第99話 異種編8
「そっか・・・。やっぱり、アタシ、そうなんだね」
力なく笑い、ルウネは顔を伏せた。
村から出て、そしてルウネと出会った場所まで戻ってきた雷牙達は、ルウネに事実と罠の本質、そしてその存在理由を告げた。言葉を選び、なるべく傷つけないように伝えたかったのではあるが、この世界の罠であるという事実の重さは、どう言葉を考えても変えられない。
両親以外の人間に、生まれて初めてまともな扱いされたルウネ。化け物ではなく、人間として接してくれた雷牙たちから告げられたことは、あまりにもつらい現実。
この世界の罠が自分なのだという、医者に余命を宣告される如く衝撃を受けたルウネは、泣き崩れるでもなく嘆くでもなく、ただ寂しそうに笑っていた。
そんなルウネに、雷牙達は何も言葉をかけることができなかった。罠という事実は、もはや存在自体が罪と言っても過言ではないのだ。『そう』なるべくして生まれてきた罠であるが故、自身の存在がそうだと悟ったルウネにかけるべき言葉など、罠を外して回っているという相反する存在の4人が持ち合わせている道理などなかった。
「・・・もう、何のために生まれてきたんだろうね、アタシさ」
寂しげな笑顔を張り付けたまま、ルウネが口を開いた。
「生まれてきた時点でもう村の人から嫌われて、お父さんとお母さんも死んじゃって、それはお前のせいだって言われてさ。その後も嫌われて、疎まれて、追い払われて、ずっと1人ぼっち。挙句の果ては存在自体が罪だって・・・そんなのないと思わない?」
誰に問いかけたのかはわからない。4人のうちの1人に問いかけたのかもしれないし、ひょっとしたら自分自身に問いかけたのかもしれなかった。
「いいじゃない、アタシじゃなくてもさ。どうしてアタシなのよ、何もしてないじゃない。みんなで勝手に嫌って、勝手にいじめてくるだけじゃない。悪いことしたんだったら、誰かそう言ってくれればいいのに・・・、どうして誰も言ってくれないのよ。どうして誰も教えてくれないのよ。わけわかんない。アタシの何が、何が悪いっていうのよ・・・」
顔を覆いながら、ルウネは心の憤りを生まれて初めてぶちまけた。その声は震えていて、今にでも泣き出しそうな、そして怒鳴り散らしそうな声色だった。
もしも運命というダイスを神が振っているのならば、その神をぶん殴ってやりたいくらいに、ルウネは理不尽極まりない境遇に苛立ち、同時に悲しんでいた。歩んできた人生、それも1から10まで、幸せだと呼べる瞬間など訪れず、その分だけ忌み嫌われるという道を歩いてきたのだから。
「・・・ごめんね。ちょっと、取り乱しちゃった」
今までずっと独りで生きてきたルウネの精神は、恐ろしいほどに強固だった。
本当は泣き出したいのに。
大声を上げて、己の運命を呪いたいのに。
ふざけるなと怒鳴り散らしたいのに。
それなのに、ルウネはその感情を抑え込んだ。
雷牙達に、人間として扱ってくれた人たちに無様な姿を見せたくないという、たったそれだけの理由だった。
「それで、アタシってどうなるの? 今、死ぬの?」
明るく振る舞ってこそいるが、声の震えは止まっていない。死ぬことを何とも思っていないような口ぶりではあるが、恐怖していることは明らかだ。死は誰でも恐れる。ルウネとて例外ではなかった。
「・・・わからねぇ。とりあえず、今日は疲れた。続きは明日考える」
そう言って、雷牙は話を強引に終わらせた。
言葉の通り、今日は胸の悪くなる話をずっと聞き、最悪とも呼べる結果を知らされてしまった雷牙達一同は、精神的にかなり疲れていた。これ以上、物を考えたくないというのが本音である。
そんな状態でルウネの処遇を決めようとしたところで、いい案が思い浮かぶとは言い難かった。浮かんだとしてもろくでもない考えか、あるいは何も浮かばず時間を浪費しただけという結果が残るだけだろう。
