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嵐は突然に 《4》

 結局私が頑張ったのは、最初の一日と半分だけだった。

 イリスは弟たちを三の宮の離宮から飛竜隊の隊舎へ強制移動させ、騎士たちとともに寝起きさせることにした。行動の自由を許さず、遊びにも行かせない。当然のことながら盛大な抗議があがったが、頑として聞き入れなかった。

「初日に遊ばせてやったんだから、もう十分だろう。何の約束もなしに勝手に押しかけてきて、滞在させてもらえるだけでもありがたいと感謝するんだな」

 冷たいほどに厳しく、イリスは告げる。

「エナ=オラーナでは狩りもできないし、金は全部使い果たした。誰も面倒見てくれなかったら普通そのまま野垂れ死にだぞ。人の助けを当て込んで世話してもらえるのが当然という気持ちで来たんだろうが、そういつまでも甘やかしてやれるか。寝場所と食事を提供してやる代わりに、労働で返せ。隊舎の掃除と雑用をしてもらう」

 反論は許されず、ニノイとルーフィは新人の騎士たちにまじって雑仕事に従事することになった。ところが、これまで掃除や洗濯なんて一度もしたことがなかったそうで、何かするたびに大騒ぎだった。

「馬鹿野郎、雑巾はもっときっちり絞れ! ボトボトだろうが! って、どんな持ち方してやがんだ。そうじゃねえ、こうやって絞るんだよ!」

「掃除してんのか散らかしてんのかどっちだ!? そんなにバタバタ乱暴に掃いたら埃が飛び散るだけだろうが、このボケ! ちったあ頭で考えやがれ!」

「洗うっつー意味がわかってんのか!? そんな適当にゆすいだだけで汚れが落ちるわけねえだろう。もっとしっかりこすれ! ――と言われたからって乱暴にすんじゃねえよ、破れるだろうが!」

「ちんたらやってんじゃねえ。さっさと干さないと乾く前に日が暮れるぞ。おい、しわはきちんと伸ばしとけ。この辺全部やり直しだ!」

 大いに厳しくしてやってくれとイリスから頼まれているものだから、監督役の騎士たちも遠慮がない。怒鳴りながら、たいていは拳も一緒に飛び出している。地元では経験したことのない扱いに、さしもの元気ワンコたちも涙目になっていた。

「なんで俺たちがこんなこと……」

「これじゃ下働きじゃないか。俺たち、フェルナリス家の直系なのに」

 不服を漏らしたら耳聰く聞きつけた古参の騎士が、ヤクザも逃げ出しそうな迫力のある顔で凄んだ。

「騎士団じゃあ身分も家柄も関係ないんだよ。たとえ王族だろうと、下っ端のうちは同じことをするもんだ。お前らの兄貴だって新人時代は雑用全般やってたんだぜ。お前らより遥かに役に立ったもんだ。……まあやることが所々雑だったけどよ……ここで寝起きするならお前らにもここの流儀に従ってもらうぜ」

 文句は山ほどあっただろうが、おっかない騎士たち相手では逆らうことができず、二人は泣く泣く労働に励んでいた。

「……考えてみれば、大貴族のお坊っちゃまだものね、雑用初体験は当然か」

 ようすを覗きにきた私は、イリスの執務室から彼らの奮闘を眺めていた。今日は汗だくになって竜舎の掃除をしている。憧れの竜だってご飯を食べれば出すものは出すのだ。片付けたあとを水できれいに洗い、ようやくほっとひと息ついた瞬間にまた新しいものが落とされた。悲鳴がここまで聞こえてきた。

「田舎暮らしでも、そこは変わらないのね」

「まあ、そうだな。父上と母上はご自分の趣味で庭仕事をしているが、僕らにもやれとは言わなかったし。あいつらがどれだけ汚そうと散らかそうと、すぐに使用人たちが片付けて、あっという間にきれいにしていたからな」

