4、すべては彼の駒
「ふむ、竜帝の方をご所望か?」
意外なお願いに少々面食らったものの、この程度で動揺するレティシアではない。すぐさま立て直し、触れてきた手を掴んで指先にキスを落とす。
仕返しだ。
「いいだろう。旦那様の頼みとあれば断る言葉は持ち合わせていない。任せてくれ。あなたの望むがままに、この力を揮おう」
「――ウッ、世界一格好いい!」
先程まで妖艶に誘うような素振りを見せていたジルベールだったが、レティシアの反撃に一瞬で陥落した。胸を押さえてベッドに倒れ伏す。じ、と見上げる瞳には甘えの色が見てとれた。まったく困った旦那様だ。
レティシアは彼の頭を撫でながら、部屋を出ていこうとするフォコンを呼びとめる。
「フォコン、仕事はこれからだぞ」
「いやぁ、俺なりの気遣いだったんですけど」
「それは有難いが、急ぎ取りかからねばならぬ案件なのだろう? ジルベール様もやる気に満ち溢れていらっしゃる」
「え、野性を忘れたワンちゃん状態にしか見えませんが?」
確かにレティシアに撫でられている状態のジルベールは、すべての緊張から解き放たれたリラックスムードの顔をしている。しかし全力で甘えてくる時は瞳も、表情も、人目に触れさせたくない程に蕩けてしまう。どろどろに煮詰めたイチゴジャムのような瞳は、どの宝石よりも甘美で美しいものだ。
対して今、彼の瞳には力強い光が灯っている。これは思考以外の何もかもを放棄している状態。
一緒にされては困る。
ジルベールは「レティ、ありがとう」と言うとおもむろに立ち上がりフォコンに向き直った。
「雀を三匹こっちに寄越してくれ」
「はいはい、いつもの通り伝言ですね。どいつを誰に届けます?」
「チュンが陛下、チュチュンがアドルフ殿、チュンさんがアリーシャだ」
フォコンの指先が光り、ジルベールの拡げられた両手に雀が三匹ころんと転がり落ちた。
まさか名前があったのか。レティシアも近づいて雀たちをよくよく観察する。言われてみれば表情や模様に少しだけ違いがあるような気がしなくもない。
「フォコンにしては随分可愛らしい名を付けたものだな」
「いや、俺じゃなくて全部ジルベール様です」
「ほう?」
ジルベールの方に視線をやると、雀たちは揃って翼をくの字に折り曲げ敬礼のポーズをとった。手のひらの上で。
なんと愛らしい。可愛いの上に可愛いが乗っている。
「最初雀一号、二号、三号だったんだぞ。それじゃあさすがに可哀想だ。なぁ?」
「チュン!」
「チュチュン!」
「チュチュチュン!」
恐らく右から元一号、二号、三号だろう。
誇らしげに胸を張る姿はジルベールへの感謝ともとれる。困ったな。氷竜たちにも個別の名前を付けてやるべきだろうか。
ジルベールの肩に移動し、嬉しそうに頬を擦り付ける雀たちを見ていたら、アン、ドゥ、トロワ、カートル、サンク、シス、と名付けているレティシアも似たようなものだと少し頭を抱えた。
「やだ。俺より懐かれてる……?」
「……安心しろ。私も似たようなものだ」
雀たちに伝言を吹き込んでいるジルベールを見て、竜帝と密偵は揃ってため息を零すのだった。
* * * * * * *
「さて、こんなものか。次はと」
伝言を記録し終わった雀たちはフォコンの肩に止まり、チュンチュンと囀っている。傍から見れば大道芸人のようにも見えて面白い。
お調子者で凝り性なフォコンのことだ。声に出したが最後、本気で雀たちに芸を仕込みそうなので黙っているが。
ロスマン皇帝、オルレシアン公爵、そして事件のあと娼館の女主人となったアリーシャ。雀たちが向かう先は一癖も二癖もある者たちばかりだ。
彼らを使って何を仕込むつもりなのか。
机に向かってペンを走らせているジルベールを見ながら思う。
ジルベール自身が動かせる駒は意外と少ない。しかし、その駒の影響力は絶大だ。彼の頭脳と合わされば、出来ない事の方が少ないだろう。
