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44.魔女は何かを知っているようです(1)

 馬車の外を薄暗い針葉樹の森がゆったりと流れていく。

 それを伊達眼鏡越しに眺めながら、アリーセは同乗するルットマン伯爵に問いかける。


「マリアンという魔女は、ずいぶん不便なところに暮らしているのですね」

「人目を忍んでいるのでしょう。なんでも元罪人だという噂でして」

「罪人?」


 これから会おうとしている人物が急におそろしい人物に思えてきた。

 が、ルットマン伯爵は安心させるように苦笑してみせる。


「魔女は無認可の薬物や医療行為を行う者。それなりに長く営業してきたならば、前科の一つや二つはあるものでしょう」

「そういうものかしら」


 釈然としないものを感じつつ、アリーセは姿勢を戻した。そうすると、向かいの席に腰掛けるルットマン伯爵と二人きりだと意識させられ、罪悪感をおぼえる。


(殿下との約束を破ってしまったわね)


 心の中でごめんなさいとイグナーツに詫びる。不可抗力なのですと。

 ちなみに、ミアはルットマン伯爵邸に置いてきた。

 魔女の元へ案内してもらう前に、ルットマン伯爵がこう言ってきたからだ。


「しかしいまからとなると少々問題が。妃殿下は目立ちますからな。今日も王家の馬車でいらっしゃったのを、多くの者が目にしていることでしょう。妃殿下が魔女の元を訪ねたと知られれば、いらぬ噂が立つかもしれません」

「それはそのとおりだけれど、あまり時間がありませんの」


 アリーセたちが王宮に滞在するのはほんの数日間だ。

 おまけに明日は立太子式の準備があり、明後日は立太子式当日。

 さらにその翌日は鎮竜の儀に王族の一員として参加し、儀式を見届けた後はすぐにまたゴルヴァーナ城砦へ戻らなければならない。


「では、こうするのはいかがでしょう?」


 とルットマンが提案してきたのは、ミアを変装させてアリーセの身代わりにする作戦だった。

 アリーセに扮したミアを伯爵邸に残し、自分たちは目立たない格好でこっそりと屋敷を抜け出し、別の場所から馬車で移動する。そういう流れだ。

 もちろんミアは猛反対した。


「魔女ですよね!? 無認可の薬物を扱ったり、医療行為を行ったりしているんですよね!? そんなの、ミアも会いたいに決まっておりますっ!」


 そこは「奥様を伯爵と二人きりで行かせるわけにはまいりません」ではないのね、とアリーセは少しあきれた。

 とはいえヒルヴィス王国屈指の薬物商の娘ならば、魔女は気になってしかたがない存在だろう。そう理解したからといって、認めるわけではないが。

 そんなわけで、ふてくされるミアと着衣を交換し、伯爵夫人の私物だという赤い髪のカツラをかぶせてルットマンと屋敷を後にした。

 赤い髪のカツラを所持している理由について、ルットマン伯爵は「妻は気分に合わせて髪色を変えるのが趣味でして」と語った。

 アリーセが借りた伊達眼鏡も含めて本当に夫人の趣味なのか疑惑はあったが、知りたくないことを知ってしまうおそれがあったので追及はしなかった。


「――ああ、見えてきましたな」


 ルットマン伯爵のつぶやきにうながされて再び窓の外を見やる。

 鬱蒼とした森の中がそこだけぽっかりと拓けており、こじんまりとした二階建ての木造家屋が佇むように建っていた。廃屋を修繕して使用しているらしく、増築したらしき部分だけ建材が新しく、窓にはガラスもはめられている。

