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結婚報告は宣戦布告 《2》

 ウルワットの領主館に到着した翌日、朝からイリスは出かけることになった。前日に頼まれた、賊の被害調査だ。

「ちなみに賊って、どんなの?」

 見送りに出た玄関前で、今さらな質問をした。昨日は疲れていたから、晩餐の後すぐに寝てしまったのだ。彼ともあまり話をしなかった。したくても弟ズに邪魔されてできない状況だったし。

「泥棒? 強盗?」

「この場合は強盗だな。人里離れた場所で襲ってくることが多いが、今回は村に近い場所にまで現れるらしい。まあこういう田舎じゃわりとよくある話なんだけど」

 よくあることなのか。それは物騒だな。なにかあるとすぐ刃傷沙汰になるこの世界に、いい加減慣れてはきたものの、そういう話はやっぱり怖い。毎日事件の報道があっても、現代日本はここよりずっと平和で治安がよかった。

「調査中に鉢合わせしちゃったりしないかしら。気をつけてね」

「むしろ鉢合わせできたら幸運だけど、そう都合よくはいかないだろうな」

 心配する私とは反対に、イリスは軽く笑う。飛竜騎士たる彼にとって、賊なんて恐れるべき相手ではないのだろう。でも何人いるかわからないのだし、あまり見くびらない方がいいんじゃないのかな。四十人いたらどうするんだよ。

「大兄、早く」

「もう出ないと」

 一緒に出かける双子たちが急かしてくる。ほかにもフェルナリス家の配下にある騎士が数人同行することになっていた。馬を伴ってイリスを待っている。こういう人たちが集まると領主軍になるんだね。ナハラでの戦いを思い出す。

「待たなくていい、さっさと出発しろ。どうせ僕の方が先に着くんだから」

 イリスはもちろんイシュちゃんで行く。昨日私たちより少し遅れて、ちゃんと彼女は領主館にやってきた。過去に何度も里帰りにつきあっているから、もう覚えているらしい。

 イシュちゃんにもいってらっしゃいの挨拶をする。鼻筋から額にかけてなでてあげると、うれしそうにすり寄ってくる。

「そんなこと言って、俺たちの方が早かったらどうするの」

「セル村まで早駆けすればすぐだ。竜にだってそうそう遅れないよ」

「なら先に調査を始めていればいいだろ。雛鳥じゃないんだから人の後ばかりついて回らないで、自分たちで考えて行動しろ」

「してるよ。そっちこそいつまでも子供扱いするなよな」

「子供じゃないなら僕を待たなくても行動できるだろう。早く行け」

 お兄ちゃんに甘えたい弟たちに、イリスはけっこう素っ気ない。双子はぶーぶー口をとがらせていた。

 見た目はほとんど大人なのに、どうにも子供っぽいな。私に言えたことではないんだけれど、彼らはまだ社会人としての意識が足りないようだ。

 騎士たちなら、こんなふうにべったりな態度は見せない。命令されたら迅速に行動する。相手が身内という意識の方が先に立っているんだろうな。仕事に出かけるというより、家族でのおでかけ気分なのだろう。逆にイリスは、部下たちを相手にするのと同じ感覚でいるようだ。双子がぐずるほどに顔つきが厳しくなっていく。さすがにこのままでは怒らせると悟ったらしく、ニノイとルーフィは渋々馬にまたがった。

