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結婚報告は宣戦布告 《10》

 話が一段落ついたところで、さて、と領主夫妻は表情をあらためた。

「あなた方ふたりのことはそれでいいとして、下の子たちについてですけど」

「無礼を通り越し危険な目にまで遇わせてしまいましたこと、心からお詫び申し上げます」

 ふたりそろって頭を下げる。私はどう反応しようかと一瞬迷った。

 親世代の人たちに頭を下げられるのはどうにも居心地が悪いのだけれど、ここは受け入れておくべきだろうな。じっさい弟ズはちょっとやりすぎた。わざとじゃなかったにしても、下手をすると命にかかわる事態を招いてしまったのだ。それを親が謝るのは当然だし、レイシュの態度もひどすぎた。

「ニノイとルーフィについては、単なる悪ふざけということで済ませてかまいませんけど……本人たちも反省しているようですし」

 いずれきちんと報復させてもらうつもりだから、この場で文句を言うつもりはない。

「ただ、レイシュのことだけがちょっと気になっています。おふたりが結婚に反対するつもりがなかったのなら、彼を説得しようとはしてくださらなかったんですか?」

 私にぶつけてあとよろしく、ではあんまりだ。どういうつもりだったのかと言外に込めて問えば、ジュール卿が視線を落とした。

「返す言葉もありません。姫には不愉快な思いをさせ、まことに申しわけなく思っております」

「説得は、なさらなかったと?」

「いえ。イリスのことはあきらめろと、何度も言ってきました。しかし親の小言と聞き流すばかりで少しも態度をあらためず……これは一度、手痛い思いをする必要があると考えまして」

「今回の婚約が、レイシュにとってもよい機会になると思ったのです。あの子が反対すればするほど、イリスはあなたを守ろうとするでしょう。もうイリスは自分の道を定めて伴侶も選び、けっして自分ばかりを優先してくれないと思い知らされれば、さすがにあきらめるのではないかと……」

 その目論見は、ある程度成功したと言うべきだろうな。私に対してとことん攻撃的になったレイシュは、勢いにまかせてイリスを激怒させることまで口にしてしまった。誰よりも慕っていた兄その人から剣を向けられて、恐怖以上に絶望を感じただろう。あれでもう、甘えもわがままも通用しないと、さすがに思い知っただろう。

 でもずいぶんと後味が悪いな。

「こちらの事情で姫を振り回し、本当に申しわけございませんでした」

 ふたたびジュール卿が謝り、夫婦そろって頭を下げる。彼らの謝意を疑うつもりはない。真実私に申しわけないと思っているようすだ。迷惑をかけられたという話ではあるけれど、私にとっても他人事ではないのだから、レイシュとの対決自体は必要なことだったと思える。

 ……ただ、これで終わりとするには、まだ問題が残っているよね。

「僕からも謝るよ」

 イリスが言った。

「もともとは、僕があいつとちゃんと話し合わなかったのがいけない。あまりきつく言ってあいつを傷つけたくなくて、時間が解決してくれることを期待していたんだ。離れたまま大人になれば、あいつの気持ちも少しは変わっていくんじゃないかと思ってな。避けるんじゃなくて、もっと早くにぶつかっておくべきだった」

 どうして彼らがここまで消極的になったのか、その理由が気になった。この場で聞こうかと考え、結局やめておく。レイシュ当人を抜きにしてあまりこちらだけで話を進めたくもなかったし、未来の舅姑を前にしつこく食い下がるのも気が引けたからだ。これで悪い印象を持たれたくないという、保身も考えて、この場は引き下がることにした。

 でもこのままにしておくのはすっきりしない。これっきり関わりを持たない相手ならともかく、親族となって一生付き合うことになるのだから、けりはつけておかないとね。

 というわけで夫妻との話を終えたあと、私はレイシュの姿をさがした。彼の部屋を教えてもらって訪ねるも不在で、どこにいるのかと使用人に聞いて回る。どうやら外へ出たらしいとわかり追いかければ、館の外の小道に遠くなる背中が見えた。