 イリスは机の前に座り、書類と向き合っていた。彼が事務仕事をしている姿というのは、私には珍しい。いつも動いている脳筋のイメージだから、こういう仕事もできたのねと、本人には言えない感想を抱いてしまった。

「イリスも最初は苦労した?」

「いや、僕はウルワットにいた時からいろいろやってたから。割となんでもできるぞ。畑仕事も手伝ったし水車小屋の修理もした。馬具の修繕だってできるぞ。掃除や洗濯はもちろん、簡単な繕い物くらいなら自分でやった。しょっちゅう破くんで、だんだん頼みづらくなってな。あとは――ああ、さすがに機織りはしたことがないな。あれは女の仕事だから」

「……同じ家で生まれ育って、なぜそこまで差が出るの」

 多分、貴族としては弟たちの方が普通なのだと思う。イリスの方が変わり種なのは聞くまでもない。彼は突然変異種なのだろうか。

「うちの両親は、基本的にやりたいようにさせてくれるからな。長男だからこうしろ、弟だからああしろと命じられることは、ほとんどなかったよ」

「……へえ」

 イリスもレイシュもニノイもルーフィも、それぞれが好きなように育って、今の状態になったと。親の影響ではなく、本人が持って生まれた性格がそのまま伸ばされたわけだ。いい面も悪い面もあって、教育方針については議論の余地があるけれど、おおらかにまっすぐ育てるという点では間違いなく成功していた。レイシュはおおらかじゃないかもしれないが、人柄は悪くない。優しい人である意味まっすぐだから、フェルナリス夫妻はそういう部分を重視したのだろう。

「僕はなんでもやりたがって、使用人や領民を真似して色々やったんだ。レイシュも僕のうしろについてきたけど、汚れることは嫌がったな。ちびどもは遊ぶばかりで、手伝いなんてしなかった」

「ちびって」

「昔は小さかったんだよ」

 イリスは笑う。それはまあ、そうだろう。誰だって昔はちびっ子だ。でも今では、身長だけならイリスを抜いている。中身は全然だけどね。

「僕が竜騎士になった時、あいつらはまだ九歳だったからな。一緒に暮らしたのは本当に小さかった頃だけだ。初めの二年ほどはとても里帰りなんてできなかったし、レイシュのこともあって段々足が遠のいたから……なんとなく、今でも小さい頃の印象が強いんだ。目の前にでかいのが立ってて、もう大人だって嫌でもわかるのに、つい子供の頃と同じに見てしまう。周りがそれだから、あいつらもいつまでたっても子供っぽさが抜けないんだろうな。僕も意識を変えないといけないな」

 静かに息が吐き出される。

「最初からこうするべきだった。非常識な形で訪問したのに、ハルト様が寛大に受け入れてくださったことで安心して、僕まで甘えてしまった。最初から、もっと厳しくあいつらを叱るべきだった」

 ペンを一旦置いて、イリスは軽く伸びをした。どこか申しわけなさそうに私を見る。

「正式な訪問なら三の宮に滞在させてもらっても問題ないんだ。宮殿は母上の実家なんだから、そのくらいは頼めるさ。けど、今回は辞退するべきだった。今頃こんなこと言って、ごめんな」

「どうして私に謝るの?」

「君がいちばんの被害者だろ? 迷惑をかけて悪かったよ」

 私は窓辺から離れ、イリスのそばまで歩いていった。

 上体をかがめて、座ったままの彼と視線を近くする。

「ちゃんとイリスが気を遣って色々してくれたから、不満には思ってないわ」

 奥さんに丸投げしてなんにも手伝わない旦那さんとか、家族とか、そういう人たちに腹を立てているって話はよく目にした。でもイリスはちがう。最初から一緒に考えて、極力私に負担をかけないようにしてくれた。双子を飛竜隊(こっち)へ引き取ったのだって、半分は私のためだろう。だから彼に不満はない。

