言祝ぎ ※ソフィア視点
イリスから帰郷の報せが届いたのは、一体何年ぶりだったでしょう。
指折り数えてみて、前回からおよそ三年が過ぎていたのだと気づきました。
いくら遠い王都にいるからとはいえ、ずいぶんとご無沙汰な話です。でもある程度は仕方がないと理解もできました。
仕事が忙しいというだけでなく、兄弟の二番目、イリスと二歳違いのレイシュが、いまだに兄離れできていなかったからです。
幼い頃のいきさつを考えると、レイシュがイリスに傾倒し、依存するのもわからないではありません。でも二十歳を過ぎたいい大人がいつまでも兄にべったりではまずいでしょう。距離を置いて自立をうながすため、イリスが実家によりつかなくなったのだということは、疑いようもありませんでした。
彼が帰らなかった間に戦が起き、ずいぶんと心配させられた時期もありました。イリスは竜騎士ですから、最前線で戦ったことでしょう。遠いウルワットではどのような状況なのか、ほとんど知ることができません。戦が終結したあとになって、大怪我をして一時は生死の境をさまよったという話を知り、胆を冷やしたものです。レイシュなどすぐにも王都へ駆けつけようとしていました。いまさら行ったところで意味がないとおじさまに諭されていましたが、そのすぐ後にイリス本人からの手紙が届いていなければ聞かずに飛び出していたことでしょう。
その時はそれでひとまず終わりました。公王陛下の結婚式におじさまとおばさまが参列するため王都へ向かわれ、イリスのようすも確認してこられました。もう怪我はすっかり癒えて、相変わらずの能天気ぶりだったそうです。さんざん心配したのにと少し腹も立ちましたが、元気ならよかったです。
それから少しして、またイリスから手紙が届きました。
おばさまから教えていただいた時、正直なところまったく動揺しなかったとは言えません。ついにこの日が来たのかと、大変複雑な思いがいたしました。
婚約したそうです。お相手は公王陛下が養女に迎えられた、異国生まれの女性だとか。
「陛下のお式の直後に求婚して、承諾をもらったそうですよ。それならあの時わたくしたちに直接言えたでしょうに、今頃手紙で知らせてくるなんてねえ。きっとわざとね。あれこれつっこまれるのが嫌で、黙っていたんでしょう」
わたしをお茶に誘ってくださったおばさまは、呆れた調子でおっしゃいました。わたしはおばさまが見せてくださった手紙に目を通し、この縁組が公王陛下のご采配ではなく、イリス自身が望んだことであると知りました。
あのイリスが、みずから望んだ女性。いったいどんな方なのか、とても気になりました。
わたしの質問に、おばさまは記憶をたぐる顔で答えてくださいました。
「そうねえ……まさかこんなことになるとは思わなくて、ちょっとご挨拶しただけだったからあまり印象に残っていないのですけど、とても幼げな方でしたね。たしか十七か八だったかしら……でももっと下に見えましたね。まあイリスとはお似合いかもね」
そんなに年下の人なんですね。さらに童顔ですか。イリスも大概童顔ですから、似たもの同士でたしかにお似合いですね。
「とても物静かでおとなしい方でしたね。あのお嬢さんとイリスがねえ……いったいどんないきさつがあったのかしら」
おばさまも、イリスが結婚を望むほど女性に入れ込んだことが不思議なようです。ええ、まったく、武術と竜にしか興味がないような男でしたのにね。騎士になってからの十年間に、彼もいろいろと変化したのでしょうか。過去に女性を連れて帰郷したこともありましたけれど、あの時は相手が強引についてきたというようすで、イリス自身はあまり乗り気ではなさそうでしたのに。
遠い昔、ほかならぬこのわたしがイリスと婚約する予定でした。あのまま周囲に流されていれば、今頃はすでに結婚していたかもしれません。あの頃はそうなるのが当然と思っていました。
……でも、わたしからお断りをしました。今でも忘れることができません。あなたを待つつもりはないと告げた時のイリスのきょとんとした顔――ほとんど許嫁同然の関係でありながら、その瞬間まで忘れ去っていたに違いありません。言われてはじめてわたしのことを思い出したというようすでした。
