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68.再会は突然やってくるものです(1)

 アリーセはファビアンの手紙の下書きを何度も読み返し、読み込んだ。

 その中で、引っかかる記述がいくつかあった。


王笏(おうしゃく)と聖剣はもともとは聖笏と聖剣だったらしいんだ』

『聖笏は聖剣と同等の力を持っていて、《奈落》を封じる力もあるそうだ』

『なのに初代の聖剣の王子が人柱になる役目を担ったことで、いつのまにか聖剣の王子だけが魔物を倒せる、《奈落》を封印できることにされてしまったらしい』


 聖剣の王子が《奈落》を封じて犠牲になり、王笏の王子がガリウの竜を封じて王になる。

 それが何百年も繰り返されてきた結果、呪いは今日まで続いているのだとしたら。


(呪いを解きたければ……聖剣も王笏も、違う使い方をするべきだったのではないかしら)


 とはいえ、ただ王笏と聖剣を逆にしただけで呪いが解けるとは思えない。

 手記が語るには、王笏と聖剣の役目が決まったのは最初に呪いの対応をしたときで、それは偶然による選択だからだ。

 たまたま逆だったら初回で解けていた、なんていう単純な呪いはないだろう。


 アリーセは丸一日図書室にこもって、何か手がかりになるような文献が残されていないか探った。

 特に調べたのは歴史書だ。

《奈落》ができる前の文献は失われているため、《奈落》直後、主に初代の聖剣の王子と王笏の王子について調べた。

 だが王家にとって不都合な情報は検閲されているようで、王子二人は聖剣と王笏を継承する前から、王位を巡って険悪な関係であったことくらいしかわからなかった。


「……もう一度原本が読みたいわね。下巻はまだ読んでいないし」


 執事長を呼んで、ファビアンが残したものの中に手記があったか確認すると、エトガルが預かっているという。

 彼は第一城砦で現在も事後処理に追われて多忙を極めているらしい。伝承について調べたいからという個人的に理由で呼び寄せるのは酷だろう。

 それに、ファビアンが手記の下巻を見つけたという第一城砦の図書室にも興味があった。

 馬を用意してほしいと伝えると、執事長は難色を示した。

 第一城砦への道は険しく、馬車での移動が難しい。

 アリーセは一人でも馬に乗れると主張したが、ただの遠乗りとはわけが違うと言って執事長は首を縦には振らなかった。

 ならば護衛をつけて、療養中の兵士の中に第一城砦へ戻る予定の者がいたら同行させてと食い下がると、執事長はしぶしぶ折れてくれた。


 しばらくして連れてこられたのは、司祭兼第一守備隊長のヘンドリックだった。

 療養所で治療を受けている兵士の中にはイグナーツの旅立ちを受けて、神に祈りたいと申し出る者も多いという。

 それでヘンドリックは日に一回、二つの城砦を行き来しているそうだ。

 アリーセが事情を伝えると、ヘンドリックもまた賛成できないとばかりに眉をひそめた。


「明日までお待ちいただければ、俺が持ってきますが?」


 とっくに乗馬服に着替えて待ち構えていたアリーセはかぶりを振る。


「気持ちは嬉しいけれど、いますぐ受け取りたいの。図書室も見てみたいし」


 わがままなのはわかっている。

 何日も寝込んで時間を無駄にしたのはアリーセ自身の失策だ。

 しかし、少しでも何かをしていなければ、また悲しみを思い出して無気力に戻ってしまうかもしれない。それを防ぐためにも、みずから動き回っていたかった。

 ヘンドリックはアリーセの目をまっすぐに見つめ返し、何事かを察したようだった。口の端をひん曲げて苦笑する。


「しかたのない奥様ですねえ。わかりました、ご同行しましょう」




 かくしてアリーセはヘンドリックと馬首を並べて第一城砦へ向かった。

 侍女のミアもヘンドリックと相乗りするかたちでついてきた。

 でこぼこした大地のせいで激しく揺らされた彼女は、終始ヘンドリックにしがみついて震えていた。第二城砦で待っていていいと言ったのに聞かないのだから、彼女も主に似て強情だ。