 供も連れずひとりで、森の方へと歩いていく。ひどく落ち込んだ力ない姿に見えるのは、多分気のせいではないだろう。

 門まで回る手間を惜しみ、私は低い植え込みをまたごうとスカートに手をかけた。ちょっとお行儀が悪いけど、ごめんあそばせ。

「え、ちょっと待って」

「うわ、脚丸見えだよ」

 よいしょと足を上げたところでうしろから声がした。振り返るまでもなく双子が来たのだと声でわかる。私はそのまま植え込みを越えて、スカートを直してから振り返った。

「植え込みは傷めてないわよ」

「いや、そういう問題じゃなくて」

 呆れた顔をしながら、私より楽々と植え込みをまたいで彼らも出てきた。

「意外にお転婆だな。ソフィアだってこんなことしないよ」

「門まで回っていたらレイシュを見失ってしまうもの」

 私は遠ざかるレイシュを追おうと歩きだす。が、すぐに腕をつかまれ引き止められた。

「待って。レイ兄に何を言うつもり?」

 困った顔でルーフィが私を見下ろしている。かたわらのニノイも、怒っているのではなく困り顔だった。

「今はそっとしておいてくれないかな……君にひどいこと言ったのは事実だけど、レイ兄も傷ついてるんだ」

「いや、だからってレイ兄が悪くないってわけじゃないよ! あれは本当に悪かったと思うしレイ兄だってきっと後悔してるよ。でも今はまだ落ち着いて話せる気分じゃないと思うから……かわりに俺たちがお詫びするからさ。なんでも言うこと聞く。だから許してやって」

 ふたりは一生懸命私に頼み込んでくる。別にレイシュに文句を言いたくて追いかけてきたんじゃないんだけどな。でもそうだな、先に情報を仕入れておこうか。

 領主夫妻の前では聞けなかったことを、末っ子たちに聞くことにした。

「なら教えてくれるかしら。イリスの弟たちが彼をとても慕っているという話は、エンエンナにいた時から知っていたの。でも実際に会ってみて、あなたたちとレイシュとでは温度差があることがわかった。あなたたちのイリスへの気持ちは、兄弟としてごく普通の範囲だと思うわ。異質なのはレイシュだけ。なぜあそこまでイリスに依存しているのか、何か理由があるんじゃないの?」

 ブラコンといっても、十年も離れていた相手にあれほど執着するのは普通じゃない。そうなる理由があったはずだ。イリスや両親がこれまできつく言えなかったのも、そこに関係しているにちがいない。

 私に問われたふたりは顔を見合わせ、よく似たしぐさでうーんとうなった。

「あー……理由ね……」

「正直に言うと、俺たちのせい、なんだよな……」

「え?」

 思いがけない答えに、私は首をかしげた。ニノイとルーフィのせい? どういうことだ。

「俺たち、見てのとおり双子だろ。三回目の出産とはいえ、いちどに二人産むことになって、母上はすごく大変だったらしい」

 ニノイが話し始める。私達は少し移動して、木陰に入った。

「無事に生まれるかどうかもわからなかったらしいよ。妊娠してすぐの頃から母上は具合が悪くて、頻繁に寝込んでいたんだって」

「これ、使用人からこっそり聞き出したんだけど、堕胎させた方がいいんじゃないかって話まで出てたらしい。それはそれで母体にも危険だってことで、結局なしになったけど、そんな話が出るくらい深刻な状況だったわけ」

 こっちの医療技術じゃ、珍しくはない話なんだろうな。現代日本でも妊娠出産は大きなリスクと向き合う難事なのだ。ましてこちらで、双子を産むとなれば危険はいや増すだろう。

「そんなもんだから、母上はあまり大兄やレイ兄にかまえなくなって、産んだあともやっぱり大変で。母上自身の身体も危険な状態になったし、俺たちがまたかろうじて生きているって状態で、館中がかかりっきりみたいな状況だったらしいよ」

 当時の混乱ぶりが、なんとなく想像できる。大事な奥様とその子供たちが命の危機に瀕している状況で、誰もが不安と焦燥にかられていたのだろう。

「もちろん、大兄たちの世話を放り出していたわけじゃないけど、使用人に任せっきりで両親はほとんど顔も合わせられなくなっていた。間の悪いことに、その頃隣の領ともめてて、父上はよく館を空けていたんだ。最終的に公王の裁定をあおぐような事態にまでなったって聞いてる。仕事はそんな状況で、家庭では母上と俺たちが死にかけてて、とても大兄たちにまでかまっていられなかったんだ」

 ……ああ。それもなんだか想像できるな。下の子が難病を抱えて生まれてきて、両親がそっちにかかりきりになってしまうって、現代日本でも聞いたことのある話だ。医療費をかせぐために働いて、空いてる時間は病院に詰めて、親も大変だけど上の子も可哀相という状況だ。