そういう人だから……彼にとって、わたしは単に気心の知れた相手であるというだけで、恋愛感情なんてまったくなかったから、我慢ができなかったのです。いえ、それでも結婚して夫婦になって、ふたりで人生を歩んでいくのだという気持ちを持ってくれていたなら違ったと思います。お見合いで結婚する人たちはみんなそうなのです。結婚してから愛情を育むものです。それはそれで幸せなのですが、イリスにはそれすら望めませんでした。彼はわたしとの未来なんてこれっぽっちも考えていませんでした。頭の中にあるのは、竜騎士としての未来ばかり。会うたび、話をするたびそれを思い知らされるのがたまらなく寂しく、もの悲しくて、彼を待ち続けることができなかったのです。
幸いにして両親はわたしの気持ちを理解してくれ、イリスとの婚約話は立ち消えになりました。その後わたしもいい年になり、何度も縁談があったのですが、どうにも乗り気になれずお断りばかりしてしまいました。はじめは鷹揚だった両親も段々怒り出して、わがままばかり言うな、いったい何が気に入らないのだと叱られるようになりました。
本当に、我ながらわがままだったと思います。紹介していただいた方々は、皆様けっして悪い人ではありませんでした。とても条件のよいお話もありましたのに、なぜか嫌だという気持ちが強くて受け入れることができなかったのです。
美人なのを鼻にかけているのだろう、などと陰口を叩かれたこともありました。あげく婚期を逃して嫁き遅れだと笑われていたことも知っています。他者から見れば、そのようにしか映らなかったでしょう。次第に縁談が持ち込まれることも少なくなり、わたしは諦めと冷笑の目を向けられるのが日常になっていました。
怒りながらもその状況を許してくれていた両親は、やはり寛大であったと思います。無理やりにでもどこかへ嫁がされるのが普通です。そうせず、いつもわたしに決定権を与えてくれていたことには、本当に感謝しています。兄もわたしを邪魔にせず、優しくしてくれました。お義姉様にとっては目障りな小姑です。夫婦仲を保つためさっさと厄介払いしてしまいたいところでしょうに、言い聞かせて我慢させてくれたのです。おふたりにも本当に申しわけなく、最近ではいっそ出家でもしてしまおうかなどと考えることもありました。
わたしは、やはりまだイリスを諦めきれていないのかしら。
常に自問していました。そうだったのかもしれません。彼の消息は気になりましたし、帰郷の際にはかならず会いにいきました。フェルナリス家のおじさまとおばさまは、わたしのことを大変気にかけてくださって、やはりイリスと結婚しないかと打診もしてくださいました。そこでわたしが首を縦に振れば、すぐさま話がまとめられたでしょう。イリスはきっと、すんなり承諾したと思います。フェルナリス家の長男が相手なら、素晴らしい縁談です。恥ずかしい思いばかりさせていた家族を喜ばせてあげられる……それなのに、わたしはまたわがままを言ってしまったのです。
わたしを見てくれていないイリスとは結婚できない。形だけの夫婦なんて寂しくて、虚しすぎる……この年になっても、まだそんなことを言って縁談を断るなんて、本当に馬鹿です。自分でもわかっています。わたしはどうしようもないわがまま者です。わかっているのに、折れることができませんでした。
「本当にいいのか? その、僕が嫌だっていうなら、しょうがないんだけど……もともと、僕のせいでこじれさせてしまったわけだし」
思いきったようすでイリスが問いかけてきたのは、最後に会った時でしたね。彼は彼なりに、わたしのことを心配してくれていました。ええ、そう、幼い頃から兄妹のように育ち、弟たち同様にわたしのことも可愛がってくれたのです。彼は優しい人です。同時に、とんでもなく無神経な人でもありました。
「同情してわたしをもらってくださると? それはそれは、慈悲深いお情けに感謝するべきかしら? まったく、ふざけた話ね。あなたのことは、こちらからお断りしたのよ。今さら泣きつくとでも思って? よけいなお世話です」
わたしを望んで、ではなく、気の毒に思って。自分のせいでこうなったのだという、責任を取るつもりで。
そんな気持ちで言われても、まったくうれしくありません。ますます虚しさがつのるばかりです。遠いあの日と同じに突き放したわたしを、彼は優しい苦笑で見ていました。