「ごめんな、着くなりひとりにしちまって」

 イリスはふたたび私に向き直った。

「なるべく早く帰るようにするけど」

「犯罪が起きているんだから、早期解決に尽くすのは当然でしょ。住民たちは気が休まらないでしょうから、しっかり調べてあげて」

 強盗が出没しているのに、ろくに調べてももらえないんじゃ困るものね。さっさと逮捕してくれと、みんな思っているだろう。

「どのみち今日は身体を休めたいし、気にしないで行ってきて」

「ああ、ありがとう」

 身をかがめた彼が、軽く額に口づける。

「なにかあったらマーゴに相談しな。彼女は見た目どおりの人物だ。君が警戒する類の人種じゃないから、信頼していい」

 小声でアドバイスをくれる。私が緊張して周りを警戒しまくっていることに気付いていたか。

 結局双子は先には出ず、イシュちゃんが飛び立つのを見届けてから出発した。空と陸の騎影を見送り、私は館の中へ戻る。日射しが強いので、あまり外にいたくなかった。

「兄上たちはもう出発しましたか」

 部屋に戻る途中でレイシュに出くわした。朝食は個別だったので、今日はこれが初顔合わせだ。

「おはようございます、たった今出発しましたよ」

 私が答えると、思い出したように彼も「おはようございます」と言った。

「到着早々あわただしくて申しわけありません。ですが、領内の重要な問題ですので」

「そうですね。私も犯罪が起きているという話は怖いですから、早く解決してほしいです」

「あなたには退屈させてしまうでしょう。よろしければ、これからお茶でも一緒にいかがですか?」

 昨夜の晩餐では私を無視していたくせに、今朝はサービスがいいな。ちょっとあやしいぞ。

 さすが兄弟と言うべきか、レイシュもかなりの美男子だった。肩の辺りで切り揃えられた髪は淡い金色、瞳は薄いブルー。肌も色白で、絵に描いたような王子様タイプだ。雰囲気が全然ちがうので一見イリスと似ていないような印象を受けるけれども、よく見ればやはり似ている。微笑みながらこんなことを言われたら、たいていの女の子はときめくのだろうな。しかし私はその笑顔の下の真意を勘繰らずにいられない。イリスがいなくなるや接触してくるとは、何をたくらんでいるんだか。

 まあいい、受けて立とう。ここで逃げるわけにはいかないものね。

「うれしいですけど、お仕事はよろしいんですか?」

「ええ、一段落ついたところですので」

「お気遣い、ありがとうございます」

「どういたしまして、私もお話ししたいと思っていたのですよ」

 レイシュは私を一階の談話室へ連れて行った。女中さんがお茶とお菓子を運んできてくれる。バターをたっぷり使った、ケーキとクッキーの中間みたいな焼き菓子だった。濃厚な甘さがうれしい。

「昨夜はつい身内同士の話で盛り上がってしまい、失礼しました。なにぶん兄とは三年ぶりの再会でしたので、積もる話も多く」

 表面上はなごやかに、レイシュは話す。

「兄からあなたのことを聞いておくべきだったと思い出したのがもう別れてからで……今朝はそんな話をする時間もありませんでしたし」

「何か、お知りになりたいことが?」

 お茶もおいしいな。目下いちばんのお気に入りはリッカの花茶だけれど、これもなかなかだ。なんていうお茶だろう。この地方の特産かな。

「不躾でなければうかがっても? 外国のお生まれだそうですが、どちらの国なのかくわしいことを存じませんもので」

 このお菓子、ブラウニーに近いかな。チョコレートは使われていないけど、もったりした生地が似ている。

「日本です」

「ニホン? 聞いたことのない名ですね。それは国の名前ですか、それとも島の?」

「島国でした。でもご存じないのは当然ですね。とても遠いところですから」

 そういえばこの世界にもチョコレートはあるんだよね。多分高級品で王宮でも滅多に食べられない……って、どうせハルト様の命令で甘いもの制限かけられているんだろうけど。

 よそへ出かけた時の方がたくさんスイーツを食べられるなんて皮肉だな。

「それは妙な話ですね。私はすべての国名を覚えております。シーリースから遠く離れた小さな国であろうと、知らない名はありませんよ」

 お菓子に気を取られていたら、レイシュの声がほんの少しだけ鋭くなった。私はゆったりと微笑み、彼に意識と視線を戻した。

「ご出身を明かせない事情でも?」

「いいえ、お話しするのは全然かまいません。でも言ったところで誰も信じないでしょうから。かえって嘘をついていると疑われて、面倒なことになりそうなので」

 それどころか、頭を心配されるかもね。

「そのような話で煙に巻くなど、ご自身に対する印象を悪くするだけだと思いますよ」

「しかたないですね。適当な国名を挙げても、つっこまれたら嘘をついていることがわかりますから。二度と帰ることもできない故郷について、一生懸命説明するのもなんだかむなしいし。唯一語り合える相手は何百年も昔に亡くなっていますからねえ」

 私がふざけていると思ったのだろう。レイシュの顔から笑みが消えた。

「そのようなお返事をいただくとは思いませんでしたね。あなたは兄と結婚なさるおつもりでしょう? 私とは義理の姉弟になるというのに、素性もはっきり明かさずごまかそうとなさるのですか」