「あなたがそういう姿勢を見せてくれたから、私も頑張ろうって思えたわ。いずれ義姉弟(きょうだい)になるんだから他人じゃないって考えられた。それでいいんじゃない? 言うほど大変な迷惑被ったわけじゃないし、ハルト様や騎士たちだって別に怒ってないでしょ。むしろ面白がってるみたい」

 イリスは微笑んで私の頬に指を滑らせる。そのまま引き寄せられ、軽く唇をふれ合わせた。

「ありがとう」

 優しい青の瞳に胸が高鳴る。今さらなんでこんなにドキドキするんだろうと不思議になる。でも嫌じゃない。歳をとっても、ずっとこんな気持ちを持ち続けていられたらいいな。

 一度だけでは足りなくて、二度目は私から唇を寄せた。イリスの腕が私の腰を抱き寄せ、膝の上に座らせる。彼の首に腕をからめ、もっと大胆に深く重なろうとした時、扉が音を立てて開かれた。

「大兄もうやだやってらんない! 掃除しても掃除してもフンが落ちてくるぅっ」

「あいつら絶対わざとやってるよ! 竜まで俺たちを馬鹿にするーっ」

「…………お前ら……」

 いろんなものをこらえてイリスがうめく。やはりなお約束に私は脱力してイリスの肩にもたれ、なんだかおかしくなってきて笑ってしまった。

「職場でいちゃついてるからだ、馬鹿め」

 双子のうしろからジェイドさんが入ってきた。

「時と場所はわきまえていただけませんかね、隊長」

「はいはい、すまなかったよ。何かあったか?」

 たまたま一緒になっただけで、ニノイたちを追いかけてきたわけではないだろう。真面目な仕事の話かと、私は急いでイリスの膝から下りた。

「客が来てる。ここへ通してかまわんかね」

「誰だ?」

 イリスは手早く机の上を片付けて立ち上がった。ジェイドさんへ向かいながら、すれ違いざまに弟たちの頭をはたいていく。

「お前たちは戻ってろ。まだ掃除は終わってないんだろうが」

「大兄ぃー……」

「邪魔だ。さっさと出て行け」

 にらまれて、不服そうな顔をしながらも二人は渋々廊下へ向かう。それをジェイドさんが止めた。

「いや、ここにいてもらった方がいいだろう。その方が手間が省ける」

「どういうことだ?」

 イリスに聞かれてジェイドさんは肩をすくめた。

「四人目のお出ましだ」




「ルーフィ……ニノイ……」

 地獄から響くかのような低い声に双子がたじろぐ。案内されて入ってきた人は、彼らの姿に気付くや憤怒の形相になった。

「レ、レイ兄……早かった、ね」

 新たな来客は、淡い金髪の美青年だった――本来は。いかにも貴族的な、上品でツンと澄ました印象だった人が、今は別人のようにくたびれ、髪も乱れている。質のいい衣服も薄汚れ、長旅の直後であることがすぐにわかった。そこから、馬車で優雅にやってきたのではないことが察せられる。少しでも急ぐためにと、馬で来たのだろう。

 さぞ疲れているだろうし、実際入ってきた時はヨロヨロだったのが、弟たちの姿を目にしたとたん何もかも吹っ飛んで燃え上がった。レイシュはそのままズンズンと進み出て、弟たちの頬をひっぱたいた。

「この、馬鹿者がっ! 父上たちに心配をかけただけでなく、兄上にまで恥をかかせるとは! いつになったらお前たちは分別をわきまえるんだ!? もう何歳になった!? いつまで子供気分でいる!? 馬鹿者が! 馬鹿者が! 馬鹿者がぁっ!!」

 特に鍛えていないレイシュが素手で殴っても、それほどの威力はない。自分でもよくわかっているようで、二発目からは鞄でどつき回していた。いいキレっぷりだ。レイシュがこんなふうに暴れることもあるとは思わなかった。

「い、いた――ごめ、ごめんなさいっ」

「ごめんレイ兄――いでっ、ごめんてばー」

 対する双子の方は、その気になれば反撃できるはずなのに、大人しく殴られっぱなしでいた。頭をかばい床にうずくまって、ひたすら謝っている。事情を知らずに見れば一方的な暴行の場面だ。

