11、終幕
それは、果たして勝負と言えたのだろうか。
氷漬けにされた会場と同時に、アルバンの足すらも氷漬けにしたレティシアは、不敵な笑みを湛えながら逃れようともがく彼の傍まで優雅に歩み寄ると「あまり無理をしてはいけない。使い物にならなくなるぞ」と凍える声で忠告した。
「ま、待て! こんなのは卑怯――」
「はは、うるさい口だな。チャックをしてしまおうか。私は闘いを楽しみたいわけではなく、私を見守るその視線に応えたいだけだからね」
そしてそのまま氷竜を身体に巻きつけ、呆然と見守る国家調査部隊員の前に投げ捨てる。ああ、そうだとも。これは勝負などではない。旦那様に最強を望まれた。ただ、それだけのこと。
さて、残るは商人の処理だが。
アルバンと同じく足を凍らせ動けなくさせておいた商人に近づく。
「竜帝様!」
するとそこへジルベールが走り寄ってきた。
「ご期待には沿えたかな?」
「ああ、やはりキミは最高だ。想定以上だよ! まさか彼が文字通り手も足もでないなんてね。……本当に、もう、キミ以外目に入らなくなる」
近づくとベールの奥にほんのり顔が透けてみる。柔らかく微笑んだ彼の瞳にはレティシア以外何も映っていなかった。しかし蕩けるような赤い瞳にはまだ理性が残っている。少し話したい、という事なのだろう。
分かったよと囁いて、彼女は一歩後ろへ下がった。
「ありがとう、汲んでくれて。……さて、以後関わることはないだろうから、今のうちにお話ししておこうか。弁明くらいは聞いてあげよう」
「……何者だ。つい先日まで国家調査部隊が動いている様子はなかった。いや、正確に言うならば私の周辺を嗅ぎまわっている形跡はなかった。だというのにこの手際の良さ。そして竜帝の助力。すべて計算済みと言わんばかりだ。……お前は、一体何者なのだ!」
「仮面舞踏会で顔を晒せだなんて、随分とはしたないお願いだな。そんなに見たいなら剥いでみるかい? なんて」
ジルベールはくつくつと喉を震わせてベールを脱ぎ去った。
「別に、この場でなら隠す必要もない。ほら、どうぞ」
「なっ、え……?」
呪われた赤い瞳。顔を知らずともその目を見ただけで彼が誰だかわかる。目の前にいるのがあのロスマン帝国第二皇子ジルベールだと気付いて商人の目がまんまるに見開かれた。
「どうした、ぽかんと口をあけて。ある程度予想はしていたのではないのか?」
「皇族の誰かの差し金だろうことは予想していましたが、まさか貴方だったとは。世界情勢になど興味がないと思っておりましたからね。国を守るために動くような方ではないでしょう?」
「いや、そっちはついでさ」
「は?」
商人の眉間に皺がよる。
「この間のオルレシアン家失脚騒動の折、キミは裏で色々画策していただろう? 随分うまくやったみたいで、引っ張るには少々弱い証拠しか出なかったからさ。――じゃあ、別の案件で引っ張ってこっちも吐かせればいいだけと思った。だから今回の件は本当についでなんだ」
「――な」
「別に国がどうなろうが、俺にはどうだっていい。でも、レティに害成すものはすべて排除する。オルレシアン家もレティの一部なら、それに瑕疵をつけようとしたお前たちを看過するわけにはいかない。ついでにレオン殿の株も持ち直して一石三鳥さ」
「おや、呪われた皇子が奥方殿へのアピールですか? オルレシアン家のベル・プペー。一目拝見したことがありますが、正しく人形の如き美しさでした。まぁ、竜帝様に熱を寄せている貴方には興味のない相手でしょうが。……言っておきますが、あの件に関わっていたのは私だけではない。私とて駒の一部。すべてはあの方が仕組んだこと」
(あの方?)
後ろで大人しく聞いていたレティシアの耳がぴくりと動く。
しかし彼女の反応とは逆にジルベールは静かに目を閉じて「もういい」と言った。その声には怒りが滲んでいる。よくぞあそこまで的確にジルベールの神経を逆なでする言葉ばかり紡げるものだとため息しか出ない。
もちろん、レティシア自身も苛立ちはあった。
(呪われた皇子などと、よくも)
「キミ自体は国に不満があったわけでも、世界情勢を混乱させたかったわけではなく、ただ純粋に金が欲しかった。それでいいんだな?」
「ええ、残念ながら。私自体は崇高な理念があったわけではありませんよ。そんな小物のために、こんな場所へ竜帝様と仲睦まじくやってくるなんて。ははっ。今回の事、奥方殿に知られなければよいですね? フリだとしても、一切隠しきれておりませんでしたよ。あなたの竜帝様への態度は――」
「口を塞いで転がしておいてくれ。後は調査部隊に任せよう」
ジルベールの言葉に無言で頷くレティシア。
しかし竜帝の正体を知らぬものから見れば、夫婦仲を疑われる事態に繋がるのか。それは面白くない。彼女は商人の顔をじっと見つめた。
「おや、竜帝様。申し訳ございませんが、ここを選んだのは取引に都合が良かったからのみ。私は普通に女性が好きでしてね。あなたの魅力に囚われたりはいたしませんよ」
「誰が貴様など口説くものか。私が生涯愛を囁くのは旦那様だけだ」
「旦那様、ね。しかしその旦那様には既に奥方がいらっしゃる。それくらい分かっておいででしょう?」
はは、と笑いが漏れる。
レティシアは指にはめた反転の魔導石へ唇を落とすと「まず前提が間違っているんだよ」と商人の耳元で囁いた。
「魔鉱石の取引に関与しているならば、この意味わかるだろう」
「意味? なにを言って――待て。お前、その指輪の石、まさか、反転の……いや、いやいやいやいや、待て! そんな、そんな馬鹿な話! あの噂は――」
「悪いが、これ以上語る言葉は持ち合わせていないのでな。大人しく墜ちていけ」
氷竜に命じての彼の身体を拘束し、アルバンと同じく投げ捨てる。
これで一件落着だ。
レティシアがパン、と手を叩くと部屋を覆っていた氷は瞬く間に砕けて元の美しいホールへ戻った。振り向くとレオンたち国家調査部隊員たちは疲れの見える顔でぐったりしていたが、ジルベールだけは「さすがは俺のレティ」と晴れ晴れとした笑みを浮かべていた。
やはり、というか――。
「ジルベール様、まさかと思うが既に事の全貌を把握しているな?」
「さて、なんのことやら」
「貴方の命を狙っている者の心当たりがおありなのだろう?」
あの方が仕組んだ、という商人の言葉に彼は眉一つ動かさなかった。当然と言えば当然である。一商人がジルベールの暗殺を目論見、オルレシアン家を排除しようとするわけがない。そして、その事を深く追求しなかったのは、既に犯人が誰なのか目星がついているからだ。でなければどんな手を使ってでも吐き出させていた。
しかしジルベールは穏やかな顔で小さく首を振った。
「暴いても誰も幸せにならない真実ならば、俺はすべてに目を瞑るよ。面倒事が降りかかってくるのも、レティとの時間を邪魔されるのも嫌だ」
「自らの身を危険にさらしてもか?」
「守ってくれるのだろう?」
そう言われてしまっては二の句が継げなくなる。
まったく、本当に困った旦那様だ。しかしその信頼はくすぐったくもある。レティシアは「もちろんだとも」と答えて、彼の甲に口付けた。
すでにエピローグも書き終わっているので、準備できたら続けて更新いたします!
おまけの後日談のくせにめちゃくちゃ長くなってすみませんでした……!





