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35.舞踏会では注目の的です(1)

 夕方からは歓迎の舞踏会が開かれるというので、少し休憩をしてから準備に取りかかった。

 アリーセ個人に与えられた部屋で衝立を並べ、姿見の前で侍女を待っていると、ミアが衣装櫃から見慣れないドレスを取り出してきた。

 夏用の生地で作られた、さわやかなミントグリーンの衣装だ。

 襟ぐりや袖にあしらえられたシフォンのフリルが繊細で可愛らしい。


「それ、どうしたの?」


 また父が人気のお針子の店から既製品を買ってきたのだろうか。

 ミアが、ンフフゥ、と鼻息を荒くし、答えを言いたくてたまらないという笑みを見せた。


「どうしたと思います? なんと! イグナーツ殿下からの贈り物ですっ!」

「ええっ!?」


 なんでも、バルトル公爵領で活躍する人気お針子の作だという。

 畜肉の取引をはじめた頃にイグナーツがバルトル公爵の紹介を通して注文していたらしい。

 王都への道すがら立ち寄った際に、完成品を受け取っていたそうだ。いつのまに。


「嘘……信じられないわ」


 アリーセは感極まって、思わず口元を手で覆う。

 イグナーツが自分なんかのためにそこまでしてくれていたとは思わなかった。


「感動するのはまだ早いですよ!」


 ミアがドレスに続いて宝石箱を保ちだしてきた。これも見覚えがない。

 じゃじゃーん! と言って開かれたそこには、濃いサファイアをあしらった耳飾りと首飾り、指輪が収められている。


(ミントグリーンにサファイアなんて、まるで……)


 ドレスがアリーセの瞳の色だとしたら、宝飾品はイグナーツの瞳の色だ。

 自分の瞳と同じ色の宝石を贈ることは、独占欲のあらわれだと聞いたことがある。

 イグナーツがそれを知っているかどうかはわからないが、こんなこと、胸を高鳴らせるなと言う方が無理だ。


「奥様がふられたとおっしゃったときは一服盛ってやろうかと思いましたけどぉ、ちゃんと大切にされているようでミアは安心いたしました!」

「そ、そうかしら……」


 侍女が暴走して王子に一服盛ってはいけないので、謙遜するのはやめておく。


(あくまで仲睦まじい夫婦の振りをするためなのでしょうけれど……大切にされていると思うくらい、いいわよね?)


 アリーセはドレスに手を伸ばした。さらりとした生地が心地よい。


「私に似合うかしら。ううん、絶対に似合いたいわ」

「似合うに決まってます! さっそくお召し替えいたしましょう!」


 侍女は我がごとのように嬉しそうだ。

 アリーセもつられて微笑みながら、着ているドレスを脱がせてもらうためにミアへ背中を向ける。

 そうして新しいドレスに着替えて髪型を整え、装飾品をつけおえた頃、隣室で準備をしていたイグナーツが訪ねてきた。

 衝立が除けられて顔を合わせた瞬間、アリーセは息を呑んだ。

 イグナーツはミントグリーンの上着にアイボリーの胴着、白いシャツと脚衣(ズボン)というさわやかで――アリーセとおそろいの衣装をまとっていたからだ。


(こんなの、絶対に仲良し夫婦にしか見えないじゃないですか……!)


 もちろん二人が結婚したことは国中に広まっているわけだが、それとこれとは別問題だった。感動のあまり全身が打ち震えそうになる。

 アリーセの着飾った姿を見て驚いたように目を見開いた彼は、ふっと嬉しそうにはにかんでみせた。


「とてもよくお似合いです。やはりあなたの瞳の色に合わせて作らせたのは正解でした。涼やかで、あなたの美しい髪にもよく映えます」


 アリーセは思わず髪に指先を絡めたくなって、ぐっとこらえた。

 ミアが丁寧に結い上げて編み込みでまとめ、サイドに巻き髪を作ってくれたのだ。崩したくはない。


「ありがとうございます。こんなに素敵な衣装をいただいてしまって、よろしかったのでしょうか」

「俺たちは夫婦ですよ。遠慮は無用です。それに……妻をおのれの好みに着飾らせられるのは夫の特権です」

「…………っ!」


 おのれの好みに?

 つまり、このドレスはイグナーツの好みだということか。


(お世辞は不得手でいらっしゃるはずなのに、どこでおぼえたんですか、もう!)