事は重要極まりないことである。日を跨ぎ、慎重に思案したほうがいいに決まっている。
「・・・気なんて遣わなくていいよ。はっきり言ってくれたほうが、こっちとしては楽なんだけどさ」
うっすらと笑ってルウネがそう言う。
処遇を宣言されれば、それに対する覚悟が出来るという意味での『楽』なのだろう。覚悟を決めるのと決めないでの死では、恐怖も何もが違ってくるから当然だ。
「遠慮じゃねぇよ。俺たちも初めてのケースでわけわかんねぇし、今日は本当に疲れたんだ。悪りぃけど、明日に回させてくれ」
「・・・それならいいんだけど」
少しだけ安心したのか、不安がっていたルウネの表情が和らぎ、安堵のため息をついていた。自身がどうなるかはわからないが、とりあえず命が保留になったことには変わりない。安心しないわけがなかった。
「とりあえず、どこで一晩を明かすかを決めましょう。できれば、ルウネさんがいつも眠っている場所にお邪魔させてもらうのが一番なのですが」
村で警告されたように、夜になれば獣が活発化する。となれば、このような獣が寄らせないための場所で夜を明かすわけにはいかない。自分達の体を、飢えた獣に差し出しているのと何ら変わりないからだ。
その点、ルウネがいつも眠っている場所であれば、猛獣たちに襲われないための対策も取られているだろうから安全なはず。寝床を荒らすような真似ではあるが、一晩だけ迷惑になるのが市場である。
「あぁ、アタシ、そういうとこないんだ。巣っていうのかな、そういうのは冬のときくらいしか用意しないから」
「え? それじゃ、ルウネさんは今までどこで生活してたんですか?」
驚き、レナがルウネに尋ねる。
生活の拠点となる家、ルウネに合わせるのであれば巣がないのであれば、先ほども言ったように睡眠を取っている間に獣に襲われる危険性もあるし、体調を崩す要因である雨風を凌ぐこともできない。家がないということはつまり、外の危険に四六時中晒されることと同義なのである。
生活の拠点なくして、目の前の少女はどうやって今まで生き延びてきたのか。家がないということの危険性がわかっている者ならば、気にならないわけがなかった。
「ん~、そこら辺を転々と回ってたかなぁ。1つの所に巣を作っちゃうと、いざ見つけられたときに戻る場所を特定されちゃうしね。それに作るのも面倒だったから、良さそうな木の上に登って眠ってたよ。雨とか風が強い日は落ち葉とかかき集めて何とか凌いでたかなぁ。アタシ、体温も結構高いから、寒すぎなかったら結構大丈夫だったの」
すごいでしょ、と最後にルウネが付け足した。
何と言うべきか、ここら一帯の自然そのものがルウネにとっての巣なのかもしれない。勝手がわかっている分、変に巣を作るよりはいいと割り切っているのだろう。常に身体の強化を施している状態であるルウネであれば代謝も高いはずであるから、本人の言う通り多少の寒さならばそれほど気にならないのであれば巣など必要ないわけだ。
「・・・ってことは、俺たちはここらで野ざらしか?」
雷光のほうを見て、雷牙がそう尋ねる。
「そういうことになりますね。まぁこの世界はそんなに寒くはないですし、そのまま寝転がっても大丈夫だと思います」
現在の天候は快晴とはいかずとも晴れ間がのぞいている状態である。雨など降る気配などまったく見えない。寝ている途中に土砂降りということもまずないだろう。
体温を奪う風さえも、そよ風程度のものであるから、雷光の言う通り野ざらしになっても大丈夫なはず。あまり体にいいとはいえないが、1晩過ごすくらいなら何ともない。
「そうと決まれば、色々準備しなきゃね。おなかも減ったし」
腹をさすりながら、風蘭が呟く。緊張の連続で誰も気づいていなかったが、この世界に来てから一同は何も食物を口にしていない。さすがにここまで辺りが暗くなってからは、体が栄養補給を訴えてきて誤魔化しはきかない。
