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107話

 学園を出てから、綾女は一目散に昂輝のいる病院に向かった。

 受付をする時間、エレベーターを待つ時間、ほんの数分、数十秒のことでも長く感じてしまう。

 早く彼に会いたかった。ようやく彼を助ける方法を見つけることができた。

 チンッという軽い音が鳴り、エレベーターの扉が開くや否や、エレベーターに乗り込む。

 現在の階層を知らせる電子表示が、その数字を徐々に大きくしていく。

 そして、その表示が六になったとき、まだ、扉が開ききらないうちに綾女は外に飛び出した。

 病院内では走らないでください、と案内板に書かれているのだが、気持ちが急くあまり、どうしても小走りになってしまう。

 エレベーターを降りて、すぐ右に曲がり、四つの病室を過ぎる。そして、その隣の病室が目的地であるC六〇五号室。


 昂輝の病室に着くと、綾女は数回息をついて呼吸を整えた。

 ベッドで眠る昂輝の体に響かないよう、ゆっくりと扉を開ける。


「あら、綾女ちゃん、また来てくれたの?」


 病室の中には昂輝の他に、咲希さんもいた。

 昂輝は相変わらずベッドで眠ったままだ。


「咲希さん、昂輝を助ける方法が分かりました」


「えっ⁈」


 綾女の言葉に咲希さんが驚愕の表情を浮かべる。


「私、昂輝から魔力をもらったときのこと覚えているんです。昂輝は歌を歌っていました。おそらく、その歌が魔力移譲の魔導だったんだと思います」


「じゃあ、晃くんは……」


 咲希さんが目元に涙をあふれさす。

 綾女は力強く頷く。


「はい、私が助けます」


 その直後、咲希さんが抱きついてきた。


「ありがとう……、本当にありがとう……」


 涙声で何度もお礼を言う。

 この人も辛かったのだ。

 自分の息子の命が危機に瀕しているという不安に、恐怖に苛まれていたのだ。


 しばらくして、綾女は咲希さんを引き離した。

「それでは、今から魔力移譲の魔導を使いますね」

「ええ、綾女ちゃん、よろしくね」

 咲希さんが目元をこする。

 綾女は笑って頷いた。

 昂輝のそばまで移動し、彼の右手をそっと握る。


 待ってて昂輝、今助けるから。


 そして、最初の言葉を発しようとしたとき、ふと、咲希さんの言葉を思い出した。


 ――晃くん、魔力を綾女ちゃんに移譲した後は、二、三年分の記憶を失っていて、自分が魔力を持っていたことも忘れちゃっていた――


 ……あれ?


 自分はこのまま昂輝に魔力を移していいのだろうか。

 もしかして、この魔導には代償があるのではないか。記憶の消失という代償が。

 咲希さんの言葉が本当だとすると、自分は高等部に進学してからの記憶を失うことになる。

 仲間たちと一緒に体育祭のリレーで優勝したことも、七海たちと友達になったことも、クラスのみんなで文化祭の出し物をしたことも。

 それになにより、昂輝との幸せな日々も、すべて忘れることになる。

 そんなこと、到底受け入れられるはずがない。


「ど、どうかしたの?」


 綾女の異変を感じ取った咲希さんが声をかけた。

 綾女は青ざめた顔で振り向く。


「……すみません、急に怖くなってしまって」


 咲希さんは綾女の手を優しく握る。


「大丈夫よ。一旦、今日は止めにしましょうか。綾女ちゃんがそんな状態だと魔導が暴走してしまうかもしれないしね」

「……はい、すみません」

「いいのよ、だから、落ち着いて」


 咲希さんの声はとても優しい。息子がこんな状態だというのに、自分の心配もしてくれる。

 自分は恐怖に怖気づいただけだというのに。

 しかし、昂輝の残り時間が少ないという現実を、決して失念していいわけではなかった。


 ―――――♪、―――――♪


 昂輝の体調を管理する医療機器がけたたましく鳴り響く。

 彼の生命の危険を知らせる。


「昂輝っ⁈」

「晃くんっ⁈」


 彼が苦悶の表情を浮かべる。

 額からは大量の汗をかいていた。

 まもなくして、医師と看護師が病室に入ってくる。

 彼らは焦りの色を隠すことができないまま、昂輝をオペ室へと連れていく。

 咲希さんも親族ということで、近くまで同伴することになった。

 咲希さんは必死に昂輝に向かって呼びかけている。


 自分は、その状況に何もすることができず、ただその場に残された。


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