「まあ、申しわけありません。お気に障りましたなら、お詫びいたします。別にふざけているつもりはないんですよ? そうですね、イリスが帰ったら、彼にお聞きになってください。イリスは私がどこから来たのか、知っていますから」

 イリスには隠していないよという返事をどう受け取ったのか、レイシュは一旦口をつぐんだ。この場ではこれ以上つっこむのをやめたようで、話題を変える。

「それほど遠くから来られたあなたが、どういういきさつで兄と知り合われたのです?」

「浜辺に打ち上げられていた私を、イリスが見つけて救助してくれたんです」

 あれから一年か。つい昨日のような、もうずいぶん昔のような、不思議な気分だ。

「打ち上げられていた?」

「船が沈没したんです。海に投げ出されて、てっきり死んだと思ったんですけどねえ。まさか助かるとは思いませんでした」

「それは、ご災難でしたね」

「あとは、おそらくご存じかと……ハルト様が私を引き取ってくださって、エンエンナで暮らすようになりました」

 私が彼らについて調べたように、彼らも私のことを調べていただろう。私が身寄りのない拾われっ子だなんてことはとうに知っているはずだ。

「兄は女性にもてる割に、なかなかうまくいかなくてね。結婚まで話が進んだのはあなたが初めてです。決め手は何だったんです?」

「うーん……」

 なんだろうね。具体的に聞かれると答えにくいな。

「難しいですね、これってはっきり挙げられるものじゃ……」

 ついでに言うと恥ずかしいよ。

「まあ、ずっと一緒にいたかったから、かな」

 このくらいで勘弁してください。のろけ話を堂々とできるほど、まだ開き直っていませんもので。

 笑ってごまかす私に、レイシュもお愛想笑いで返す。和やかなようでどこか白々しい空気が流れた。

 うちとけなきゃいけないんだけどなあ。政治でも戦でもないんだから、こんな腹の探り合いな雰囲気にならず、もっと和気藹々となりたいのに。どうして私はそれがうまくできないんだろう。でもこの場合、レイシュの方にも責任はあるよね。

 カームさんやデュペック候を思えば、レイシュはずっと感情が読みやすかった。一見クールなようでも隠しきれていない。私への疑いや嘲りがちらちらと顔を覗かせている。私がどう反応するか、どんな言葉で答えるか、観察している。

 フェルナリス家の嫁の座を狙ってイリスに近付いたとでも思われているのかな。だとしたら調査不足じゃないですかね。身分や財産狙いならカームさんにプロポーズされた時に飛びついてたよ。

「兄にしっかりした花嫁がきてくれるなら、我々としてはありがたい話です。頼りになる一方でどこか抜けている人なのでね。領主夫人として兄を補佐できる人をさがしていました。ウルワットの領主夫人ともなれば、適当な人物には勤まりません。役割をよく考えもせず、家柄だけに目がくらむ女性が多いのですが、彼女たちが憧れるような華やかな暮らしではありませんよ。生活はこの田舎が中心ですし、領内で何か起きるたびに飛び回ることになる。流行りのおしゃれと噂話が生きがいのご婦人には、とうてい耐えられないでしょう」

 甘い夢見てんなよ、お前にできる役目じゃねーよ、とっとと尻尾巻いて帰れ――翻訳するとこんなところかな。別に華やかな暮らしに憧れてはいないけどね。でも田舎で飛び回る暮らしというのも、なかなかきつそうだ。正直なところ、私は領主夫人なんてめんどくさいことはしたくない。普通の奥さんがいい。

 その辺については、イリスと彼らとではちがう考えがあるみたいだな。

「イリスが家を継ぐというのは、もう決まっていることなんですか? 彼自身は、領主になるつもりはないと言っていたんですけど」

 聞いてみると、レイシュは何を馬鹿なと言わんばかりに大きく眉を上げた。

「あなたはそれをどうお考えで?」

「私は、何も。決めるのはイリスと、この家の人たちですから。どのみち、今すぐの話じゃありませんしね」

 イシュちゃんが現役引退するまであと十六年。少なくともそれまでは、イリスは騎士を続けるだろう。

「個人的な予想ですけど、竜を失ってもイリスは騎士を辞めないんじゃないかなって気がするんですよね。周りもそれを望みそうな……アルタの後継というには年が近いですけど、可能性はありますし」