後々振り返って、あんなことを言うべきではなかったかも、たとえはじめは同情でも、結婚してともに人生を歩むようになれば、彼の気持ちも変わったかも……と後悔することもありました。でもきっと、何度同じ場面をくり返してもわたしはやはり同じことを言ったでしょうね。イリスは女心のわからない人ですけれど、わたしもたいがい意地っ張りでした。
……それからもう三年ですか。早いものですね。わたしはぎりぎり適齢期から完全な嫁き遅れとなり、もう周りもほとんどあきらめかけていたところに最後のご縁がありました。
正直、期待なんてまったくしていませんでした。またお断りして周りをがっかりさせたり怒らせたりするのがいやで、はじめから顔合わせもしたくありませんでした。ですが祖父の縁で見つけてくれたせっかくの話を、頭から蹴飛ばすわけにもいきません。渋々出向いて、対面した方は……なんと言いますか、いかにもといった田舎貴族でした。
イリスはもとより、これまでお話のあった方々と比べても、ずいぶん見劣りがしたものです。お背は高いけれどちょっと太り気味で、お顔だちも男前とは言えない、全体的に垢抜けないもっさりとした印象の方でした。なるほど、だからこんな嫁き遅れとの縁談にも乗ってきたのかと納得したほどです。女性と話をすることに不慣れなようすで、気の利いた話題が出てくることもなく、若い娘からは鼻で笑われてしまいそうな人でした。
……なのに、不思議ですね? お会いした当初から、抵抗感がまったくなかったのです。
これまでの縁談で常に感じていた、嫌だという気持ちがありませんでした。彼に何か魅力を感じて惹かれたわけではありません。申しわけないことながら、はっきり言って魅力はまったく感じませんでした。でも、抵抗も感じませんでした。
ふたりでいても居心地の悪い思いはなく、早く別れて帰りたいという気持ちになることがありませんでした。楽しくてそうなったのではなく、ただ負担に感じることがなかったという……なにが、そんなにちがったのでしょうね? これまでのことを思い出して比較しても、さっぱりわかりません。あの方に特別なものなど何もないとしか思えませんのに、でも違ったのです。
「結婚していただけますか?」
そう問いかけてきた時も、熱意を向けられたわけではなく、さっさと決めてくれないかという雰囲気でした。だからでしょうか、わたしも開き直りのような気持ちで「では結婚しましょう」とあっさり答えてしまいました。
求婚の言葉としても、それに対する返答としても、ずいぶんと情緒のないやりとりです。昔憧れたようなときめきはかけらもなく、お互い妥協した結果としか言えないありさまでした。
さんざん縁談を袖にして思い上がって、いよいよ貰い手がなくなってしかたなくあんな冴えない男と結婚することにしたのだ――陰口を叩く者はそのように言います。じっさいそうとしか言えない状況です。でもわたしの気持ちは、いたって穏やかでした。
婚約し、結婚の日取りが決められて、忙しく準備が始まる中、先方とは何度となく手紙をやりとりしました。なにぶん遠いもので、そう頻繁に直接会うことができません。お見合いのあの日から互いの顔を見たのは数えるほどでしたが、不安に感じることがなかったのは手紙から感じる誠意のおかげでした。
しゃれた話術や積極的な行動はない人ですが、わたしとのことを惰性で決めたわけではないと感じさせてくれました。ちゃんと、今後のことについて計画を考え、わたしを気づかってもくれます。わたしを見て、わたしとの未来を考えてくれている……それがとてもうれしくて、ずっとこれを望んでいたのだと実感させてくれました。
わたしはようやく、過去と決別できたのです。イリスのことはもう待ちません。彼には何も期待しません。わたしは、あの方と生きていく、そう決めました。
その矢先に届いた婚約の知らせに、複雑な気持ちはこみあげたものの、もう胸を痛めることはありませんでした。ただ、あのイリスが恋をした相手とはいったいどんな方なのか、それはとても気になりました。
養女とはいえ王女となった方に面会を申し入れたのですから、床に跪いてお待ちしました。相手がどのように反応するか、ちょっぴり試すつもりがあったのは年をくった女の意地悪さでしょうね。王女として高飛車にふるまうのか、それとも恐縮してあわてるのか――予想はどちらも外れました。
