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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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2.結婚したサイラスとアデル

 婚約から一年たち、アデルは学園を卒業し、その一ヶ月後にサイラスと結婚した。


 結婚式の一週間前から、アデルはベルトラン侯爵家に通い、侯爵夫人から家政のことや公爵家のしきたり、縁戚のことなどを教わった。夫人はアデルの物覚えの良さに満足し、アデルを選んだサイラスを褒めた。侯爵もまた、アデルの知識や見識の高さに満足したようであった。


 ベルトラン侯爵夫妻は、アデルたちの結婚式の後、そのまま領地に向かった。結婚後しばらくは、若い二人で過ごさせてやろうという心遣いだった。



 結婚式の夜、サイラスは今日こそアデルを悔しがらせてやろうと、意気揚々と夫婦の寝室に向かった。


「アデル、話がある」


 ドアを開けるなり呼びかけた。しかし、そこにアデルの姿はなかった。

 サイラスは枕元のベルを鳴らし、メイドを呼んだ。


「アデルはどうした」


「奥様は、ご自分のお部屋でお休みです」


「なぜだ」


「旦那様もそのおつもりと伺っておりますが」


 メイドは主人の姿を見て、不思議そうに言った。

 サイラスは、この後、イヴリンのところに行くつもりだったので、外出する格好をしていた。これ見よがしに外套も着込んでいる。どう見ても、新妻との初夜を過ごしに来たといういで立ちではない。


「そ、そうか。今日は疲れただろうからな、明日の朝もゆっくりさせてやってくれ」


 苦し紛れにそれだけ言って、そそくさと寝室を後にした。


『アデルのやつ、どういうつもりだ。今夜は初夜だぞ。そういう情緒はないのか。初々しいなりで、ぎこちなくベッドに腰かけているかと思ったのに。まったく、これでは俺が初夜を断られたみたいではないか。断るのは俺からのはずだろう』

 

 サイラスは理不尽な怒りを胸に抱え込んで、愛するイヴリンの元へ向かった。そして予定通り、その夜はイヴリンの元で過ごした。



 ◇



 翌朝、アデルはいつも通りの時刻に起き、自分で身支度をした。


 子爵家のタウンハウスには、使用人がそれほどいなかったので、アデルは基本的に自分のことは自分でしてきた。食事さえ、読書に熱中すると忘れたりしたので、あとから厨房で残り物を温めて食べたり、卵やハムを焼いたり、簡単な野菜サラダを作ったりもした。


 だから、ベルトラン侯爵家で食事に呼ばれなくても、気にせず、読書を始めた。

 

 昼時になり、さすがにお腹が空いてきたので食堂に向かうと、メイドたちがクスクスと笑っていた。


「どうかしたの?」


 アデルが声をかけると、年かさのメイドが、

「おはようございます。昨夜、旦那様から、今朝はゆっくりと奥様を休ませて差し上げるよう言われておりましたので、お支度のお手伝いにも参りませんで、申し訳ありませんでした」

と、少しも申し訳ないと思っていなさそうな顔で言った。


 アデルは人の悪意に慣れていないので、言葉通りに受け取った。


「あら、いいのよ、気にしないで。いつも自分でやっているもの。ここも子爵家だと思えば気にならないわ。きっと少人数で回しているのね。無理しないで」

 

 アデルは、心からそう言った。

 

 メイドたちは、内心ムッとしたが、顔に出すわけにいかなかった。子爵家並みの少人数でやりくりしているようだが、気にするな、と女主人に労われてしまったのだ。本当は人手など十分にいるのだ。ただ、主人が初夜も共にしないような”奥様”を、手厚くもてなす気などない、と示したつもりだった。


「お食事をいただけるかしら」


「はい、ただ今お持ちします」


 メイドや厨房の使用人は、作戦の変更を余儀なくされた。

 粗末なものや傷んだものを出せば、侯爵家の台所事情が貧しいものだと思われるだろう。かといって、主人に提供するような贅を極めたものを食べさせるのも業腹だ。結局、パンとチーズ、ベーコンとキャベツと豆のスープ、アスパラとゆで卵のサラダ、という無難なメニューになった。