 アリーセはルットマン伯爵の侍女というていで来たので、先に馬車を降りた。その代わり、入り口の扉をノックするのはルットマン伯爵の役目だ。

 ややあって、ぎぃと軋む音を立てて扉が開かれた。

 扉の隙間から老いた眼差しが胡乱げにうかがってくる。

 灰色の長い髪を首の後ろで一つに結った老人で、焦げ茶色の長衣に身を包んだ体は意外にも上背がある。この人が「魔女」だろうか。


「……どちらさまで?」

「あなたが魔女マリアンかな?」

「人に名を訊ねるときは、まずはおのれから名乗るものかと存じておりますが」

「ああ、失礼。不作法は承知している。だがこちらの店を訪れる者に、はたして堂々と名をあかせる立場の者がどれだけいるだろう?」


 ルットマン伯爵はひどく回りくどい言い方をした。

 魔女は露骨に眉をひそめる。面倒な客が来たと言わんばかりの態度だが、身なりの良さから報酬に期待できると思ったか、扉を閉じるような真似はしなかった。


「……やつがれがマリアンにございます」

「それはよかった。ここまで来て留守だったらどうしようかと思っていたのだよ。それで、よかったら中へ入れてもらえないかな? このとおり、手土産もある」


 ルットマン伯爵は懐からおもむろに小袋を取り出し、老いて骨張った手に握らせた。

 マリアンがますます胡乱げな顔になりつつ、小袋の紐を緩めて中身をのぞき見る。


「昨今の貴族様はずいぶんと気が短くなられたようで」

「合理的になったと言ってほしいね。時は金なりだ」

「そのような用法で使う言葉ではなかったかと存じますが、まあよろしいでしょう。粗末なところではありますが、どうぞ中へ。そちらの侍女の方も」


 声を掛けられて、アリーセはほっとした。召使いは外で待機するように言われたらそれこそどうしようかと思っていたのだ。

 骨張った手に招かれて扉をくぐれば、屋内は意外と片付いていた。

 魔女の家と言えば、乾燥させた植物やトカゲの亡骸などが通行の邪魔になるほど吊り下げられ、棚には所狭しと薬瓶が並べられているところを想像していた。

 だが、マリアンの家は棚に薬瓶こそあれどどちらかというと書物の方が多い。


(魔女の家という感じじゃないのよね。なんだか研究者のような……)


 事前に元罪人だと聞いていたからか、アリーセにはマリアンなる人物が薬学や医療一筋の人間には見えなかった。なんとなくだが、何か他に本業があるように思えるのだ。


「どなたからのご紹介かは存じませぬが、あまり広めないでいただきたいものです。やつがれはお上に見つからぬよう、息を潜めて商いをしておりますゆえ」

「そのわりにはお上に近い顧客がいるようじゃあないか」

「なんのことをおっしゃっているのか、やつがれには想像もつきませぬ」


 そんな会話をしながら、マリアンとルットマン伯爵がテーブルに向かい合って座る。

 椅子は二脚しかないので、アリーセは侍女らしくルットマン伯爵の背後の壁際に控えることにした。


「冗談抜きに頼みたい。少し前に王家の血筋の方がここを頼ってきているだろう。彼がどのような用件で訪れたのかを知りたいのだが」

「存じませぬな。仮に存じていたとしても、顧客の情報を軽々しく口にするような真似はいたしかねます。そこは商いをする者として守らねばならぬ鉄則です。ましてや、魔女を頼らねばならぬほどの事情を抱えた方ともなれば、なおさらでございます」

 そんなことを聞きたくて来たのかと、うんざりした様子で魔女は嘆息する。


「これでもダメかな?」

 ルットマンは追加の小袋をテーブルの上に置いた。

 だがマリアンはそれに見向きもせず、ゆっくりと首を横に振った。金の問題ではないらしい。


「何か困っていることはないかね? 私にできることならば力を貸すし、必要な物があれば用立てよう」

「強いて申し上げれば、こうも頻繁に貴族様に訪ねてこられてはいつまたお上に見つかるかわからぬゆえ、引っ越し先の選定に難儀していることくらいでしょうか」

「それは、身を隠さねばならないような事態に陥っている、あるいは予期していると受け取ってもいいかね?」

「……どうやらもうお帰りになる時間のようです」


 マリアンが立ち上がった。

 もう離すことはないという拒絶の態度に、ルットマン伯爵が慌てて腰を浮かせる。


「ああ、すまなかった。少し待っ――」

「お待ちくださいませ!」


 気がつけば、アリーセは声を張りあげていた。

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