「まぁ確かに腹は減ったけどよ、こんなに暗くなっちゃ狩りは無理だぜ? やってやれねぇことはねぇけど、時間だってかかるし、全員が満足するような量だって獲れるかわからねぇ。満足に周りだって見えねぇしな。我慢したほうがいいんじゃねぇのか?」
長年狩りを続けてきただけあって、雷牙の言葉は正しい。日ももうすぐ完全に沈む。今でこそなかなか明るいが、狩りを始めてしまえばその最中に暗闇が確実に訪れる。そうなれば、もう狩りどころの話ではない。身の安全が優先される。夜になれば、いくら雷牙や雷光のように野生で育ち、狩りに慣れた者といえど、活動時間である夜型の獣相手に無傷ではいられないからである。
「わかってるってば、言ってみただけ。無理に行けなんて言わないって」
幼少の頃からの付き合いである風蘭も、夜の狩りがいかに危険であるかということくらい承知している。その危険性をわかっている以上、最初から狩りになど行かせるつもりなどなかったのだろう。
「あ、そうだそうだ。おなか減ったんならさ、これ食べてよ。みんなが村に言ってる間に獲ってきたんだ」
そう言ってルウネが背後から出したのが、ルウネのために雷光が水を汲みに行ったときに使った簡易式のバケツ。その中からは、何かパシャパシャと水飛沫が上がるような音が聞こえてくる。
何が入っているものなのかと、4人が一斉にそのバケツの中を覗き込む。
「わぁ・・・、すごい魚ですね」
感嘆の声を上げるレナ。中にいたものは、大きな体を必死に動かしてバケツの中を泳ぐ、数匹の魚だった。バケツ自体がそれほど大きくないため、余計に魚が大きく見える。雄大な自然の中で育った魚は、ここまで大きくなるものなのかと感心してしまうほどだ。
「確かに、うまそうだな。こんだけでかけりゃ嫌でも腹が膨れんだろ」
「でしょ? おっきい魚、獲れるとこ知ってるんだよね。あ、アタシはもう食べちゃったから、遠慮しないでどうぞ」
ここら一帯の地理を理解しているだけあって、ルウネはそういった場所もしっかりと記憶しているようだった。これだけ大きければ捕まえるのも一苦労のはずなのだが、そこはさすが手慣れているとしか言いようがなかった。
「あれ、ルウネさん、どうやってこれ食べたんですか?」
ふと、疑問に思った雷光が尋ねる。
焼いて口にしたにしろ、煮て口にしたにしろ、どちらにしても火が必要になる。しかし、辺りには煤けた薪や灰がなく、火を使った形跡がどこにも見られない。ならば、一体ルウネはどうやって魚を口にしたというのだろうか。
「どうやってって、いつもの通りそのまま」
「・・・はい?」
聞き間違えたかと思った雷光が、ルウネに訊き返す。
「だから、そのまま。頭からがぶっ! と」
「・・・えっと、その、もしかして、生で?」
「え? 普通そういうものじゃないの?」
ルウネの何気ないその言葉を聞いた一同は、今自分らの耳に入った言葉が信じられないといった具合に固まってしまった。
どうやらルウネは、常識を超えた常識を持ち合わせている人物のようであった。
「? どしたの? アタシ、変なこと言った?」
「へ、変なことって! あ、あなたそんなんじゃおなか壊すに決まってるでしょ! 加熱しない魚に、一体どれだけ病原菌と寄生虫がいると思ってんのよ!」
何もわかっていないルウネに、風蘭が事の重大さを教える。加熱しない生ものは、人間の健康を壊す塊だ。知らなかったとはいえ、それを生で食べるなど、医学を学んでいる風蘭にしてみれば、絶対にあってはならないことなのだろう。
「え? え?」
当然のことながら、魚を生で食するということが当たり前であるルウネは、風蘭が何に怒っているのかがさっぱりわかっていない様子。生食の何が悪いのかと言いたげである。恐らくは、病原菌やら寄生虫やらの知識が備わっていないのだろう。だとすれば、こういった反応も当然と言える。
