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悪役令嬢 ――リリアンヌ・フォン・セレスティア物語――   悪役令嬢が出来るまで…  作者: 南蛇井


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第22話:友の誓い ―― 「ずっと一緒にね」と笑う少女を、信じた。

学院の中庭には、春の香りが満ちていた。

薄紅の花びらが風に舞い、冬の名残をかすかに溶かしてゆく。


リリアンヌ・ヴァルモンドは、花壇の白薔薇を整えていた。

冷たい美しさを象徴するその姿は、学院の誰もが遠くから憧れる“白薔薇令嬢”。

だが、今日だけは――その横顔に、ほんのわずかに穏やかな柔らかさが宿っていた。


「……あのっ!」

不意に背後から声が響いた。振り返ると、淡い栗色の髪を揺らす少女が立っている。

まだ制服の袖も少し長く、緊張で頬が赤い。

新入生――クラリス・アーデン。


「リリアンヌ様ですよね? ずっと、お会いしたかったんです!」

「まあ……ずっと、ですって?」

リリアンヌは微笑んだ。完璧な角度の微笑――それだけで、少女は息を呑む。


「リリアンヌ様みたいになりたいです! 強くて、綺麗で……でも、優しい人に。」

その言葉に、リリアンヌは小さく目を細める。


「真似をするより、自分の花を咲かせなさい。それが一番美しいわ。」

「……自分の花、ですか?」

「ええ。誰かの形を追えば、香りまで同じになってしまう。

 でも、貴女だけの花なら――きっと、春風も違う香りを覚えるわ。」


クラリスはしばらく黙っていたが、次の瞬間、ぱっと笑顔を咲かせた。

春の光をそのまま閉じ込めたような笑みだった。


「じゃあ、わたしの花、見届けてくださいね! ずっと一緒に!」


その無邪気な言葉に、リリアンヌの胸の奥がかすかに震えた。

“ずっと一緒に”――どれほど遠い響きだっただろう。

これまでの彼女にとって、友情も信頼も、装飾品のようにしか扱えなかった。

けれど、今、この小さな春風が、心の凍てついた場所に触れていく。


「……ええ。約束しましょう。あなたの花が咲く日を、見届けるわ。」


クラリスは満面の笑みで頷き、白薔薇の花壇の前に並んで立った。

ふたりの影が春の陽に重なる。

一方は“完成された美”、もう一方は“これから芽吹く希望”。


その日、リリアンヌは思い出した――

まだ信じることを知っていた頃の、自分の心を。



春が過ぎ、学院の庭に夏の緑が濃くなるころ。

リリアンヌとクラリスの距離は、まるで姉妹のように近づいていた。


昼下がりの花壇。

白薔薇の木陰の下に、小さなティーテーブルが置かれている。

紅茶の香りと蜂蜜の甘い匂いが混ざり、穏やかな風が三人を包んだ。


「お嬢様、クラリス様。焼き菓子をお持ちしました。」

侍女ルネが銀の盆を運んできた。

彼女の優しい声音が、午後の光に溶けていく。


「ありがとう、ルネ。」

「ルネさん、本当に器用ですね! この薔薇の形のクッキー、可愛いです!」

「ふふ、クラリス様が笑ってくださるなら、何よりですわ。」


三人は笑い合った。

クラリスが小鳥のように弾む声で学院の話を語り、リリアンヌはその隣で静かに微笑む。


ルネが、そんな二人を見ながら言った。

「お嬢様、まるで妹ができたようですね。」

「……ええ、可愛らしい“春風”のような子だわ。」


その言葉に、クラリスは照れたように頬を赤らめ、

「お姉さま、なんて呼んでもいいですか?」と無邪気に笑った。


――その頃はまだ、すべてが温かかった。



だが、季節が移るように、空気は少しずつ変わっていった。

クラリスは吸い込むように貴族社会の作法を覚え、

言葉の抑揚、微笑みの角度、ティーカップの持ち方まで――リリアンヌと同じになっていく。