「ごめんなさいもう勘弁してー」

「謝る気持ちがあるなら、なぜ最初に思い止まらなかった!? いずれ連れて行ってやるから今はまだ我慢しろと言っただろうが! お前たちが礼儀と常識をわきまえて、落ち着いて行動できるようになれば、どこへでも連れて行ってやると約束しただろう! どうして約束が守れない!? 認められるよう努力もせず勝手に飛び出して、世間に恥をまき散らして兄上の評判を落とすとは――この大馬鹿者があぁっ!!」

 まっとうに叱りつけているようで、ようするにレイシュはイリスに恥をかかせたことが許せないらしい。相変わらずのブラコンだ。しばらく黙って見ていたイリスが、苦笑しながらレイシュを止めた。

「もういい、レイシュ。そのくらいにしておけ」

 レイシュの腕をつかんで双子から引き離す。ぜいぜいと肩を激しく上下させながら、レイシュは鞄を下ろした。

「兄上……申しわけありません……私がしっかり監督していなかったせいで……」

「ずっと見張ってるわけにもいかないんだから、しかたないだろう。こいつらも大きくなって無駄に行動力だけはあるからな。飛竜隊で働かせて仕置きしてる最中だから、今はいい。お前も疲れただろう、ちょっと座って休め」

 イリスが目を向けると、何も聞かないうちからジェイドさんは軽く手を上げて出ていった。多分飲み物でも頼みに行ってくれたのだろう。イリスはレイシュを来客用のソファに座らせた。双子は床で正座である。私が正しい座り方を教えてあげた。

「これ、脚が痛いんだけど……」

「大丈夫、そのうち何も感じなくなるから」

「それ全然大丈夫じゃない!」

 どうにか落ち着いたらしいレイシュに、私はあらためて挨拶した。

「こんにちは、レイシュ。思ったより早くに再会できたわね」

「……お元気そうで何よりで……いえ、お元気、ですか?」

 途中で言い換えてじっくり全身を眺められる。そんなにひどいかな? 私もつい自分の身体を見下ろしてしまった。

「やっと食欲が戻ってきたんだけど」

「どうせまたほんの少ししか食べていないんでしょう。兄上と結婚なさるなら、もっと健康になってください。だいたい、そんなに痩せすぎでは見栄えもよろしくない。鏡を見てらっしゃらないんですか。よくそれで兄上の隣に並ぼうと思えますね」

 ……相変わらず、お兄ちゃんをめぐるライバルには敵意むき出しだな。でも以前とちがって私とイリスの結婚自体を拒否する雰囲気はないから、少しは進歩したと思っていいのかな。

「レイシュ、開口一番それはないだろう。たしかにチトセはもっと食べる必要があるけど、そういう話はまたにしよう。そうだ、お前はどうなんだ? 腹が減ってないか?」

「減ってる!」

「ぺこぺこだよ!」

「お前らには聞いてない」

 床からの訴えはすげなく却下される。

「食事も用意してくれるよう頼もうか?」

「いえ、どうぞおかまいなく。あまりこちらでご迷惑をおかけするわけにはいきません」

 レイシュはしゃんと背を伸ばし、いつもの調子で答えたが、その瞬間にお腹が抗議の声を上げた。一瞬沈黙が落ち、白い頬がほんのり染まった。なんだよ、男のくせに可愛いな。

「今は夕飯の仕込み中かしらね。パンと簡単なおかずくらいなら出してもらえると思うから、頼んでくるわ」

「悪いな、たのむ」

 私は執務室を出て厨房へ向かい、一人分の食事をお願いした。もちろん双子の分はない。あいつらはみんなと一緒に夕飯まで待つべきだ。

 入隊したばかりの新人さんが飲み物と一緒に運んでくれ、私は水を張った(たらい)と手拭いを借りて執務室へ戻った。

「そのままじゃ気持ち悪いでしょう。汗を拭いたら」

「……ありがとうございます」

 口の中でぼそぼそとお礼を言って、レイシュは汗を拭き始める。櫛を持っていたら髪も調えてあげたんだけどね。イリス同様くせのない髪で、手櫛でもそれなりに落ち着いた。まったくもってうらやましい。

