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74.また笑顔でお会いしましょう(2)

 アリーセたちの帰還を待って、第二城砦でも宴は催された。

 宴は三日三晩続き、騎士団の解散式が行われたのはその翌々日だった。

 二つの城砦には必要最小限の騎士や兵士、研究者や技術者、使用人だけを残し、任期や契約期間を終えた者たちは晴れやかな顔で郷里や都市へ帰っていった。

 残った者の中にはハイネの姿もあった。

 イグナーツは彼女に王宮で医務官として働かないかと打診をしたが、断られたそうだ。アリーセが療養所の手伝いがてら理由を訊ねると、ハイネは消毒作業の手を止めて肩をすくめた。


「無理無理、そういうお上品なところで働くなんて性に合わないわ。肩が凝っちゃいそう」


 自分には城砦くらいがちょうどいいのだと屈託なく笑う。

 療養所にはまだ怪我が完治していない兵士たちが残されている。責任感の強い彼女のことだ、最後まで面倒を見るつもりなのだろう。

 彼女との別れは名残惜しいが、アリーセはあえて食い下がらなかった。

 城砦にはヘンドリックも残ると聞いている。

 先日、レンによって元恋人関係にあったことが暴露されたばかりだ。


(本当は「元」ではないのではないかしら?)


 そんな考えが浮かんだが、口に出すのはやめておいた。野暮というものだ。

 騎士団の解散後もゴルヴァーナ城砦は維持され、しばらくの間は《奈落》の観測および監視は続けられることになった。

 本当に魔湧き現象も神の呪いもなくなったのか、百年経ってみなければ確信は持てない。

 それでも、城砦に残る道を選んだ者たちの表情は以前よりもずっと明るかった。


 歴史学者のマリアンは宴の途中でいなくなった。

 もとより彼はゲルトによって無理やり連れてこられただけだった。アリーセも特に彼を恨んではいないし、それ以上にじゅうぶん協力してくれた。王家に恨みがあるであろう彼を無理に引き留める気はなかった。

 だが、マリアンはしばらくした頃に「報告がある」と言って顔を出した。

 彼によると、ヒルヴィス王国の四方を囲む穢れた海が徐々に本来の青さを取り戻しつつあるという。

 あと数年もすれば海の生き物を食べることも、海を渡って遠くの国と行き来をすることも可能になるかもしれないそうだ。


「海の向こうにも国があるの?」

「もちろんでございます、妃殿下。これから我が国にとっての脅威は《奈落》や魔物ではなく、海の向こうの国々となるでしょう」


 数百年もの間、外界と閉ざされていたヒルヴィス王国には外交の手腕に乏しい。しばらくは苦戦を強いられることになるかもしれない。

 だが、悪いことばかりではないと彼は語る。


「外国には、失われた我が国の歴史についての文献が残されているかもしれませぬ。我が国の歴史を取り戻すまたとない機会が得られるでしょう」


 歴史学者は落ちくぼんだ目を輝かせながら語ると、またふらっとどこかへ旅立っていった。


 すべての事後処理を終えると、アリーセたちは王宮へ居を移した。

 その頃には、王位継承権争いはとうに決着がついていた。

 アリーセの父であるヴェルマー公爵がありとあらゆる手を尽くして第一王妃マグダレーナの不義を暴いたらしい。

 イグナーツと彼の祖父がどれだけ奔走しても証拠や証人を見つけられなかったというのに、二十年以上経ったいまになって手に入れることなど可能なのだろうか。

 捏造、の二文字がアリーセの頭に浮かび、なんとも言えない気持ちになる。


(父ならやりかねないわ……)


 溺愛する愛娘クラーラを殺されかけた恨みは相当根深かったのだろう。こんな父を一度は敵に回した自分はなかなか恐れ知らずだったと思う。

 とはいえ、マグダレーナが不義を働いていたのは事実だし、オスヴァルトが鎮竜の儀を失敗した時点で彼の血筋に疑念は向けられていたことだろう。

 彼女が流刑となり、元王太子妃二人がそれぞれ高位貴族との再婚によって王宮を出て行くと、ようやくアリーセたちは平穏を取り戻した。

 めまぐるしいほど忙しい平穏だ。

 イグナーツが正式に王太子となり、それにともなってアリーセは王太子妃となった。


「我が妃アリーセ。この命を()して、あなたを幸せにすると誓います。どうか俺とともに、この国を導いてください」


 立太子式の直後、大観衆の前でひざまずかれたときにはおおいに驚いたが、とても嬉しくてアリーセは思わず泣いてしまった。イグナーツに抱きしめられながら大歓声に包まれたことは、生涯忘れないだろう。

