甘やかなとまり木《5》
行方不明の公王が突然姿を現してジーナ中の人々を驚かせたのは、これより三日後のこと。王宮へ続く道を近衛に囲まれた馬車で堂々とパレードして、沿道の人々に手を振りながら帰ってきた。街も王宮も歓喜に包まれ、祝福の花が雨のようにふりしきる。時ならぬお祭騒ぎを私は宮殿の窓から眺めていた。
人垣の最前列に飛び出した男性が、そのままそこで腰を抜かしている。馬車から降りたカームさんがなにごとか話しかけていた。
ダヴィ卿くらいだろうね、あの中で公王の無事を喜べない人は。もうとっくに死んだものと決め付けて、葬儀から戴冠式の手順まで検討していたというから、まあちょっとざまあかな。今後はペルラ夫人ともども、今までのようなでかい顔はできないだろう。
さて、お出迎えに行かなければ。私は窓から離れ、侍女たちを伴って階下へ向かった。ものすごーく白々しくてあほらしいけれども、無事に帰ってきた旦那様を大喜びで迎える奥さんになりきらなくては。
ほんの数日で王宮内の混乱はおさまった。もともと宰相や騎士団長、そしてカームさんが信頼する家臣たちには、今回の計画が事前に知らされていたらしい。トップが落ち着いているものだから下が立ち直るのも早かった。
街の方も、私が心配するまでもなく対策が用意されていたため、大きな問題は起きなかった。落ち着いてから顔を合わせたロウシェンのジャスリー大使は、そうした動きを見て裏があることに最初から勘づいていたらしい。むしろ私が何も知らなかったことに驚いていた。
……本当、完全にハブだったよね。上層部の人間はみんな承知していたのに、私にだけは何も知らされていなかった。
「そう拗ねないで。わたくしとて、きみに辛い思いはさせたくありませんでした。今頃どんなに不安がっているだろうかと、気が気ではなかった。かなうことなら今すぐ飛んで帰って安心させてあげたいと、どれほど思ったか」
「その割に楽しそうでしたけど」
「プラートたちに納得させるためだったのです。わたくしがどれほど言ったところで、彼らはなかなかきみを認めてくれません。恋に目がくらんで、無力な娘を無理やり公妃に据えたと思われていましたからね」
隙あらばこちらへ近付いてこようとするカームさんを、ギロリとにらんで制止する。もういつもどおりの二人の夜――ではあるけれど、甘い空気に流すことは断じて許さなかった。
私は一人掛けの椅子でお行儀悪く頬杖をついて、カームさんの弁明を聞いていた。私にいっさいの真相が知らされていなかったのは、非常時にうろたえずちゃんと公妃の役割を果たせるかという、一種の試験だったらしい。宰相たちに私を認めさせるため、と言われれば、そう強く怒るわけにもいかない。どうやら合格点は取れたようで、彼らの態度にも変化が現れていた。宰相はだましていたことを謝罪してくれたし、まあそこはしかたなかったと収めてもいいんだけどね。
――しかし、ひとつだけ、気に入らないことがある。
「出発前に体調が崩れるよう、わざと仕向けましたよね」
冷たい目でにらみながら言えば、カームさんはにっこりと微笑んだ。そんなもんでごまかされないよ。ごまかす気もないだろうけどね、ちくしょう!
全部知ったあとでは、確信を持って断言する。私が留守番させられるきっかけになったアレ! そういう目的だったのかと――そんな手を使うかと、もう考えるたびに腹が立ってしょうがない。そんなことを考えて私を抱いていたのかと!
「そう怒らないで。欲求と必要性が一致しただけの話ですよ」
もっともらしい言い方しているけど、内容はろくでもない。よくも平然としていられるよね。私は恥ずかしいやら腹立たしいやらでめまいがしそうなのに。
「なぜ私が怒っているのか、ちゃんとわかっておいでなんですか」
「きみに色々隠して、勝手に計画を進めたからでしょう? それは申しわけないと謝ります。ですが、必要なことでした。不愉快でしょうが、飲み込んでいただきたい」
「ちがいます」
やっぱりわかっていないかと、私は苛立ちを抑えきれずさえぎった。
「そこはもう理解しているんですよ。腹が立つけどしょうがないって、納得しています。私が言いたいのは、そういうことじゃなくてですね」
どう言えばいいのか、上手い言葉が見つからず口ごもる。そんな私を不思議そうに首をかしげて見つめるカームさんに、またムカムカがこみ上げてきた。
「……秘密も策略も、しかたがないと思っています。それはいいんですよ、いいんですけど――私を抱きながらそんなことを考えないでほしいんです」
ずばり言うのはちょっと気恥ずかしい。でも勢いにまかせて言いきった。
「他では何企んでもいいけど、寝台の中では考えないで。よけいなことは考えずに、ただ私を愛しなさい!」
「…………」
アメジストの目が瞠られる。ちょっとどころかものすごく恥ずかしいかもしれない。何を言ってるんだと自分にツッコミ入れながら、しかし頑張ってカームさんをにらみ続けた。
ものすごくいたたまれない沈黙が束の間降りたと思ったら。
「……いけない人」
十割増しの艶をこぼすと同時に、止める暇もなく花の香りが迫ってきた。
「どこでそのような言葉を覚えたのです?」
口先だけ咎めるふりしながら、めちゃめちゃうれしそうな顔してるよ! なんか妙なスイッチ入れちゃった!?