 本人が希望するなら、騎士団に残ることはできる。指導役に回ってもいいし、別の隊へ異動してもいい。あるいはもっと上の役職に就くか――領主になったイリスというのはあまり想像できない。彼は生涯騎士なんじゃないかという気がする。

「……それは我々に、兄をあきらめろという話ですか」

 レイシュの声が低くなる。ちょっとまずかったかなと、私は気を引き締めた。

「いえ、そういうつもりは。結局どうなるかわかりませんし、選ぶのはイリスですしね。私は彼の選択についていくだけです」

 進路なんて本人の希望にまかせればいいじゃん、なんて現代日本人的な考えをこの場で押し出すのはまずいだろうな。価値観や家のあり方、社会状況などいろいろ違うんだから、同じ目線では語れない。こういう問題は先にイリスときちんと話し合うべきだ。勝手にあれこれ言いすぎるのはよくない。やめておこう。

 領主夫人の座を狙う女も受け入れられないが、イリスをこの家からとりあげる女も許せないと。レイシュの希望はめんどくさいな。どういう女性が理想なんだろう。てか、自分がそういう相手と結婚すればいいじゃんね。いい年してブラコンやってないで、彼女作ればいいのに。

「たしかに、兄と我々で決めることですが。まあ参考までに聞かせてください。あなたはどういった希望をお持ちなのです?」

「私の?」

「一騎士の妻になるよりは、領主の妻の方がよいのでは?」

 表情と声音をうまくとりつくろってレイシュは尋ねる。どうせ狙ってんだろという指摘にも見えるし、一緒に説得してくれというお願いにも取れる。どっちかな。

「妻になりたいというより、私はキャリアウーマンになりたいんですよねえ」

「キャリア?」

 ちゃんと翻訳されなかったか、レイシュは怪訝そうに首をかしげた。

「働きたいんです。読み書きや一般常識に不足があったので、今までは勉強中心でしたが、そろそろ本格的に考えようかと思っていて」

「働く? 兄にあなたを養う甲斐性がないとおっしゃりたいんですか」

「私の国では女性も働くのが当たり前だったんですよ。結婚や出産を機に専業主婦になる人も多いけど、独身のうちはほとんどの人が働いていましたね」

「…………」

「一度仕事を離れても、子供がある程度育ったらまた働きに出たり。お金を稼ぐためだけじゃなく、知識や技術、経験、人との関わりを持つために社会へ出ていく女性が多かったです」

「……女がそのようなものを望んで、どうなるというのです」

「それは、私の国を見てもらわないとわからないでしょうね。別にこの国のあり方を批判するつもりはありませんが、女性にももっと自由に活躍の場が与えられるようになるといいなとは思いますね」

 こっちでも、庶民の女性は生活のために働く。でも裕福な家では女は家にいるものという認識が一般的なようだ。貴族ともなると、奥方が働くのは家の恥とまで考える人もいる。スーリヤ先生は公王からじきじきに依頼を受けて教育係を務めるという、むしろ名誉職なので例外扱いだった。

 私の言葉に、案の定レイシュは不快そうな顔をした。

「兄が物笑いの種になるようなことを望まれるのですね。まがりなりにも王女の位を受けた方のお考えにしては、あまりに非常識では」

「価値観の相違は難しい問題ですよね。だからイリスには、私の希望は前々からはっきり伝えてあります。ついでにハルト様やユユ妃にも。どうしてもだめだと判断されたら、そう言って反対されるでしょう」

「……まあ、あなたの希望をつぶそうとは思いませんよ。望むようになさればよいでしょう。ただ、その結果兄との結婚はあきらめていただくことになるかもしれません。その覚悟はおありで?」

「ありえますねえ。イリスがそう言ったらあきらめます」

 笑顔でうなずくと、レイシュは渋面になってだまった。

 先のことはわからない。いつか愛情が冷めるかも、別れを切り出されるかもとおそれながらではやっていけない。故郷を捨ててこの世界へ戻ってきたほど、大切でいとしい人。できるかぎり彼と長く一緒にいられるよう、努力するしかない。

 でもそのために自分の気持ちを全部押さえ込んでいたら、不満ばかりがつのっておかしくなってしまうだろう。お互いの気持ちをちゃんと理解し合って、時に譲り、譲られ、妥協点をさぐりながらやっていく。結婚は妥協と諦めだなんていうのは、そういうことだろう。

