二十三 魔王と清盛
平清盛という男がいる。
平安末期。時代の狭間にあって、ひときわ異彩を放つ存在。
武士として数多の武名をあげ、貿易により巨万の富を為し、政界の荒波をかき泳ぎ、下級貴族の出自ながら位人臣を極めた男。
「やあ、ボクだ」
八条院の邸宅を訪れた清盛は、門衛にそう名のった。
いくらもせずに飛んできた案内役にうながされるまま、御殿内にゆるりと歩を進め。
「ふむ」
総畳張りの豪勢な広間に足を踏み入れた、瞬間。
清盛は異界に入り込んだような、強烈な違和感に襲われた。
違和感の正体は明白だ。
広間の奥に掲げられた、姿隠しの几帳。
連ねられた幅広の布の向こう側から、広間全体を覆うような異質な気配が発せられている。
なにかが居る。
布一枚隔てた先に、得体のしれないなにかが。
「よう来てくれはりました。清盛さん」
だというのに、几帳越しに聞こえる八条院の声には、一切の緊張がない。
それがかえって恐ろしいが、だからといって怖気づく男ではない。腹を据えると、清盛は八条院に一礼した。
「無沙汰をお詫びします。八条院……しかし、どうされました。几帳の内に虎でも飼っておられるのですか?」
半ば本気の言葉だったが、八条院は面白い冗談だ、とでも言うように、ころころと笑った。
と、そのとき。
「ええい、いいかげん離さにゅか!」
甲高い声とともに、几帳の布をかき分けるようにして、ひとりの童女が目の前に転がってきた。
「おや」
声をあげると、童女は身を起こしてこちらを見てくる。
一見愛らしい童女だが、目の輝きも気格も圧倒的に規格外。間違いなく、広間を満たす異様な気配の正体だ。
と、几帳の奥から八条院の細い手が伸びて、童女を捕えた。
童女は抵抗しながらも、ふたたび几帳の中に取り込まれていく。
「その娘は」
「ええやろー。あげへんよ?」
警戒を含んだ問いに、見当違いの答えが返ってくる。
いつも通りの八条院に、清盛は「承知しておりますよ」とうなずいた。
「……しかし、とんでもない気格ですな。記憶にある源義朝よりも、まだすさまじい……その娘、何者なのか、お尋ねしてよろしいか?」
「ええけど、清盛さん知らへんよ? 伊豆の北条時政の娘で、政子ちゃんや」
伊豆の北条時政。
聞いたことのある名だ。
「伊豆の北条……ほう? 平氏の、それも伊勢平氏に近い筋ですな?」
たしか伊豆国北条郷の豪族で、先ほど名を挙げた源義朝の嫡男――源頼朝の見張り役をしているはずだ。
だが、しょせん木っ端豪族だ。都にもほとんど影響力がない男の、さらに娘のことなど、さすがの清盛も承知していない。
だが、血筋の近さについて言及したのが悪かったのだろうか。
「清盛さんにはあげへんよ? うちの娘にするんやから」
八条院が、重ねて童女――北条政子の所有権を主張した。
「これは、お戯れを」
清盛は苦笑するしかない。
よりにもよって、官位も持たない家の娘を“娘”にするなど、冗談にしてもたちが悪い。
おなじく低い身分の家柄ながら、白河院の寵妃、祇園女御の猶子になった清盛を揶揄しているのかと思ったが、八条院にその手の陰湿さはない。彼女はどこまでも陽性の気質を持つ女性である。
「うちは本気やよ。この娘、大物や。なにかすごいことやりそうやない?」
どうやら完全に本気らしい。
――振りまわされる周囲の人間はご愁傷様、と言うべきかな?
心の中で手を合わせながらも、しかし清盛は八条院の観察眼に同意せざるを得ない。
「たしかに尋常ではない娘ですな。ちょっと見たことがない気格です……本当に北条の娘ですか? 院や帝の落とし胤に身分を偽わらせておられるのなら、ちょっと趣味が悪い」
「うち嘘言うてへんもん」
抗議した八条院は、だが、すぐに声を和らげた。
「えへへー。でも、そんな疑い持つくらい掘り出しもんなんやね? うちの子やー」
「だから、ゴロゴロ……はなさにゅか!」
はたして几帳の内で、どのような事が行われていたのか。
また暴れ出した童女が、また几帳の奥から転がり出てきた。
ふたたび目が合う。
童女のらんらんとした視線は、まっすぐ清盛を向いている。
いぶかしんだ清盛は、童女に尋ねた。
「娘、政子といったか。先ほどからボクを試すような視線だけれど」
問うと、童女は清盛にまったく怖じる様子なく、むしろ胸を張って言った。
「うむ。平清盛がどれほどの者か、この目で確かめたかったのでな!」
不遜も不遜。大不遜だが、よく考えれば八条院は自身にもそれを許している。
だから、自分を試そうというこの童女を、清盛もあえては咎めない。
「それで、ボクを見た感想は?」
「わしの気組みを涼しい顔で流す。たいしたものだが……ひとつ、挑んでもよいか?」
「挑む?」
「座興よ。囲碁にて、試合仕ろうぞ」
唐突な申し出に、清盛は片眉をあげた。
この得体のしれない童女の意図が、まったく読めない。
「政子ちゃん、囲碁できたんか?」
「得意と言ってよかろうよ」
八条院が驚いたように問うと、童女――政子は胸を張って言った。
はたしてそれは根拠を伴う自信なのか。
いずれにせよ、囲碁。この実戦にも通じる盤上の争いで、当代随一の大将たる平清盛と戦うなど、無謀と言うほかない。
その無謀を賞賛するつもりで、清盛は片目をつぶる。
「奇遇だね、実はボクも、囲碁は得意なんだ」
なんにせよ、挑まれた勝負だ。
この童女の正体を暴いてやるつもりで、清盛は勝負に応じた。




