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49.王子様は覚悟を決めました(3)

《白の宮》を出たところで、レンが居心地悪そうに待っていた。

 どのみち彼の姿は普通の人間には見えないというのに、マロニエの木の陰に隠れるようにしている。気まずい心情から来ているのかもしれない。


「……王妃様はなんて?」


 イグナーツは無言で小袋を持ち上げてみせた。

 レンがああ、と納得した顔になるのを見てから懐にしまう。

 彼とは五年ほどのつきあいになる。

 その間、彼は絶対に《白の宮》に立ち入ろうとしなかった。

 いつもしつこいくらいイグナーツの後を追いかけてくるのに、こういうときだけ頑なに「待つ」と言って聞かなかった。それどころか王族のいる場所にもほとんど近寄らなかった。

 その理由を、イグナーツは薄々察していた。


「おまえには謝らないとならないな」

「何を謝るのさ」

「オスヴァルトか、マグダレーナかはわからないが……先方の要求に応えて遺骨を渡すことになるだろう」

「そりゃ、そのために王妃様にお目通りしてきたのはわかって――」

「だから謝っているんだ。すまない、フロレンツィア」


 イグナーツは胸に手を当てて頭を下げた。上着の生地ごしに、懐にしまった遺骨入りの小袋に触れながら。

 そうして顔を上げると、自称精霊が驚いたように目を見開いていた。ややあって、皮肉げな顔つきに変わる。


「その名で呼ばれたくないな。レンの方がマシだよ」

「犬の名前でもか?」

「そっちの方が男っぽいからね。というか、気づいてたんだ?」


 レンは眉を上げて、開き直ったように腕組みをする。

 腕組みは本音を隠したいときに出がちな仕草の一つだが、本人に自覚はなさそうだ。

 それを指摘するほど、イグナーツは哀れな弟に対して意地悪にはなれない。


「俺がフロレンツィアの遺骨と言ったときだ。あれだけ動揺しておいて、当事者じゃないなんて考えられないだろう。亡くなったときの年頃も一致する」

「そりゃそうか。まあ、今日までバレてなかったのなら頑張った方かな?」


 何を頑張ったのかは不明ながら、レンは嬉しそうだ。


「薄々察してはいたがな。自分と少し顔立ちが似ている気はしていたんだ。ただ幼い頃の肖像画はないから確信はなかった。人間には翼もないものだしな?」


 と、自称精霊の背から生えた鳥のような翼を一瞥する。こんなものが生えていたから本当に精霊か、あるいは神の監視役ではないかと疑ってしまった。

 だが容姿だけ見れば血縁関係があるのは間違いない。髪の色が違うのは、イグナーツの方が成長の過程か聖剣による肉体の消耗で変わっただけだ。


「おまえは幽霊なのか?」

「さあ? 他の幽霊仲間みたいなものは見えないから、そうなのかそうじゃないのかもわからないよ」

「おまえの遺骨のすべてをオスヴァルトが飲んだら、おまえは消滅するのか?」

「それも、実際に飲まれてみないとわからないよ」


 レンはあっけらかんと笑った。

 それは消滅を受け入れている、あるいは受け入れようとしている者の顔だった。

 イグナーツはたまらずその小さな体を抱きしめる。

 自分にしか見えることも触れることもできない存在を抱きしめたのは、これがはじめてだった。腕の中から戸惑うような身じろぎが伝わってきた。


「やめてよ気持ち悪い。君とはこんなことをする関係じゃなかっただろ」

「そうだな、俺も気持ち悪い」

「だったらするなよ! もう、どうせ母上のこともこうやって説得したんだろ? わかってるんだから!」

「ああ、そのとおりだ」


 自称精霊からの苦情をすべて受け止めながら、イグナーツは離さなかった。

 これが今生の別れになるかもしれないと思えば、その存在を体でおぼえておきたいと思ったのだ。

 母から、遺骨を譲渡する条件として告げられた言葉が耳の奥に蘇る。


『お願いだから愛する人を大切にして。愛する人というのは、あなた自身も含めてのことよ』


(まったく、あの人には敵わないな)

 残された時間をどう過ごすべきか。

 生き方を変えなければならなくなったのを痛感しながら、イグナーツは自称精霊が耐えきれずに暴れ出すまで抱きしめ続けた。

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