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来光に祈る ※カップリングなし

新年特別編です。他の話とは別物としてお楽しみくださいませ。




 物置のいちばん隅に押し込まれていたものが掘り出されたのは、いったい何年ぶりだろうか。電動式の餅つき機という便利なものがあるご時世に、一般家庭で昔ながらの臼と杵を使うところは激減していることだろう。

 わが佐野家も同様だ。祖父が健在だった頃は父と交代で杵をふるっていたらしいが、亡くなってからは使われずしまい込まれたままだった。けっこう場所を取るが、捨てるにも難しい――木製の杵はともかく石の臼は果たして引き取ってもらえるのだろうか、粗大ごみかそれとも産業廃棄物扱いになるのだろうか、当然処理費用がかかるわけで――と悩み、結局手配するのも面倒になって隅っこで埃をかぶり続けていたのだった。

「うん、大丈夫! ひび割れもないし腐ってもいない。十分使えるよ」

 年代物の状態を確認していたイリスは、明るい笑顔で宣言した。石が腐ることはないが杵はもしかしてだめかもしれないと、危惧していた私たちは一様にほっとし、感心もした。戦後少ししてから買ったものだと聞いていたので、製造から半世紀以上と言うべきか一世紀近くと言うべきか、経っている。それがまだまだ現役とは大したものだ。現代の技術で作られたものより、昔のものの方が丈夫で長持ちな気がする。

 さっそく埃を洗い流す作業が行われた。男連中が奮闘している間にこちらは餅米を蒸す。昨日洗って丸一日水につけたものを、さらに三十分ほど水切りしてからだ。重い杵を振り回すことよりも、事前の準備の方がいろいろ時間もかかってめんどくさい。それも餅つきが廃れた一因かもしれないな、と蒸し上がるのを待ちながら考えた。家族の人数が少なければ、お店で買ってきた方がよっぽど楽だ。

「あ、しまった、ポン酢が切れてたの忘れてた!」

 細々としたものを用意していた母が、冷蔵庫を覗いて声を上げた。それは聞き捨てならない。つきたてのお餅はおろしポン酢で食べるのが最高なのに。

「買ってこようか?」

 コンビニにも置いてあるはずだ。徒歩五分で行けるので、私は声をかけた。

「コンビニはやめてー。小さいのしか置いてないし高いもん。スーパーまで行ってきて」

「えー、着物だから自転車乗れないよ」

「お父さんに車出してもらうから。ついでにビールも買い足してきて。用意した分だけじゃ足りないわ、きっと」

「アイスも買っていい?」

「寒いのに。あんたすぐおなかこわすからだめよ」

「えー」

「甘いもんがほしかったら、お汁粉作ったるから。冷たいのはやめとき」

 蒸し器の番をする祖母も横から言う。私は口を尖らせながら母の財布を受け取った。

「お父さん、スーパー行くから車出して」

 居間でお客さんと話している父を呼びにいく。祖父亡きあとは佐野家の家長となり、本来なら餅つきの中心となって活躍すべき人だ。しかし今日は若くたくましい男手がごろごろしているものだから、暖かい居間でのんびりくつろいでいた。

「スーパー? こんな正月早々にか?」

「ポン酢切れてるんだって。あとビールも追加だって。お父さんの好きなの買えばいいじゃない」

「おー……いや、でもお客さんほっといて」

 常にない大盤振る舞いに心を揺らしたようだが、すぐに周りを気にする。父にしてみれば気を遣うべきお客様だ。でも私には親しい相手なので、気兼ねなくお願いした。

「ちょっとお買い物に行ってきますので、皆さんゆっくりしてらしてくださいね」

「ティトも行くの?」

 真っ先に聞き返したのはユユ母様だ。今日は見慣れたドレス姿ではなく、若草色の訪問着を着ていた。プラチナブロンドと淡い青の瞳に和服という取り合わせに、少しばかり違和感を感じてしまうのは否めない。テレビで見る外国人タレントのようだ。でも軽薄さは少しもなく、実に上品できれいだった。

 彼女の隣に座る旦那様は逆に、くすんだ茶色のアンサンブルがやけに似合っていた。さすがお父様、公王の貫祿だ。この格好でテレビ局をうろついたら大物俳優と間違われそうな気がする。