「あの、もう結構ですから……そのようにしていただかなくても」

「イリスといい、レイシュといい、男なのになんでこんなに髪の毛きれいなのかしらね。髪って女性ホルモンの管轄なのに。くせっ毛の恨みを思い知らせてやりたいわ」

「私にそんなことを言われても!」

 食事はレイシュ一人分だけでも、飲み物はちゃんと全員分あった。冷たいお茶をもらえて、双子は痺れるほどに感動していた。

「あし、足がしびれる……」

「まだこれ続けなきゃだめ……?」

 イリスはレイシュと向かい合って座っており、私もその隣に腰かけた。

「それにしても、ずいぶん早かったな。僕の知らせを受け取ってから飛び出したにしては早すぎる。先に出ていたのか?」

「ええ、兄上からの手紙は見ておりません。私は、こいつらの置き手紙を見て追いかけてきましたので」

 どうやら知らせとは行き違ったようだ。ふうん、一応行き先は知らせてあったんだ。

「本来ならば父上と母上が来て、陛下にお詫びするのが筋なのですが……」

「そうだよ、なんでお前だけなんだ? こっちはいいけど、ハルト様にはちゃんとお詫びするべきだぞ。父上たちはなんて言ってたんだ?」

 食べ始めていた手を止めて、レイシュは深々と息を吐いた。なにやら、ひどく疲れたようすだった。

「もちろん、そうするべきです。お二人も来たがっていました……が、間が悪く、父上は畑で転んで足を負傷しまして。幸い骨は無事だったのですが、しばらくは動けません」

「領主が畑でってあたりがうちの親らしいな」

 イリスの顔に笑いが浮かび、私も少し笑ってしまった。フルル夫人の家庭菜園って、やっぱり旦那様の影響なのかな。

「父上怪我しちゃったんだ」

「骨が大丈夫ならいいけど、もういい年だもんね、気をつけないと」

 そのいい年の親に心配と迷惑をかけている馬鹿息子たちが、呑気なことを言っている。兄たちからちらりと冷たい視線が投げられた。

「父上の方はさほど心配ないのですが、母上は……」

「母上にも何かあったのか?」

 レイシュの深刻そうな表情に、イリスも顔を引き締める。なんだろう、ご病気だろうか。私も少し不安になった。

「ええ、まあ……その、怪我や病ではないのですが……」

 レイシュの答ははっきりしない。深刻というか、気まずさも漂わせながら、彼は小さな声で言った。

「……懐妊、したそうで」

「……はっ?」

 イリスの目と口が丸くなる。床の二人も同様だった。私はつい最近聞いたばかりの言葉に一瞬ああ、と納得し、少し遅れて驚いた。

「え、おめでたなの? フルル夫人が?」

「……はい……」

 はずかしそうにレイシュはうなずいた。

「ちょっと待て、本当にか? 今さら?」

「私も耳を疑いました。何度も確認したのですが、マーゴも医者も間違いないと。それで今、館は大騒ぎですよ」

 レイシュはまたため息をついた。

「ルーフィとニノイを産んだ時に、大変でしたからね。あれでもう子供はできない身体になっただろうと言われていたのに……まさか今になってこんな話を聞かされるとは、どう受け止めてよいのやら」

「あー……」

 イリスもさすがに困惑するようで、なんとも言えない顔でうなっただけだった。

 ニノイたちも顔を見合わせている。みんなが困惑していた。

「フルル夫人って、今お何歳(いくつ)なの?」

 私はイリスに尋ねた。

「十六で結婚して、僕を産んだのが十七の時だ。今年四十三になる」

 うーむ、それなら十分考えられる話だな。初産ならともかく、すでに三回も出産経験があるのだから、四十代での出産もそれほどおかしな話ではない。ただ前回から間があいているのが気になるかな。そういうの、どうなんだろう。あまり関係ないのだろうか。