 イリスは私の希望を尊重してくれる。働きたいという話も、馬鹿にせず真面目に聞いてくれる。私は夢をあきらめるのではなく、恥と言われないような立派な働きぶりをめざす。

 その後はあまり話もはずまず、レイシュとのお茶会はお開きになった。うちとけるどころか、マイナスの印象を強くしてしまったようだ。最後は不機嫌を隠すこともなく、レイシュは仏頂面のまま去って行った。どうやったら仲良くなれるのか、ため息が出そうだ。

 部屋に戻ろうと思っていたが、なんとなく居心地の悪さを覚えてうろうろとさまよう。また庭へ出て、人気のない場所をさがして歩いていたら、裏手の方へやってきた。

 人がいないところへ行きたかったのに、逆ににぎやかな場所へ出てしまった。女性たちのおしゃべりが聞こえる。どうやら女中さんたちが、洗濯物を干しに出ているようだ。

 彼女たちに気付かれないよう植え込みの陰に隠れ、そっと回れ右しようと思った。でも気が変わってもう少し、こっそり近付いてみる。見つからないよう気をつけながら、彼女たちの会話を盗み聞きする。

 いけないことだけどね。でも気になるじゃない。

「それ、姫様のお衣装?」

「そうよ。昨日お召しになってたもの」

 案の定すぐに私の話題が飛び出してきた。あまり変化のなさそうな田舎にやってきた客、しかも跡取りの嫁候補なんていうビッグニュースだ。当分私の噂で盛り上がるに違いないと、思ったとおりである。

「見せて見せて! ……やっぱり素敵ねえ。今都ではこういうのが流行ってるのね」

「このレース、ものすごく細かいわね。干すの気をつけないと、おかしくしちゃったら大変よ」

「それねー、洗うの大変だった。下着から何から最高級のものばかりじゃない? すっごい気をつかうわー」

 ……どうもすみません。適当でいいですよ。人さまに洗濯させといて細かい文句なんて言いませんから。

「王女様がお召しになるものだもんね、当たり前だけど……でもご本人は、思ったより地味な御方だったわね」

「地味っていうか、子供っぽい?」

「今年十八になられると聞いたけど、全然そんなふうに見えなかったわね。わたし一瞬、姫様のおつきの侍女が出てきたのかと思っちゃった」

 ええ、そうでしょうね。そっちの方が私にはお似合いです。

 下の地面が湿っていないことを確認して、そっと座り込む。今日のドレスは紺色なので、ちょっとくらい汚れても目立たない。

「イリス様も童顔だから、ちょうどいいんじゃない? 年相応の姫様だったら、そのうち外見追い越しちゃうかも」

「あれもねえ。二十歳越してから全然年取らないからねえ」

 笑い声があがる。たしかにイリスは、ちょっと妖怪の域に入りかけているかも。

「ソフィア様も、ほかへ嫁がれることになって正解だったんじゃない? あのままイリス様と結婚なさっていたら、きっとお悩みになったわよ」

「すでに今現在、年上に見えそうだもんね」

 ……ソフィア様?

 誰だろう。この流れからして、イリスの元カノみたいな感じだけど。

「けどお似合いだと思ってたのよね。イリス様の隣にはさ、やっぱりソフィア様くらいの美人でないと釣り合わない気がしない?」

「いちばん親しくて、家のことにも理解のあるお相手だもんね。わたしはてっきりそうなると思ってたわ。イリス様もそのおつもりだったみたいなのに……なんで流れちゃったのかしらね?」

 ――なに?

 イリスが元カノと結婚まで考えていた? そんな話を聞いたのは初めてだぞ。

 いろんな女の子とつきあったけど、いつもすぐふられて長続きしなかったと聞いている。イリスにきちんと恋愛する気がなくて、相手の気持ちをちっとも理解しなかったのが原因らしい。つまり、つきあってはいても相手の片思いでしかなかったと。

 でも、イリスの方も結婚まで考えた相手がいる? それがソフィア様? どういう人なんだろう。

 親戚の女の子の話をイリスから聞いたことはある。子供の頃は仲がよくて、周りの大人が縁組も考えていたと。その人のことなんだろうか。でも当人同士にその気はなくて、最近はほとんど会っていないという話だった。嘘だったの? イリスも結婚を考えていて、でもふられちゃった?