「うん、お買い物はお父さん一人にはまかせられないから」

 ポン酢を買うという、ただそれだけのミッションなのに、変なものを買ってきかねないと心配されるのがうちの父だ。本当に、なぜわざわざそれをという妙なチョイスをする人なので、一人で買い物をさせることはできないのだった。

 いつも買っているポン酢がほしいのに、全然違う聞いたこともないメーカーのものを買ってきて、しかもいつものより高いものだったりして、なぜと聞かれたら変わったのがいいかなと思って、とか言いそうだ。そしてなんのためにスーパーまで行ってもらったのかと母が怒るまでがセットだ。

「今は新年の休暇期間なのであろう? 開けている店があるのか?」

 お父様が尋ねる。シーリースでは新年や精霊祭など、特別な期間はほとんどの店が閉めるので驚いたようだ。

「たいていのお店は開いてますよ。うちからいちばん近いスーパーは二日まで休業するんですけど、もうちょっと離れたところにある大型スーパーは年中無休です」

「どんな時にも休まぬとは見上げた勤勉さだが、それでは店の者が大変だろうに」

「まあ交替制とか、大型店じゃなければ定休日もあったりするし」

「しかしこんな時期に店を開けても、客が来ぬのではないのか」

 訝しげに口を挟んだのはクラルス公だった。彼は和服ではなくモーニングコートを着ている。日本の一般庶民家庭の居間にモーニング姿の王様という、なかなかシュールな光景だ。品がよく生真面目な彼には似合っているけれど。

「いいえ、多分にぎわってると思いますよ。遠くへ遊びにいく人ばかりじゃないですからね。お金や時間や体力のない人にとって、近場のショッピングモールってちょうどいいんですよ」

 スーパーだけでなくテナントもたくさん入っているから、それなりに楽しめる。冬休みの子供を連れて出かけるのに、お手頃なのだ。

「なんと、いったいどういう光景なのか……よし、私も行くぞ」

「え、行かれるんですか? ただのお買い物ですよ?」

 上着と車のキーを取りに行く父を見送りながら、クラルス公は宣言する。このモーニングを連れて歩くのかと私はたじろいだ。

「よい。庶民がどのような暮らしをしているのか、視察するのも王の役目だ」

 いや、それはアルギリに帰ってからしてくださいよ。現代日本の庶民生活を見たって、絶対参考にはなりませんから。

「しかと案内を頼むぞ」

「えー……じゃあ、上にコートを着てくださいね。外は寒いですから」

 やる気満々の王様に抵抗しきれず、私はせめてものお願いをした。モーニングが隠れれば少しはましだろう。多分コートを着ていても目立つだろうけど。

「そう、チトセは行ってしまうのですか……それはさみしいこと」

 などとわざとらしく拗ねた調子で言うのは、残る一人の公王だ。彼がいちばんこの居間で異彩を放っていた。

 黒い着流しに友禅の羽織という、どこの業界の人ですかという格好だ。羽織は女仕立てではなくちゃんと男物になっている。しかし袖や裾には色鮮やかな大輪の花が咲き誇っていた。芸能人だってこんな格好あんまりしないぞと思うけれど、似合っているのだから始末に負えない。濡れ羽色の髪も和服にふさわしく、絶世の美貌はますます艶を増すばかり。さっきから花魁という言葉がちらついてしかたなかった。

「わたくしもお供しましょうか」

「謹んでお断り申し上げます」

 お色気満載の王様に私は冷たく返した。冗談じゃない、こんなのを連れ歩いたらあちこちで写真撮られてSNSに拡散されるよ。明日には超有名人だ。

「ひどいこと。わたくしとて、君とともに歩きたいのに」

 言いながら、ちゃっかりカームさんは私の手を取って引っ張った。

「振り袖と言いましたか。あでやかなのに清楚で、素晴らしいこと。よく似合っていますよ。この愛らしい姿を独り占めしたいと思うのは当然でしょう?」

 私は桜色の振り袖に、淡い金色の帯をしていた。いつ着たんだっけ? 気がつけばこの格好だったけれど、きっと祖母が着付けてくれたのだろう。母は自分が着るくらいはできるが、他人に着付けするのは下手だから。

