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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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3/4

3.帰宅したサイラス

 翌朝、アデルは侍女から、昨夜遅くにサイラスが帰宅したことを告げられた。


「そう。ではさっそく挨拶に参りましょう」


 アデルは緊張した様子もなく、食堂に向かった。


 侍女たちは、磨き上げた奥様を見た時のサイラスの反応が楽しみで、いつもなら付き従うのは一人だが、今朝は三人揃ってついてきた。


 食堂にはサイラスが先に来ていた。


「おはようございます。サイラス様」


「え? アデルか」


 サイラスは、見違えるように垢抜けたアデルに驚いた。ナイフとフォークを持つ手を空中で止め、まじまじと見つめた。


 鳥の巣みたいな頭が、どうしたらあそこまで艶やかになるのか。眼鏡は太い黒縁から華奢できらめくフレームに代わり、琥珀色の瞳によく映えた。化粧は明るく自然で、アデルの若さを引き立てていた。流石は侯爵家の優秀な侍女の仕事だ。サイラスは満足そうに頷いた。



 アデルの後ろで侍女たちが拳をギュッと握った。そうでしょう、そうでしょう、と思いながらも、顔は平静を保ち続けた。


 アデルはサイラスの姿を見ても表情を変えず、供された朝食を淡々と味わい、香り高いお茶を静かに飲み終えた後、


「サイラス様、食後にお時間をいただけますか」

 

と聞いた。

 

 サイラスは、アデルのあまりのそっけなさに当てが外れ、うん、いつでも良いよ、とだけ答えた。


「しばらくしたら執務室に伺いますね」


 アデルは三人の侍女を引き連れて、一足先に食堂を出ていった。

 

 サイラスはその四人の後ろ姿を呆然と見送った。



 おかしい。もっと、こう、何かあるだろう。アデルは俺が帰ってきて嬉しくないのか? イブリンの存在が気に食わないからか? アデルはこの後、何を話すつもりだろう。出て行くとか言わないよな。

 

 サイラスは不穏な予感に食欲を失い、半分も食べないうちに切り上げて執務室に急いだ。




 アデルの話は、案の定イブリンのことであったが、その内容は思いもよらないものだった。


「イブリン様をいかがいたしましょう」


「いかが、いたすとは?」


「結婚前に話し合っておりませんでしたが、サイラス様は私に何をお求めですか。また、イブリン様のお立場も明確にしていただきとうございます」


 ほらやはり、アデルは俺の一番になりたいのだな、とサイラスは受け止めた。


「アデルは俺の妻、侯爵夫人だ。それは揺るがない。イブリンとは別れようと思う」


 サイラスはアデルを安心させようと、力強く言い切った。


 ところがアデルはサイラスを真っすぐ見据え、咎めるように言った。


「それではイブリン様に対して、あまりに不誠実と言いますか、無責任だと思いますが」


「そ、そうだろうか」


 まさか、アデルの方からイブリン擁護の言葉が出るとは思ってもみなかった。


「そこで提案なのですが、イブリン様を第二夫人として迎えてはいかがでしょう。社交も彼女の方が向いていそうですし、任せてしまったらどうかと考えたのです。もちろん、どうしても私が出席しなくてはならないものは、渋々でも行きますけれど」


「それではアデルの立場がないのではないか」


「侯爵夫人の役目は、何も社交ばかりではありませんでしょう? 家政や慈善事業、領地経営への関わり、次代を産み、教育を施すこと、そうしたことは、私が引き受けましょう。いかがでしょうか、役割分担するということで。ついでに、将来の侯爵様もイブリン様が産んでくださると言うのなら、それでも構いません」


 サイラスはショックを受けた。結婚式後、新妻を一週間も放置したのは悪手だったと今さらのように思った。サイラスはアデルに賢い子どもを産んでもらわねばならないのだ。両親との約束だから。


「アデル、イブリンに侯爵夫人は務まらない。知識も教養もマナーも足りないんだ。私の心の慰めにはなるが、そこまでだ。跡継ぎもアデルに産んでもらいたい。そもそも爵位も継いでいない俺に第二夫人など、世間になんと思われるか。継いだとしても、侯爵家くらいでは愛人がいいところだ。公の存在にはできない」


 サイラスは正直に話した。


「そうなのですか。良い考えだと思ったのですが。やはり私は現実社会に疎いようです。付け焼刃ではどうにもなりませんね」


 アデルは当てが外れたという顔で、あからさまにガッカリしている。


 なぜだ。跡継ぎを産み、侯爵夫人としての立場が盤石になるのは、喜ばしいことではないのか。


「まずその第二夫人という考えはどこから出てきたのだ。我が国では後嗣の問題で国王が側妃を娶ることはあるが、公爵だとて公妾を持つことはない。どこぞの外国の例を読んだのか」