「はじめまして、ソフィア様。サノ・チトセです。どうぞお立ちくださいませ」
静かに落ち着いた声をかけられ、顔を上げて見たお姿は、聞いていたとおり幼げでした。十八歳ということでしたが、まだ十五にもなっていないような、王族としても結婚には早いのではと思わされる外見でした。
短い髪や、あまり凹凸のない細く小さな身体のせいで、よけいにそう見えたのかもしれません。ですが向かい合ってお話をしてみれば、中身はとても理知的な方であることがわかりました。
レイシュの厭味に、怒るでもなければいじけるでもなく、軽くやり返しています。頭の回転の速さと見た目によらない気の強さを感じます。それでいて高飛車ではなく、礼儀正しく接してくださる……正直、この方が庶民生まれというのが信じられません。彼女から受ける印象は、まさしく王族の姫というものでした。
堂々とした態度でありながら、不快な高慢さは感じさせない。高い教育を受けた人にしか見えません。ご本人はごく一般的な家庭の出身だとおっしゃいますが、おそらくその「一般」の基準はわたし達が考えるものとは違うのでしょう。わたしが普段見ている平民たちとは、まったく別の育ちをなさっていると確信しました。
どこの国のお生まれなのか、くわしいことを聞けなかったのが少々残念です。姫様のお話はわたしの知る常識とは大きく異なり、そんな国があったかしらと首をひねるばかりです。大げさに伝えられているだけだろうと思っていた巷の噂を、ちょっと信じてしまいそうにもなりました。
龍によって天よりつかわされた聖女――戦の終結に多大な貢献をしたとのことで、そんな噂が国中に広がっています。でもさすがに天から来た人なんてありえない、そこはでたらめだろうと思っていました。ええ、お会いしても普通の人にしか見えません。お可愛らしいですけど特別な美人ではありませんし、ちょっとお身体が弱くて、長旅や強い日射しに具合を悪くなさるような方です。色白を通り越して少々病的な、青白い肌をしています。ほんの少し力を入れただけで折れてしまいそうな細い腕に、見ていて不安を覚えてしまうほどです。もう少し肉をつけて日に当たらないと。そんな印象ですから、天から降りてきた方だなんてまったく思えませんでした。
さすがにそれは現実的ではない作り話でしょうね。でも、わたしの知る常識とはどこか違う、不思議な国に生まれ育った方のようでした。
イリスはこの方に恋をして、ともに生きていくことを望んだのですね。
あの鈍感で無神経で一本気な竜騎士を、普通の男にした理由はいったい何だったのでしょう。失礼ながら姫様を見ても、決め手となったものがわかりませんでした。姫様もわからないと苦笑していらっしゃいました。多分、はっきりとしたものではなく、単なる相性だろうと……そうですね、わたしもあの方と結婚を決めた理由は多分相性です。姫様のお言葉はいちおう納得できます。でも、それだけでイリスの気持ちを動かせたのだろうかと、どこか釈然としないものもありました。
納得できる理由を求めていたのは、完全に未練を断ち切るためだったのかもしれません。この方ならばと納得できる相手とイリスが結ばれれば、もうわたしが割り込む余地なんてありません。完全にふっきってあの方のもとへ嫁いでいくために、申し分のない理由を求めていたのです。身勝手な願いで、姫様には大変失礼な話です。
でも、姫様はちゃんと示してくださいました。わたしのためにではなく、イリスのために、そしてウルワットの領民たちのために。
領内を騒がせていた賊の討伐に知恵を出してくださり、ご自身が襲われた時にも子供たちを守ってくださいました。わたしは後から話で聞いただけですが、ずいぶんと冷静に対処なさったそうです。さぞ恐ろしかったでしょうに、取り乱すことなく賊と交渉し、村の子を守ってくださったとか。そしてその後も被害を受けた娘に心配りをしてくださいました。農家の娘が凌辱されたからといって、身分の高い人はあまり気にかけたりしないものです。命が助かったのならそれでよいではないかと、すぐに忘れられるのが普通です。イリスも男ですから、憐れには思っても救出以上のことをするなど思いつかないようすでした。