 胸がいやな感じにどきどきした。イリスにその気がなくて破局した話ばかり聞いていたのに、イリスもその気になった相手がいたなんて……本当だったらすごく気になる。

「養女とはいえ公王様の娘なんだから、フェルナリス家は二代続けて王家から降嫁されて、名誉ではあるんだけどね」

「奇跡の聖女とか言われてるもんね。あんまりそんなふうに見えなかったけど」

「まあイリス様ご自身が強く望まれたらしいから、いいんじゃない? ただレイシュ様たちがね……」

 苦笑まじりに彼女たちは息を吐く。困った若様たちに笑うしかないといったようすだ。

「納得なさってるごようすはないもんね。旦那様にも強く抗議なさってたし」

「公王様のお声掛かりの縁談だから、表立っては反対できないけど、なんとかして追い出そうと画策するでしょうね。姫様大丈夫かしら」

「おとなしそうな方だったし、いびられて泣いてしまうかも」

「うーん、でもそんなに弱気な方じゃあ、奥方にお迎えするのも不安があるしねえ。そこで負けずに張り合えるくらいじゃないとさ」

「でも三対一じゃ、ちょっとかわいそうじゃない?」

「何言ってんの、領主夫人になったらもっと大変なこともあるのよ。ま、お手並み拝見よね。ある程度は頑張ってもらわないと」

 おしゃべりしながらも、彼女たちはてきぱきと身体を動かして仕事を片付ける。さすがプロフェッショナル。あっという間に洗濯物を干し終えて、館の中へと戻っていった。私は静かになった裏庭にひとり残り、物陰に隠れたまま思案する。

 どうやら、私との結婚についてはっきり反対しているのは、三兄弟だけらしい。公王が認めた縁談ということで、受け入れる方向で話は動いているのか。領主夫妻の考えはまだわからないが、さっきの女中さんたちは積極的な賛成も反対もなく、静観の姿勢らしい。それが使用人、領民たちの一般的な意識ととらえていいのだろうか。

 情報が足りないので、まだ決めつけはできないが……少しだけほっとした。四面楚歌な状況は嫌だからね。

 当面の敵は三兄弟、と。そこはまあ、事前に考えていたとおりだ。

 あともうひとつ気になるのは、「ソフィア様」のこと。イリスとの縁談は流れ、ほかへ嫁ぐことになったみたいだから、あまり気にしなくていいのかもしれないが、そうはいってもやっぱり気になる。よくある恋愛の悩みを自分も普通に抱いたことにちょっと驚きつつ、ソフィア様についてイリスに聞くべきかどうか迷った。

 元カノとのことをしつこく聞き出されるのは、男としては嫌だろうな。別口から調べるべきだろうか。事情をよく知っていそうなのは、やはり身近にいるこの館の使用人たちだが、情報をさぐるにはまず彼らと親しくならなければいけない。いきなりハードルが高い。

 ……マーゴさんからとりかかるか。頼れる人だとイリスも言っていたし、うまく話を向ければ何か聞き出せるかも。

 部屋に戻ろうと私は立ち上がる。考えに集中していたため、うっかりしてしまった。

 季節は夏。ずっとうずくまっていて、そこから急に立ち上がったらどうなるか。

 これ、元気な人にはわからないかもね。私と同じ体質の人なら理解してくれるだろう。

 お尻を払う暇もなく、目の前が暗くなった。頭が痛いような重いような、ひどい気持ちの悪さに襲われる。目を開けているのに何も見えなくなり、音も遠ざかる。息苦しさを感じて私はふらついた。

 しまった……夏場は立ちくらみが激しくなるから、立ち上がる時には気をつけなきゃいけなかったのに。

 頭がぐらぐらする。胸とこめかみがドクドク鳴っている。なかなか視力が戻らない。気分の悪さと苦しさをこらえつつ、手近な木にすがりつこうと手を伸ばした。しばらくじっとしていればおさまるから――そう思ったのに、もたれかかった場所には何もなく、そのまま身体がかしいでしまった。こっちじゃなかったか。

 踏ん張る力もなくて、そのまま私は地面に倒れ込む。ばたりとかなり大きな音がしたことはわかった。

 夏の日射しに乾いた土が、温かいことだけを頬に感じた。


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