 アデルは満足そうに食事を終えた。


「美味しかったわ。忙しい時には、私は自分で作れるから、そう言ってね」


 そんな言葉さえかけて、アデルは食堂を後にした。


「なかなか、したたかね。旦那様から、アデル様をそれとなく冷遇するように言われたのだけど、どうしたものかしら」

と、年かさのメイドが言えば、


「昨夜などは、アデル様の方から、サイラス様は今夜は余所でお泊りになると聞いたのですけど、後から旦那様が主寝室に来てびっくりなさっておいででした。どういうことでしょうか」

と、昨夜、ベルで呼ばれたメイドが続けた。


「旦那様にはイヴリン様というお方がいるのを、ご存知なのでは」


「同じ学園にいたのだから、それを耳にしていてもおかしくないわよね」


「だけど、いくらなんでも結婚したその日に、余所に行かれるのは・・・。大旦那様たちに知られたらどうなるか」


「愛人としてなら許すというようなことはおっしゃっていましたけど、本妻をそこまで蔑ろにすることをお認めになるかしらね」


「そうよね。大旦那様は、サイラス様の結婚相手の条件に、賢いというのを入れていたでしょう?それって、賢い跡継ぎが欲しいってことよね?アデル様のお子が跡継ぎになるのなら、アデル様を敵に回すのはまずくない?」


「そうよ、大旦那様も大奥様も、アデル様の覚えの良さに満足していらしたようだし、いくらサイラス様がああ言っても、露骨に冷遇したら、後で叱られるのは私たちじゃないのかしら」


「まあでも、大旦那様たちがご領地にいる間くらいは、サイラス様の言う通り、地味な嫌がらせをしておく?」


「そうだな。お仕えするに値する方なのか、俺たちも知っておきたいよな」

 

 メイドや厨房などの使用人たちの間では、そのような話になった。



 一方、アデル付きの侍女たちの考えはまるで違った。

 アデルの部屋の控室で、額を集めて話し合った。


「それにしても、あの髪と身なり、なんとかならないものかしら。侯爵家の品位を下げるような外見では、私たちの品格も疑われるわよ」


 サイラスから、アデルの世話は手抜きで良いと言われていた侍女たちだが、それはそれで自分たちの矜持が許さない。


「大奥様もいらっしゃらなくて暇ですもの、私たちで奥様を大変身させてみない?

 手抜きで良いってことは、大切にしなくて良いってことよね? それなら、奥様の意向を無視して私たちの好き勝手に美しく仕立てるのもありじゃない? 奥様をベルトラン侯爵家の人間として恥ずかしくない姿に磨き上げましょうよ」


「そうね、いつまでも子爵家の人間の意識でいてもらっては困るわ」


「それに、放置なんて無能な者がやることよ」


「大奥様からは、衣装は相応しいものを、と言われているから、色々と揃えましょう。ゼロから始めるってワクワクするわね」


 侍女たちは、そんな風に取り組むことにした。執事に相談に行くと、衣装の予算は十分にあるらしい。これは腕が鳴る、と皆それぞれにやる気を漲らせた。




 嫌がらせをすると決めたメイドや使用人たちは、毎日小さなミスとも言えないミスを頻発して、アデルをイラ立たせようとした。何かを忘れる、何かに手間取る、ちょっとだけ遮る。そしてその度、軽んじた態度で謝る。大奥様相手だったら、執事や侍女長から厳しく叱責されるような態度だ。


 だが、アデルは気にしない。全然堪えない。なんなら、手伝いましょうかとか、こうすれば速くできるわよ、などとアドバイスをくれたりする。『知っててやってるのよ!』と言いたいが言えない。


 ストレスを溜めるのはメイドたちの方であった。




 反対に、侍女たちは毎日喜々として過ごしている。


「奥様、メガネのフレームはこのくらいの細さの方が、視界を妨げませんよ」


「あら、本当ね。それに、このレンズ、すごく薄くて軽いわ。私の視力だと厚くても仕方がないとあきらめていたのに」


 賢い侍女たちは、見目を重視してではなく、実用性の観点からメガネを替えることを提案した。その方が受け入れてくれると思ったからだ。また、薄いレンズは最新技術でかなり高価なのだが、そのことにも触れなかった。次期侯爵夫人は、身に着けるものを選ぶのに、金額など気にしてはいけないのだ。


