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36話

 一レース目と二レース目はあっという間に終わった。

 やはり、カップルが多く出場するこの競技。テントから聞こえてくる声援もどこか温かいものを感じる。こんな舞台で走るのかと思うと再び恥ずかしさがこみあげてくるが、ここはもう覚悟を決めるしかないだろう。


『位置について……』


 二人三脚では、一レースで合計四組のペアが走ることになっている。各グループから一ペアずつの出場だ。

 俺は、テントの方をできるだけ視界に映さないようにしながら、スタート位置についた。

 隣に並ぶのは、他のグループの男子たち。女子はというと、最初のカーブの入り口にいる。

 この競技では、最初のカーブまで男子だけで競争し、女子と合流した後、二人三脚用のゴムバンドをつけることになっている。


『よーい……』


 構えをとる。七海のように一気に加速することはできないものの、できるだけ早く櫻木さんの場所まで行って、時間を稼いでおきたい。


『ドンッ』


 掛け声と同時にパンッと銃声が鳴った。

 その瞬間、俺は一気に走り出す。味方の割れんばかりの声援を受けながら俺は駆けていく。


 スタートダッシュはうまくいき、俺は二着で櫻木さんのもとに着いた。

「桂くん、こっちです」

「ああ」

 櫻木さんは既にゴムバンドを自身の右足につけていた。

 俺は到着するや否や、すぐにゴムバンドを左足に着用し、彼女の肩に左腕を回す。

「っっ⁈」

 直後、櫻木さんの感触と温もりが伝わってきた。

 走ってすっかり鼓動が早くなっていた心臓がさらに大きく脈打つ。

 ここまで彼女に密着するなんて思ってもみなかった。

 しかし、ここで動揺している暇なんかない。

「ど、どうかしましたか?」

 俺の異変を感じ取ったのか、櫻木さんが表情を覗き込んできた。

「う、ううん、なんでもない」

「そうですか? えーっと、それでは出発しますね」

「う、うん」


「せーの」

 櫻木さんの掛け声に合わせて右足を踏み出す。

 まだまだ彼女の感触に戸惑う自分がいるが、走り出したことで幾分か動揺が紛れた。


「「いちっ、にっ」」


「「いちっ、にっ」」


 二人で声を掛け合いながら、ゴールを目指していく。

「なんだかいい感じですね」

 途中、隣から弾んだ声がした。

「うん、今のところ順調っぽい」

「あと少しで前のペアです。このまま抜かしちゃいましょう」

「おっけー、それじゃ、もう少しペースを上げるよ」

「はい、お願いします」

 直後、俺たちの掛け声のテンポが速まった。それに伴い、駆ける速度も上昇する。

 しかし、前のペアも調子づいてきたのか、さらにペースを上げたのが分かった。


「うっ、相手も速くなったな……」

「大丈夫ですよ、まだまだゴールまで残っています」

「うん、そうだね。それならもっとペースを上げていこうか」

「はいっ」

 さらに俺たちの速度が上がる。

 さきほどよりも前のペアに近づいた気がした。

 直後、周囲の声援が一気に大きくなる。

 ただ、俺たちが迫ってきたことを察したのか、相手のペースがまた一段と上がったのが分かった。

 結局、俺たちは前のペアに追いつくことができないまま、最初のカーブを終える。

 直線のコースに入ると、二十メートル先に色がついた紙が、四枚並べられて置かれているのが見えた。

 その紙にはそれぞれお題が一つずつ書かれており、走者たちはそのお題に従ってゴールへ目指すことになっている。俺たちの前を行くペアがついさっき一枚の紙を取ったので、残りはあと三枚。トラックの内側からピンク、緑、黄色だ。

 黄色は、トラックの一番外側にあり、これを取りに行くのは時間のロスになりそうだ。だとすると、ピンクか緑を取りに行くことになりそうだが……。

「桂くん、ピンクを取りに行きましょう!」

 隣の櫻木さんがそう提案する。


 さて、どうしようか……


「いや、ここは緑を取ろう。トラックの一番内側っていうのがなんだか怪しい」

 トラックの一番内側は最も簡単に紙を取れる場所だ。それ故に、なにか難しいお題を用意している可能性がある。俺たちの前にいたペアもその可能性を懸念したのか、内側から二番目に置かれていた紙を取っていた。

 櫻木さんもすぐさま俺の考えを察してくれたようだ。

「わかりました、それでは、緑を取りに行きましょう」

 俺たちは緑色の紙を取った。

 そこに書かれていたお題は、


『先生を真ん中に三人手をつないでゴールすべし』


「桂くんっ」

「うん、わかってる」

 すばやくゴムバンドを外し、俺は、あたりを見回す。

 目的の人物は俺たちの場所から比較的近い用具用テントのところにいた。

「川島先生っ!」

 すぐさま俺たちは先生の下へ駆け寄った。

「ん、どうした?」

 俺たちは書かれているお題を見せる。

「先生、一緒に走ってくれませんか?」

「あー、なるほど。もちろんいいぞ」

「「ありがとうございます」」

 川島先生を真ん中に、俺が右、櫻木さんが左にいき、それぞれが手をつなぐ。そして、俺たちは、ゴールへ向かって走り出した。

 川島先生はサッカー部の顧問だし、俺も櫻木さんも足が遅いわけではない。俺たちはなんなくゴールまでたどり着いた。


 結果は、結局俺たちの前を走っていたペアを追い抜かすことができず、二着だった。それでも、練習なしの一発本番だったのだから、この結果は上出来といえるだろう。

 レースが終わり、ゴール地点で腰を下ろすと、櫻木さんが話しかけてきた。

「ふふ、惜しかったですね」

「そうだね。でも、練習ができなかったのに、ここまで走れたから良かったよ」

「私もそう思いました。それに、桂くんと一緒に走るのはとても楽しかったです」

 櫻木さんがにっこりと笑う。その笑顔が、先ほどの言葉がお世辞なんかではないということを物語っていた。

「俺も、楽しかった。ありがとね、櫻木さん」

 櫻木さんに二人三脚を一緒に走ってほしいと頼まれた時は戸惑ったものの、一緒に走れてよかったと、このとき心から思った。

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