「そうまで望まれては、応えぬわけにはいきませんね。ええ、きみだけを見つめ、きみだけを想い、きみだけを感じましょう」
おもいっきり食いついた!
文句の言い方を間違えたと悟ったが、もう遅かった。言いなおす余地も与えず吐息を奪い、熱が飲み込んでくる。結局丸め込まれている自分の不甲斐なさを感じながらも、心地よさに流されてしまう私だった。
「久しぶりですからね、夜明けの女神が訪れるまでさえずっていただきましょう、わたくしの小鳥」
「やめてください、また体調崩すじゃないですか」
寝台の中で文句を言ったりじゃれ合ったり、いつもと同じ夜を楽しむ。互いのぬくもりを感じられる幸せが今日もあることを、心から愛しく思った。
いつか、別れの日は訪れるけれど。それは誰しもがけっして避けられないことだけれど。
でもまだまだずっと先の話であってほしい。それまでの日々を、大切に幸せに積み重ねていきたい。
「わたくしに他の女をあてがおうなどと考えられなくなっていただかねばね」
いたずらをしながら耳元に囁いた声は、熱と冷気を同時に含んでいた。
間近でアメジストが凄味をひそませて微笑う。
「内緒でいけないことを企んだ子には、相応のお仕置きが必要でしょう」
――文官たちがチクったな。内密にって言ったのに。今度会ったらいじめてやる。
「好きでやったわけじゃ……」
「少々思い込みが強く、とかく悲観的になりがちという自分の癖を思い出しなさい。雑音に惑わされて、視野が狭くなってはいませんか」
「……だって、お世継ぎは絶対必要だし」
言い訳する唇を軽くついばんで、カームさんは私の頭をなでた。
「五年十年経っても授からねば、検討しましょう。今すぐ焦る必要はありません」
「…………」
「そもそもわたくしとしては、二、三年授からないくらいでちょうどよいのですよ」
は?と私は口を開いてしまった。
「なんで」
「子ができては、きみの愛情を独占できなくなるではありませんか」
当たり前という顔で言い返されて、どっと脱力した。三十路男が何を言ってんだ。ワガママさんか!
くすくすと笑いながら、カームさんは私の肌に唇を寄せた。
「どうもきみはわたくしを、時間に余裕のない老人のごとく思っているようですからね。まったくもって無駄な取り越し苦労であることを、証明して差し上げねば。今宵は覚悟していただきましょう」
――ご本人がいちばん、おじさんであることを認めたがらなかったよ。実はけっこう気にしていたな。子供たちに言われた言葉もぐっさり来たんだろうか。
……まあ、お元気なことは疑うべくもない。私より遥かに健康な旦那様は、宣言どおり一晩中頑張って、翌日私を寝込ませてくださったのだった。
しかしそれからしばらく、彼には忍耐を受け入れてもらうことになる。
騒動の収束からわずか数日後に、私の懐妊が発覚したためだった。
カームさんの言うとおり取り越し苦労だったわけだ。王子か王女かわからないけれど、とにかく産める身体なのだとわかってどっと安心した。
周囲の人々はもちろん、カームさんも喜んでくれた。けれど、同時に複雑そうな顔もしていた。
「神とはかくも気まぐれで意地悪なこと……いましばらくは、わたくしだけのきみだと思っていたものを」
ため息まじりに呟く旦那様に呆れるしかない。まだ生まれてもいない子供に妬く姿は、馬鹿馬鹿しいにもほどがあって、けれど笑ってしまうくらい愛しかった。
なんだかんだ言って、生まれたら子煩悩になりそうな気がするな。
神様の元から来てくれた命に、私はそっとお願いする。元気に生まれてきてね。孤独なあの人に、素晴らしい家族を与えてあげてね。
ただし、腹黒はほどほどに。お色気は半分くらいでいいから。あんまりお父様に似すぎないでね。
どんな家族になるのか、ちょっと想像が難しい。でもきっと、幸せが二倍三倍に増えるのはたしかだろう。
未来は輝きに満ちているよと、答えてくれたような気がした。
***** 甘やかなとまり木・終 *****
書籍化記念企画はこれにて終了です。