「髪はまず徹底して手入れします。髪については私ども侍女の腕の見せ所ですからね、奥様はじっとなさっていてください。このくしゃくしゃのふわふわを適当に丸めただけでは、鳥の巣と見分けがつきません。櫛がすっと通るまで痛くても我慢してくださいね」


 アデルは、侍女の沽券に関わると言われれば、地肌が剥がれそうなほど痛くされても、大人しくしているほかなかった。


 毎日しっかり手入れをされると、アデルの栗色の髪は艶を帯び、地肌に沿うようにするんと零れ落ちた。


「すごいわ。髪って、ちゃんと梳かすとこうなるのね。くるくるしてるのが領地の羊とおそろいで、気に入ってたんだけど」


「ご自分でも、梳かしてはいたんですよね?」


「手櫛だけど」


 ああ、と全員が納得した。


 さらに、顔の産毛を剃って、眉を整えると、顔が明るくはっきりした。


「さあ、ここからはドレスの着こなしです。それぞれに合った靴やバッグ、宝石、手袋、小物などを選んでいきます」


「今あるものではダメなの?」


「私たち侍女より、さらに下の身分に見られますよ」


 なるほど、侯爵家の侍女ともなれば、伯爵家の子女もいるだろう。子爵家で衣装になんの興味もなかったアデルのドレスなど、侯爵家の人間には相応しくないというのは理解できる。そう思い至ったアデルは、すぐさま降参して、全面的に侍女に頼ることにした。

  

 頼られた侍女たちは、本領発揮とばかりに勢い込んで、数日かかけてアデルを自分たちの理想とする侯爵家の若奥様に仕立て上げた。


 その間中、アデルからは、それは何で、何のためにやっているのか、そこの違いは何か、そうするとどうなるのか等々、延々と質問された。侍女たちは、アデルが仕事を理解してくれようとしているのだと思って、懇切丁寧に解説しながら取り組んだ。


 また、出入りの商人が宝飾品を広げると、宝石の産地から品質、加工方法、色やデザインに関する雑多なことまで、途切れることなく質問した。商人も、自分の仕事ぶりが若奥様に認められるチャンスだと意気込んで、単なる営業トークを越えて専門的な知識を披露した。

 それらは一緒に聞いていた侍女たちにとっても、大いに参考になる内容であった。



 こうして仕上がったアデルは、もう以前の野暮ったいアデルではなかった。


 さらりと流れる栗色の艶やかな髪。華奢なフレームのメガネの奥には琥珀色の目。優しく弧を描く眉に、盛り過ぎないように盛ったまつ毛。小さな蕾のような唇。小柄でありながらピンと伸びた背筋。流行りを追い過ぎない落ち着いたデザインのドレスが、アデルを立派なベルトラン侯爵家の若奥様に見せていた。


「わあ~~~~」


 鏡を見たアデルが、感嘆の声を上げた。


「本当にすごい腕前ね。色々力を尽くすと、ここまで改造できるのね。なんだか魔法というか工作というか塗り絵というか、これほど卓越した技術があるのなら、そりゃあ素材が多少アレでも、やってみたくなるわよね。ええ。さすがベルトラン侯爵家の侍女たちね。ありがとう、感動したわ」


 アデルから手放しの賞賛を受けたが、微妙に喜びづらい言葉選びをされてしまった。それでも、出来映えには皆満足しているので、侍女たちはこの姿を主人であるサイラスに見てほしくなった。



 サイラスはというと、結婚式の夜に出かけたきり一週間になるのに音沙汰がない。


「奥様、サイラス様はいつ頃お戻りになるのでしょうか」


「そういえば、結婚後のことは何も話し合ってなかったわ。毎日顔を合わせるのだから、その時でいいと思ってしまったのね。うかつだったわ」


 アデルの態度があまりにどうでも良さそうだったので、侍女たちも苦笑するしかなかった。



 ◇



 その頃サイラスは、学生時代の友人たちとつるんで遊んでいた。夜にはイヴリンの元に戻るのだが、これまでのようにイヴリンを連れ出すことはしなかった。さすがに新婚早々、愛人を連れ歩いたのでは外聞が悪い。


