表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢 ――リリアンヌ・フォン・セレスティア物語――   悪役令嬢が出来るまで…  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/41

第16話「冬の誓い ―― 『私、誰にも負けないで咲くわ』」

――冬の朝。


 夜の名残をかすかに含んだ風が、学院の庭園を静かに渡っていく。

 枝々は雪の重みでしなり、白い世界が音もなく広がっていた。


 リリアンヌは、マントの裾を整えながら、ゆっくりと石畳を踏みしめる。

 吐く息が白く揺れ、足音だけが孤独に響いた。

 舞踏会の夜から数日――人々の笑顔や音楽の記憶は遠く、ただ冷たさだけが残っている。


 ふと、足元の雪の中に、わずかな色が見えた。

 そこには、一輪のバラがあった。

 赤い花弁は霜をまとい、今にも崩れそうに凍りついている。

 けれど、その茎はしなやかに立ち、まだ散ることを拒んでいた。


 リリアンヌは膝を折り、その花にそっと指を伸ばす。

 指先に触れたのは、生命ではなく、氷の冷たさだった。


「こんな寒さの中でも、まだ咲こうとしているのね……」


 小さな呟きが、雪の静寂に吸い込まれていく。


 頬に一片の雪が落ち、溶けずに滑り落ちた。

 彼女のまなざしは、それよりも冷ややかだった。


 ――咲き続けることが、痛みであっても。

 ――凍りついても、散らない強さがあるのなら。


 リリアンヌはゆっくりと立ち上がる。

 白い息が空へ溶け、冬の光がその頬を照らした。


 その瞳は、氷のように透き通り、静かに決意の色を宿していた。

 まるで“凍ったまま生きる”ことを、誰に告げるでもなく――彼女自身が選び取ったかのように。


学院の長い廊下には、冬の朝の光が淡く差し込んでいた。

 壁に並ぶ肖像画のように、令嬢たちのドレスの裾が色とりどりに揺れる。


 ――その日、話題はやはり、舞踏会の夜のことだった。


 「殿下、リリアンヌ様をずっと見つめておられたのよ」

 「ええ、本当に。まるで時間が止まったみたいだったわ」

 「でも……あの方って、本当に“感情”があるのかしら?」

 「美しいけれど、氷像みたい。触れたら、溶ける前に凍りそうだわ」


 笑い混じりの囁き声。

 その中心に、噂の当人――リリアンヌ・オルフェウスは静かに歩み寄る。


 令嬢たちは一瞬で口を噤み、空気が張り詰めた。

 リリアンヌはゆっくりと微笑む。

 その微笑は、礼儀の完璧さを保ちながらも、どこか鋭く、氷の刃のようだった。


 「まあ……褒め言葉として受け取っておくわ。」


 その声音には、柔らかさも怒りもない。

 ただ、完璧な静謐だけがあった。


 令嬢たちは慌てて姿勢を正し、形ばかりの笑顔を返す。

 けれど、誰も彼女に視線を合わせようとはしなかった。


 ――孤高。

 それがリリアンヌに与えられた称号であり、彼女が自ら選び取った仮面でもあった。


 だが、歩みを進めながら、胸の奥では小さな痛みが燻っていた。

 (あの夜、殿下の瞳に映ったのは……本当に“私”だったのかしら?)


 足音だけが、長い廊下に響いた。

 外の雪景色が、窓越しに彼女の姿を映している。


 まるでその白い世界の中で、彼女だけが“色を持たない花”のようだった。


白い息が風に溶けていく。

 庭園の門をくぐると、雪の上を踏む音だけが世界のすべてになった。


 侍女のルネが、慣れた手つきでリリアンヌのマントを整える。

 「お嬢様、こんな寒い日に……またお庭を歩かれるのですか?」


 リリアンヌは軽く頷いた。

 「ええ。冬の空気が好きなの。」


 彼女の声は静かで、どこか遠くを見ているようだった。

 「無駄な音が、すべて消えるから。

  人の声も、心のざわめきも……まるで、雪の下に沈んでいくみたいでしょ。」


 ルネは一瞬、答えを失い、それから小さく笑う。

 「でも――花は、静けさの中では育ちませんよ。」

 「光と温もりがなければ、きっと、蕾のまま枯れてしまいます。」


 その言葉に、リリアンヌの足が止まる。

 雪の向こう、凍りついたバラの茎が、まるで命の名残のように立っていた。

 白く、脆く、それでも確かに“咲こう”としている。


 「……いいの。」

 リリアンヌは、淡く微笑んだ。

 「私の花は、光を待たないの。」


 その瞳は、冬の空よりも冷たく、しかしどこか誇らしげだった。


 ルネは何も言えず、ただ小さく頷いた。

 雪の中、リリアンヌの立つ姿は――

 まるで、凍った世界の中でなお咲き誇る“氷の花”のように、美しく孤独だった。


吹雪が、世界の輪郭を奪っていた。

 白い風が頬を刺し、髪を巻き上げ、マントの裾をはためかせる。


 ルネが慌てて声を上げる。

 「お嬢様、もう戻りましょう! このままでは――!」


 だが、リリアンヌは歩みを止め、ふと空を見上げた。

 雪片が瞳に触れては溶け、冷たい雫となって頬を伝う。

 それでも彼女は、微笑していた。


 「ねえ、ルネ。」

 その声は、吹雪の中でも不思議と澄んで響いた。

 「この雪の下でも、土は生きているのよ。」


 ルネは目を瞬かせる。

 リリアンヌの視線の先には、白銀の大地――

 その下に、確かに眠っている“まだ見ぬ芽”があるかのように。


 「春を待たずに、ここで咲く花もあるはず。」

 彼女の指が、そっと胸に触れる。

 そこに燃えるものがあると、確かめるように。


 そして、リリアンヌは拳を握りしめた。

 雪の光を跳ね返すように、赤い瞳が真っ直ぐに前を射抜く。


「私、誰にも負けないで咲くわ。」

「この寒さの中で――私だけの花を。」


 吹雪の音が一瞬だけ止んだ。

 まるで世界が、その宣言を聞き届けたかのように。


 凍える風の中、リリアンヌの姿はただ一輪の紅。

 その瞳に宿る炎は、もはや悲しみではなかった。


 ――彼女は“痛み”を、“誇り”に変えたのだ。


夜の静寂が、部屋を包みこんでいた。

 窓の外では、雪がまだ降り続いている。

 白い夜気が薄く差し込み、暖炉の炎だけが、ゆらゆらと壁を照らしていた。


 リリアンヌは机に向かい、羽根ペンを手に取る。

 炎に照らされた横顔は、冷たくも美しかった。

 彼女は一枚の白紙を開き、ためらいなく書き始める。


「私はまだ、愛されることを知らない。

 でも、凍らせた心で――自分を守ることはできる。」


 文字を見つめる瞳に、かすかな光が宿る。

 それは炎の反射ではない。

 彼女の内側に、小さくとも確かな“熱”が生まれていた。


 ペンを置き、リリアンヌは静かに息を吐く。

 頬に映る炎の赤が、氷のような肌に柔らかな陰影をつくる。


 そして、微笑んだ。

 冷たいのに、穏やかで、痛みを抱いたままでも揺るがない笑みだった。




「春を待つ花になりたくなかった。

 誰かの手で咲かされるより――

 自分の意志で、氷の中に咲く花でいたかったの。」


 炎がぱちりと音を立て、静かな夜に溶けていく。

 その奥で、確かに灯るものがあった。

 ――それは、凍てついた少女の心に生まれた、初めての“静かな炎”だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