「親子ほどに年の離れた弟か妹ができるわけか。なんかちょっと想像つかないな」

「私もですよ。ですがそれ以上に、母上のお身体が心配です。またあんなことにならないかと……あの頃より年も取っていますし」

 十九年前のいきさつは、レイシュの中でちょっとしたトラウマになっているようだ。おめでたい話をしているはずなのに、表情は暗かった。

「今のうちに堕胎した方がよいのでは」

 そんな言葉まで飛び出してくる。

「簡単に言うな。人の命を奪うという意味だぞ、それは。母上だって無事ではすまない危険がある。気軽にできることでも、していいことでもない」

「はい……」

「母上のお加減は?」

「今のところは、お元気です。王都へも自分が出向くと言い張って、皆で必死に止めたんですよ。ある意味、父上がお怪我をなさっていてよかったです。放っていくのかと言われれば、母上も考え直さざるを得ませんからね」

「まあ、そのくらい元気があるなら大丈夫か」

 イリスは苦笑する。みんなの不安を吹き払うように、明るく言った。

「今ここであれこれ悩んでもどうにもならないな。経験者たちにまかせて大事にしてもらうしかない。必ず難産になると決まってるわけでもないし、深刻になるのは問題が起きてからにしよう。まずは、めでたいことだと祝おうじゃないか」

 心配だけど何もできない状況で、彼だって不安は感じているだろう。でも強い声ではっきり言われれば、なんとなく気持ちが軽くなる。こうやっていつも部下たちを鼓舞しているんだろうね。レイシュもようやく少し表情をやわらげて、「そうですね」とうなずいた。

「母上がおめでたか……」

「俺たちの弟か妹ができるんだ……」

 双子もちょっと神妙な顔になっていた。ほんのちょっとだけ。

「そっかあ、俺兄さんになるんだ。もういちばん下じゃなくなるんだ」

 ルーフィはうれしそうだった。双子とはいえニノイがお兄さん、彼は四人の中でいちばん下という扱いになっている。どうもそれが長年の不満だったらしい。

「妹がいいな。男はいらない、女の子がいい。ティトシェみたいにおしとやかで、ティトシェとちがって優しい子がいいな」

 ニノイは何やら夢を見ていた。ふん、妹がみんな兄貴の理想と思うなよ。上のだめなところを見て育つんだから、辛辣になるに決まっている。

「呑気なことを……」

「いいじゃないか、兄弟の反応としてはこれが普通だろ」

 呆れるレイシュに、イリスが快活に笑う。再会の怒りと驚きと困惑が通りすぎたあとには、いつもどおりの空気が戻ってきた。なんだかんだ言って仲のいい兄弟だ。レイシュもいつまでも弟たちに怒りを向け続けはしなかった。

 彼はすぐにでも双子を引きずって領地へ戻ろうと考えていたらしいが、さすがにそれはやめておけとイリスが止めた。暑い中を無理して強行軍で来て、彼も従者も疲れている。少し休んでからにしないと、途中で倒れたら大変だ。

 ハルト様たちに挨拶するにしても、まず連絡しておいて、身なりをあらためてから出直す必要がある。ひとまず今夜は街で宿を取ると言って、レイシュは帰っていった。飛竜隊か三の宮で泊まればいいと薦められても、そういうわけにはいかないと頑固に固辞していた。双子はもちろんそのまま居残りだ。竜舎の掃除がまだ途中ですからね。