 自宅に帰ろうとも思ったが、結婚式の夜のことを引きずっていて、何やら悔しい気持ちになるのだ。アデルはイヴリンのことを知っていたのだろうか。学園では、それを隠しておらず、堂々と話題にしていたから、誰かに忠告されたのかもしれない。まさか、俺と子どもをもうけるつもりがないとか言わないよな。そんなことをしたら親に何と言われるか。ロクな未来にならないことは確かだ。


 うだうだと考えるサイラスの横で、イヴリンも不満を募らせていた。


「ねえ、サイラス様。いつまで待てば、私はサイラス様の奥さんになれるの?」


「え? そんなすぐには無理だよ。アデルに跡継ぎを産んでもらってからでないと」


 とっさにサイラスは言ってしまった。そのくらいイヴリンも弁えていると思っていたのだ。


「産んだら追い出してくれるの?」


「使用人たちに言って、侯爵家の居心地が悪くなるように仕向けてもらってはいるよ」


「そんなんで出ていくの?そもそも、文句を言わなさそうな人を選んだんでしょう。じっと耐えてて出ていかなかったら、私はどうなるのよ」


 イヴリンは、サイラスが婚約してからもずっとイヴリンを優先してくれたことで、もしかしたら愛人以上になれるのかもと期待していた。結婚式を挙げた夜でさえ、新婦を置いてイヴリンの元に来てくれたのだ。それはつまり、イヴリンの方が、サイラスにとって大切な存在だということの証だ。


 それなのに、この小さな家に昼間は放置されて、訪れるのは通いのメイドと使用人が一人ずつ。侯爵家のタウンハウスにいるアデルとの差は歴然としていた。

 イヴリンは不安になった。



 サイラスの方はというと、最近イヴリンにあまり魅力を感じなくなっていた。

 真実の愛だったかどうかは分からないが、確かに一時は燃え上がった。許されない恋をしているという背徳感が、じりじりと胸を焦がすように、彼女との逢瀬を特別なものにしていた。


 それが結婚してからは、顔を見れば処遇を嘆く。アデルをいつ追い出してくれるのかと繰り返されるのも疲れる。

 もう十分楽しんだ。これ以上続けても、得られるものはない。俺が爵位を渡すのは、イヴリンの子どもではなく、アデルが産んだ子なのだ。そろそろ現実を見なくてはいけない。サイラスは不意に、その考えに至った。


 それに、アデルの素顔を見てみたい。家の侍女の手にかかれば、あの野暮ったい娘が、きっと上品な若奥様に仕立て上げられているだろう。サイラスは侍女に、アデルの世話は手抜きで良いと言ったことなどすっかり忘れていた。


 アデルも、サイラスがイヴリンと別れたと言えば、意地を張らずに俺の方を向くに違いない。そんな自分に都合の良い考えを抱き、サイラスはある夜、友人と別れた後、イヴリンの元に戻らず侯爵家に向かった。結婚式以来、実に一週間ぶりの帰宅であった。



 ◇



「今帰ったぞ」


 サイラスは夫婦の寝室に入ったが、もちろんアデルの姿はない。話をするのは明日で良いかと、サイラスも自分の寝室で眠ることにした。


 きっと明朝のアデルは、久しぶりの再会に驚いたり、可愛く拗ねたりするだろう。ようやく戻ってくれたのねと安堵したり、もう一人にしないでと縋ってくるかもしれない。サイラスを蔑ろにした罰だと、賢いアデルなら気付いただろう。もうお仕置きはここまでだ。これからは互いに素直になろう。


 サイラスの想像の中のアデルは、サイラスからメガネを外されると、恥ずかしそうに頬を染め、サイラスの腕の中に収まるのだった。



読んでいただきありがとうございました。

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