、六鹿は少し呆れたような目を向けた。
「画師サマ、いつの時代の話をなさっているんですか。このあたりでもここ五十年くらいは、割と軽い不調でも一旦お医者サマに診ていただくのが一般的になってるんですよ」
「そうなんだ。医者になんてかかったことがないから、知らなかったよ」
感心したように言って、怜乱は六鹿に続きを促す。
その仕草に、彼女はまた憂鬱そうな表情を浮かべた。
「ワタシ、ぼんやりしていても、周囲四半里くらいの音は聞こえてるんです。話し声から足音まで。だから、二人が外に出たりすれば聞き逃すはずがナイんです。普段は、センセイが席を外されたり、涼清クンが雑用をしたりしているようすは全部聞こえてるんです。
なのに、まるで隠行でも使ってるみたいに、人がいなくなってるなんておかシイんです。
それに、次の日になると、決まってセンセイの顔色がよくないのも気になって」
頬に手を当てて耳をはためかせる彼女に、怜乱は少しばかり目を眇めた。
妖というものは、歳を重ねれば重ねるほど、元々持っていた能力を強化していく性質がある。周囲の音を気にし続ける草食獣であった彼女が、壁の一枚や二枚向こうの人間が動く気配に気付かないはずがない。
その彼女がどこにもいなくなっていると言うのだ。本当に気配がなくなっているか、もしくは記憶が飛んでいるのだろう──そう推測する。
「六鹿さん、彼らを見失う前後に、何か違和感はなかったかな。例えば、何か匂いがしたとか、ちょっと時間が飛んだ気がするとか、今までいた人がいつの間にかいなくなってたとか」
少年の並べた可能性に、鹿の妖女はゆるゆると首を横に振った。
「……どうでしょう。ワタシもあまり、時間の感覚には鋭いほうではなくて。それに、最近は患者さんもそんなにたくさんは来ないんです」
「それは、今までと比べておかしいくらいに少ない?」
「そう……ですね。今までの経験からすると、五分の一以下かもしれません。それに、なぜだか町の外からの患者さんの方が多くて」
指折り数える六鹿の姿に、怜乱はふむと考え込む仕草になる。
「それは少ないね。このあたりの気候や経済状況が突然変わったなんてことはないかな」
「いえ、ここ二百年くらい気候は安定していますし、経済状況もそんなに」
「……そう。ところで、そのお医者さんが姿を消すようになる前は、何か変わったことはなかった?」
「変わったこと、ですか……? そういえば、その前の年くらいに、凌東の町で劇症型の麻疹が流行したことがあって。その時に、涼清クンに病を祓ってもらったんです。そのときに、疲れた涼清クンがお風呂の途中で寝てしまうんだって、センセイが言ってたことがありますね」
六鹿のその言葉に、怜乱は眉を寄せた。
人の姿を取る『鬼』は、僕としての役割も同時に果たすことを求められている。
主人の許しもなく寝てしまうことなどあり得ない──そういうふうに創るのだ。
人と違って睡眠を必要としない『鬼』が意識を落とすということは、則ち機能不全にあたる。人で言えば気絶しているようなものだ。
「それ、どれくらいの人を治したかは数えたかな」
「ええと……いえ、ちょっと記憶にナイですね。凌東でかなりの報酬をいただいたので、あちらの官府に行けば記録は残っていると思うんですけれども」
「いや、そこまではいいかな。凌東の人口と終息までの期間はわかる?」
「ええ、それなら五万人前後と、終息までに二ヶ月と少しですね」
「なるほど……ところで、一番最近に彼らがいなくなったのはいつ頃の話しかな」
「確か、先週のお休み前だから、十日ほど前になります」
「……ちょっと、額に触れてもいいかな」
「ハイ、どうぞ」
前髪をかき上げた彼女の額に、怜乱が手を伸ばす。
少年の指先が探るように何度か小さな円を描いて、そのまま額の中心で止まる。
六鹿は少しだけ居心地が悪そうに、耳を一つはためかせた。
しばし思案したあとに手を離すと、怜乱はひどく真剣な声を上げた。
「……良くないな。そのうち君の気で振り払える程度のものだけど、うっすらと邪気が残ってる。一緒に『鬼』の気配もするから、関連が気になる」
「あら……」
驚いたように耳を立てる彼女に何か言いかけた怜乱は、ぱっと通りの方を振り向いた。
「『鬼』の気配だ。君に残った邪気と似たような気配も感じるから、多分その涼清とかいう刀だと思う。ちょっと見てくるよ」
席を立つ少年に、六鹿は念押しの声を上げた。
「画師サマ。お願イですから、涼清クンのこと、連れて行かナイであげてくださイね」
「それは何とも言えないけれど。とりあえず今日は見るだけにするつもりだよ」
「お願いですから、涼清クンを助けてあげてくださイね……!」
出て行く怜乱の背中を見送って、六鹿はどこか疲れたように息を吐いた。