それを、姫様はちゃんと忘れず考えていてくださったのです。身体が癒えた後のことを心配し、ご自分が面倒を見ることも提案してくださいました。いろいろ検討した結果、わたしが婚家へ連れて行くことになりましたが、王女様からそのように言っていただいて娘の両親も感謝しておりました。
とても優しい方です。その優しさと、冷静に状況を見極める力で、長年の問題だったレイシュのことにも道筋を作ってくださいました。
最終的にレイシュを説得したのはイリスですが、そうなるよううながしてくださったのは姫様です。一度などイリスが激怒してあわや肉親同士で流血沙汰かとなりましたが、あわてるばかりのわたし達と違い、姫様はただ静かにイリスを諭し、止めてくださいました。ご自身にかけられた不名誉な疑いには何ひとつ文句をおっしゃらず、兄弟の仲をとりもつことに腐心してくださった。その言葉を聞くイリスと、聞かせる姫様との間には、たしかな信頼があると感じました。ふたりを見ていて、わたしはようやく理解と納得が胸に染み渡っていくのを感じたのです。
そう、この方を愛したのね。わたしがあの方と出会ったように、あなたはこの方と出会ったのね。
これでよかったのです。これが正しい形だったのです。わたしとイリスは無理に結婚するべきではなかった。わたしの選択は間違っていなかった。そう信じることができて、涙が出るほどにうれしゅうございました。
その夜、わたしはあの方に手紙を書きました。聞いていただきたくて、イリスとのことも全部書いてしまいました。手紙を出してから、ちょっとあけすけに書きすぎたのではと不安になったほどです。もしこれで不愉快な思いをさせて、破談にされてしまったらどうしよう――そんなことを考えていたら、思いがけなく早く返事が届きました。
あまりの早さにやはり破談かとおびえましたが、開いてみればとても真摯な、優しいお言葉がつづられていて、わたしはまた泣いてしまいました。わたしを思いやってくださり、そして今度こそ憂いなく結婚に踏み切れたことを喜んでくださっている。ああ、この人を選んでよかった。この人と出会えてよかった……神と運命に、そしてお世話になった方々に、心からの感謝を捧げました。
わたし達の結婚式は秋の予定ですが、おばさまのようすを見ているとイリス達とどちらが先か競争になりそうです。できればこちらが落ち着いてから結婚してもらって、あの方とともにお祝いに駆けつけたかったのに、難しくなりそうです。いくらなんでも、結婚したばかりですぐに里帰りというわけにはいきませんし……どうしたものでしょうね。
「お嬢様、お手紙と贈り物が届きましたよ」
あの方へ贈る晴れ着を縫っていると、ばあやが届いたばかりの品を持ってきてくれました。結婚が決まって以来あちこちから祝いの品が届けられ、もうあらかたの人からは受け取ったはずです。どなたかしらと目を通せば、イリスと姫様からでした。
イリスからは相変わらずの能天気な、でも彼らしい明るいおおらかな優しさが。姫様からは細々とした現実的な問題への気配りが書かれていて、少し笑いがこぼれました。こういうふたりなんですね。互いに補い合い、支え合って生きていくのでしょう。
わたしと、あの方も。
贈り物を開いてみれば、最高級の絹布や糸が一揃いありました。多分イリスから、わたしが裁縫を得意としていると聞かれたのでしょう。わたしが使えそうな華やかな生地もあれば、あの方に縫ってさしあげるのによさそうな生地もあります。真っ白な柔らかい綿布は、もしかしていずれ子供ができた時に産着にするためでしょうか。ちょっと気が早いようにも思いますが、ありがたくいただいておきましょう。彼らにお子が生まれた時には、まっさきにわたしが産着を縫ってさしあげますけどね。
「もうひとつありますよ。あら、きれいですね」
ばあやが取り出したのは、細密な装飾がほどこされた化粧箱でした。宝石なども使われたずいぶんと高級なもので、イリスってば張り込んでくれたのねと思いながら開いてみれば、ふたの裏に文字が書かれていました。こんな上等な箱に落書き?と驚きつつ文字を拾えば、それは姫様とイリス、そしてなんということでしょう、公王様と公妃様ご直筆の祝辞だったのです!