 ここでも似たような状況が起きていたのか。

 上の子ふたりを世話する使用人はもちろんいただろう。乳母のような人もいたかもしれない。でも両親がそんな状態では、幼い子供には不安と不満が大きかったことだろう。

「当時レイ兄は五歳。状況をどこまで理解していたかわからないし、理解したらしたで不安だったと思う。それを支えてくれたのが大兄だったんだ」

 大人たちが大変な中、イリスが弟の面倒を甲斐甲斐しく見てやり、不安がるのをなぐさめていたらしい。赤ちゃんがえりしてぐずるレイシュと一緒に寝て、外へ遊びに連れ出して、弟の気がまぎれるようにいろいろしてやったそうだ。

 イリスだってまだ七歳だったのにね。その頃からお兄ちゃん気質は確立していたんだな。

「母上が床上げをするまでに、一年くらいかかったらしい。俺たちにいたっては三歳くらいまで何度も死にかけたんだって。その間レイ兄は大兄に育てられたようなものだ。気がついたらすっかり大兄べったりになっていたって」

「なんとなく覚えてるよ。レイ兄はいつも大兄にくっついてた。俺たちがそばへ行くと怒ったな」

 両親だけでなく兄まで取られると、幼いレイシュは思ったらしい。それを一緒に遊ばせて、兄弟としての関係を取り持ったのもやはりイリスなのだそうだ。

 ……イリスに不満はなかったのかな?

 ふと疑問に思ったけれど、考えるだけ無駄だと頭から追い払った。たとえ不満があったって、それよりずっと責任感や弟への愛情の方が強かったのだろう。彼は、そういう人だ。お兄ちゃんなんだからと自分を奮い立たせているうちに、他のことは気にならなくなったのだろう。大雑把な性格がいい方へ作用した稀少なケースだね。

「俺たちも段々丈夫になってきて、両親も落ち着いて、ちゃんとレイ兄のことをかまうようになったんだけど、それでも大兄にべったりなのはずっと変わらなくて。そうこうするうちに、あの事故が起きたんだ」

「事故?」

「聞いてるんじゃなかったっけ? 冬の森で、大兄とレイ兄があやうく遭難しかけたことだよ」

「……ああ」

 あれか。たしかイリスが十四歳、レイシュが十二歳の時だよね。

「あの頃から大兄はたくましくてさ。吹雪の中でも平気で狩りに行ける人だったんだけど、普通の子供には無理だ。レイ兄には厳しすぎた」

「あれも俺たちにちょっと責任があるんだけど……吹雪が続いて備蓄食糧で食いつないでたもんだから、新鮮な肉が食べたいってわがまま言っちゃったんだよな」

 またお前らかと言いたくなるのを、ぐっと抑えた。当時まだ七歳だ。そのくらい言うだろう。今の二人はどれだけ無茶なことだったかを理解して気まずい顔をしているから、今さら非難しなくてもいいだろう。

 やっと元気に育ってきた弟たちのために、イリスは吹雪の中狩りに出かけた。そこで彼がおかした失敗は、大人に声をかけずに独断で飛び出してしまったこと。そして追いかけてきたレイシュを連れて行ってしまったことだ。

 家のすぐ裏の森だし、吹雪もそれほど大したことないから大丈夫と油断したのだ。彼が大丈夫でもレイシュには大丈夫でなかったのに。

 仕留めた獲物と低体温症で動けなくなったレイシュをかついで、あやうく彼自身も館にたどりつけなくなるところだった。それを、双子から話を聞いた大人たちがさがしにきて、なんとか助かったのだ。

 レイシュは、それをきっかけにイリスについて回るのはやめたと言っていた。同じことをするのではなく、ちがう形で彼の支えになろうと考え直したと。でもそれは、イリスへの依存をなくすことではなかった。

「命を助けられたことで、ますます大兄に傾倒したんだな。一見兄離れしたように見えてみんな安心していたんだけど、実はそうでなかったってことに何年も経ってから気がついた。竜騎士になった大兄はもう家は継がないんだって、誰もがわかってレイ兄を跡継ぎとして見ていたのに、レイ兄だけがいつまでも大兄を待ち続けていたんだ。竜騎士を引退したら帰ってくるって……それまで二十年以上かかるってのに、ずっと待とうとしていたんだ」

「大兄が最近あまり帰ってこなくなったのも、レイ兄に自立させるためだったんだろうな。父上たちも、お前が跡継ぎだって言ってたんだよ。でもレイ兄は受け入れなかった。レイ兄にとって、誰よりも何よりも大兄がいちばんだったんだ」