 佐野家の経済状況で姉妹それぞれに一式あつらえることはできない。なのでこれは姉と共用だ。姉は昨年の成人式にこの振り袖を着ていった。私も同じく、これで成人式に出るつもりだった。

 箪笥にしまわれたきり、もうほとんど出されることもなかったであろう振り袖を着られたのだと思うと、うれしさと切なさがこみ上げた。なんで切ないんだろう? 不思議に思う私をさらに引っ張り、カームさんは自分の膝に座らせる。

「君はおとなしい割に、不意におてんばなところを見せたりもしますからね。この衣装では得意の足技も出せず、しずしず動くしかないでしょう。今ならばこうしてとらえることもたやすい。ふふ、悪くありませんね。きっちりと合わされた襟や固く閉められた帯も、逆にそそられるものがある」

 このセクハラ魔人、美しい笑顔でなにを言いやがってくださるか。

 今カームさんの脳内では、時代劇の古典様式美、帯を引っ張ってくーるくるが展開されているに違いない。見た目はお人形でも中身はエロ魔人だ。冗談と思って油断していたら本気で貞操の危機である。

「カーメル殿!」

 目の前で堂々と娘に手を出されて、お父様が青筋を立てていた。クラルス公は理解できないと呆れたまなざしを向けてくる。ええ、ええ、あなたの理想はユユ母様ですものね。私なんぞに欲情するカームさんの気持ちはまったく理解できないことでしょう。実は私も理解できないよ。

「ちい姉、準備できたよ」

 ため息をついていると、弟がやってきた。デニムとセーターというラフな格好の上にジャンパーを着て、私たちがもめているソファの横に立つ。

「コーちゃんも行くの?」

「ちい姉と父さんだけじゃ頼りないからね」

 失礼な。父はともかく私は買い物くらい普通にこなせるぞ。

「クラルス公も行かれるんだから、護衛がいないと」

 そう言いながらさり気なく弟は私の腕を引いて、カームさんの膝から立たせた。ちらりと麗人へ向けられた視線がひどく冷たく感じたのは気のせいだろうか。そっと振り向けば、返される笑顔にもそこはかとなく冷気が漂っていた。

 ……なんだろう、この妙な緊張感は。

 カームさんを怒らせるのは怖いし、普段物静かな弟の挑発的な態度にもたじろがされる。私は急いで二人の間に割って入った。

「護衛っていっても、コーちゃん武道とかしてないじゃない。もう一人……イリスは除外として」

 居間から庭へ出られるテラスの窓越しに、洗い終わった道具を運んでいる騎士たちの姿が見えた。重たい臼を軽々とかつぐ羽織袴姿の銀髪男は、実に楽しそうに笑っていた。はしゃぐワンコそっくりだ。

 あれはだめだ。今は餅つきのことしか頭にない。私はその後ろで他の道具を運ぶ騎士たちを見た。

 アルタも除外だな。うちの車ワゴンじゃなくてセダンだから。あのでかいのを入れて五人乗りは無理だ。アルタ自身も頭が天井につかえて大変だろう。

 あとはトトー君かザックスさんか……五人乗りという状況を考えれば少しでも小柄な方がいいかと、トトー君を選択した。

「トトー君、ちょっといい?」

 私は窓を開けてトトー君に声をかけた。

「足りないものを買い足しに行くんだけど、付き合ってくれないかな。クラルス公も見学に出向くとおっしゃるんで、護衛がほしいの」

「……いいよ」

 餅箱や取り粉といったものをテラスのテーブルに置いて、トトー君はのんびりうなずいた。彼は弟と似たような格好だ。赤い髪はちょっと目立つけれど、全体の雰囲気はごく普通の高校生といった感じだった。うん、トトー君にはデニムや学生服が似合うだろうなと、ずっと思っていたんだよね。あとで弟の制服着てみてって頼もうかな? でも鍛えているから、小柄に見えても胸回りや肩幅は意外としっかりしていて、もしかするとサイズが合わないかもね。

