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悪役令嬢 ――リリアンヌ・フォン・セレスティア物語――   悪役令嬢が出来るまで…  作者: 南蛇井


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王子の宣言 ―― 「リリアンヌ、おまえとはもう終わりだ」 ――華やかな終焉、静かな誇り。

春の午後、学院の鐘がいつもより低く響いた。

その音を合図に、廊下を駆ける生徒たちのざわめきが広がっていく。

「王太子殿下による特別演説があるらしい」――その噂は瞬く間に学院中を駆け抜け、

教官たちの表情までも固くさせていた。


リリアンヌのもとにも、やがて学院長印の封書が届けられる。

上質な羊皮紙に、金色の封蝋。そこに刻まれた紋章は、王族の正式なものだった。


「全校生徒および教官は、大講堂に出席のこと」

「遅刻、欠席、いかなる理由も認めず」


命令文のように硬い文面を見つめ、リリアンヌは静かに息を吐く。

封を開ける指先は揺れない。だが、胸の奥で小さな違和感が芽を出していた。


(春の演説は毎年恒例ではないはず……。

これは、“何かを告げる”ための場、ですわね。)


彼女は窓辺に視線を移す。

外では春風が舞い、花びらがきらめきながら散っていく。

それは祝祭の始まりを思わせる光景だったが――

どこか不自然に静かでもあった。


鏡の前に立ち、リリアンヌは制服の襟を指で正す。

完璧な整え方、完璧な姿勢。

けれど、その眼差しの奥には、一片の翳りが差している。


「また、“形式”のための場、ですのね。」


そう呟いた声は、紅茶の香りのように淡く消えていった。


そのとき、扉をノックする音。

顔を出したのはマリアだった。いつもより落ち着かない様子で、

彼女はそっと部屋に入ってくる。


「聞きましたか? 殿下の演説……学院全体に通達が出たそうです。」


リリアンヌは微笑で答える。


「ええ。どうやら“全員の前で話す”ご予定のようですわ。」


マリアはしばらく彼女の顔を見つめ、言葉を選ぶように口を開く。


「……どうか、気をつけてくださいね。」


その声に、リリアンヌの手がわずかに止まる。

そして、ほんの一瞬だけ目を閉じてから、再び完璧な笑みを浮かべた。


「大丈夫ですわ、マリア。嵐の前ほど、空は穏やかに見えるものです。」


そう言って、彼女は窓を開け放つ。

春風が髪を揺らし、白い花弁が部屋の中に舞い込んだ。

その一枚が、机の上の封書の上に落ち――

まるでこれから訪れる運命を、静かに告げるかのように。


学院の大講堂は、いつになく厳粛な空気に包まれていた。

金糸の垂れ幕が舞台を囲み、中央には王家の紋章が誇らしげに掲げられている。

学生たちは皆、最上級礼装に身を包み、ざわめきを抑えながら席に着いていた。


壇上には、王太子アレクシス・フォン・レイディア。

陽光を受けたその金髪は、まるで光そのものの化身のように輝いている。

完璧な姿勢、完璧な笑み――人々の憧れと羨望を一身に集めるその姿は、

まさしく“未来の王”にふさわしかった。


「皆さま、本日はお集まりいただき、心より感謝申し上げます。」


穏やかで威厳ある声が講堂を満たす。

アレクシスの一言ごとに、ざわめきは静まり、聴衆の視線が一点に集まる。


「この学院こそ、わが国の礎。

ここで学び、競い合う若き魂たちが、未来を形づくるのです。」


その声に合わせて拍手が起こる。

けれど、リリアンヌの心には、どこか遠い鐘の音のように響いていた。

目の前で繰り広げられる光景が、まるで舞台劇の一幕のように感じられる。


――そして、次の瞬間。


「そして本日、わたくしアレクシスは……」


アレクシスが一歩前に出た。

その隣に、淡い桃色のドレスをまとった少女が姿を現す。

透きとおるような金髪に、可憐な笑み。

見覚えのあるその顔――セレナ=ド・ヴァルティエ。


彼女は上流貴族の令嬢であり、かつてリリアンヌと同じ社交の場で

何度か言葉を交わした相手だった。

気品に満ちたその佇まいは、今日という日のために完璧に磨かれている。


「わたくしのそばに立ち、共に未来を歩む者を――

ここに紹介いたします。」


会場が一瞬にして凍りつく。

次の瞬間、あちこちで小さなざわめきが弾けた。


「セレナ嬢……殿下の隣に……?」

「まさか、正式な……?」

「でも、リリアンヌ嬢は――?」


リリアンヌは、その中心にいながらも動かない。

指先がわずかに震えたが、すぐに静かに組み直す。

その仕草は、まるで紅茶のカップの縁にそっと指を添えるように――

優雅で、決して乱れぬものだった。


(やはり、これが“目的”でしたのね……。)


