106話
手がかりを探し始めてから六日が経った。
今日は、休日。そのため、午前から昂輝のお見舞いに行っていた。
今は、お見舞いを終え、学校の屋上にいる。
この屋上は、綾女のお気に入りの場所だった。入学してすぐ偶然ここの鍵を手に入れてからは、昂輝たちと仲良くなるまで、頻繁にこの場所に足を運んでいた。
この場所は、本来立ち入り禁止のエリアなので、人が来ることはない。グラウンドからの声は届くものの、距離があるので小さく聞こえる程度でしかない。
外界とは隔離されたような感覚を覚える特別な場所。
そのため、ここは気分が落ち込んで一人になりたいときには、うってつけの場所だった。
綾女は、午前昂輝に会ったときのことを思いだす。
昂輝は倒れてから今まで一度も目を覚ましていない。意識障害のため、ずっと昏睡状態に陥っている。
もちろん、今日のお見舞いでも目を覚ましていなかった。
良く言えば現状維持なのかもしれない。
しかし、昂輝の手を握ったとき、その手が前よりも細くなっているように感じた。
一週間近く眠っているのだ。必要な栄養は点滴で補われているといえども、食事も摂らず、寝たきりともなれば、体力は悪化の一途をたどる。
医者でない綾女でも徐々に弱っていく昂輝を見て、彼に残された時間がもうあまりないことが感じ取れた。
だが、三日に渡って、魔力移譲の魔導について調べてみたが、何らの手がかりも得ることはできなかった。
このまま闇雲に探しても、結局何も見つからない可能性が高い。いや、そもそも、そんな手がかりは本当にないのかもしれない。
咲希さんには、手がかりがまだあるかもしれないと病院で言った。しかし、それは手がかりがあって欲しいという綾女の願望に過ぎない。
実際、ありそうな場所を全て探したが、何も見つからなかった。
もう時間はあまり残されていない。
焦りが、不安が、彼女の心を侵食していく。
だからといって、それで諦めるという選択肢はない。
しかし、愛する人を失うかもしれないという、底知れない恐怖が彼女を襲う。
その時、
ガチャッ
屋上入口のドアが開かれた。
「屋上にいたのはあなただったんですね、志藤綾女さん」
「っっ⁈」
現れた人物に綾女は目を見開く。
そこにいたのは、星華学園生徒会長、櫻木叶耶だった。
「一応ここって立ち入り禁止なんですよ?」
その口調は別に綾女を咎めるものではない。生徒会長という立場上、注意だけしたという感じだ。
叶耶は、ゆっくりと綾女の方に向かってくる。
「ここ、風がよく吹いてこの時期は少し寒いですが、不思議と爽やかな気持ちになりますね」
風に吹かれて粟色の髪がたなびく。
彼女は髪が乱れないよう押さえた。
そんな所作でさえ、同性の綾女から見ても美しいと感じてしまう。
「どうして、櫻木さんがここに来たのかしら?」
その声には自然と警戒感が混ざってしまった。
先ほど本人も言ったが、ここは立ち入り禁止の場所なのだ。
いくら自分が鍵をかけ忘れたからといって、そもそも屋上のドアに行こうとすら思わないはずだ。
「ふふ、そんなに睨まなくてもいいじゃないですか? 私もここには興味があったんです。それに、以前、誰かが屋上に出入りしているという情報を聞きつけたことがあったので、見回りの一環もありますけど」
その屋上に出入りしていたという人物は間違いなく自分だ。
「えーっと、つまり、今日ここにいた私は、先生に報告されるということかしら?」
「いえ、そんなことはしませんよ? ここに居つきたくなる気持ちも分かりますしね」
意外だった。生徒会長につくほどの人物なのだから、校則には厳しいと思っていた。
叶耶は人差し指を唇に当てる。
「私は一つ、あなたにお願いしようと思ってるんです」
「お願い?」
綾女が顔をしかめる。彼女の言っていることの意味が分からなかった。
「はい、お願いです。以前、ここで歌っていたのは志藤さんですよね?」
「え、ええ。私ね」
「私が校舎内を歩いていたとき、屋上から歌が聞こえてきたんです。その歌声はとても澄んでいて、いつまでも聞いていたくなるほどでした。いつか間近で聞いてみたいと思っていたんです。なので、ここで以前あなたが歌っていた歌を歌ってくれませんか?」
予想外のお願いに面をくらう。