「……なんとなくはそう思ってたんです。でもワタシ、あの二人には幸せになってほしくて」
そんなことを言う彼女に、狼はなんとも言えない目を向けた。
* * *
「──老狼はさ、治療系の『鬼』って見たことある?」
突然声をかけられて、狼は回想を止め少年に顔を向けた。
少しばかり迷ったような鳶色の瞳にじっと見つめられて、首を横に振った。
「いや、俺が知っているのは武器結界の類だけだな。吼風ではそちらが一般的だとは聞くが」
「そうか、実物を見たことはないんだね。治療系の『鬼』ってのは、珠とか布、鏡、灯火あたりの形状にするのが一般的なんだってことは知ってる?」
「いいや、もちろん知らんな。そもそも治療系というのは何を指すんだ」
狼が首を傾げてみせると、少年は首の後ろに手をやって、わずかに天井を見上げる仕草をした。
「そうか、そこからだよね。老狼は無縁だろうけど、人間ってのはすぐ怪我とか病気をするでしょう? それを健康な状態に戻すために、薬や技術が開発されてきたのは知ってるよね」
「うむ、神農の奴があれこれ手を貸してやってたのは知っているぞ」
得意げに神話の中の人物の名をあげる狼に、少年は呆れたような目を向けた。
神農とは薬学の祖とされる人物の名だ。一説によれば人身牛角の妖であるとも言われているが、それを確認するつもりは少年にはなかった。
というよりも、医術の起源にまで話を遡られても対応に困る。
「……それはいくら何でも旧すぎるけど。薬草だの手当の方法だのって言うのは結局、自分の治癒力に頼るやり方だから、時間が掛かるんだよね。あと体力がないと死んでしまうし」
「それはそういうものだろう? 道術やら仙術で何とかするって手もあるが、あれは誰もが使えるわけではないしな」
「それもあるけど、術者の負担がね。あれは命を削って他人に分け与えるようなものだから。そこで作られたのが治療系の『鬼』なんだ。一度作ってしまえば術者に負担はないし、それに誰でも使うことができる。便利な道具の最たるものだから、特に医療技術の発達していない昔はよく作られたんだ」
「ほう。今はもうないのか」
「ないと言うよりも、ほとんどが壊れてしまったか、使い物にならなくなったってのが正解かな。機能が自身で完結するものと違って、他に働きかけてあれこれ変えるってのはかなりの力が要るからね。あまり長いことは使えないのが通例なんだ」
「成程。自分の考えを変える方が、他人の考えを変えるよりも労力が要らんのと同じことか」
「ま、そういうこと」
少年の説明を受けて、狼はおやと首を傾げる。
「しかし、それでは昼間に話を聞いた話とはだいぶ違わないか。刀が祓いに使われたのは、金属の生成が難しかった時代だけだぞ。遅めに見積もっても、件の刀が作られたのは遷都前じゃないのか」
「そうなんだよね。ただ、神代の概念ってわりと強固だからね。長期間存在し続けられるだけの力を与えたのかもしれないし、単純に使われることなく今まで過ごしていたのかもしれない。──ともかく、治療系の『鬼』っていうのは、できれば最小限の力で、人の怪我や病気を治すことを目的としているものなんだ。
だけど、件の涼清刀はどうも毛色が違ってね。刀というのは、斬って殺すことを目的とした道具だ。だから、あれも病気を斬って治すことに特化しているように見えた」
「ふむ。しかし、それの何が問題なんだ」
「端的に言うと、効率が悪すぎる。斬るところまでは理解できるけれど、そういう場合、健康な組織は素通りするように調整するのが普通なんだ」
目にした惨状を説明する少年の言葉に、狼の耳がだんだんと後ろを向いていく。
一部始終を聴き終わった頃には、狼はすっかり渋面になっていた。
気味が悪いとでも言いたげに鼻先に深く皺を寄せ、長い尻尾を忙しなく寝台に叩きつけている。
「おいおい……それは、一旦殺しているのと何が違うんだ」
「その通りだよ。生命活動が弱まっただけで簡単に躰から離れかけるのが魂魄だよ。斬られて心臓が止まって、また動き出すまでに半日弱。どう考えても、傷が治るより先に三魂六魄の全てが散り果てるはずなんだけれど」
「たしかに、どうなっているのかさっぱり分からんな」
「そういうこと。昼間の彼女はああ言ったけど、原因を調べるためにも一旦回収しないと駄目だと思うんだよね」
何かの算段をするように手を彷徨わせている少年に、狼は首を傾げて問いかける。
「付いて行った方がいいか?」
「いや、相手は人間だし、割と気の弱そうな相手だったからね。老狼が出てきて怖がられても困るし、僕一人で行くよ」
「そうか。なら俺はこの街で大人しくしていよう」
自分の出番がないとわかった狼は、鼻を鳴らして大欠伸をした。