気づけば、学院ではこう囁かれていた。


「見た? アーデン嬢、まるでリリアンヌ様のようよ。」

「“第二の白薔薇”って呼ばれてるらしいわ。」

「いずれ、本物を越えるかもしれない――」


その噂が、やがて本人の耳にも届いた。


午後の講義後、花壇でクラリスと並んで紅茶を飲んでいたとき、

リリアンヌはふと、その姿を横目で見た。


動作は完璧。微笑みも、声の調子も。

――あまりに、似ていた。自分に。


「……ねえ、クラリス。」

「はい、リリアンヌ様?」

「貴女は、いつもわたくしの真似をしているの?」

「えっ……そんなつもりは。ただ、憧れているだけなんです。」


クラリスの瞳はまっすぐだった。

その純粋さが、かえって胸を刺す。


リリアンヌはいつものように微笑んだ。

完璧な角度、完璧な声で。


「……そう。なら、いいの。」


けれど、紅茶の香りの奥で、

微かに、冷たい風が吹いた気がした。


それは、春風が夏の熱に変わる前の――

“影”の気配だった。



春の終わり。学院の中庭は白と桃色の花で飾られ、

その中央では貴族令嬢たちの茶会が開かれていた。

薔薇の香り、金糸のカーテン、絹のドレス――

そのどれもが、彼女たちの「優雅さ」を競う舞台だった。


その日の主役は“白薔薇のリリアンヌ”と、その弟子のように慕われる“春のクラリス”。

二人が並んで座る姿は、学院中の憧れそのものだった。


「クラリス様、花冠の準備はお済みですか?」

「はい。控室に置いてあります。お揃いの白薔薇ですわ!」


クラリスの明るい声が、風に弾んだ。

その瞬間までは、誰もがこの日が祝福に満ちると信じていた。



だが、茶会が始まる直前――。

花冠が忽然と姿を消した。


使用人たちが走り回り、会場はざわめく。

やがて、一人の令嬢が震える声で告げた。


「……花冠が、ヴァルモンド様のお部屋の机の上で見つかりました。」


空気が凍りついた。

リリアンヌは表情を崩さず、ただ静かに立ち上がった。


「確認させてください。」


会場の視線が一斉に彼女に注がれる。

誰もが言葉を失う中――

クラリスが立ち上がった。


「そんなはずありません! リリアンヌ様がそんなことをするわけがない!」


その声には涙が滲んでいた。

彼女の必死の訴えに、令嬢たちは互いに目を見合わせ、沈黙した。


リリアンヌはわずかに瞳を伏せ、静かに言った。


「ありがとう、クラリス。……でも、今は冷静に調べましょう。」


その日、真相は明らかにならず、事件は保留となった。

だが――運命の歯車は、確かに狂い始めていた。



数日後。

今度は、クラリス自身が「花冠を隠したのでは」と噂され始めた。

「尊敬していると言いながら、実は嫉妬していたのでは?」

「彼女が真犯人に違いない」


そんな囁きが、学院中を駆け巡る。


クラリスは涙を浮かべながら、リリアンヌのもとを訪れた。


「リリアンヌ様……わたし、違うんです。本当に何もしていません。」


その目は、かつて“ずっと一緒に”と笑った少女のものだった。


リリアンヌは一瞬、胸の奥が痛んだ。

だが――王妃教育で叩き込まれた“判断”が、彼女の唇を凍らせる。


「……証拠がある以上、調査を避けるわけにはいかないの。」

「……信じてくれないの?」


沈黙。

紅茶の香りが、遠くに霞む。

二人の間を、冷たい風がすり抜けた。


リリアンヌは微笑んだ。

それは、悲しみを押し殺した微笑――かつて自分を守ってきた鎧。


「信じたいわ、クラリス。けれど……今は、立場があるの。」


その言葉に、クラリスの瞳が揺らぎ、声を震わせた。


「じゃあ、“わたしのリリアンヌ様”は、どこに行ってしまったの……?」


返す言葉は、もう見つからなかった。


――友情と正義。

二つの“正しさ”がぶつかり合う音が、

春の花びらの舞う中庭に、静かに響いた。