「お、買い物か? じゃあなんかつまみを買ってきてくれよ。みんなで食べられるよう、いっぱいな」

 私たちの話を聞いたアルタが、スーツの内ポケットから財布を取り出した。有名ブランドのスリーピースにシルクのマフラー。身体が大きいから迫力と貫祿があって、思わずドンと呼びたくなる。

 気前のいいアルタは財布ごと私に預けてきた。ずしりと重みのある革財布を開けば、金貨と銀貨がいっぱい詰まっている。紙幣入れの部分は空っぽだった。

「両替してないんですか? これじゃ使えませんよ」

「え、なんでだ? センだぞ」

「現代日本で銭は数字上の計算以外に使われていません。お買い物には円のみなんです」

 言い返しながらどこか違和感を覚える。日本の銭はこんな金貨銀貨だったっけ?

「重いだけで使えない」

「ひ、ひどい。正月だから張り込んだのに」

 財布を突き返せば、マフィアばりの迫力大男がいじけてみせた。うざい。

「いくら高額でも現地の通貨でなければ意味がないでしょう」

 ザックスさんが呆れながら、自分の財布を開いて紙幣を一枚取り出す。こちらはちゃんと諭吉さんだった。母のお遣いとは別会計ということで、私の財布に入れておく。

 ザックスさんはごく普通のスーツ姿だった。アルタとは違って、日本のどこででも見かけるスタイルだ。実によく似合っている。ハマりすぎている。このまま通勤電車に乗っても、オフィスで電話を受けていても、はたまた営業回りをしていても、まったく違和感がないだろうと思われた。

 体格はしっかりしているんだけどね……落ち着いた雰囲気といい、派手さのない顔立ちといい、ものすごくサラリーマンスタイルがしっくりする。ああ、学校の先生やっても似合いそうだな。こんな人が担任だったら生徒としてうれしいかも。

「ちなみに、どんなのがほしいんですか? アイスとかチョコとかケーキとか?」

「そりゃ嬢ちゃんのほしいもんだろうが。好きなの買っていいけどな、俺はチーズ鱈とサラミがいいな」

 いかにも酒飲みのリクエストだな。しかしこれで母に内緒でアイスが買える。

「私は唐揚げを頼む」

「あと刺身とかいいな。ビールもいいが熱燗も美味かったからな、そういうの食べながらこう、グイっとやりたいな」

 はいはい、親父くさいことで。

「どうせなら酒も買ってきてもらおうか。それだともう一万くらい渡した方がいいかな」

 一度しまった財布をまた取り出そうとするので、私はザックスさんを止めた。

「いえ、多分足りますから。もし足りなかったら父に出してもらいます」

 見たら絶対父も飲みたがるだろうからね。

「ボクも出そうか……?」

「トトー君、お酒飲むの?」

「飲めないわけじゃないけど……」

「いかん! トトーには一滴たりとも飲ませるな!」

「言うまでもないがティトシェ、君もだめだぞ」

「言われなくても日本の法律では飲めませんよ」

 なんだろう、トトー君も酒乱なんだろうか。私の視線を受けた彼は、黙って肩をすくめただけだった。どんなふうに酔うのかちょっと気になる。あとでイリスあたりを巻き込んで、こっそり飲ませちゃおうかな。

「あ、僕はピザが食べたい! あとラーメンと餃子にも興味がある! それからポテチっていうのも!」

「じゃあ行きましょうか」

 今頃声を張り上げるイリスは無視して背を向けた。これからメインのお餅をつくのに、ピザやラーメンを用意してどうする。食欲魔人たちだからぺろりと平らげるだろうけどさ!

「無視するなよ!」

「せめて一品にしぼって。それとどの種類がいいのか指定して」

「いや、いろいろ食べたい」

「お姉ちゃん、イリスに出前のメニュー見せといて」

 これ以上かまっていられるか。私はイリスにカップ麺を投げつけた。

「おーい、行くぞー」

 エンジンをかけた車から父が呼ぶ。私は社会見学の王様と護衛騎士、そして荷物持ち要員の弟を連れて出発した。




 買い出しを終えて戻ってくれば、すでに佐野家の庭では餅つきが始まっていた。

 たすき掛けしたイリスが勢いよく杵をふり下ろしている。相方はザックスさんだ。飛竜隊長と騎馬隊長は声をかけ合いながら、息ぴったりに動いている。横で監督していた祖母が私たちを見て驚いた。