胸の奥で、冷たい理解が静かに形をとる。

舞台の上の王子が微笑み、群衆の前で「新たな始まり」を宣言するその姿は、

まるで“彼女の終わり”を告げる鐘の音のように響いていた。


だが、リリアンヌの唇には、わずかな微笑が浮かんでいた。

それは諦めではない。

ただ、沈黙の中で崩れぬ“貴族の誇り”の笑み――

人々が見落とすほど、静かで、美しい微笑だった。


講堂の空気が、氷のように張り詰めていた。

王太子アレクシスは壇上の中央に立ち、聴衆の視線を一身に受けている。

陽光が差し込む大窓の下、その横顔は完璧な彫像のようだった。


「リリアンヌ・ド・カーネリア。」


その名が呼ばれた瞬間、広い講堂の中にざわめきが走る。

静まり返った空間の中で、その声だけが鮮やかに響く。


「おまえとは――もう終わりだ。」


冷ややかな言葉だった。

激情も嘆きもない、淡々とした宣告。

まるで王命のように、揺るぎない響きをもって会場を貫いた。


沈黙。

息を呑む音だけが、何重にも重なって消えていく。

セレナ=ド・ヴァルティエは隣で控えめに微笑み、

まるで“その座”が当然のものであるかのように、恭しく一礼した。


視線が一斉にリリアンヌへ向けられる。

驚き、好奇、同情、そして冷たい興味。

あらゆる感情が混ざり合い、彼女を刺すように包み込む。


それでも、リリアンヌは微笑を崩さなかった。

ゆっくりと立ち上がり、整然とした所作でスカートの裾を軽く摘み、

深く――静かに一礼する。


「ご宣言、確かに承りました。

 殿下の御心に、影を落とすつもりはございません。」


その声は、震えていなかった。

薄く透きとおるような声色は、

むしろ会場のざわめきを静めるほどに澄んでいた。


壇上のアレクシスが一瞬、視線を動かす。

ほんの刹那――その瞳の奥に何かが揺れた。

だが彼は何も言わず、セレナの手を取った。


リリアンヌの足元に、光の粒が舞う。

それは窓から差し込む春の光――

まるで、最後の祝福のように彼女のドレスを照らしていた。


観衆の中の誰かが小さく息をのむ。

だが彼女は、ただ背筋を伸ばしたまま、微笑を保ち続けた。


沈黙の中にあったのは、敗北ではない。

それは“誇り”の静けさだった。



大講堂の扉が、静かに閉ざされる。

その瞬間、ざわめきが背後に遠のいていった。

人々の視線とささやきがまだ背中に絡みつくのを感じながら、

リリアンヌは、ただまっすぐに歩き出す。


長い廊下の向こう、春の陽が淡く差し込んでいた。

白い大理石の床に映る彼女の影が、ゆるやかに伸びる。


「リリアンヌ!」


息を切らせて駆け寄ってきたのは、マリアだった。

その瞳は怒りと涙で揺れ、震える声で言葉を絞り出す。


「ひどい……! 公の場であんなこと、誰が許したっていうの!

 殿下も、セレナも、みんな――!」


しかしリリアンヌは立ち止まり、静かに首を振った。

まるで風の音に耳を澄ますように、穏やかに。


「いいのです、マリア。

 愛もまた、王族の義務にすぎません。

 終わりを告げられるのなら、それもまた――定めですわ。」


その声音は、驚くほどやわらかかった。

涙ではなく、覚悟の色を帯びている。


マリアは何も言えず、ただ唇を噛む。

リリアンヌは微笑みをたたえたまま、歩を進めた。


ドレスの裾が静かに揺れ、金糸の刺繍が陽光を受けてきらめく。

彼女の背後では、まだ人々の囁きが渦を巻いていた。

「捨てられた令嬢」「可哀想に」「自業自得よ」――

そのどれもが、彼女の誇りには届かない。


(誰が何を言おうと、わたくしは――わたくしの歩幅で、前へ進む。)


その背筋はまっすぐで、姿勢は揺るがない。

孤独でありながら、気高い。


リリアンヌ・ド・カーネリアは、

その日、王太子の婚約者としての名を失い――

ひとりの“誇り高き女性”としての第一歩を踏み出したのだった。



夕暮れの光が、学院の庭園をやわらかく染めていた。

噴水の水面は黄金色に揺れ、花々がその光を抱くように咲き誇っている。


リリアンヌはひとり、古い石のベンチに腰を下ろした。

制服の裾が風に揺れ、頬を撫でる空気がわずかに冷たい。


(終わりは、始まりよりも静かなもの。

 けれど、心の奥で――確かに何かが燃えている。)


その炎は悲しみではなく、決意の光。

もう誰かに証明するための“正しさ”ではない。

自分の中に灯した、小さな誇りの焔だった。


彼女はポケットから小さな茶葉の包みを取り出す。

それは、かつて王子とともに選んだお気に入りの紅茶。

ベンチのそばの花壇の上で、そっと包みを開ける。

夕風に乗って、柔らかな香りが広がっていった。


リリアンヌは目を閉じ、その香を吸い込む。

そして、ゆっくりと微笑む。


ラストモノローグ:


「終わりを告げられた恋は、敗北ではありません。

 それは、真実を貫いた者への罰であり――赦し。

 涙を流すことなく、微笑で答えられたなら、

 それこそが、わたくしの最後の誇りですわ。」


夜の帳が静かに降りていく。

庭の花びらがひとひら、リリアンヌの膝の上に舞い落ちた。

彼女はそれをそっと指先で拾い、手のひらに包み込む。


(ありがとう、殿下。

 そして――さようなら。)


立ち上がった彼女の髪が、夜風に揺れる。

その横顔にはもう悲しみの影はない。

あるのはただ、未来を見据える静かな眼差し。


――紅茶の香を残して、リリアンヌ・ド・カーネリアは歩き出す。

孤独を友とし、誇りを灯にして。

彼女の物語は、ここで終わらず、静かに次の幕を開けていた。


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