しかし、今は昂輝のことでいっぱいいっぱいで、とても歌えるような状況ではなかった。
「ごめんなさい、とても今は歌えるような気分ではないわ……」
綾女は叶耶から目を背ける。
「悩んでばかりいても解決法は浮かびづらいものですよ。たまには気持ちをすっきりさせないと」
図星をつかれ、綾女の肩がビクンッと震えた。
「私のお願いを聞いてくれませんか、志藤さん?」
「……わかったわ。一曲だけ歌ってあげる」
すると、叶耶はにっこりと笑う。
「はい、ありがとうございます」
綾女は歌いやすいように着ていたコートを脱ぐ。
そして、ふうっと息をつくと、
「―――――――♪♪」
以前、ここでよく歌っていた曲を歌い始めた。
そういえば、昂輝と初めて会った時も、自分はこの曲を歌っていた。
あの時は歌っているところを見られて、恥ずかしさのあまり、彼から逃げ出した。
つい屋上扉の鍵まで閉めて、彼を困らせてしまった。
歌っている最中に、あの屋上の出来事から今まであったことを自然と思い出してしまう。
その記憶の中には、どれにも彼がいた。
どれほど自分は彼のことを愛おしく思っていたのだろう。
自分がここまで人を好きになるなんて思ってもみなかった。
彼との日々を思い出し、冷めていた心が温かくなってくる。
もう一度、彼と仲良く笑っていたい。
もう一度、彼とあの幸せな日々を送りたい。
やがて、この曲最後のフレーズが紡がれた。
歌い終えると、ほっと息をつく。
目の前では、叶耶がパチパチと拍手を送っていた。
「やっぱり美しい歌声ですね。間近で聞けて嬉しいです。どうもありがとうございます」
叶耶が丁寧に頭を下げる。
「いえ、どういたしまして……」
面と向かって褒められるのは恥ずかしい。
「その曲、志藤さんはよく歌っていましたよね」
「ええ、私の好きな曲だもの」
この曲は、自分のお気に入りの曲だった。
不思議と元気をもらえる曲だった。
「そういえば、その曲、どこで知ったんですか?」
「えっ、そんなの……」
そこで言葉に詰まった。
たしか、この曲はCMで使われていた気がする。だから自分もそのCMで知ったと言おうとした。
だが、ある違和感がそれを遮った。
このCMが流れていたのは十年前。だとすれば、自分はあの病院に入院していたことになる。
しかし、あそこにテレビがあった記憶はない。つまり、自分はそのCMを見ていないはずだ。
それでは一体、この曲をどこで知ったのか?
「どうかしたんですか?」
戸惑いを隠せない綾女の顔を叶耶が覗き込むようにして眺める。
「い、いや、なんでも……」
「ちなみ綾女さんが歌っていた曲、原曲に若干のアレンジが加えられていることに気が付いていました?」
「……えっ?」
「サビの部分が少し違っています。たぶん、志藤さんは原曲を聞いたことがないんだと思いますよ。誰かがカバーした曲をそのまま覚えている、そんな感じです」
原曲と違う……?
叶耶の発言は、綾女に衝撃を与えた。
「だから気になったんですよ。なぜ、志藤さんがその曲を知ったのかを」
叶耶の言葉に戸惑いを覚えながら、綾女は、必死に初めてこの曲を聞いた時のことを思いだそうとした。
この曲を聞いたのは、CMが流れていた頃と同じ十年前だったはずだ。
しかし、病院にはテレビがなかった。
それならどこで?
いや、この曲を聞いたのはあの病院だ。加えて、自分はベッドに横たわっていた気がする。
夜も更け、心細かった。病気の症状もその頃が一番重かった。
呼吸をするのも辛くて、泣きわめきたくてもそんなことはできなくて。
そんな時に、歌が聞こえてきたのだ。
優しい男の子の声だった。
どこか安心する、いつまでも聞いていたい声だった。
思い起こせば、その声は誰かと似ていた気がする。
―――――――
―――――――
―――――――あっ、思い出した。
そして、その記憶は、今の昂輝を助ける鍵になる。
「ごめんなさい、櫻木さん。私、急用を思い出したから先に帰るわ」
居ても立っても居られず、綾女は自分のコートを手に取って、屋上扉の方に駆けていく。
そんな綾女の背中を見送りながら、
「昂輝くんをお願いしますね。志藤さん」
叶耶が小さく呟いた。
その誰にも聞こえない小さな声は、屋上に吹く風によって掻き消された。