「とにかく! そのまま食べるのは絶対ダメっ! おなか壊してからじゃ遅いの! いい、これからは絶対、こういったものは火を通してから食べること!」
「そ、そんなこと言っても、アタシ、火なんか点ける方法なんてわからないし、それに煙で場所がばれちゃうし」
ルウネの言う通り、火を使う際にはどうしても煙が排出されてしまう。それを村人に発見されてしまえば、居場所が割れても不思議でない。起きている間ならば簡単に撒けるだろうが、この間のようにしばらく血を吸わずに動けなくなっている状態の時に踏み込まれでもしたら、それでアウトだ。そういった可能性をなくすことも含めて、ルウネは火を使うことをためらっているのかもしれない。
「確かに、焚火なんてしたら、煙で村の人たちに気づかれてしまうかもしれませんね。でも・・・いくらなんでも生はちょっと・・・」
困ったという風に、雷光がため息をつく。空腹で、しかも目の前に食料があるのに、それを食することができないとなれば当然の反応だった。
「えっと、要するに焚火の跡と煙が出なきゃいいんだよね?」
遠慮がちに、レナが手を上げる。
「? そうですね。火を使った形跡を残さないとなれば焚火は使えませんし、場所を知られないためにも煙は出さないほうがいいでしょうね。レナさん、何か考えでも?」
「私が火を出そうかと思って。木を燃料として火を起こすと煙が出るけど、魔力を変換するやり方なら煙は出ないし、もちろん跡も残らないよ。ただ、魚を焼くときには少し煙は出ちゃうけど、焚火と比べればまだ少ないと思うよ」
レナの持っている神器『神抜刀』は、魔力を込めることによって込めた魔力を炎へと変換する能力を持っている。木などに着火して炎を使う場合は煙が出てしまうが、魔力を変換するレナの炎であれば煙は出ない。もちろん、魚を焼くときには魚に含まれている水分が原因で煙が出てしまうが、木を燃やすよりは遥かに煙の量は少ないはず。
もちろん、『神抜刀』に込める魔力の量で炎の大きさと温度は違うのだが、そこは調整すれば何とかなる。戦闘に使う炎も、使い方次第ではこういった真似もできるというわけである。
「お、なかなかいい考えじゃねぇか。これで飯にありつけらぁ」
温かい食事が出来るということに反応した雷牙が、実に満足そうに笑う。胃に食べ物が入るだけでも嬉しいのだろう。
「焼いたものかぁ。アタシ、しばらくそういうの食べてないなぁ」
ふと、ルウネがそんなことを言い出す。
村にいた頃であれば火もちゃんと使えたのだろうが、今はそんなもの使うことなどない。となれば、加熱した食事は珍しいものであり、滅多に口にすることが出来ないということになる。
もちろん、村人たちから食料を奪う際に火の通っている物が得られるということはあるだろうが、そういった略奪行為自体をあまり好まないルウネにしてみれば、どちらにせよ加熱処理された食事というものは珍しいものになる。
「あ、それなら私と半分にしませんか。私、こんなに大きい魚、全部は食べられないから」
レナがそう提案すると、途端にルウネが表情を輝かせる。
「ホントっ? ありがとう、レナちゃん!」
「いえいえ。それじゃ、焼きましょうか」
そう言ってレナが『神抜刀』を抜く。これから調理に入るようだった。
・・・これからの食事を楽しみしている一同は、気付かない。
自分らの後を付け、そしてここから去っていった1人の男に、全く気がつかない。
「ん?」
「どうしましたか、兄ぃ」
「・・・いや、何でもねぇよ」
ただ1人、雷牙が何かの気配が消えるのを感じたようだったが、気のせいだろうと特に気にも留めず、ただ目の前の小さな炎で焼かれている魚へと視線を戻した。