 第一城砦へ着くと、伝書鷹で知らせを受けていた馬番が待機していた。そのそばにいるはずの男の姿がないことに、ヘンドリックが眉を寄せる。


「エトガルのやつは?」

「卿は会議に出ておられます。長引いておられるようで……」

「どうしますか奥様。呼んでまいりましょうか?」

「いえ、大丈夫よ。ありがとう」


 イグナーツの妃の身でありながら大事な会議の邪魔をしてはいけない。先に図書室を見つけて調べ物を先にすればいいだけの話だ。


「お、奥様、部屋をお借りしてちょっと休みましょう……」


 ヘンドリックが自分の職務に戻っていくと、たまらずミアが弱音を吐いた。

 長時間ひどい乗り心地に翻弄されたせいか、足取りがおぼつかなくなっている。確かに、自分はともかく彼女は休ませる必要がありそうだ。


「ねえ、あなた――」


 アリーセはミアの背中に手を回して支えながら、近くを通りかかった使用人女性に声をかけた。

 そこで言葉が途切れた。

 使用人の頭の後ろに、ふよふよと浮遊している人影があったからだ。

 いつぞや療養所で見かけた、背中に翼の生えた金髪の幼児だ。

 しょんぼりとうなだれて「はあ……はあぁ……」と何度もため息をついている。

 地に足がついていたらトボトボと歩いているように見えただろうが、彼は使用人や兵士の頭より高いところを飛んで移動している。なんとも不思議な光景だ。


「どうかなさいましたか、奥様?」


 ミアが怪訝そうに顔をのぞき込んでくる。

 アリーセははっと我に返ると、侍女と金髪頭を交互に見てから指を差してみせた。


「あ、あれを見て……」

「あれとは?」


 小首をかしげられてしまう。彼女には見えていないらしい。

 呼びかけられた使用人も不思議そうにうかがってくる。


「何か御用でしょうか?」

「ええっと……その、最後の魔湧き現象で、また幻覚を見せる魔物が出たという記録はあるかしら?」


 アリーセが真っ先に疑ったのは、幻覚作用のある息を吐く魔物による影響だ。

 使用人はすぐに近くの兵士に駆け寄って話を聞き、戻ってきて首を横に振った。


「そのような魔物は確認されなかったそうです。先日出現した魔物のリストをご所望でしたら……」

「いえ大丈夫よ、ありがとう」


 幻覚の類いである可能性が低いとわかっただけでじゅうぶんだ。


「ところで、もう一つお願いできる? どこか休める部屋はないかしら。彼女が限界なの」

「左様でございましたら、こちらの部屋をお使……」

「お願いね!」


 アリーセは最後まで聞かず、疲労困憊のミアをなかば強引に使用人に預けて駆け出した。

 奥様っ、とミアの声が聞こえたが、振り返らなかった。

 使用人と話していたため、金髪の浮遊児の姿はだいぶ遠くへ行ってしまった。

 それでも屈強な兵士たちの頭よりも高いところを飛んでいるおかげで、なんとか見失わずにすんだ。


「そこのあなたっ!」


 金髪頭を追いかけながら、使用人を呼び止めたときよりも大きな声をあげる。

 近くの兵士や使用人がいっせいに振り向いた。だがアリーセが構わず駆け抜けていくのを見て、自分のことではないらしいと察し、仕事や会話に戻っていく。

 呼びかけられた当人だけが無反応だ。

 自分が呼びかけられることはないと思っているのかもしれない。


(なぜ私にしか見えないのかしら)