 公務に追われながらも、日に日に腹の中で育っていく我が子を慈しむ。

 忙しくも喜びにあふれた日々が過ぎていき――

 そうして、五年の月日が流れた。



***



「お父様、お母様、早く早くっ!」


 王宮庭園の一角に、はしゃいだ声が響く。

 柔らかな陽光の下を、柘榴(ざくろ)色の髪をした四、五歳の少年が軽やかな足取りで駆けていき、途中で足を止めてくるりと振り返った。

 可愛らしく上気した顔を向けられて、その後を落ち着いた足取りでついてきた銀髪の美丈夫が苦笑いを浮かべる。


「ローレンツ。俺はともかく、お母様を走らせようとしてはダメだ」


 すぐさま追いついて身を屈めると、癖の強い我が子の髪にわしゃっと手を置く。

 ローレンツは父のこの手が大好きだ。

 秀麗な顔に似合わない無骨な手は、皮膚が硬くなっているのにとても優しくて、温かい。


「ご、ごめんなさい……」


 ローレンツはしゅんと肩を落とし、上目遣いで父親を見る。

 父の深い蒼色の双眸に自分の顔が映り込んでいる。

 まだあまり男らしさのない中性的な顔立ちは、幼い頃の父にそっくりだとみんな口をそろえて言う。

 ならばいつか、自分も父のようになれるのだろうか。

 息子の自分から見ても、父はとても格好いいと思う。

 王宮に出入りをしているどの貴族よりも美しく、騎士と見まがうほど体格もいい。

 その上、国を救った英雄だという。彼の息子であることはローレンツの自慢の一つだった。

 ふと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。

 口元へ手をやって優しげに笑いながら、大好きな母親が追いついてくる。かたわらには侍女の姿もあり、日差しが母の白い肌や柘榴色の髪にかからないように日傘を支えている。

 母は腰を締めつけない意匠の優美なドレスをまとっており、お腹のあたりが大きく膨らんでいる。

 お腹に弟か妹になる命が宿っているのだという。確かに母を急かすのはよくなかったとローレンツは反省する。


「ローレンツは本当に、バルトル公爵令嬢が大好きなのね」

「もちろんです!」


 ローレンツは父の手をかいくぐり、母に顔を向けた。

 ぱあっと顔をほころばせてから、ふと悪い考えが浮かんできてしまい、また肩が落ちる。


「でも、バルトル公爵令嬢はぼくをあんまり好きじゃないかもしれません……」

「どうして?」

「だって、最近全然会いに来てくれませんし……」


 肩にたおやかな手が置かれた。

 うながされるように顔を上げると、母が少し身を屈めて微笑みかけてきた。

 彼女の笑顔はとても美しく穏やかで、気落ちしそうになりかけていたローレンツの心をすくい上げてくれる。


「それは、外国に行っていたからだと言ったでしょう? バルトル公爵の外遊についていっていたの。家族で。とても遠くにいたから会いに来られなかっただけよ」

「そうでしょうか……」

「そうよ。その証拠に、今日は会いに来てくれたでしょう?」

「うん……」


 とうなずいてから、ローレンツははっとした。

 つい「うん」なんて子どもっぽい返事をしてしまった。父を見習って、大切な人には丁寧な話し方をするように気をつけていたのに。

 母が手を繋ごうと差し出してきたそれを、ローレンツはぶんぶんと首を横に振って拒否した。


「紳士はレディーを迎えに行くときに、他のレディーの手をとって行くような振る舞いをすべきではありません!」


 堂々とそう告げると、母は一瞬きょとんとした後、白い歯を見せて笑った。


「ローレンツは将来すてきな紳士になりそうね!」


 母はときおり少女のような屈託のない笑い方をする。たまに侍女長にたしなめられているようだが、ローレンツは母の自然な笑顔が大好きだった。

 ローレンツが母と手を繋がないとわかったからか、父が歩み寄ってきて母に腕を差し出した。

 母は嬉しそうに微笑んで父の腕に手を伸ばし、エスコートを受ける。

 二人は息子の自分から見ても、とてもお似合いの夫婦だ。

 救世の国王夫妻として国民からの人気も高いと侍女のミアから聞いている。

 去年祖父が体の衰えを理由に譲位し、父が玉座について以来、城下町では父母の肖像画や似顔絵を使った商品が飛ぶように売れているそうだ。


(ぼくも、いつかお父様やお母様のようになれたらいいな)


 仲睦まじい両親の姿に未来の自分とバルトル公爵令嬢の姿を重ねながら、ローレンツはそんな未来に胸を膨らませるのだった。


<了>


最後までお読みいただきありがとうございました。

少しでも面白いと思っていただけましたら、評価、ブクマ、いいね等いただけますと次の執筆の励みになります。


それでは、また新しい作品でお目にかかれますように。

ありがとうございました!

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