「あし、足の感覚がない……」

「た、立てない……」

 文句を言っていたくせに許されるまで正座を続けた彼らは、まあ偉かった。こういうところが憎めない。ついでになぜレイシュに抵抗しなかったのかとこっそり尋ねたら、

「いや、だってまともにやり合ったら俺が勝つに決まってるし。レイ兄に手を上げるのは、なんか気がひける」

「こっちが悪いんだから、怒られてもしかたないし」

 と、意外にもまともな返答だった。そういう気持ちがあるなら最初から怒られるような真似をするなよ、とも思うけれど。

「二人とも、結構レイシュのこと好きよね。以前もかばってたし」

 小さい頃、両親を奪った弟たちをレイシュは嫌っていたらしい。イリスのとりなしでどうにか兄弟の関係を持てるようになったが、最初はあまり仲良しではなかったのだ。その割に彼らがレイシュに恨みや不満を抱いているようすは見せない。昔のことと割り切っているのだろうかと、少し不思議に思っていた。

「んー、レイ兄が俺たちによくしてくれるからなあ」

 ニノイは屈託なく答えた。

「口はうるさいけどさ、いちばん面倒見てくれるのはレイ兄なんだ。大兄のことも大好きだけど、俺たちが小さいうちに家を出てたまにしか会えなくなったからね。レイ兄との思い出の方が多くて、正直レイ兄の方が家族だって気持ちが強い」

 ……なるほどね。

 イリスだってたくさん面倒を見ただろうけれど、小さい時のことなんて忘れてしまうものだ。レイシュにより親近感を持つのは当然か。

 ルーフィは少し照れを見せながら言った。

「気付いてるかな。俺たちを呼ぶ時、レイ兄はいつも俺の名前から言うんだ。たいていみんなニノイから呼ぶのにね。俺がいつも後にされてるのを、ちゃんとわかってくれてるんだ」

 双子ということでセットにされがちな弟たちを、ちゃんと一人ずつ見てどちらも尊重してくれるという。レイシュのさり気なくも細やかな気遣いに、私も少しはっとさせられた。そうだね、いつも一緒で行動パターンも似ているからって、彼らは別々の人間だ。ちゃんとそういう意識で見ていたかな? 気をつけよう。

 掃除に戻る前に、二人は私にお願いごとをしてきた。

「ウルワットに帰る前に大神殿に行きたいんだ。半日でもいいから自由行動させてって、大兄に頼んでくれない?」

「大神殿? 何しに?」

 観光名所だろうか。そんな話を聞いたことがなかったので首をひねったら、二人は当たり前という顔で答えた。

「もちろん、母上の安産をお願いするんだよ」

「創造神は命の神だからね。ご加護をお願いして、お土産に護符をもらって帰るよ」

 とてもまっとうな、親思いの希望なので、私は必ず大神殿へ連れて行ってあげると約束した。私もユユ母様の分をもらってこよう。あと今夜にでもフルル夫人への手紙を書かないとね。なかなか気軽に会いに行けず電話もできないけれど、お祝いの言葉は伝えなければ。

 あっちもこっちもおめでたラッシュだ。どちらも無事に生まれてくれますように。願掛けでもしようかな?

「いや、チトセはまずしっかり食べて肉をつけろ。このままじゃ、僕も結婚後が不安だ」

 イリスに言ったら釘を刺された。将来私が出産することになったら、きっとフルル夫人と同じように心配されるのだろう。うん、たしかに他人事じゃない。頑張って食べよう。

 それから数日、イリスの弟たちは王都に滞在し、それぞれの目的を果たした。最終日はイリスも休みを取って、弟たちを市街見物に連れて行ってあげた。結局最後は甘いお兄ちゃんだ。お土産をたくさん買ってもらって、双子は大喜びしていた。

 でも何も考えていないようで、それなりに考えている二人だから、多分ちゃんと大人になっていくだろう。下の兄弟ができることで、兄としてしっかりしなければという意識を持ってくれたらいいな。年の離れた弟(妹)に馬鹿にされないよう、立派な姿を見せないとね。そう言って励ますと、素直な彼らは奮起していた。よしよし、その気持ちを忘れるなよ。

