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34.奈落の夫妻は歓迎されています(2)

 昼餐からの帰り道。

 暴力的な日差しの下をミアに日傘を差してもらいながら歩いていると、《蒼の宮》の庭園のベンチに女性が二人腰掛けているのが見えた。

 一人は淡い金髪を肩の辺りで切りそろえるという、珍しい髪型をした貴婦人だ。歳は四十代の半ばくらいだろうか。膝の上に金髪の女の子の人形を抱えている。

 その隣には眼鏡をかけた黒髪の侍女がおり、貴婦人のために日傘を支えている。


(どなたかしら)


 こんな日に、こんなところで庭園散策や日光浴ということはないだろう。

 そう思っていると、隣を歩いていたイグナーツがぴたりと足を止めた。

 蒼の眼差しは庭園の二人に向けられており、困惑の色を帯びている。

 お知り合いですか、と問うよりも早く、庭園の貴婦人が気づいて立ち上がった。


「イグナーツ!」


 嬉しそうな声をあげてパタパタと少女のような足取りで駆け寄ってくる。

 イグナーツの横顔が、ばつが悪そうに強張る。


「もう、帰ったのならお母様に顔を見せてくれてもいいじゃない」


 どうやら彼女がイグナーツの母、第二王妃ヘルガのようだ。


「……まだ着いたばかりですよ。着いて早々に、父上から呼ばれていたんです」

「いっつもそうじゃない。家族の顔を見るヒマくらいあったでしょうに。薄情なんだから。フロレンツィアはお兄様を見習ってはダメよ?」


 と言って、ねーえ? と人形に語りかける。

 もちろん、人形はなんの反応も示さない。

 ヘルガの無邪気な態度に、アリーセは少し薄ら寒さをおぼえた。


(フロレンツィア様って、確かイグナーツ殿下の双子の妹君の名よね……)


 双子は不吉だと言われて一歳で侍女とともに修道院へ送られ、わずか三歳という若さで亡くなったと聞いている。

 我が子を手放させられた上にたった数年で失ったせいで心を病み、《白の宮》で静養しているという話は本当のようだ。

 一方、イグナーツの方はあきらかに態度がぎこちない。

 年に一度、数日間だけ母を見舞いに王宮へ戻っていると聞いていたが、この様子ではすすんで会いに行っているわけではないのかもしれない。娘の死を受け入れられない母を見るのがつらいのだろう。気持ちはわかる。


「あなたはイグナーツのお嫁さんね?」

「えっ? あ、はい!」


 急に話を振られて、アリーセは慌ててドレスのスカートを摘まんで一礼した。


「アリーセと申します。どうぞお見知りおきを、王妃殿下」

「こちらこそよろしくね。可愛らしいお嫁さんをもらって、イグナーツは幸せ者ね」


 ヘルガはころころと笑う。春の日差しのようなやわらかな表情だ。

 人形を亡き娘だと思い込んでいるわりには、息子の成長も新しく迎えた妃のことも認識できるようだ。

 その反面、聖剣を継承した息子を無邪気に「幸せ者」と呼べるということは、彼の運命までは理解していないということだろうか。

 と思ったら、


「いきなりあんなところへ輿入れすることになって大変だったでしょう?」

「えっ」


 死地と呼ばれるゴルヴァーナの特殊性を知っていそうな発言が飛び出すものだから、アリーセは面食らった。


「怖くない? 魔物はもう見た? 退屈はしていないかしら? 王都と違って舞踏会や晩餐会に呼んでくれる人もいないでしょう? 楽士や踊り子も来てくれないでしょうし……あっ、イグナーツはちゃんと優しくしてくれている?」

「え、ええと……」

「母上、一気に質問しすぎです。アリーセが困っているでしょう」

「あらごめんなさい、私ったらつい楽しくてしゃべりすぎちゃって」


 イグナーツにたしなめられて、ヘルガがうっかりしたわとばかりに目を丸くして口元に手を当てる。しぐさがいちいち可愛らしい。


(なるほど、この親にしてこの子ありね。殿下が可愛いわけだわ……)

 とひそかに納得するアリーセだった。


「ご心配なら無用ですわ、王妃殿下。イグナーツ殿下にはとても大切にしていただいております。不満など一つもありませんわ」

「本当? 遠慮なら無用よ。これでも母親ですから、息子のことはちゃんとわかっているの。結構頑固な子だから絶対苦労をかけていると思うわ」

「……まあそこは」

「アリーセ、否定してください……」


 イグナーツの不満げな声に、アリーセは思わず噴き出した。

 見るとヘルガもころころと笑っている。隣で日傘を差す眼鏡の侍女は鉄仮面を貫いていたが、彼女も笑いたそうに見えた。


「何か困ったことがあったら私に言うのよ? 母親としてガツンと言って――」

「母上。何か用があっていらっしゃったのではないのですか?」


 この話題を終わらせたいらしく、イグナーツが露骨にさえぎった。

 ヘルガが不満げに眉尻を下げる。


「気が短い子ね。誰に似たのかしら。挨拶に来ただけじゃダメ? 陛下ったら、私をお食事に誘ってくださらないばかりか、《白の宮》から出るなとおっしゃるんだもの。まあ、勝手にさせてもらっているけれど。この髪型がそんなにお気に召さないのかしら? 軽いし楽でいいのに」


 と口を曲げて言い、肩でそろえた金髪にさらりと触れる。

 イグナーツは厳しい顔になって口をつぐんだ。

 母妃があまりいい扱いを受けていないと彼も感じているのだろう。出会ったばかりのアリーセでも察せられたくらいだ。

 むくれた様子だったヘルガが、ふと何かを思いついた様子でドレスの隠しポケットをごそごそと探り、手のひらに収まるほどのものを差し出してきた。


「イグナーツがいけずだから、アリーセ、あなたにこれをあげるわ」


 木彫りの犬だった。ヘルガの手製だろうか。彫刻刀かナイフで削った跡がはっきりと残っており、手彫りのあたたかみがある。


「昔飼っていた犬をモデルにしているの。レンって言うのよ。可愛がってあげて」

「あ、ありがとうございます」


 アリーセは素直に受け取った。イグナーツに贈るために彫ったものをもらっていいのだろうかとも思うが、受け取らなければ失礼になる。


「母上……」

「あら、ほしかった? でもダメ、悪い子にはあげないわ。なんて、あなたには今度また帰ってくるときまでに作っておくわね」


 何事もないように言うが、次に帰るときというのはいつのことだろう。

 イグナーツが《奈落》に身を投じるまでもう残りは一年もない。

 王妃様、と侍女が話の腰を折るように声を掛ける。ヘルガのこめかみや頬を大粒の汗が伝っている。これ以上は体調にかかわると判断したのだろう。


「アリーセ。よかったら《白の宮》へ遊びにいらして。あなたとはもっとお話したいわ。こんな暑いところではなく」

「ええ、喜んで。いつかおうかがいしますわ」

「絶対よ」


 そう言って、第二王妃と侍女は去っていった。

 その後ろ姿を見送りながらイグナーツが謝罪する。


「母がすみません。驚かれたでしょう」

「少し。でも、私もご挨拶したいと思っていたので、お会いできてよかったですわ」

「そう言っていただけると助かります。少し変わり者なので……」

「まあ、変わり者といっても湖で泳ぎ回るほどではないでしょう?」


 イグナーツはきょとんとした後、はははと声をあげて笑った。

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