「陛下や父上も動かすとなると、なかなか大がかりだな。私もすぐに支度をしようか」
「いや、今挙げた三人はあくまで軽いサポートさ。ほんのちょっと手を貸してもらうだけ。メインはこっち」
振り返って封書に入れた手紙をひらひらと振る。
封蝋には昨今ジルベールが個人的に使用しているスタンプが用いられていた。氷の薔薇を模ったその紋章が誰のものかは、ロスマン皇帝やオルレシアン家の一部など極限られた者たち以外知られていない。
「フォコン、最後にこれを。国家調査部隊長レオン・オルレシアン殿に」
「レオン?」
あまりに聞き知った名前が降って湧いたのでぱちりと目を瞬かせる。
国家調査部隊とは外の攻撃から国を守る騎士とは違い、内なる癌となり得る事件を調査・立件する部隊のことである。
公明正大を主とし皇帝陛下直属でありながらその陛下すら調査対象の一人として外道に落ちる気配があれば進言、やむを得ない場合は裁く権利さえ与えられていた。
表に出せない事件も数多く担当し、秘密裏に処理をすることもあるという。
ただし、あまりに力が集中し過ぎると危険なので国家調査部隊には皇帝一族を長とする皇族派と有力貴族を長とする貴族派の二部隊に分かれている。
その貴族派の部隊長がレオン・オルレシアン。
レティシアの実兄である。
性格は真面目で実直。諸貴族たちだけでなく国民からの支持も厚い優秀な男だ。
しかし彼もまたオルレシアン家に属する人物。先日の失脚騒動の煽りを受け、その求心力にほんの少し陰りが見えているらしい。
まさかとは思うが――レティシアは無言でジルベールに視線を投げた。すると楽しげにウィンクが返ってきたのでそういうことなのだろう。
「ええ! レオン様まで引っ張ってくるんですか! 一体何考えてるんです? それの中身って」
「うーん、端的に言えば密告書、だろうか?」
「はぁ!?」
「ハハ、楽しい事になるぞ?」
「うわ、良い顔してらっしゃる」
ジルベールから手紙を受け取ったフォコンは「それじゃ、巻きで行ってきます」とさも当然のように壁を抜けて出ていった。もちろん、雀たちも一緒だ。
「さぁ、仕込は終わりだ。あとは明日が来るまでゆっくりしようか、レティ」
「明日で良いのか?」
「ああ。折角もぎ取った休みだ。時が来るまで楽しまなくては損だろう? だからさ」
立ち上がってベッドの縁に腰掛けると、レティシアの手を取って頬を擦り付ける。
確かに時が来るまで今か今かと待ち構えていても仕方がない。ジルべールが準備は済んだと言ったのだ。ならばやる事は一つではなかろうか。
ただ――、人々を惑わすような紅の瞳がゆらりと怪しく揺れる。レティシアはその美しさに吸い込まれそうになりながら、じいと彼を見つめた。
「ああ、その前に昼食か。すぐ作ってくるよ。ちょっと待っててくれるかい?」
「それもあるが。……あなたを敵に回すのは恐ろしいなと思っていたところだ」
レティシアの言葉に、きょとんとした顔で小首を傾げるジルベール。
「そうかい? いくら知略を尽くそうとも、俺はレティには絶対勝てないが?」
「惚れた弱みと言うのならば私も条件は同じだぞ。たとえ世界が敵にまわっても、あなたを傷つけることはない。この命ある限りあなたを守り続けると誓ったはずだ。その言葉に嘘はない」
「嬉しい。俺もだよ、レティ。――ふふ、でもそれを抜きにしても俺はレティには勝てないんだ」
「ん?」
「答え合わせはまた明日」
ジルベールはレティシアの手の平に唇を寄せると「軽食を作ってくるよ」と言って軽やかに部屋を出ていった。
甘えたがりな旦那様は意外と秘密主義で時折けむに巻くようにレティシアを翻弄する。
だが、それすらも心地よい。
「さて、それでは私はゆるりと帰りを待つとするか」
ジルベールを甘やかす準備をしつつ、レティシアは穏やかに微笑むのだった。





