九 上総広常
上総広常。
上総国に大勢力を持つ大規模武士団の主。
房総一円に猛威を振るった反逆者、平忠常の子孫であり、源義朝の武威を支え続けた男。
「気に入らにゅな」
遠くに広常の屋敷を見ながら、政子=信長はつぶやいた。
時おり舌が十分に回らないのは御愛嬌だ。
「なにが気に入らないのです?」
「まず、上総という苗字が気に入らん」
「なぜに」
「なにやら馬鹿にされておる気がするのだ」
「いやなぜですか」
「わしはその昔、上総守を名乗ったことがあってな」
「いや、上総は親王任国ですから、上総守は皇族しかなれないんですが……」
「あとで知った。即座に上総介に変えたが……えらく恥ずかしかったぞ。おにょれ」
思いだしたのか、政子は羞恥で頬を染めながら魔王オーラを放射する。
屋敷で飼われている馬が暴れ出したのか、馬のいななきが聞こえてきた。
「とりあえず上総を名乗る者など、潰さねばならぬ」
「たんに自分の黒歴史を消したいだけでは?」
「黙れい」
「……四月某日、幼女にののしられた。癖になってきた」
「おい雑記帳にそのようなこと書くでない! ……というか本気ではあるまいよな!?」
と、そんなやりとりをしながら、一行は上総広常に出迎えられることになった。
◆
「よう来られた、御曹司!」
その男は無数の郎党を従え、馬上で門前にあった。
「おひさしぶりです。広常殿」
頼朝は挨拶を返す。
たがいに馬を寄せ、親しく語り合うふたりを見ながら、政子は不敵に笑っている。
――凄まじい面魂の男じゃな。
厳つい。
金剛力士の木像に虎髭を生やしたてれば、こんな顔になるだろうか。
年のころは五十過ぎ。頭髪は半ば白くなっているものの、赤茶けた肌はなめし皮の艶を保っている。
――この塩辛声、勝家そっくりじゃわ。
かつての部下である、柴田勝家をほうふつとさせる声。
それが、なんとも政子を楽しい気分にさせる。
この男、間違いなく戦場往来の古つわものだ。
――潰すのは止めて改名で許してやろうか……そうさな、柴田広常とかどうであろうか。
そんな失礼なことを考えていると、当の広常と視線がかちあった。
「御曹司、この娘は?」
「ああ、紹介いたしましょう……政子殿、こちらへ」
「うむ」
にい、と笑って、頼朝は政子を呼び寄せた。
「伊豆国の北条時政殿の娘、政子殿です」
「政子である! よろしく世話になるぞ、上総広常! ふはははっ!」
呼び捨てながら、魔王オーラ全開で笑う政子。
物理的な圧力さえ伴って放射されたオーラを受け、一瞬、目を見開くと、ややあって広常は豪快に笑いはじめた。
「グハハハハッ! 御曹司! この娘ただ者ではありますまい! 凄まじき面魂に気格よ! 見込まれましたなあ!」
「四月某日、広常に背中をバシバシ叩かれた。絶対に許さない」
「御曹司もちっとは小娘を見習わねばなりませんぞ! こう、お父上のように覇気をぐわっと!」
「無茶言わないでください広常殿……まあ、この娘は監視兼……旅の道連れですよ」
苦笑交じりに頼朝は笑った。
「さあさあ、御曹司、屋敷へ入って下され! ささやかではあるが宴席を準備しておる! 今宵はゆるりとお楽しみあれ!」
「……ずいぶんと気に入られたのう、小娘」
信じられないものを見た、というような表情で、藤九郎がささやきかけてくる。
「なに、鬼と修羅で気が合ったのであろうよ」
当然とばかり、政子は答える。
答えて、それから政子はにやりと笑い、言った。
「――わしも、あの手の豪傑は嫌いではないさ」
上総広常……上総国に強大な勢力を持つ、坂東独立志向の主。後に粛清される。