 顔面の筋肉が緩みまくりそうなのを必死にこらえていると、ふとイグナーツが手を伸ばしてきた。手袋に包まれた指先がそっとアリーセの耳飾りに触れる。


「本当に、よく似合っている」


 噛みしめるように言う。手袋の生地が耳たぶをかすめてくすぐったい。

 どきどきして視線を逃がせば、姿見の中に彼と自分の姿があり、耳元でサファイアの耳飾りが揺れていた。

 夫の瞳と同じ色をした宝石。


「では、まいりましょうか」

「……ええ」


 うやうやしく差し出された腕に、アリーセは自分の手を絡ませた。




《蒼の宮》を出るとすっかり日が落ちていた。

 アリーセたちは護衛の騎士たちに付き添われながら庭園を抜け、王宮の中央にある正殿の大広間へと向かう。

 会場は既に多くの紳士淑女によってにぎわっていた。

 大きな鏡に囲まれた通称鏡の間は豪華なシャンデリアの下、色とりどりの衣装がひしめいてとても華やかだ。


「イグナーツ殿下、アリーセ妃殿下、ご来場!」


 係の者がアリーセたちの入場を告げると、貴族たちの視線が一斉に向いた。

 社交界デビューしたときだってここまで注目されることはなかった。王子妃になるというのはこういうことなのだといまさら痛感する。


(私、殿下の引き立て役になってないかしら。普段ならそれで構わないのだけれど、しばらくは甘く見られるわけにもいかないし)


 アリーセが王都へ同行したのは、イグナーツの二番目、三番目の妃になろうとする者を牽制するためだ。

 できるだけ美しく着飾り、品良く振る舞い、立派な妃であることをアピールする必要があった。


「あれがヴェルマー公爵令嬢……いやアリーセ妃殿下か。こんなに美しかったか?」

「《奈落》に嫁入りなんてお気の毒だと思っていたのに、幸せそうだこと」

「いつもは妹君の影に隠れている印象だったのにな。人は変わるものだ」


 貴族たちの前や横を通過する間、彼らから驚いたような囁きや感嘆の吐息が漏れるのが聞こえつづけた。ひどく緊張したが、評判は上々のようだ。

 笑顔が強張らないよう取りつくろいながら歩いていると、不意にぐいと腰を抱き寄せられた。


「殿下……!?」

「心配なさらなくとも、あなたが軽んじられるような真似はしません。あなたを自分の命よりも大切にしているとみなに見せつけます」


 事前に話していなかったが、仲睦まじい夫婦のふりは継続してくれるようだ。

 とてもアリーセの再婚相手を探そうとしていた人と同一人物とは思えない。もっとも気が変わったのではなく、単にいまではないと判断した結果かもしれないが。

 アリーセがそんなことを考えていたときだった。


「いやあ、お熱いですな! まるで夏の日差しのようだ!」


 わざとらしい声に振り向けば、うさんくさい笑みを浮かべた紳士がこちらに近づいてきていた。父、ヴェルマー公爵だ。


「しかし、安心いたしました。なにぶんふつつかな娘ですので、殿下にふさわしいか心配しておりましたが」

「ヴェルマー公爵。彼女が貴公の令嬢であることは知っているが、いまは俺の妻だ。あしざまに言うのはやめていただこう」

「……そのような意味では」


 出鼻をくじかれた父が一気にタジタジになる。

 どうも様子がおかしい気がした。さきほどのわざとらしい発言も妙に声高で、まるで離れている誰かにアリーセたちの来場を知らせようとしているかのようだった。係の者に名を呼ばれているから、そんな必要などないはずなのに。

 不審には思ったが、楽団による演奏がはじまったのでひとまず思考を打ち切った。

 三拍子が特徴の舞踏曲《月夜の輪舞》だ。

 国王と第一王妃が手を取って中央へ移動していき、貴族たちが広間の壁際へとはけていく。

 一曲目は王族が踊るのが決まりだが、オスヴァルトと彼の妃たちの姿はみあたらない。

 イグナーツがあらためてアリーセの手を取った。


「俺たちも行きましょう。ちなみに《月夜の輪舞》は?」

「得意ですわ」

「それはよかった。実はダンスが少々苦手で」


 アリーセは目を丸くした。意外だった。


「本当ですか?」

「ええ。足さばきは得意なのですが、おそらく神の呪いで音感に問題が」


 しかめ面で言われ、思わず吹き出した。


「殿下でもそんな冗談をおっしゃるんですね」

「冗談だなんて、結構切実なのですが」


 むっと唇を引き結ぶ夫がおかしくて、アリーセはさらに笑う。


「いいですわ。私がリードして差し上げましょう」

「よろしくお願いします、アリーセ先生」


 大広間の中央に出ると、アリーセはイグナーツと向かい合った。

 右手をイグナーツの手と絡めたまま、左手を彼の背中へ。彼もまたアリーセの腰に腕を回して体を寄せる。

 前奏が終わるのに合わせて、アリーセたちは体を動かしはじめた。

 最初は後へ、次に横へ。体を揺らし、足のステップだけで円を描くように移動していく。

「殿下、もっとリズムに乗ってくださいませ。本当に足さばきになっていますわ」

「……努力しています」


 イグナーツは苦戦しているようだが、実際に体を動かすことには慣れているだけあってミスはしない。

 曲調に慣れてくると、困ったように引き結ばれていた唇がしだいに緩んできて微笑みかけてくる。


(ゴルヴァーナ城砦に閉じこもっていたら、殿下とダンスする機会なんてなかったでしょうね)


 アリーセはゴルヴァーナでの生活が気に入っている。

 だがそれと、恋した人と夜会でダンスをするのが楽しいという気持ちは両立するのだ。

 この楽しいひとときがずっと続けばいいのに。

 アリーセはそう願わずにはいられなかった。

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