こ……っ、こんなものをいただいてしまってよいのでしょうか!?
箱を手にしたままわたしはうろたえるばかりです。ばあやもあまりのことに絶句していました。両親や兄夫婦も驚き恐縮し、一時我が家はたいへんな騒ぎに陥ったものです。
フェルナリス本家ならともかく、分家筋の我が家が公王様から直接お言葉を賜るなんて考えられないことです。きっと姫様がお願いしてくださったのでしょう。身に余る栄誉に混乱する思いでしたが、この贈り物のおかげでわたしの評判はずいぶんと救われました。公王が祝福する結婚を馬鹿にして陰口を叩くことなどできるはずもありません。さんざんわたしを笑っていた人々も、沈黙せざるを得ませんでした。
そこまで考えて、この贈り物を用意してくださったのでしょうか。わたしが結婚のことで後ろ指を差されていると、イリスが話したのかしら? 何も考えていないようで、時々妙に抜け目のない人ですからね。
歌仕掛けになっている箱からは、聞き覚えのない旋律が流れてきます。曲名は、姫様のお手紙を最後まで読むことでわかりました。姫様の故郷で親しまれていた、結婚する人へ贈る歌だそうです。
そういえば聖女の歌というものを聞いたことがありますね。公王様ご成婚のお祝いに贈られたとか。それとは別の曲ですから、もしかして大変貴重なものをいただいたのかもしれません。いえ、箱の価値はもとより直筆の祝辞など、すでに十分以上に貴重ですが、さらなる駄目押しとばかりに。
……これほどにしていただいて、わたしは何をお返しすればよいのでしょう。こちらからのお祝いはどうしようかと、ひどく悩んでしまいます。
これから歩く長い道のりに幸いあれと願う言葉で、手紙はしめくくられています。それがこの曲の歌詞だそうです。こちらからも同じ言葉を贈らせていただきましょう。姫様とイリスのこれからの日々に、たくさんの幸せがありますように。
手紙と贈り物を丁寧に片づけて縫い物の続きをしようとしたら、またばあやが飛び込んできました。今度は何かしらと思えば、
「約束もなく突然に押しかけて申しわけありません。近くまで来たものですから、せっかくならお顔を見ていきたいと思いまして」
恐縮しながら入ってきた大きな身体に、驚きと喜びがあふれました。はじめてお会いした時には特別魅力など感じず、お互いあきらめと妥協で決めたような気持ちでしたのに。いつの間にこんなにこの方を待ち遠しく思うようになっていたのでしょう。わざわざ遠回りになるのに立ち寄ってくださったのが、本当にうれしくてなりませんでした。
「とてもよい時に来てくださいましたわ。イリスと姫様からの贈り物が届いたばかりなのです。ぜひご覧になってくださいな」
あたたかな気持ちと、そしてちょっとしたいたずら心でもってお迎えしました。あの蓋の書付に、ぜひ驚いていただきませんとね。
そして一緒に考えていただきましょう。こちらからは何をお贈りすればよいのかを。
夫婦として一つひとつ協力し合いながら、長い道のりをともに歩いていきましょうね。
***** 言祝ぎ・終 *****