「なんやの、ようけうてきたなあ」

 父も弟もトトー君も、両手に大きなレジ袋を下げている。私は割れ物注意の酒瓶を抱えていた。もちろんクラルス公は手ぶらである。王様に荷物持ちなど――ハルト様なら頼んだけれど、彼には頼めない。クラルス公も荷物はお供が運ぶものという人なので、手伝おうとは言い出さなかった。

「なにをこんなに買うてきたん。ポン酢とビールだけちごたん」

 レジ袋を覗き込みながら祖母は聞く。お菓子だのお惣菜だの次々出てくるので呆れていた。

「なんか、気がついたらいっぱいになっていて」

「結局カート使ったよね」

 私と弟は顔を見合わせる。頼まれたものだけを買うつもりだったのに、なんでこんなに大荷物になったのだろう。食料品だけでなくトイレットペーパーやなぜかフライパンまで出てきた。ずっと使っても焦げつかないという、万単位する高級フライパンだ。誰が入れたんだっけ? あ、この靴下、引き締め効果があるって聞いて姉がほしがっていたものだ。

「なんでこんなにいっぱい買ってるの!? ポン酢とビールって言ったでしょ! 年末さんざんお金使ったのに、またこんなに買ってきて!」

 母の雷が落ちる。私はあわてて弟の背中に逃げ込んだ。私じゃない、トイレットペーパーもフライパンも私が入れたんじゃない。靴下も多分違う。

「父さんのカード使ったから心配しないで」

 よくできた弟はレシートを見せながら財布を返す。父を振り返ると黄昏ていた。

「あとで計上して提出せよ。ちゃんと国庫から払い戻してやる」

 事務仕事のエキスパートであるクラルス公が、涼しい顔で言った。そうか、フライパンを入れたのはあなたですか。買ってどうするつもりなんだろう。

 戦利品はそのままに、クラルス公はいそいそとハルト様やカームさんのところへ報告に行った。日本の流通にいたく感銘を受けたようで、シーリースでも取り入れられないかと相談している。いや、社会形態が違うからいきなりは無理ですよ。でもハルト様もカームさんも、興味を持った顔で聞いていた。突如始まる三国会談。その間も餅つきは続いている。

「はい、一臼目!」

 臼から取り上げられたお餅の塊が、用意された台の上にドンと下ろされた。私は急ぎ手を洗ってきて、邪魔な袖にたすき掛けする。その上からエプロンをつけて着物が取り粉で汚れないようにした。

「はいっ」

 湯気を立てるお餅を、祖母が小さくちぎってこちらの手元に投げてくる。今どきはハンドルを回してソフトクリームみたいにお餅を出して、好きな大きさにカットできる便利な機械があるのだが、佐野家ではまだまだ手作業が主流だった。

 私と姉と弟は、取り粉で手を真っ白にして投げられるお餅を丸めていった。祖母が関西出身なのでわが家は丸餅派である。すぐに冷めて表面が硬くなるから急いで形を整える。うまくいかなかった時は割り開くようにして中のやわらかいところを露出させ、硬い部分を中へ包み込む。取り粉のせいでくっつかずしわしわになっても一ヶ所に集めてそこを下にして置けば大丈夫。そのまま固まればおおむねきれいな形にできあがる。

 次々投げられる早業に姉弟三人で取りかかって、あっと言う間に小餅が箱に並んだ。

「すごいわ、みんな達人ね」

 見物していたユユ母様が感心していた。

「毎年やってるもん。自然とコツが身につくよ」

「わたくしにもできるかしら」

 やりたそうなので彼女にもエプロンを貸してあげる。次はまだかと臼の方を見れば、相変わらず杵をふるうのはイリスで、今度はトトー君が相方を務めていた。

 イリスは長い髪をポニーテールにしていた。多分結んでやったのは姉だろう。紋付き袴だから武士っぽい。月代さかやきもないし銀髪だし目は青いから、武士は武士でも時代劇じゃなく乙女ゲームの攻略対象だな。疲れるようすもなく勢いよく杵を打ちつけては振り上げて、きらきらと輝いていた。うん、かっこいいんだけど餅つき。武士っぽいけど餅つき。楽しそうな顔はやっぱりワンコだ。