夜の庭は、昼の華やぎを失い、白薔薇の花弁が月光を受けて淡く光っていた。

静寂の中、風に揺れるドレスの裾が擦れる音だけが響く。


花壇のアーチの下。

リリアンヌとクラリスは、互いに言葉を探すように立っていた。


沈黙の先に、先に口を開いたのはクラリスだった。


「……リリアンヌ様の“優しさ”って、いつも遠いんです。」


その声は震えていた。

リリアンヌはまっすぐその瞳を見返す。


「遠い?」


「はい。

 わたし、リリアンヌ様のことを尊敬してるんです。

 誰よりも強くて、綺麗で、正しい。

 ――でも、触れようとすると、手が凍ってしまうみたいで……

 どこまでいっても、届かない。」


クラリスの言葉が、夜気に溶けて消える。

リリアンヌは一度目を伏せ、深く息を吐いた。


「……あなたのように、まっすぐ笑えたらと思うわ。」


「だったら――笑ってくださいよ!」

クラリスが一歩、踏み出した。

その涙のにじむ顔が、月に照らされて輝く。


「わたしのために、笑ってください!

 信じてくれなかったのは、立場とか責任とか、そんな言葉のせいじゃない。

 “冷たさ”のせいです。

 リリアンヌ様が、いつも冷たい微笑みで守ろうとするから、

 本当の気持ちが伝わらないんです!」


リリアンヌは言葉を失い、ただ唇を噛んだ。

やがて――かすかに首を振る。


「できないの。」


「……どうして?」


「あなたを守るためには、“冷たさ”が必要なのよ。」


その言葉は、夜風よりも痛かった。

クラリスの表情が崩れ、涙が頬を伝う。


「そんなの……守られてなんかいません!

 わたし、リリアンヌ様と“同じ場所”にいたかっただけなのに……!」


声が震え、白薔薇が一輪、足元で散った。


リリアンヌはそっと目を閉じる。

手を伸ばしかけて、しかし途中で止めた。

――触れれば、壊してしまう気がした。


「……ごめんなさい。」


その一言で、二人の間に確かな距離が生まれた。

花壇を渡る夜風が、まるで幕を引くように吹き抜ける。


“ずっと一緒に”と誓った春の約束は、

この夜、月の下で静かに途切れた。



春の名残が、ゆっくりと学院を包んでいた。

白薔薇の花壇は、かつて三人で笑い合った日々の香りをまだ残している。

しかしその場所に、クラリスの姿はもうなかった。


リリアンヌの手には、一通の封筒。

淡い桜色の便箋に、丁寧な筆跡が並んでいる。


「リリアンヌ様へ


わたし、もう少し遠くで咲いてみます。

いまのままでは、きっと“あなたの隣”にはいられないから。

でも、約束は忘れません。

“ずっと一緒に”って言葉は、

わたしの心の中で、まだ咲いています。


春風のように、いつかまた――あなたのもとへ。」


手紙を読み終えると、風が吹き抜けた。

花壇の白薔薇がそっと揺れ、ひとひらの花弁が舞い上がる。


リリアンヌはその花弁を掌に受け止める。

やわらかな風の感触の中で、微笑を浮かべた。


「春風は去っても、あの笑顔は残る。

ならば――私も、もう一度信じよう。

“誰かと咲く”という夢を。」


彼女は胸に手紙を抱きしめ、目を閉じる。

思い出の中のクラリスが、無邪気な笑顔で言う。


「リリアンヌ様、わたしの花、見届けてくださいね!」


――ええ、もちろん。

どんな場所で咲こうと、その光は、ここに届いている。


ラストモノローグ


「友情とは、似ることではなく、信じること。

同じ形で咲けなくても――

あの春の日の約束だけは、

まだ、私の胸の中で生きている。」


白薔薇の花壇に、静かな風が吹き抜ける。

散りゆく花弁の間で、少女の影がひとつ――

まるで“春風”のように、そっと微笑んで消えた。

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