 むしろ生まれてくる子の方が心配かもしれない。ただでさえ甘やかされがちな末っ子、しかも上とはうんと年が離れているということで、双子以上にわがままになりそうな予感がする。

「いえ、ルーフィとニノイで皆反省しましたから。けっして甘やかさないよう、厳しくしつけますよ」

 レイシュも新たな使命感に目覚めたようだった。厳しすぎてもまずいんだけど……そこは心配いらないかな。あの家で子供が不幸な育ち方をすることはないだろう。

 そろって帰って行く人々を見送ると、なんだかやけに静かになった気がした。

「にぎやかだったわね……なんか、嵐が通りすぎたみたいな感じ」

「同感だ」

 イリスは笑ってうなずく。これで穏やかな日常に戻れたはずなのに、少し寂しい気分にもなってしまうのが不思議だった。

「私ね、ニノイとルーフィを見ていて、どうしてイリスが可愛がってるのかわかっちゃった」

 手をつなぎ、ふたりでのんびり宮殿への道を戻る。日射しは今日も強いけれど、木陰に入ると涼しかった。異常な暑さはおさまり、普通の夏の風景に戻っていた。

「うん?」

「すごく子供っぽくて、わがままが多いし、困らされるんだけど、でも悪い人たちじゃないのよね。とても素直で、叱られればおとなしくしょげてる。根っこは優しくてちゃんと思いやりの気持ちを持っている。もうちょっと踏み込んで、自分の行動が周りに迷惑をかけるってことまで考えてくれるといいんだけど……そういう、自分の欲求と周りへの配慮とが、まだうまくかみ合っていないのね。でも理解すれば聞き入れて正そうとするから、どうしようもないだめな奴らだっていう気分にはならない。もーこいつはーって思いながら、ついつい世話をしてしまうって感じ?」

 見上げると、イリスは笑いをこらえるような顔をしていた。

「なに? おかしなこと言った?」

「いや、その通りだ」

 肩も小さく震えている。私はむっと彼をにらんだ。

「なによ」

 イリスはつないでいるのとは反対の手で、私の髪をくしゃりとかきまぜた。

「僕はそういう性分なんだろうな。手のかかる子がほっとけないんだ」

「…………」

 怒るべきか、どうするべきか。彼にどんな顔を返せばいいのかわからない。

 私は無言で足を進める。イリスはくすくす笑いながら、急ぐなと私の手を引っ張った。

「……弟と妹、どっちが生まれてほしい?」

「どっちでもいいさ。どっちもすでに経験してるからな」

「私も妹なの?」

「最初はな。手のかかるのが一人増えたなって思ったよ」

 それはそれは、お世話おかけしましたね、ふん。

 そっちはどうなのかと聞かれて、私もどちらでもいいと答えた。ローシェンは女子にも継承権が認められるらしいから、王子でなければいけないってことはないだろう。二人目や三人目も十分に期待できるんだし。

「どっちが先に生まれるのかしらね?」

「ああ、どっちなんだろうな」

 来年はダブルのお祝いだ。きっと大丈夫。どっちも元気に生まれてくれる。そう信じて楽しみに待つことにしよう。

 来年くらいには結婚しようと決意したけれど、時期が問題だ。ハルト様とユユ母様みたいに、花いっぱいの春に結婚したかった。その頃って出産何ヶ月目なんだろう。そういえばこっちでは赤ちゃんってどのくらいで生まれてくるんだろう。元の世界の出産事情もよく知らないのに、異世界事情なんてさっぱりだ。帰ったら調べないと。

 お祝いはどうしようか、そのうちまた里帰りできないかと、イリスと相談しながら歩く。考えることがいっぱいだ。不安や、喜びや、楽しみや。

 こんなふうに毎日が続いていきますように。いつまでも、こうしてふたりで並んで歩けますように。

 夏の青空に大きな雲がわきあがっている。今日もひと雨来そうだと、イリスが予言した。






                    ***** 嵐は突然に・終 *****


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