 無駄に美形な餅つき男が、見る間に第二弾をつき上げた。ふたたび整形作業だ。ユユ母様も参加してコツを教えてあげていると、興味を持った公王たちがやってきた。いやいや、あなた方はやらなくていいですから。どんなものができあがるか怖いですから。

「ええよ、みんなでやるのが楽しいやん。どうせ食べたら同じやし」

 祖母が笑って言う。カームさんはさすがの器用さで、すぐにコツをつかんできれいな丸餅を作った。ハルト様とクラルス公は……まあ、言うまい。楽しんでくれればいいよ。もちろん、自分で作った分は責任持って食べていただきます。

「俺もまぜてもらっていいかな?」

 でかい図体を割り込ませてくるアルタは体当たりで押し返した。

「なんだよー、邪険にするなよ」

「アルタの手で作ったら鏡餅になっちゃいます」

「そんなら、お鏡作ってもろたらええやん」

「お鏡はもう作ったでしょ」

 祖母に言い返しながら、ふと疑問を抱いた。そうだよ、もう鏡餅はできているはず。和室の床の間に飾られているはずだ。

 毎年餅つきは十二月二十八日と決まっている。年末に全部準備をすませて新年を迎えるのだ。お雑煮だって食べたはず。なのになぜ今頃餅つきをしているのだろうか。

 商業施設やイベント会場で餅つき大会が開かれるならわかるけれど、一般家庭では年が明けてから餅つきなんてしない。少なくともうちではやったことがない。どうしてこういう話になったのだったか。思い出せないうちに第三弾がつき上がった。

「手ぇ洗ってき」

 祖母に言われて私たちは粉だらけの手を洗いに行った。最後の臼はその場で食べる分だ。母が用意した器に分けて入れられ、それぞれ好きな食べ方ができるよう大根おろしや餡子が用意されている。醤油に並んでポン酢もスタンバイ済みだ。

 日頃はあまり食べない私も、つきたてのお餅は好きだった。まずは大根おろしにポン酢を入れてやわらかいお餅にからめて食べる。おいしかった。とてもなつかしい味がした。料理というほどでもない、ただの大根おろしと市販のポン酢なのに、母と祖母の味だとうれしかった。

「宰相、気をつけて食べてくださいよ。年寄りは喉に詰まらせやすいですからな」

「小わっぱが偉そうな口を利けるようになったものだな」

「いや俺もう三十四ですから」

「さり気なくサバを読むな。三十五になったのであろうが」

「つっこまないで! アラサーとアラフォーの境目なんですよ!」

 なんだかんだでアルタと宰相は仲良しだ。って、宰相いたの? いつからいたっけ。なんで革ジャン着てるの。めっちゃ似合ってかっこいいんですけど!

「ねえねえ」

 驚いて眺めていると、姉がつついてきた。なにと振り返れば、耳元にこそっとささやいてくる。

「結局、誰がちいちゃんの彼氏なの?」

「え」

 姉は楽しそうに笑っていた。よくこうして二人で内緒話をした。ファッションや小物の好みは似ているけれど、男性に対してはかなり意見が違うので、芸能人やスポーツ選手の推しも違う私たちだった。私が相談することはついぞなかったが、姉に好きな人ができた時、そして失恋した時にも二人で話し込んだ。