 うーん……。

 なるほどねえ。それであそこまでのお兄ちゃんっ子ができあがったわけか。

 両親やイリスが厳しくしきれなかったのも、なんとなくわかった。両親はレイシュを寂しがらせ、不安がらせたことに負い目を感じているのだろう。イリスはさんざん面倒見てきたのに、今さら冷たく突き放すのが可哀相だったんだな。

 それを甘やかしだと言ってしまうのは簡単だけれど、家族なんてそんなもんだよね。私だって、ずいぶん甘やかされていた。正論だけでひたすら厳しくするのも、家族として正しいとは思えない。それはそれで、子供の精神に悪い影響を与えそうだ。

 どこまで甘くして、どこまで厳しくするか、難しそうだけど。

 放置し続けるのではなく、なんとか理解させようと努力はしていたのだから、イリスやご両親を責めるつもりはなかった。彼らだけが悪いのではなく、レイシュもまた悪いのだから。

 子供の頃はともかく、大人になった今なら当時親がどれだけ大変だったか理解できるはずだ。あの頃は寂しかったけど仕方なかったよねと、ため息をつきながらも軽く話せるようになっているべきなのに。説得されても聞き入れようとせずかたくなにイリスに執着し続けたのは、わがままでしかない。

 イリスにはイリスの人生がある。彼はレイシュのために生きているわけじゃない。兄弟として愛情は持っていても、だからって自分の人生を捧げるわけにはいかないのだ。

 レイシュがイリスの人生をちゃんと尊重し、自分のためでなくイリスのためを考えていたなら、領地は自分が引き受けるから心配するなと安心させて送り出していただろう。イリスの志した道を認めようとしなかったのは、ちょっと思いやりがなさすぎる。

 私もあまり人のことを言える立派な人間じゃないけれど、いつまでも甘ったれているなって話だよね。もう結婚したっておかしくない年なのに、子供みたいにわがまま言ってるのは情けないよ。

「それで、あなたたちはレイシュのために私を追い出そうと協力していたの?」

 レイシュのことから双子自身の行動に話を向けると、ふたりは首をすくめた。

「……ごめん」

「いや、俺たちもさ、大兄にふさわしくない相手なら認めたくなかったし。大兄はもてるくせに、女のことちっともわかってないからさ。過去に変なのに引っかかったこともあるから、いちおうたしかめようかなと思って」

 ほほう。どんな女に引っかかったんだろうね。あとで詳しく聞かせてもらおうか。

「君は見るからに中央のお嬢様って感じで、この田舎にはなじめないんじゃないかと思ったし。ちょっといやな思いしたらすぐにへそ曲げて王都へ帰るって言い出すかもしれない。そんな女なら、大兄に考え直せって言うつもりだった」

 ほうほう、これが小姑根性ってやつですか。

 冷たくなる私の視線に、ふたりはますます身を縮める。イリス以外誰も親しい相手のいない土地で無視されたり森で置き去りにされるのが「ちょっと」嫌な思いねえ。じゃあ、報復は「ちょっと」厳しめでもいいかな。

「……その、ごめんなさい」

「それで全部? 他はない?」

 うんと優しい笑顔と声を心がけて尋ねれば、なぜかよけいにおびえた顔で二人は白状した。

「り、竜が……君になついてたから」

「から?」

「ち、ちょっと気に食わなくて。俺たちにはさわらせてもくれないのに、君には自分から頬ずりまでしてるから、なんでだよって。主人の大兄だけが特別ならわかるけど、なんで君まで特別扱いなんだよと思って」

 あー、はいはい。そういうのもよくある心理だよね。それでちょっと意地悪してやろうと思ったって? でかい図体してガキどもめ。

 私は優しい笑顔のままでふたりに告げた。

「おっしゃるとおり、私は高慢なお嬢様なの。意地悪されてとても機嫌を損ねているわ。ごめんの一言だけでは、到底許せないくらい」

「うう……すみません」

「反省してます」

「なんでもするって、言ったわね?」

 それが彼らの口癖なのか、私にもイリスにも何度も言っていた。そうやって謝れば許してもらえると思っていたのかな? でも言った以上は実行してもらうよ。

「……ええと、何をすれば?」

 びくびくうかがうニノイとルーフィに、私は最大限の笑顔をふるまった。

「大したことは言わないわ。私、貧血性なの。夏はめまいや立ちくらみも起きやすくて大変。ニルギがそういう体質によく効く薬草なんですってね? マーゴさんから聞いたわ。採ってきてくれないかしら」