 魔物が確認されていないだけで、やはり幻覚を見せられているのだろうか。

 しかし、幻覚ならば少なくともアリーセの知人のはずだ。彼に似た知り合いはいない。

 初めて見る顔。なのに、なぜか胸を締めつけられるほどのなつかしさをおぼえる。

 アリーセはもう一度息を吸って、声を張りあげる。


「そこの、ふよふよ浮いている可愛らしい金髪のかたっ!」


 浮遊児がぴたりと空中で止まった。

 それから、錆びついたかのようなぎこちない動きで振り返る。

 イグナーツとよく似た蒼色の双眸(そうぼう)が、まんまるに見開かれていた。


「……ぼくのこと?」

「あなた以外、どなたがいらっしゃるの」


 アリーセはようやく追いついて足を止めると、両膝を押さえて息を整えた。

 やっと会えた。

 なぜだかわからないが、そんな感情がわき上がってくる。

 浮遊児はあっけにとられたようにこちらを見下ろした後、はっとして周囲を見回した。

 通路には人通りはあるものの、彼に気を取られる者はいない。

 だが、夫を失ったばかりの王子妃が乗馬服姿で息を整えていることに、不思議そうな視線を向ける者はいた。


「場所を変えて話そう。えっと……こっち!」


 浮遊児にうながされるまま、近くの空き部屋に入った。

 勝手に使っていいのだろうかと思いつつ、あまり音を立てないように扉を閉める。


「お話ししていただけるのですよね?」

「うん。あー、でも、どこから話したらいいのやら……」

「まずはご挨拶からでよろしいのでは? 私はアリーセ・ヴェル……ヒルヴィスと申します」

「知ってるよ。僕には君たちが見えてたから……ああえっと、挨拶だよね。僕はレン――」


 そこまで言って、浮遊児はなぜか困った顔をしてため息をついた。


「……いや、本名を言うべきだよね。僕の名前はフロレンツィアだよ」

「えっ!?」


 アリーセは思わず大きな声をあげてしまい、慌てて口元を押さえた。

 イグナーツの双子の弟の名だ。

 マグダレーナたちの目を恐れて女性の名をつけられ女児として育てられていたのに、わずか三歳で暗殺された不運の王子。


「あなたが、あのフロレンツィア様……?」


 おそらくは幽霊だと思われるが、まさか顔を合わせて話せる日が来るとは思わなかった。


「う、うん。あっでも、レンって呼んでほしいな。この名前、あんまり好きじゃないから……」

「承知いたしました、レン様。私のことはどうぞアリーセと」

「……うん、わかったよ。アリーセ」


 彼は「レン様」という呼称にも違和感をおぼえているようだった。

 いままで誰にも認識されてこなかったのならば無理もないだろう。とはいえ、アリーセ以外にも例外はあったに違いない。


「殿下がたまに空中を見上げてお話されていたのは、あなたでしたのね」

「やっぱり、バレていたよね。このぶんだとエトガルやヘンドリックも気づいてそうだなあ」

「彼らにも見えなかったのですね。なら、どうして私にはレン様が見えるようになったのでしょう?」


 レンの話を聞くかぎりでは、彼はずっと身近に存在していた。

 なのに最近まで――正確には療養所で見かけたときまでアリーセには認識できなかった。急に見えるようになった理由がわからない。


「そこなんだけどね……」


 レンは気まずそうに左頬を指先で掻きながら、アリーセのつま先から頭までをじっくりと眺めて、困ったように目を細める。


「君の中に新しい命が宿ってる」

「……え」

「生まれたばかりの小さな命だ。まだ不安定で幽界(ゆうかい)に片足を突っ込んでいるような状態なんだろう。だからその命を抱えているあなたにも僕の姿が見えるんだ。実際、イグナーツもボーグ湖で死にかけてから僕が見えるようになったし……でもあなたのは一時的なものだよ。命が安定したら見えなくなる――」

「ま、待ってください!」


 アリーセは慌てて制止をかけた。

 気が動転してしまって、レンの説明がまったく頭に入ってこない。

 手が震えている。足もだ。少しでも気を抜けば膝からくずれおちてしまいそうだ。


「私のおなかに、殿下の御子が……?」


 ぽろりと頬を熱い雫が伝い落ちる。

 抱えきれないほどの大きな喜びが腹の底から湧きあがり、泣き叫びたくなるのを必死にこらえる。

 まさかこの自分が、愛する人の命を受け継げるとは思わなかった。

 声が漏れるのを防ごうと両手で顔を覆うと、余計に涙があふれ出てきて手や指の隙間からこぼれていく。

 レンはしばらくの間、黙ってアリーセの背を撫でてくれた。

 かつてイグナーツも同じようにしてくれたのを思い出して、余計に涙が止まらなくなった。

 アリーセが落ち着いた頃合いを見計らって、レンが気まずそうに言う。


「ご懐妊おめでとう、アリーセ。でも喜んでばかりはいられないよ」

「……それは、どういう……」


 ハンカチで口元を押さえながら訊くと、彼は神妙にうなずいてから応えた。


「ただの妊婦ならば僕は見えないはずだ。おそらくだけど、あなたの中に宿ったのは王笏の王子だよ――封印の儀式はまだ終わってないんだ」


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