「いえ、最近読んだ本で何度も目にしたものですから、そういうことも貴族社会ではあろうかと思ったのです」


「最近? それはうちの書庫にあった本か?」


「はい。私の家には、両親の研究に関する書籍か、領地経営にまつわる書物しか置いてありませんでした。ですから私は、ここで初めて物語というものを読みました」


「それはもしや、女性向けの娯楽小説ではないのか」


「そうなのですか。平易な言葉で簡単に読み進められるものですから、貴族社会や社交界を実感できる教材でもあるのかと思いました」


「いや、それが教材だとして、どう活かすのだ」


「貴族令嬢や夫人の間には、言葉にできない応酬や、単語の陰に隠された深い意味があると知りました。褒められてもそのまま受け取ると足元を掬われるとか、遠回しに揶揄しているということがあるなど、私には思いもよらないことばかりでした。とても私に社交が務まるとは思えません」


「だからイブリンに任せたいと思ったのか」


「はい。私が社交の場に出れば、ベルトラン侯爵家の名を落とすことになるかもしれません」


 サイラスは、アデルの後ろに控えている侍女を見た。侍女は頷いた。おそらくアデルの言っていることが、あながち大げさではないのだろう。アデルは誠実で生真面目だ。確かに社交界の荒波を上手に乗りこなすのは難しいかもしれない。


 だからと言って、イブリンをそこに引っ張り出すわけにはいかない。アデル以上の失態を犯すのが見えている。ここは何とかして、アデルに自信を植え付け、イブリンには愛人で納得してもらわなくてはならない。切り捨てようと思ったが無理そうだ。


 まずはお互いを知り、夫婦として向き合わねばとサイラスは思った。


「アデルは、この一週間、俺がいなくてどう思った?」


「どう、とは」


「蔑ろにされて悲しいとか、屈辱だとか、許せないとか思わなかったのか」


「そうですね」


 アデルは片手を頬に当て、小首を傾げた。


「皆さん、よくしてくださいますし、髪も眼鏡も、ほら、以前の私とは違いますでしょう? 毎日、新しい発見です。着飾る意味、顔を化粧で作り上げる技術、衣装の工夫、出されるお食事の手の込みよう、何もかも新鮮で、教えてもらうたびに心が躍ります。サイラス様がお屋敷にいなかったことは、申し訳ないのですが、昨日侍女に聞かれるまで忘れておりました」


『忘れていた?』


 サイラスは聞き間違いかと思った。


 いったいどこの世界に、結婚式の夜から夫が外出したまま帰ってこないことを忘れる新妻がいるのだ。


 だがそれを指摘すれば、そもそも結婚式の夜に出かけたまま一週間も帰宅しなかった夫の方が非常識と非難されるだろう。


 なので、ここは敢えて聞かなかったことにした。


 アデルはなおも続けた。


「それに、この屋敷の立派な書庫に入ることを侯爵様が許してくださいました。私は、結婚したら侯爵夫人としての仕事を覚えるために、趣味の読書は諦めるものと覚悟しておりました。それが思いがけず自由な時間ができましたので、ずいぶんと読ませていただきました。先ほどの貴族夫人の心得も、ここで学びました。それも全てサイラス様の粋なお計らいかと感動しておりましたのに、違ったのですか?」


 不思議そうに琥珀色の目で覗き込まれ、サイラスはうっかり見惚れそうになった。


「あ、いや、そうだな。父上たちが領地から戻れば、アデルも俺も後を継ぐ者として、それぞれの仕事を本格的に覚えなくてはならないからな。本も気に入ってくれたなら何よりだ」


 そういうことにしておいた方が波風立たなくて良いだろうとサイラスは考えた。



「では、アデルとしてはイブリンをどうするのが良いと思う」


 こうなったら賢いアデルに考えてもらおうと思った。


「イブリン様の望みは聞いているのですか」


 サイラスは言葉に詰まった。言えない。妻を早く追い出して自分が妻になりたがっているなどと。


「あ、ああ、彼女も私と一緒にいたいという思いが強いらしい」


「そうですか。今はどちらにいらっしゃるのですか。私が学んだところによりますと、正妻と第二夫人や愛人というものは、とかく争うもののようですね。近すぎてはいけませんし、遠すぎては旦那様が通うのが大変です。それに、あまり引け目を感じて辛い思いをするのも気の毒です。社交をしてもらうのが無理なら、なにかすることが無いと退屈なのではないでしょうか」


「う、うん、そうかな?」


 サイラスは、イブリンの希望が遠のくのを感じて、彼女に何と言い訳しようかと迷った。


「ここは一度、イブリン様をお呼びして、希望を聞いてみるのはいかがでしょう。私は人の言葉の裏を読むのが苦手ですから、旦那様も同席してくださいませ」


 とんでもないことを言い出した。正妻が愛人を呼びつけて、これからどうしたいの? などと直接聞くつもりなのだ。物語にそういう修羅場の展開があれば、絶対に取り返しがつかない結末が待っていたのではないのか?


「う、う~~ん」


 サイラスは曖昧に頷くような、首を振るような仕草をした。


「ご賛同いただいたので、さっそく日時を決めましょう」


 曖昧な首の動かし方ではアデルに伝わらなかったようだ。サイラスは観念して、イブリンを屋敷に連れて来ることにした。



読んでいただき、ありがとうございました。

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