「みんなかっこいいじゃない。ちいちゃんがこんなにたくさん男友達作ってくるなんてびっくりした」

「お母さんイリス君がいいわー。明るいしよくお手伝いしてくれるし、なによりかっこいいしね」

「お母さんは面食いなんだからぁ。私はカーメル様がいいな。すっごく上品で優雅だし、会話も上手だし。それにセレブだしね!」

「悠姉の方がよっぽど面食いじゃないか。あの人は女慣れしすぎてて、なんか危険だよ。ちい姉だったら、トトーがお似合いなんじゃないの」

「ザックスさんやアルタさんくらいしっかりした大人がええよ。ちいちゃんが頼れる人でないとあかん」

「年離れすぎじゃない? ちいちゃんの相手なら、せめてクラルス様とか」

「悠美子は王様ばっかりね。イリス君やトトー君もしっかりしてると思うけど」

「そういえばイリスさんて、あの顔で二十五歳なんだっけ。見えないわー」

「いや、あのな、千歳に彼氏はまだ早いんじゃないかな。お父さんそう思うよ? ハルトさんも同じこと言ってたし」

「お父さん、現実を見て。ちいちゃんもう十七歳よ。彼氏の一人くらいできて当然だってば」

「男嫌いだったこの子がこんなに友達作ってきたのに、喜んであげなさいよ。いつまでも家にいる方が心配でしょ」

「そうだけど……まだ当分は、家にいてほしかったよ」

「俺もちょっと同感……でも、ちい姉幸せそうだし」

 家族が私に注目する。ちょっとさみしそうな、でもうれしそうでもある、優しい顔ばかりだった。

「誰でもええよ。みんなええ人やし。ちいちゃんが元気で、幸せにしてるんやったら、それがいちばんや」

 祖母の温かい手が私の頬をなでる。なぜだか涙が出た。うれしくて、温かくて、幸せで、なのにひどく胸が痛かった。

「――――」

 みんなに答えようと口を開くのに、声が出てこない。私はなんと答えようとしたのだったか。誰の名前を告げようとしたのだったか。そこから先は記憶が曖昧で、家族の顔も薄れていく。切なくて、悲しくて、でもやっぱりうれしかった。




 新年初日は夜明けから祭事がある。女官が私を起こしにきてくれた。

「新年おめでとうございます。さあ、お支度をいたしましょう」

「はぁい……」

 あくびをしながら起き上がる。寝起きはいい方だし早めに就寝したけれど、いつもと違う時間に起きるのはやはり辛かった。

 うー、なんか夢を見ていた気がする。どんな夢だっけ? 思い出せないけれど、いい夢だったかも。ほんのり温かい気分が残っている。と同時に、切ない気分もあった。

 目尻が少し濡れている。寝起きだからか、それとも夢を見て泣いたのだろうか。なんの夢だった? 眠りの残滓を追いかけてみるが、太陽に照らされて消える靄のように、形をなさずほどけていくばかりだった。

「ティトシェ様? お加減がお悪いのですか?」

「いえ、大丈夫です」

 私は息を吐いて寝台から下りた。のんびり寝ぼけている暇はない。王女の肩書をもらった以上、新年の儀式くらいには王族として参加しなければ。用意されていた正装を着せてもらい、長い袖や裾に苦労しながら部屋を出る。ふと、これにもどこかなつかしい気分がした。

 ハルト様とユユ母様はすでに支度を済ませて私を待っていた。公王と公妃の正式な装いは神々しいほどに美しく、威厳があって惚れ惚れする。これがこの二人の正しい姿――なのに、どこか違うような気分に内心首をひねった。

 なにが違うんだろう。普段よりきらきらしているから? 平素は使われない冠を頭に乗せているから?

「ティト? まだ眠いの?」

 ユユ母様がからかうように聞いてくる。その隣でハルト様も微笑んでいた。

「頑張れ。儀式が終わったらまた寝てよいから」

「大丈夫ですよ、もう目は覚めました」

 私は裾を引いて彼らのもとへ向かう。揃って一の宮を出れば、山の端がほのかに色づいていた。

 やがて昇る今年最初の太陽に、勢揃いした騎士たちが照らされる。イリスもトトー君もアルタもザックスさんも、みんな凛々しい正装にマントを翻らせ、踵を合わせ剣を捧げて主君に敬礼した。

 宰相もいる。オリグさんをはじめ、王宮の主な官僚も揃っている。みんなで祈りを捧げ、新しい年が穏やかであれと願う。私は親しい人たちの幸福も祈った。この世界で出会った人々と、そして遠くにいる私の家族に――

 空も海も、きっと故郷へつながっている。直接声が届くことはないけれど、どうか祈りが届きますように。今年一年も、みんなが心安らかに、健やかにすごせますように。

 いつまでも、幸せでありますように。

 輝く一年のはじまりの朝、人々の祈りを受けて、空はどこまでも澄みきっていた。


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