「え……」

「ニルギ……?」

 ふたりの顔がざっと青ざめた。

「場所はわかるわよね? ほんの三日前だもの、覚えているでしょう? 今から行っても、夕方までに余裕で採ってこれるわよね」

 あれだけ群生していたのだから、私の薬にするくらいすぐに集められるだろう。なに、ドンドンを刺激しないように気をつけて、葉っぱをちぎってくるだけだ。スリルを味わえて楽しいだろう。うっかり二、三ヶ所かまれてもどうってことはない。病弱だった昔とちがって、しっかりたくましく成長した今の彼らには大した問題ではないだろう。全身をかまれた賊だって、どうにか生き長らえているのだから。

「気をつけて行ってきてね。言うまでもないことだけど、あなたたちへの罰なんだから他の人に手伝わせちゃだめよ。もしそんなことをしたら、ドンドンをけしかけてやるからね」

 じっさいにドンドンが私の言葉に従うようすを見ていたふたりには、この脅しはよく効いた。がっくりと肩を落として、彼らはうなずいた。

「わかった……」

「行ってくる……」

 とぼとぼと館へ戻っていくふたりを見送り、さてと私は森の方角へ向き直った。

 レイシュの姿はもう見えない。今から追いかけて、見つけられるかな?




 さがす相手は思ったよりも簡単に見つかった。

 あの丸太橋を渡ったところで、レイシュはぽつんと立っていた。静かに流れる川面をじっと見下ろしている。

 私が来たこと気付いているだろうに、顔も上げない。彼と丸太橋を見比べて、私はそばまで行くのを断念した。今日もおしゃれ靴だ。ちょっとこの橋を渡り切れる自信がない。

 小さな川を挟み、対岸に立って私達は向き合った。

 レイシュはなにも言わない。私を見ようともしない。これは根比べになるかな。私はしゃがみ込んで、近くから川面を見下ろした。透き通った水の中に小さな魚が泳いでいた。

 魚に龍の加護は通じるだろうか。ちょっと好奇心を起こして念じてみた。来い来い、こっちこーい。

 知らん顔で魚たちは泳いでいる。やっぱり声に出さないとだめかな? でも水の中に聞こえるだろうか。

「……なんの用ですか」

 真剣に魚をにらんで念じていたら、うっかり聞き逃しそうになった。レイシュの存在を思い出して顔を上げる。彼はひどくうっとうしそうに私をにらんだ。

「勝ち誇りにでも来たんですか。さぞいい気分でしょうね。兄上は家を継がないとはっきり宣言してしまった。もうここへは帰って来ない……あなたはエンエンナで、好きなことをしながら兄上のそばにいられるんだ。ざまあみろと、笑いたい気分でしょう」

 うわー、拗ねてるいじけてる。立派な大人の男性なのに、本当に子供みたいだ。しょうがないやつだなあ。

「笑えばいいですよ。兄上はあなたを選んで、私に剣を向けた。あなたの勝ちですよ。好きなだけ笑って、私を嘲ればいい」

「……言ってて、自分でいやにならない?」

 しゃがんだまま膝に頬杖をついて、私は尋ねた。レイシュが細い眉を寄せる。

「そんなふうにいじけて自虐的になって、でも結局言ってることはぐずぐず甘えたわがままで。そんな自分が情けなくて嫌にならない?」

「なにを……!」

 怒った顔で言い返そうとして、でも言葉が続かない。今のレイシュの気持ち、多分けっこうわかるよ。そういういじけた気持ちを私もさんざん抱えてきたからね。周りをうらんで、でもそんな自分がいちばん嫌で、自己嫌悪に陥った。今のレイシュは、そっくり同じだ。

 私は立ち上がり、軽くスカートをはらった。

「勝ちも負けもないでしょう。離れて暮らしたからって、兄弟の縁が切れるわけじゃなし。もしウルワットやあなたに何か起きれば、きっとイリスは飛んで帰ってくるわ。そのくらい、わかるでしょうに」

「…………」

「でも拗ねて意地を張りたい気持ちもわからないわけじゃない。そういうの、私も経験してきたからね。好きなだけいじけていたら? そのうちいい加減うんざりして、自分を変えたくなるかもよ」

「…………」

 怒るだけでない、複雑な顔でレイシュは私を見ている。それに軽く笑い返し、私は言った。

「今私があれこれ言ったところで、とても聞く気にはなれないでしょう? たっぷり自分で考えて。なにがいけなかったのか、どうするべきなのか。あなたは賢い人なんだから、本当はわかっているはずよ。ただそれと向き合うことができず、認めたくなくて抵抗していただけでしょう。向き合えるまで、いくらでも悩んで考えて。ただ、ひとつ聞きたいことがあるのよ」

「……何を」

 警戒しているのか、さぐる目でレイシュは私をうかがう。真面目な話なんだからへらへら笑わない方がいいかな。私も顔を引き締めた。

「昨日の問題発言ね。イリスを怒らせたアレ」

「…………」

 言ったとたんにレイシュの顔がゆがんだ。怒っているようにも見えるけれど、私から目をそらして視線をさまよわせるあたり、自分でもまずかったと自覚はしているらしい。

「戦に限らず、女性が暴力で無理やり犯されることはいくらでもあるわね。どこの国でも、いつの時代でも、性犯罪というものはかならずある。あなたは被害を受けた女性を、もう結婚する資格のない、まともな女ではなくなったと考えているの?」

「…………」

 色白な顔がさらに青ざめ、彼の両手がきつくにぎりしめられる。いじめているような気分になるけれど、大事なことだ。私は言葉を続けた。

「社会全体にそういう意識があるのかしれないわね。女性の地位が低ければ、それが当然という風潮になるかも。でもたとえばよ? あなたの大切な人が――ソフィアさんとかが被害を受けても、同じように考えられる?」

「…………」

「大切に思っていた相手でも一度被害を受けてしまえば、もう切り捨ててしまえる? そうじゃないでしょう。大切な相手のことなら、もっとちがう気持ちになるでしょうね。でも本当は誰が相手であっても同じだわ。被害者はいたわられるべきであって、蔑まれる理由なんてない」

 レイシュの身体が小さく震える。彼が自分の発言を後悔していることは十分にわかった。普通なら、ここで止めてもいいところだ。でもレイシュには最後まで聞いてもらおう。次代の領主に、人の痛みを理解し思いやる気持ちを刻んでもらいたい。

「好きで被害を受ける女性なんていない。悪いのは暴力で自分の欲望をかなえようとする男の方よ。ただでさえひどい目にあって辛い思いをしているのに、さらに周りから冷たい目で見られお前はもう傷物だなんて言われたら、どんな気持ちになるか、想像できない? 多分ね、生きることすら難しくなるわよ」

「…………」

「そういう被害者を、思いやることはできない? けっして遠い話ではないわ。今現在、この領内で起きていることよ。この間の賊にさらわれていた女の子は、今きっと地獄の中にいるでしょう。まだ本当の意味では助かっていない。賊から救い出して家に帰してやればそれで終わりと思わないで。心ない言葉から守り、辛い記憶と傷から立ち直れるよう支援してあげることが必要よ。私の国では民間の有志もそうした活動をしていたけれど、この国ではもっと力を持つ人でないと難しいでしょうね。領民を守るのは、領主とその一族の仕事。ならこういう問題だって、おろそかにはしないで。何をするべきなのか私も一緒に考えるから。生きることすら辛い苦しみの中にいる人を、助けてあげましょう?」

 レイシュの目がゆっくりと私に戻ってくる。そこに反発の色はもうなかった。苦しそうな顔でしばらくためらい、やがて小さな声が聞こえてくる。

「……申しわけ、ありませんでした……」

 うなだれる姿が、ひどく頼りなく見えた。私より年上の人なのに、叱られた子供みたいなのがちょっとおかしくて、可愛らしかった。

「私は傷ついてないから大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。イリスももう怒ってないから、じっくり話し合うのね」

 私はちらりと来た道を振り返る。イリスがゆっくりと、こちらへ歩いてくる。私を心配したのかレイシュをさがしたのか――両方かな。くるりと方向転換して私は館の方へと歩き出し、イリスとすれ違った。何か言いかけるイリスの背中を押して、レイシュの方へと向かわせる。苦笑を見せて、イリスは丸太橋へと歩いていった。

 ふたりは長く話し込んでいたようだ。館へ戻ってきたのは空が赤くなる頃で、その頃にはニノイとルーフィも帰ってきて疲れ果てた顔で私に籠いっぱいの薬草を差し出した。ドンドンにはかまれずに済んだらしい。よく頑張りました。

 しっかり天日干ししてからでないと薬にはできないそうで、マーゴさんがあとを引き継いでくれる。後日出てきた煎じ薬は、実に強烈な臭いを放っていた。


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